東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

日々雑文雑多日記/80年代ポストモダンを今再び観る。

雨が降ったり止んだりと、梅雨空の気まぐれに聊(いささ)か鬱陶しさを覚えるネ。この時季、満員の電車で素肌が触れてしまうと互いの汗ばんだ皮膚の湿り気が嫌になる。こんな時、梅雨の無い北海道にでも逃げてしまいたいと思うばかりでアル。
b0019140_1475932.jpg
鬱陶しい蒸し暑さを忘れるために、水菓子に救われる。

     梅雨の午後麦酒グラスも汗をかき    八十八
b0019140_1484242.jpg
路傍の露草がまだ花を咲かせている。
b0019140_149198.jpg
こんな小さな露草の花が雨風に負けず、顔を出す姿に朝の通勤時が少しだけ癒されるのだナ。
       ◇        ◇        ◇
東京ミッドタウンに在るギャラリー『21_21 DESIGN SIGHT』では、今年の2月から開催されている倉俣史朗とエットレ・ソットサス展「夢見る人が、夢見たデザイン」が来月17日まで会期延長となったのだネ。
b0019140_1401414.jpg
1981年、六本木と神谷町の間の飯倉片町に「飯倉の寛容なる白い箱」として現れたAXISビルのこけら落としの展覧会が「エットレ・ソットサスとメンフィス」展だった。
b0019140_14152949.jpg
この本棚「Carlton」の実物は、迫力が有ったなぁ。
b0019140_1411536.jpg
こちらは、僕が持っているリトグラフだ。

当時、イタリアを中心に世界を席巻したポスト・モダンの波は我が国のデザイン界にも強く影響を与えた。

アレッサンドロ・メンディーニやアキーレ・カスティリオーニ等が活躍していた時代、ソットサスを中心にミケーレ・デ・ルッキやマルコ・ザニーニ等が参加しデザイン集団『Memphis』が生まれた。

日本からも梅田正徳、倉俣史朗などが参画していたネ。

何故、イタリアで「メンフィス」なのかと云えば、皆でソットサスの自宅に集まっていた際にディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」が架かっていたからだそうだ。
b0019140_141086.jpg
イタリアでソットサスに有った時、いつもハッパでブッ飛んでいたけれど、ホントにイカした(いや、イカレた)オヤジだったナ。その御大も4年前にお亡くなりになった。

10年前に他界した倉俣史朗氏の作品は、京橋のブリヂストン本社ビルのロビーに飾られていたり、飯倉のAXISビルの中庭の黒い階段で観ることが出来る。

エットレ・ソットサスの代表作と云えば、オリベッティのタイプライター「赤いバレンタイン」だろうネ。
b0019140_14134065.jpg
また、日本で唯一だと思うが、代官山の旧美空ひばり邸の近くにひと際異彩を放つ戸建ての住宅が在る。僕の古い友人の住む邸宅だが、ソットサスが設計を手掛けた建築物だ。

この家は、高岡早紀+篠山紀信のヌード写真集の撮影場所として使われているので、高岡早紀の美しい姿態と共にソットサスのデザインを存分に観ることが出来るのだナ。
b0019140_1414083.jpg
Accidents Series〈11〉高岡早紀+篠山紀信 (Accidents (11))

ちなみにこの展覧会のディレクターも昔の同僚だった。是非、80年代を駆け抜けたポストモダン・デザインの波に浸って欲しいものだ。

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」紹介のサイト
[PR]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by cafegent | 2011-06-28 14:20 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)