ジャズや海外文学、そして映画などの評論と、ありとあらゆる雑学、そしてスクラップの達人だった植草甚一さんの書いた『僕は散歩と雑学が好き』が筑摩書房「ちくま文庫」より初めて文庫本として発売された。
最初に単行本が出たのは、確か万博の年だったっけ。僕の兄貴が植草さんの本を片っ端から読んでいて、僕も当然ながらのめり込んだ訳だ。
1975年頃は雑誌『宝島』の編集長を務め、僕らにサブカルチャー文化を教えてくれた。
東京に出て来たばかりの頃は「植草甚一スクラップブック」シリーズの『僕の東京案内』を片手に新宿や六本木界隈を歩き、初めてニューヨーク出張に出た1985年頃にも『僕のニューヨーク案内』を再読してから度に出たものだ。
この『僕は散歩と雑学が好き』も、シカゴのマリファナ・パーティやオフ・オフ・ブロードウェイのことなど、当時のアメリカの若者の文化を洒落た感覚で、独特の語り口で綴られており、とても刺激的な一冊だった。文学から風俗まで自分の知らない世界、そうワンダーランドへと誘(いざな)ってくれたのが植草甚一、JJおじさんだった。
インターネットで何でも探せる時代になっても、僕は神保町の古書街を歩き廻る。
欲しい一冊を見つけると珈琲店やビアホールに入ってページを捲る。そんな過ごし方もみんなJJおじさんから教わったのだナ。
今の若者たちにも是非とも読んで貰いたい一冊だ。僕も改めて文庫版を読み直してみようかナ。
◇ ◇ ◇
閑話休題。
この土日で目黒の仕事場を引き払った。
目黒は2006年に新橋から移転してきたので8年間も居たことになる。
山手通りに面した『目黒二郎』の向かい側だったので、移転当時は良く食べに行ったが、最近は食べてる途中で胃がもたれて来ることが多くなった。
あの頃は、広告制作と同時に通販番組の制作も請け負えるようにと50坪ものスペースを借りて、撮影と音も録れるスタジオブースまで作った。
だが、当時の相棒が機材を持って退職したので5年もの間広いスペースを一人で借りていたことになる。
移転当時は頻繁に仕事場で飲み会を開いた。目黒のさんま祭りの時には友人たちを大勢招いて宴会など催していたっけ。
SHOW-YAのヴォーカル担当の寺田恵子ちゃんなども酔った勢いで歌ってくれたりしたなぁ。
その後、カメラマンがスタジオとして使ってくれたので、僕の仕事の撮影も此処で出来たのだが、昨年春に実家に戻ってしまい、また広い仕事場を持て余すようになった。
そんな訳で、家賃のために仕事をすることをヤメることにしたのだナ。
今度の仕事場は僕一人が仕事をするのに十分のスペースだ。
そして自宅からも近いし、行きつけの酒場『牛太郎』まで目と鼻の先ってのが嬉しい限り。家賃だって今までの8分の1になった。
さぁ、桜の季節、新たな気持ちで仕事に望もうか。