東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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秋の夜長のヒマ潰し/新版-東京奇譚 その3

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「十一屋」を出てすぐ左の露地を入ってみた。
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東武伊勢崎線と平行した小径は、その昔「玉ノ井」と呼ばれる私娼街が在った辺りだ。
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参ったな、向島から墨田三丁目を過ぎた辺りで道に迷ってしまった。
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袋小路の道沿いに小さな灯りが見えた。

こんな処に店が在るのかな。灯りの処まで着くと、月にススキ柄の鉄製露地行灯が足下を照らしていた。ほぉ、風情が有るじゃないか。其処はまるで京都の木屋町通りにでも在る様な細い間口で、奥まで玉砂利が敷き詰められている。

人一人通れる程の小径には途中幾つもの露地行灯が照っていた。何屋かも判らなかったが、吸い寄せられる様に歩いて行った。突き当たりにはベンガラ格子の玄関が在り、その上には小さな銅製の看板灯籠が光っている。まるで江戸の鰻屋の様な佇まいだな、と一瞬笑ってしまったが同時にガラリと戸を開けていた。

看板灯籠には、『真珠』と記してあったが、店の中はカウンターだけの小さなバーのようだ。着物姿の女性が二人、中に立っていた。

僕の顔を見るなり柿渋染めの紬を着た若い方が「お帰りなさい」と言って、微笑んだ。どうやら、客は僕だけの様だ。椅子が七つ並ぶ小さな酒場か。

温かいおしぼりが外の冷たい風を拭い去ってくれた。「此処はバーなのかな?それとも、食事処かい」、そう訊くと「あなた様が念(おも)う方でかまわなくてよ」と返ってきた。答えたのは、久留米絣に淡い縞模様を染めた着物に銀鼠色の帯を締めている方だった。歳は三十前後だろうか、もう一人は少し若いな。二人とも綺麗なので、少々面食らってしまった。まるで、伊東深水の美人画から抜け出て来たかの様だ。はて、何故こんな裏通りで店を開いているのだろうか。

「表の行灯は京都の西村松寿堂のだよね」、と尋ねると久留米絣の方がコクリと頷いた。彼女たちは茶道も嗜むのか、中々渋いセンスだな。シングルモルトのオン・ザ・ロックを頼むと華奢な手で氷を削り出した。

「充幸(まさゆき)姐さん、グラスをお願いね」と云うので、年上の方の名前が判った。元は向島の芸妓だったのだろうか。グラスを扱う仕草がとても魅力的だ。サンルイのオールドファッションド・グラスにアードベッグがトクトクと注がれた。彼女はグラスの下を持ち、指三本目の辺りまで酒を満たし、氷をゆっくりと沈めた。 

氷がくるりと廻り、僕の前にそっと置かれた。「私が充幸で、彼女は忍(しのぶ)ちゃん。ようこそ、『真珠』へ」と、薄張りのグラスにチェイサーの水を入れた。

「充幸と書いて、本当は“みゆき”って読むのだけどね」と微笑む顔にスタンドの灯りがあたり美しさが増した。燻された煙臭が喉の奥を突き刺すようだ。アイラのモルトは、強烈だが癖になる旨さだな。

美女二人に囲まれて、旨い酒が呑めるなんて夢でも見てるようだ。

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それにしても、充幸姐さんの目は妖艶だ。かつて、化粧品会社のコマーシャルフィルムに「ゆれる、まなざし」ってコピーが流行ったが、あの時の女優の目を思い出した。
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そう云えば、通りの向こうに小さな稲荷が在ったが、まさか二人ともきつねじゃなかろうね。

酒をダブルでお願いした。忍ちゃんがまた氷を削る。実に絵になる光景だな。「二人とも此処はもう長いのかい?」、そう尋ねたが笑ってごまかされた。

カウンターの一番端に小さな書棚が見えた。
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中川一政に三島由紀夫、それに林芙美子か。その中に交じって小さな豆本が目に入った。もしかして、平井通が創った雛絵本だろうか。随分と珍しい豆本だが、今買えば相当高い値がつくだろう。若き日の池田満寿夫の手刷りの版画で創られた「屋根裏の散歩者」や「おふぃりあ」など数十万円は下らない。
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矢張りそうだ。ジョルジュ・ビゴーが描いた「東京の芸者の一日」と「お伝幻想」、それに「かぐやひめ」だ。これは、池田満寿夫の銅版画が十枚も入っているお宝モノだな。それにしても、此処でこんな貴重な雛絵本に出逢えるなんて驚きだ。増々、この店が怪しく思えてきたな。

「見てもいいわよ」と云われたものの、うっかり酒でもこぼしたら大変だ。酒を置いて、書棚の方に移動した。

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ビゴーの豆本は以前観た事があるが、池田満寿夫の「かぐやひめ」は初めてだった。こんな小さな本に夢中になって出版を続けた平井通と云う人も随分と変わった人だ。江戸川乱歩の実弟で、古書店「壺中庵」を経営する傍らで、執筆活動もしていた。

中でも女性の風俗や性に関する秘本、研究本など、その世界では有名人だった。また、「滑らかな脂丘への妄執」は、殆ど女体礼賛だ。

また、平井蒼太名義で書いた「おいらん」は、自身の実体験を語った性風俗の貴重な資料だ。
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この人は、少年時代に女性が陰毛を剃る所を目の当たりに見て以来、極度の無毛フェチになった。吉原に無毛の女が居ると判ると通い、浅草のストリップ劇場に無毛の踊り子が出ていると知ると日参したらしい。

豆本作りの時に池田満寿夫が女性の裸体を版画にした事があるが、陰毛を描いたと云う事で平井が激昂し大げんかになったなんて逸話も残る。

彼の死後、遺品を整理していたら、無毛の女性の写真コレクションが沢山出て来たそうだ。また、贔屓にしていたストリッパーの為には、手間をかけた名刺まで作ってあげていたらしい。

室生犀星は女性器を「美所」と表現していた。無毛の女性研究家であり愛好家の平井通は、女性の陰部を「花芯」と呼び、無毛のソノ箇所は、「滑らかな脂丘」と崇めたのだ。

世の中には実に馬鹿げて摩訶不思議なコトがある。「草丘学会」なる団体が有るのだが、クサムラの状態を分類し統計を取り、クサムラから女の運命を占うとも云われている。クサムラとは言わずもがな、女性の陰毛の事だ。陰毛愛好の「草丘学会」とは真逆の無毛愛好癖の平井だが、「滑らかな脂丘学会」は作らなかったみたいだな。

平井通が豆本作りの為に興した会社が「真珠社」だったが、真珠が女性の陰部の無毛を想像させるところから、付けられた名称だ。とことん、無毛の女性を愛したのだろうね。

あぁ、そう云えば、此処の店の名は『真珠』だったっけ。そして真珠愛好家・平井通の雛絵本が何冊もコレクションされているのだ。

もしかして、彼女達は二人とも真珠で、滑らかな脂丘を秘めているのだろうか。本を棚に戻し、カウンター席に戻った。

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「忍ちゃん、もう今夜は上がっていいわよ」と声が響く。後ろを向いた充幸姐さんのうなじに見とれてしまう。僕は女性が髪をかきあげる仕草に弱い。アレを観ただけでメロメロになるのだ。髪をアップにして見えるうなじは実に色っぽい。

「本が好きみたいだね。こんな本知ってるかい」と僕は鞄から一冊の本を取り出した。昭和初期に挿絵画家の佐藤三重三(みえぞう)が出した「朝寝髪」だ。中には八枚の手刷りの木版画が入っており、粋な都々逸や歌が記されている。
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   「腕の紫 一夜の夢よ さめりゃのろけのあともない」
   「丁と張らんせ もし半出たら わたし売らんせ吉原へ」
   「起きてみつ 寝てみつ待てどたよりなく 
               蚊帳のひろさにただひとり 
     蚊をやく火より胸の火のもゆる思いを察っしゃんせ」

色っぽい歌が続く。これに、三重三の絵が素晴らしくマッチしている。
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「腕の紫(むらさき)」とは、歯形のことだ。男が女の腕を噛んで、痕を残したのだろうな。

充幸は、この歌が気に入ったみたいで、ずっと声に出して覚えている。そして、突然信じられないような言葉を発したのだ。

「ねぇ、あたしも噛んで。お願い」そう云うと、カウンターから出て来て僕の隣に座った。そして、着物の襟をつかみ、左の肩を少し露(あらわ)にした。

「ねぇ。ここ、噛んで」、と僅かに香の残る首筋を僕の方に向けた。

突然、何処かで工事でも始まったかと思う様な音が響いた。それは、乱れ打つ僕の胸の鼓動だった。幸い彼女には聴こえなかったみたいで、安堵した。

僕はウィスキーをゴクリと呑み干して、充幸のうなじを見つめた。僕の胸は怪しく乱れるばかりだ。そして、ゆっくりと彼女の肩を噛んだ。

「痛っ」と小さな快美の声を発したが、充幸は昇天したような笑みを浮かべていた。僕の方は、もう心臓が云う事を利かない。

カウンターのウィスキーをもう一杯注いでもらった。それでも、胸の鼓動は止まらない。太鼓の様な音が彼女の耳に届かなければ良いのだが、と氷を鳴らしながらウィスキーを口に運んだ。
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「ねぇ、平井通の豆本が多いけれど、この店の名前もこれから取ったの?」、彼女はまた黙ってニヤニヤしてるだけで、答えてくれなかった。口の両端を少しだけ上げて作る笑顔が妙に艶っぽい。
 
僕は確信した。彼女たちの脂丘もきっと真珠なのだろう。でも、それを今夜口に出すのはよそう。深まる秋に向けて、新しい酒場がまた一軒増えたのだ。あともう少し此処に通ってから聞き出すことにしようか。

何杯飲んだのだろう。すっかり陶酔鏡に浸ってしまった。

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外に出ると秋風が闇をすり抜けて、霧が街を覆っていた。辛うじて見える路地を壁伝いに歩きながら表通りまで出た。後ろを振り返ると、今来た道が見えなくなっている。

タクシーに乗り込むと、急に睡魔が襲って来た。駄目だ、充幸のうなじが頭から離れないまま、深い眠りについてしまった。無明長夜を超えてゆく荒海の舟の如く、家路に向かおう。

浅草から両国を抜け、芝公園辺りまで来たところで目が覚めた。窓から街を見るが、まだ夜明けは遠い。

増上寺の脇の街灯の下で何かが動くのを見かけた。眼の錯覚だろうか、あれは間違いなく狐だ。こんな都会に狐が居る訳ないだろう、と思ったが耳をピンと立てて、こちらを見ていたのだ。
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矢張り先程の酒場は狐の悪戯だったのだろうか。まぁ、それでも良いかと独り笑いしながら、車は殺伐とした東京の街を通り過ぎて行った。
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by cafegent | 2011-11-09 11:30 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)