東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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『レスラー』を観た後で、追悼の10カウントを聞くなんて。

梅雨である。東京も雨が降り出した。夕方から小雨が降っていたが、所々で落雷の音も聞こえてきた。

神保町の居酒屋『兵六』は、エアコンと云うものが無い。この季節から秋にかけては窓も入口も開いており、時折外から流れ込む風にホッとしながら酒を呑むのである。また、音楽が鳴っている訳でも無いので、客たちの会話が途切れれば、外の雨足の音が店内に届くのだ。
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夜になると雨もすっかり本降りとなってきた。ザザァッと地面を叩く雨音が、一人で酒と向き合う時間を作ってくれているようだった。
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薩摩無双が、実に味わい深い晩だったナ。

さて、プロレスラー三沢光晴さんの訃報に続き、今度は大阪プロレスのレフェリー、テッド・タナベさんが昨日お亡くなりになった。奇しくも三沢さんと同じ、享年46歳と云う若さだった。
プロレスは選手だけじゃなく、レフェリーの存在感もとても重要だ。
絶妙なタイミングでカウントを取り、数々の名試合を陰で支えているのもレフェリーだから、プロレス界にとっては立て続けの悲報にショックが大きいことだろうね。

夕べはテレビのスポーツ番組で三沢光晴さんの追悼企画を拝見した。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田以降の日本プロレス界を牽引してきた格闘の神様が昇天した事実が、未だ信じられない。
タイガーマスクとして、華麗に空中を飛び相手に突っ込んで行った姿が今も記憶に残っている。
高山善廣と共に全日本プロレスを辞め、ノアを旗揚げした頃は、彼らが日本のプロレスを変えるナ、と感じたっけ。

僕は、高山選手、小橋選手、そして三沢選手のレスリングが好きだ。
「DREAM」等の今の格闘技もよく観るが、どれが好き?と問われれば、世代のせいか、矢張りプロレスなのだ。そして、プロレスとプロ野球で育った僕は、格闘の神、三沢光晴さんの死はとても悲しい。
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追悼のテンカウントには思わず泪が溢れ出た。今から10年前、ジャイアント馬場が亡くなり、立て続けにジャンボ鶴田が亡くなり、プロレス界はどうなることやら、と思ったが、その時「ノア」が生まれた。あの時の興奮を僕は忘れない。

プロレス界の悲報が続くのは悲しい。だが、三沢選手のプロレスにかけた情熱を受け継ぐ選手は沢山育っているのだ。新しいファンが増え会場に足を運んでくれる事が、天国の彼らの望んでいる事だろうか。

謹んで、お二人のご冥福をお祈りします。合掌。
         ◇        ◇          ◇
そんな日本プロレス界の悲報を耳にする少し前、『レスラー』と云う映画を観た。中年のプロレスラーが老いと孤独と向き合いながら、人生の再起をかけて再び四角いリングへと立ち上がる、そんな人間ドラマだ。試合に勝てば大金や名声を浴び、一時は一世風靡もしたが、年月と共に年老いて人気も遠ざかる。二十年余りがたった今では、場末のリングでの試合しか出来ないのだ。会場では多少の観客の声援に酔うのだが、試合が終われば孤独な自分と向き合うしかない。

この中年レスラーをミッキー・ロークが演じている。そして、この映画で彼は再び銀幕の世界に返り咲いた。英国アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞では主演男優賞を獲得し、ベネチア国際映画祭ではなんと金獅子賞を受賞した。
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僕は映画『ダイナー』でミッキー・ロークを好きになったが、『ナインハーフ』や『蘭の女』での強烈なセクシーキャラが強すぎて、それ以後は余り彼の映画に興味を抱く事はなかった。日本がバブルに湧いた頃、ボクシングの試合で来日した事もあったっけ。そのボクシングの怪我のせいなのか、過去のセックスシンボルとしての顔を消し去りたかった為なのかは定かじゃないが、何度も整形を繰り返し顔が変わり果てた。

映画を観始めた最初の数分はその顔に違和感を覚えたが、役者としての底力が一瞬にしてかき消した。それほどまでに彼はプロレスラー、ランディになりきって演じていた。観ていて痛いほどだが、それが映画俳優としてのミッキー・ローク自身の軌跡にも通じ、いつの間にか重なり合っていた。

話は戻るが、先の訃報を聞いた時、僕は映画『レスラー』の主人公ランディと俳優ミッキー・ローク、そして実際にマットの上で散った三沢光晴さんの事すべてが重なり合い、悲しみが溢れ出た。

この映画、不器用なレスラーを演じたミッキー・ロークも良いが、彼を支えるストリッパー役のマリサ・トメイが兎に角イイ。『その土曜日、7時58分』も良かったが、今回もこれまた最高でアル。これを観て、マリサ・トメイファンが増えること間違いないナ。
また、ブルース・スプリングスティーンの主題歌も良かったなぁ。そのどれもが一体化して、素晴らしい映画作品となった。そして、当初主役はもっと知名度の高い人気スターを起用したいと云うプロデューサー側の要求を頑(かたくな)に断り、ミッキー・ロークを主演に迎え撮り上げたダーレン・アロフスキー監督の見事な勝利だった。

「人生は過酷である、ゆえに美しい。」この映画のキャッチコピーだ。映画を観終わって、その言葉がスーッと心に刺さってしまった。
週末あたり、もう一度観に行こうかナ。

蛇足だが、先日の朝日新聞にこの映画でミッキー・ロークにレスリング指導をした元プロレスラーのアファ・アノアイ氏の記事が出ていた。
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彼は3ヶ月間でロークを「選手歴30年の伝説のレスラー」にするべく指導したそうだ。実際にボクサーだったロークに、プロレスの動きとボクシングの早い動きのスピードの違いを習得してもらう事が一番苦労したそうだ。

もう随分昔、国際プロレスが盛んだった頃、サモア出身の兄弟レスラー「ワイルド・サモアンズ」として日本でもタッグを組んでいた。

昔僕が通っていた東麻布のジムは、米国のプロレスラーが来日すると皆トレーニングにやって来た。ハルク・ホーガンやホーク&アニマル・ウォリアーなども必ず来ており、サインを貰ったものだ。80年代、確かワイルド・サモアンズも来ていたと思う。ベンチプレスをいきなり120キロから始めるのだから、レスラーの凄さを目の当たりにしたのを覚えている。そのアファ・アノアイ氏が映画『レスラー』をサポートしていたのだから、レスリング・シーンのリアルさもなるほどナと頷いた。

大人になっても、時々無性に誰か相手にフライングヘッドシザーズかけたくなる時って、ない? あるある、男なら、きっとあるよね。
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by cafegent | 2009-06-16 14:49 | ひとりごと