東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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日々是日記/みたままつりの夜、兵六で一献。

東京の夏の風物詩、「みたままつり」に出掛けて来た。
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いつもは大勢で集まるのだが、今回は四人と少なかったので、飯田橋駅前で集合し先に一杯ひっかけることにした。

向かった先は餃子の名店『おけ以』だ。
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待つこと覚悟だったが、テーブルが空いていた。むふふ。

暑い夏、何と言ってもギョービーでアル。焼きたての餃子と冷えた瓶ビールを戴くことにした。
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先ずは、カンパイし乾いた喉を潤すのだナ。
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Qちゃんとマタェモンさんは良く来ているらしいが、僕は久しぶりの訪問だった。

さぁ、自慢の餃子が焼き上がった。
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此処の餃子は焼き色の付いた部分はパリッとこんがり、餃子同士がくっ付いた部分は柔らかくモチッとしている。そして、一口噛むとジュワッと美味しい肉汁が溢れ出す。これは、もう何十年も変らないのだナ。神保町からこちらに移転して来て何年が経つのだろうか、ハテ?
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ニラレバとレバモヤシも戴いた。これでビールがススむススむ。
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此処のレバモヤシを食べていたら、芝大門の『味芳齋』のピーマンレバーを思い出した。近々、久しぶりに訪問しようかナ。

小腹を満たし、いざ靖国神社へ。
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例年以上の人出に驚いた。
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大鳥居から盆踊り会場となっている大村益次郎像まで辿り着くのに一体何分かかったのだろうか。

夏の夕暮れ、空の色の移ろいに数万個の灯篭が美しく光り輝いている。
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軒を連ねる屋台の賑わいも、懐かしい夏の縁日の風情そのままに残っている。
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但し、これだけ混み合っていると若いコがジャガバターを持ったまま、こちら側に転ばないで欲しいと切に願うばかりでアル。
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暫らく盆踊りを愉しみ、先へ進んだ。
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夏の夜は、外で飲む酒が旨いネ!
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例年ならば、この後「お化け屋敷」や「見世物小屋」の蛇女こと小雪姐さんに逢いに行くのだが、今回はスルーした。
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七夕飾りの揺れる第二鳥居の先が神霊が鎮まる本殿だ。
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鳥居の向こうでは、半月が美しく輝いていた。
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拝殿にて社頭参拝を終え、早々に激混みの靖国神社を出ることにした。
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途中、九段下辺りで選挙運動中のドクター中松氏に遭遇。
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この方も実に元気だネ。

そして向かうのは、神保町の酒場『兵六』だ。
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変らぬ提灯が風に揺れている。

時間的に一番混んでいる時だったが、何とかコの字カウンターに座ることが出来た。
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ビールは飲んで来たので、こちらではさつま無双の白湯割りを戴いた。
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僕が初めて神保町の酒場『兵六』を訪れたのは、まだ20代前半だった。

当時、サラリーマンになって数年が経ったばかりの若造が、この酒場の暖簾を潜れる訳がない。だが、京橋の本社で働く先輩に連れられて来たのが始まりだった。

当時、八重洲に小さなビヤホール『灘コロンビア』と云う店があった。
クリーミーな泡が自慢の生ビールは、誰もが虜になり軽く3杯か4杯は喉を通ったものだ。

灘コロを大層気に入った僕を見て、その先輩がタクシーを拾い神保町へと移動したのだ。駿河台下でタクシーを降り、神保町すずらん通りを進み、富山房ビルの角を右へと曲がると大きな提灯が風に揺れていた。
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筆文字で描かれた「兵六」の文字は,今より野太い字だったナ。

その頃の『兵六』は、まだ初代店主の平山一郎氏がコの字カウンターの中に鎮座していた。煙草を燻らしながら、酒を頼む都度に両頬が僅かに上に向いたのが印象的だった。先輩を含め、その頃のお客たちが皆声を揃えて、店主は怖くて笑う顔など見たことが無いと云うのがもっぱらの評判だったのだが、それは違った。

襟を正して、素敵な呑みっぷりの客に向かっては、愛想良く笑顔で言葉を交わしていたのを覚えている。

内田百閒の小説「阿房列車」を愛読していた僕は、『兵六』の店主の名前が妙に心に残ったのだ。あの小説の中で雨男として知られる「ヒマラヤ山系」こと小説家の平山三郎と名前がかぶったのだナ。

鉄道の旅が好きになるきっかけを作った奇妙な鉄道同上ルポは、旅の途中で見舞われる雨の度に思い出されたが、平山三郎の名前をことさら印象づけたのだった。

そんな平山三郎と一文字違いの『兵六』店主は、さらに強烈な印象を僕の記憶に留めた。あれから随分と永いこと、此処の暖簾を潜ることが無かったが、酒朋のライター森一起さんに願い出て再び神保町の酒場を訪れる機会を得た。以来、毎週の様に此処で酒を酌んでいるが、三代目店主の柴山真人さんは初代の酒場スピリットをしっかりと受け継いでおり、とても居心地の良い酒場へと進化させていた。これは、もう実に嬉しい限りでアル。

本当のことを云えば、この三代目の名前こそ、件(くだん)の平山三郎と初代店主平山一郎を繋ぐ架け橋となって、「平山二郎」であって欲しかった。(まぁ、そんな訳はないのだが....笑)

七月も半ばの半月が輝く「みたままつり」の夜、そんな兵六の思い出が蘇ったのであった。
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by cafegent | 2013-07-17 15:47 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)