日々雑文雑多日記/あと十日で今年も終わりだネ。
2010年 12月 21日
早めに大事を取って休んだお陰で、今朝はすこぶる快調だった。
『草木国土悉皆成仏』(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という言葉でアル。
今話題の羽田の東京国際空港ターミナルビル内の商業施設『江戸小路』を設計した建築家の中村義明氏が、設計するにあたり、何度もこの言葉を口にしたそうだ。
サスガ、京都の『俵屋』や『菊乃井本店』を手掛けた数寄屋建築の名匠だけある素晴らしい考えだネ。また一つ良い言葉を知った。
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さて、今月号の雑誌「東京人」の特集は「東の横丁うまい店」だった。
TV旅チャンネル「居酒屋紀行」でお馴染みの太田和彦さんや書籍「望郷酒場を行く」の著者で、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集長森まゆみさん等が、味のある取材で愉しく読めた。
前回の横丁特集で「渋谷のんべい横丁」を取材した太田さんは、僕と隣り合わせで呑んだ酒場『Non』を紹介してくれた。あぁ、この人は本当に酒場が好きなのだなぁ、とその時も実感した。
誌面を読みながら、僕は一体いつ頃から下町の酒場等に足繁く通う事になったのだろうか、と考えてみた。
そう云えばと、書棚から一冊の雑誌を探してみた。有った、有った。
僕は今から17年前の「東京人」に載ったことがある。
特集は、「東京至る処に酒場あり<最新版BAR居酒屋案内>」でアル。バブル期の頃は、六本木や赤坂辺りで飲む事が多かったが、1989年僕は下北沢と云う場所に小さな酒場を開いた。三軒茶屋と下北沢を結ぶマイナーな茶沢通り沿いに面した小さなバーだ。
当時、「東京人」で原稿を書いていたフリーライターの故・岩下久美子さんは開店当初から仕事帰りに良く立ち寄ってくれた。
僕の店『アルゴンキンズバー』が出来て5年が経った頃、ふらりと岩下さんがやって来て、「東京の酒場特集をする雑誌が有るので、此処を取材させてね」と云う。
そして、当時のバーテンダーと僕とで取材に応じた。それから1ヶ月程経ち、掲載誌が送られて来た。それが、「東京人」75号だった。
ページを捲ると、バーの他にも僕がそれまで行った事も無い地域の渋い居酒屋なども紹介されていた。取材していたのは、もちろん太田和彦さんだった。
それまでも、渋谷界隈で呑む事が多かったから、「富士屋本店」や「鳥重」、恵比寿の「縄のれん」等には通っていたが、わざわざ遠出をしてまで酒場に繰り出すなんて事はしなかったっけ。
今、改めて当時の「東京人」を読み返してみると、後半ページに明治の石版画特集が出ていた。
「巡り合わせ」と云うものは実に奇遇でアル。今、毎月参加している吉田類さんの句会でご一緒させて戴いているのが、坂崎さんなのだナ。
僕は新版画が好きで、少しづつ集めているが、当時から坂崎さんの石版画コレクションは有名だった。
坂崎靖司=坂崎重盛さんだと知ったのは、随分後になってからだった。
そうそう、今朝届いたメイルに素敵な句が有った。
草庵に暫く居ては打ち破り
芭蕉が詠んだ名句だネ。今まで留まっていた草庵を出て、いよいよ次の旅に踏み出そうと云う心意気がガツンと伝わってくる一句だ。なんとも詩的な句だが、これこそが芭蕉の感情表現なのだナ。
この句をメイルしてくれた伊勢幸祐さんも酒場で出逢った一人だ。
酒場を通じ、色々な方と出逢い、酒を酌み交わし、知らぬ間にその糸が紬ぎ合うのだから、まんざら無駄に歳を取った訳でも無いみたいだネ。
来年も沢山の酒場で様々な出逢いが待っていることだろう。
これからは、その繋がりをじっくりと深めていきたいものだナ。
毎年、この時期になると来年一年に向けてあれや此れやと色々考えてしまう。まぁ、来年も己を信じて生きていこう。