日々ヘベ日記/土よ宇から野毛、武蔵小杉と酩酊小旅行。
2011年 02月 07日
昨日は大相撲三月場所の中止が決定した。角界の不祥事はまだまだ氷山の一角だと報じられている。収入面の格段の差から十両の座を死守しようとする力士たちの悪しき慣例がメールの記録により表面に出た。
賭博や暴力事件などの今までの不祥事と違い、「土俵の中」で起きた事に相撲ファンは嘆いているのだ。石原都知事は、「そんなもん昔からやっていた事だし、誰だって判っているよ」なんて発言を堂々としていたが、それでも横綱白鵬の連勝記録を見守り健闘を讃えていた僕らは少なからず憤りを覚えた。
それでも、土俵の上は「神聖な場所」でアル。だから国技なのだ。と、オジサンは怒るのでアール。
長い間蓄積されていた秘密事が肥大した悪しき氷と化している。東風解凍の如く、早く溶けて澄みきった水の様になって欲しいものだナ。
◇ ◇ ◇
さて、土曜日は朝から京成立石へと向かう。『宇ち多゛』の口開けはいつもの様に土よ宇常連たちでほぼ埋まる。
軽く呑んで皆さんとは此処で別れた。立石駅から真っつぐ京急品川経由で横浜へと向かう。
初代の孫として徳田家に生まれた三代目八十吉さんは、最初九谷焼きを受け継ぐ気が無く、社交ダンスの先生をしていたそうだ。しかし、初代の生み出した古九谷5彩(紺、紫、緑、黄、赤)の資料を解析し、そこから赤を除いた4色の組み合わせを研究し、なんと数百もの色を創り出した。
父、二代八十吉は富本憲吉に強く影響を受け、三代もその現代陶芸を学び、独自の色グラデーション技法による釉薬磁器を完成させた。
「耀彩(ようさい)」と呼ばれる三代 徳田八十吉の陶芸は、国内のみならず世界中で高い評価を得た。
元々、柳宗悦やバーナード・リーチ等の「民藝」から、富本憲吉の陶芸が好きになり、そこから辿って徳田八十吉を知ったのだが、二代と三代は表現が大きく違う。
芸術に触れた後は、矢張り酒だナ。桜木町に出て、野毛まで。
新橋駅前ビルの地下を彷彿させるぴおシティの地下街は酒呑みにはたまらない。
此処は佇まいも働く人も年季が入っているが、カウンターで呑む客たちも随分と年季が入ってる立ち飲みの酒場だ。
しめ鯖をアテに瓶ビールをゴクリ。展覧会の緊張感がほぐれたナ。
グラスを置いて、百円玉を二枚入れボタンを押すと酒が注がれる。青ボタンは「ひや酒」、赤ボタンは「燗酒」だ。
白鹿と辛口の松竹梅も有る。もちろん純米酒も置いてるが、客の殆どがこっちだネ。
ちょいと良い気持ちになったところで、『福田フライ』の口開けへ。
チューハイを戴き、串カツとアサリ串を辛いソースでお願いする。
そして、息子さん自慢の刺身は金目鯛を戴いた。
白子と牡蠣酢も戴いて、ポテトとえび、レバーのフライを追加。
東横線で武蔵小杉まで出て、目指す先は『文福 本店』だ。
焼き物はレバタレから。此処は武蔵小杉では外せない酒場だ。焼き物が本当に美味いのだナ。
こちらは、塩だんご串焼きだ。
そして、僕の大好きなピーコンは絶対オススメだ。
いつの間にか生ホッピーから熱燗になっていた。
焼き場の兄さんたちは若いが皆快活で活気に満ちている。こんな素敵な酒場で煙に燻されながら過ごす週末が愉しいのだネ。
美味しい酒と焼き物、流石『文福』でしたナ。ご馳走さま!
うーん、このあと乗り過ごさないで帰れたか記憶が曖昧だった。
「三代 徳田八十吉 追悼展」紹介のサイト