東京黄昏酒場/その4.鐘ケ淵『はりや』のハイボールに憩う。
2011年 03月 01日
会社では、隔壁の向こう側に居るライバルと仕事を競い合い、いつか上司をも凌駕する勢いで働いている。そんな男たちが、暫し仕事の事を忘れ、己と向き合う事が出来るのが酒場なのかもしれない。
今宵もまた、そんな黄昏酒場へ皆を誘(いざな)ってみよう。
荒川と隅田川に挟まれた所に東武伊勢崎線の鐘ケ淵駅が在る。
左手に大きな富士自動車の本社が見えるので、その角を左折すると酒場『はりや』の灯りが見える。
店主の張谷さんは、此処鐘ケ淵で生まれ育ったそうだ。
ご主人の祖父もカネボウで働いていたと聞いた。カネボウ東京工場は昭和44年に操業を停止したので、今では物流のKCロジスティクス社だけが残り、小さな「カネボウ物流公園」が在るのみだ。
カネボウ東京工場は、東武伊勢崎線の鐘ケ淵駅と堀切駅の間に位置し、『はりや』からも歩いて行ける程の距離だった。
鐘ケ淵から南下した東向島辺りは、かつて「玉ノ井」や「鳩の街」と呼ばれた私娼街でアル。
赤線廃止後、玉ノ井駅は東向島駅と改名した。東向島には今も寺島小学校が在り、この界隈は寺島町と云った。
昭和33年頃、高校生だったご主人も玉ノ井には興味を抱いていたが、あの辺りを出入りしているとスグに何処其処の倅(せがれ)だと判ってしまうので行けなかったそうだ。もっともその頃は赤線が廃止になったすぐ後とだったと云う。
閑話休題、『はりや』は、焼酎のハイボールが美味い。
一杯毎に炭酸の瓶を抜く店も在れば、此処や『丸好酒場』の様に炭酸マシンから注ぐ店も多い。ご主人が炭酸を注ぐ際の空気銃の様なマシンの音に心が弾むのだナ。
古いご常連さんたちは、ジンハイを呑む方も多い。
そして、奥の厨房では女将さんが酒の肴を手料理してくれる。蛸の足に切った赤いウィンナも昔懐かしい味だ。
此処は店内が隅々まで綺麗だし、いつも生花が生けてあるのが好い。
荷風御仁が玉ノ井に通ってた頃、此処『はりや』は既に創業していたのだから、酒場に歴史有りだ。
心地良く酔った顔に春の風がすり抜けて行く。よし、これでまた明日も一日意気軒昂に頑張れるだろうナ。