東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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東京黄昏酒場/その4.鐘ケ淵『はりや』のハイボールに憩う。

陽が落ちて茜色の空が群青色へと移って行く。
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路面に映る長い影がぼんやりとしてくる黄昏(たそがれ)時、人は酒を求めて彷徨いたくなる。

会社では、隔壁の向こう側に居るライバルと仕事を競い合い、いつか上司をも凌駕する勢いで働いている。そんな男たちが、暫し仕事の事を忘れ、己と向き合う事が出来るのが酒場なのかもしれない。

今宵もまた、そんな黄昏酒場へ皆を誘(いざな)ってみよう。

荒川と隅田川に挟まれた所に東武伊勢崎線の鐘ケ淵駅が在る。
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西口を降り墨堤通り方面へと歩くと最初の信号の在る交差点に出る。
左手に大きな富士自動車の本社が見えるので、その角を左折すると酒場『はりや』の灯りが見える。
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昭和6年創業の大衆酒場『はりや』は、その佇まいといい、正に昭和の酒場遺産でアル。
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大きな縄のれんの奥の曇りガラス戸は中が見えず、開けるのを少し躊躇するかもしれないが、開ければ其処はパラダイス。
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白州次郎ばりの見事な白髪のご主人と笑顔が素敵な奥さんの二人で営む素敵な酒場なのだナ。

店主の張谷さんは、此処鐘ケ淵で生まれ育ったそうだ。
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鐘ケ淵と云えば、カネボウ創業の地である。「鐘紡」は、当初鐘ケ淵紡績株式会社であった。後にそれを縮めて出来た社名が「カネボウ」だ。世界有数の紡績会社は、この地に大きな工場を造り、沢山の人々が働いていた。工員たちが仕事の疲れを癒す酒場もその頃から栄え始めた。

ご主人の祖父もカネボウで働いていたと聞いた。カネボウ東京工場は昭和44年に操業を停止したので、今では物流のKCロジスティクス社だけが残り、小さな「カネボウ物流公園」が在るのみだ。

カネボウ東京工場は、東武伊勢崎線の鐘ケ淵駅と堀切駅の間に位置し、『はりや』からも歩いて行ける程の距離だった。

鐘ケ淵から南下した東向島辺りは、かつて「玉ノ井」や「鳩の街」と呼ばれた私娼街でアル。
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永井荷風の小説「濹東綺譚」は、此処を舞台にしていた。

赤線廃止後、玉ノ井駅は東向島駅と改名した。東向島には今も寺島小学校が在り、この界隈は寺島町と云った。
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漫画家滝田ゆうが描いた「寺島町奇譚」でも、当時の玉ノ井界隈の様子を知る事が出来る。荷風が玉ノ井に通い始めた昭和11年頃、少年時代の滝田ゆうと玉ノ井の路地裏で邂逅していたのだろうか。

昭和33年頃、高校生だったご主人も玉ノ井には興味を抱いていたが、あの辺りを出入りしているとスグに何処其処の倅(せがれ)だと判ってしまうので行けなかったそうだ。もっともその頃は赤線が廃止になったすぐ後とだったと云う。

閑話休題、『はりや』は、焼酎のハイボールが美味い。
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この界隈の酒場では皆独自の調合で焼酎とエキスをブレンドしているのだが、どの店も個性が光っており美味いのだナ。

一杯毎に炭酸の瓶を抜く店も在れば、此処や『丸好酒場』の様に炭酸マシンから注ぐ店も多い。ご主人が炭酸を注ぐ際の空気銃の様なマシンの音に心が弾むのだナ。
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そして、ボールをお代わりする毎に黄色いチップが置かれるのだ。

古いご常連さんたちは、ジンハイを呑む方も多い。
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昔は可成りハイカラな酒だったのであろうか。

そして、奥の厨房では女将さんが酒の肴を手料理してくれる。蛸の足に切った赤いウィンナも昔懐かしい味だ。
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しめさばや、納豆油揚げ焼きなど酒に合うものばかり。
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日によって少しだけ品書きが変わるのも嬉しい限りでアル。
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小腹が減っている向きには名物「キャベツいため」が良いだろう。これは、所謂ソース焼そばだ。
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出した当時は、その名の通りのキャベツ炒めだったそうだが、仕事帰りで腹を空かせた常連さん達からソバを入れてボリューム出してとリクエストされて、今に至ったそうだ。青のりの風味が効いて、何とも素朴な味わいに懐かしさを覚えるのだナ。

此処は店内が隅々まで綺麗だし、いつも生花が生けてあるのが好い。
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侘びた佇まいの中、見事に磨き上げられたL字型カウンターが美しい。


荷風御仁が玉ノ井に通ってた頃、此処『はりや』は既に創業していたのだから、酒場に歴史有りだ。
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昭和の迷宮の様な玉ノ井でひと時の夢心地を過ごし、「ぬけられます」の看板を抜けて酒場『はりや』で一杯ひっかけてた男たちも大勢居たのだろうか。
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外に出ると世界一になったスカイツリーが闇夜に浮かんでいた。

心地良く酔った顔に春の風がすり抜けて行く。よし、これでまた明日も一日意気軒昂に頑張れるだろうナ。
by cafegent | 2011-03-01 17:16 | 飲み歩き