日々雑文雑多日記/蟹を相手に白昼夢へと彷徨う。
2010年 10月 28日
昔は「延寿」と当て字をして、長寿や安産のお守りとして祀ったりした木だそうだ。
しかし、今日の様に12月の寒さを体感すると、束の間の秋になってしまうのだろうか。今年は夏も猛暑から一気に冬の寒さが到来し、秋をすっ飛ばす勢いだ。モミジも紅葉せずに枯れて行く木々が多いと聞いた。
◇ ◇ ◇
東京湾でもまたワタリガニが穫れているそうだが、なんといっても岡山県で穫れたモノが美味い。向こうではガザミと呼んでいるが、今が旬のガザミが岡山から届いた。
蟹の足の先の方になると身をホジるのが厄介になる。歯で殻をガシガシとヤッてしまうと中で身が潰れて結局食べられなくなるのだナ。
先日手に入れた小島政二郎の『味見手帖』の中に、とてもエロティックな蟹の一文が出ていたので、ひとつ紹介しよう。
☆ ☆ ☆
蟹と云う奴は面白い奴で、ホコリホコリと楽に取れるところは余り美味いと思わず、狭い路地の中をせせって少しばかりの肉を探し出した時の喜びは、思わずニンマリ笑わずにいられないくらい美味いと思う。
そういう難所にぶつかると、思わずご飯を食べるのも忘れて、夢中になる。
一軒建ての並んでいる蟹の町の大通りから、だんだん狭い横町に曲がり、路地に入って行くにつれて、入り込んだ長屋建てになる。そこまで来ると、箸でも攻めにくくなる。で、鉄製の細い針に得物を替えて、ここぞと思うヒダのあたりをコソコソとくすぐるのだ。
くすぐっても、くすぐっても、手応えが無い。それでも諦めずに続けているうちに、相手が大事に仕舞って置いた肉のひと片(ひら)を思わずポロリと取り落とすことがある。僅かな僅かなひと片なのだが、こらえにこらえていた思いの籠っている落城だ。只のひと片の肉ではない。最後の最後まで、敵に渡すまいとして必死になって匿(かく)まっていた大事な宝物を諦めずに秘術を尽くして攻めに攻めた情にほだされて思わず泣いたひと滴(しずく)なのだ。
私の攻めているのは、いつしか蟹ではなくなっていた。蟹の白い肉が生きた肉体に変わっていた。蟹の白い肉に、神経が通い、血が通い、私の感情の誘うままに、右に動き、左に動き、反応の声を出し、或いは絡み、或るいは離れ、うまい肉を隠し、私、もっとうまい肉を持っているのよ。いいえ、でも、そこではないわ。嘘だと思ったら、もっとくすぐってごらんなさい、駄目駄目、もっといじめなくッちゃ。蟹の肉は声のない声を出して訴えた。
「あら、あなた、思ったより甘ちゃんね。私、その手には乗らないわ。そこは行き留まりよ。もっとその骨と骨とを噛み砕かなくちゃ。まあ、だらしない。もっと意地悪をなさらなければ。そう、そう。」
「.......」
「いいところまで来ているのに。どうしてあなたはそう優しさ専門なの?女はもっと不親切でないと落ちないわ。一番うまい肉をご馳走して上げられないの。蟹ッて、最後はいじめてくれないと、誰にもやりたくない最後の急所は、絶対に吐き出さないのよ」
「.......」
「まだまだ。攻め足りないわ。誰かの俳句に、二の丸や目に見えるもの風ばかり.....。エエ、二の丸は確かに落とされたわよ。あなたの食いしん坊は、そこまで?」
「.......」
「あなたは阿修羅が好きでしょ?阿修羅は四面、六本の手を持った悪神よ。非天、不端正、非善戯の悪魔よ。今こそ悪魔におなりなさいよ。あなたに欠けているのはソレよ。悪魔にならない限り私の本丸は落とせないわ」
そう云いながら、彼女は両足を開いた。
「ああ、そこそこ。もうひと息。そこの奥よ私の本丸は...」
「.......」
蟹の上にかがみ込んで、細い一本の針をたよりに、目に見えない凹(くぼ)みの奥を突ッつきながら、私は蟹の白い身が生きた女にも及ばぬ媚態を描くのを、ウットリとした目で見ていた。私の誘いに答えて、白い肉は喜び、悶え、快感の悲鳴を挙げた。私は耳を澄ましてその一つ一つを聞き漏らすまいとした。白い肉体に体温が生まれて来た。手足が生えて、私の首に絡み付いて来る幻影を見た。
どうですか、蟹ひとつ食べるのに男って奴は、これだけの妄想を抱き悦楽に浸れるのだナ。
美味いものに目が無かった小島政二郎さんが贔屓にして通った店が、今も銀座のど真ん中に在る。松屋デパートの裏手には今も文豪たちが進呈した粋な暖簾が架かっている。
かの山口瞳さんも著書『行きつけの店』の中で、「はち巻岡田の鮟鱇鍋を食べなくちゃ、冬が来ない」と記している。また、「はち巻岡田はわたしの学校で、接客や人付き合いなどいろいろなことを教えられた」とも書いていた。
久保田万太郎や小島政二郎、川口松太郎と云った方々が愛した店で美味い旬の味を今年も堪能したいものだナ。
過去の「東京自由人日記/はち巻岡田」