月曜はこんなに月明かりが綺麗だったのに、今日は朝から土砂降りだ。
ニュースによれば四月最大の雨量だそうだ。
この雨の中、歌舞伎座最後の公演「御名残四月大歌舞伎」が千秋楽を迎えた。金曜日には「歌舞伎座閉場式」が催され、これを最後にこの建物は取り壊される。
僕は殆ど一番上の三階席で観ていたので、いつも花道が見えなかった。何年か前からテレビモニターが付いたので、それで花道の役者を観たものだ。結局、此の歌舞伎座で1等席には一度も座らなかったナ。
それにしても物凄い人だかりだった。今回の四月大歌舞伎は三部構成となっており、実に慌ただしい。
それでも、歌舞伎座最後に相応しい演目ばかりで素晴らしかった。
「御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)」は、此処歌舞伎座が在る木挽町が舞台で、三津五郎はもちろんのこと、海老蔵、獅童、勘太郎、七之助等の若手が皆良かった。
一部最後はお馴染み「連獅子」である。代々勘三郎一家が得意とする演目もまた千秋楽に相応しかったナ。親獅子を演じる勘三郎と仔獅子の勘太郎、七之助の親子三人の舞は見事だ。
各界の方も多く来ていた様で、江川卓さんをお見かけしたナ。
第2部も大変な賑わいだ。一幕見を待つ長い行列が出来ていた。
外にはこんな電光掲示板でラストカウントをしていたのだネ。
歌舞伎座で長年天津甘栗の屋台を出していた此の店も今回の歌舞伎座建て替えに伴い店を閉じると聞いた。
界隈のサラリーマンたちにも人気の甘栗だっただけにとても残念。
親爺さん、元気に隠居生活を送って下さいナ。
この建物は昭和25年に再建されたから、60年の歴史に幕を降ろす訳だ。いやぁ、お疲れさまでした。本当に御名残り惜しいが、3年後の新しい歌舞伎座を待つ事にしよう。
◇ ◇ ◇
さて、夕べは酒朋ビリー隊長と『宇ち多゛』で呑んだ。
いつもの奥席に腰を下ろすと、最近良く顔を遭わす御仁と向かい合わせになった。松戸から自転車漕いでやって来るのだから、元気だネ。話しが弾み、最後の客となってしまった。澤田さんは音楽の仕事をしているとの事で、僕の大好きなブラックベルベッツのCD等を手掛けている方だった。『宇ち多゛』でのこんな素敵な出会いが、とても愉しいのだナ。
帰り際、澤田さんがプロデュースをしたピアノの弾き語り、沢知恵さんのCDを戴いた。ありがとうございました。
「花のような恋」と云う唄が、とっても気に入りました。
青砥から日暮里経由で鶯谷へ移動した。
根岸の里の侘び住居『鍵屋』の店内は、なんとも穏やかな空気が漂っていたナ。たたみいわしをアテに桜正宗の燗酒を戴いた。
ビリーと他愛ないヨタ話で盛り上がるうちに、またも最後の客となってしまった。
ビリーと僕だけになった店のガラス戸がスーッと開いた。ところが其処に人影は無し。驚いていると下からニャーの声。そう、白黒の猫ちゃんが自分で戸を開けたのだった。ご主人曰く、いつも女性が手で襖を開けるような仕草で戸を開けるらしい。
そんな猫話でまた盛り上がっていると、店主の清水さんが「合わせ酒」をご馳走しようと云うではないか。ハテ、合わせ酒とは何?
いつも燗酒をつける時に取って付きの〼に酒を注ぐのだが、その際に余った酒はこの白い円筒の陶器の中に移すそうだ。
辛口の菊正宗と甘口の桜正宗が一緒に合わさり、この筒に残るのだネ。
ご主人が店仕舞した後に呑むのが、この「合わせ酒」と云う訳だ。
夕べは上機嫌のご主人に秘蔵の酒をご馳走になった。
長っ尻ですいませんでした。
ビリー隊長と別れ、一人恵比寿に移動した。
実は前日に酒朋ハッシーら5人で『焼き鳥かおる』で呑んだのだが、酔った上にお勘定を払い忘れて出て来てしまったのだった。
翌日、財布の中のお金が増えている事に気付き、店に連絡したら矢張り払い忘れていた。
徳利満杯にお酒注いでくれたのに、面目ない。
まったくトホホな話だが、謝り&支払いにまた再訪となった。
前日食べたオムライスもバカウマだったが、この日のカレーグラタンも美味かった。
二代目が作る洋食メニュ−は本当に美味いなぁ。
夕べはちゃんとお支払いをしたゾ。当たり前か、トホホ。