東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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昔の友と酒を交わし、渋谷道玄坂界隈を振り返ってみた。

今年の3月に催された「若林純夫 追悼ライブ」がきっかけで、あれから当時頻繁に会っていた友人たちと呑む機会が増えてきた。
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この写真は、今は無き『ブラックホーク』の前でポーズを決めている若林純夫だ。

僕は今でも相変わらず毎晩渋谷界隈で呑んでいる訳だが、彼らと学生時代の頃に通っていた店の話などをしていてるうちに当時を振り返り、既に無くなってしまった店の跡などを歩いてみたくなったのだ。
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千代田稲荷の界隈は昔と変わらぬ雰囲気だ。

学生の頃、授業やバイトが終わると大抵は『ZOO』と云う珈琲屋に入り浸っていたのだが、たまに女のコと逢う時なんかは別の処に行っていた。なんせ『ZOO』には、あーだこーだと口うるさい御仁たちが大勢居たからね。
例えば、渋谷/『ヘッドパワー』と言う絨毯喫茶。靴を脱いで寛げるので、まるで部屋に居る様で何だか胸躍る親密感が湧き出たのであった。宇田川町交番の先にあったので、学校帰りに良くそこでデートなどしたものだ。確かジーンズメイトになっている場所だったかなぁ、記憶が曖昧だ。

あの頃は、とにかく洋服と音楽にどっぷりと浸かっていた。渋谷でロックと云えばまず真っ先に『ブラックホーク』と云う店が浮かぶ。百軒店の『ブラックホーク』は後に若林純夫夫人となった宮地敏子さんが働いていた。ブラックホークはロック喫茶だと言うのに皆煙草を吸いながら、黙って真剣に音楽を聴き入っていた。まるで新宿のジャズ喫茶の様だったっけ。
でも、誰も教えてくれないイカした音楽がいつも流れていた。ザ・バンドやCSN&Y、英国のトラッドなんかもここで覚えた。と云うか、『ZOO』に居た若林さんがどのレコードも勧めてくれるのだが、持っていないレコードはブラックホークに聴きに行ってたんだっけか。

ブラックホークのマッチには、『HUMAN SONGS』と云うスローガンが掲げてあり、まさにそんな唄を歌うシンガーソングライター達の名曲を聴いたものだ。当時、レコードは原宿の「メロディハウス」、青山の「パイドパイパーハウス」、六本木「ウィナース」、吉祥寺「芽瑠璃堂」あたりが中心で、それ以外は、西武百貨店などがたまに催す「レコード祭り」の様なバーゲンセールだった。カット盤がとても安く手に入ったので、段ボール箱のレコードを片っ端からチェックしたものだ。

ノーマン・グリーンバウムの「Petaluma」、ガイ・クラークの「Old No.1」など70年代に好きになったシンガーソングライターは沢山居たけれど、そのほとんどは札幌の『和田珈琲店』のオーナー和田博巳さんとアツシさんに聴かせてもらったレコードだった。(そして、そのほとんどは当然の事ながら兄貴経由だったのだが。)

『ブラックホーク』の近くには、もう一軒『BYG』と云うロック喫茶もある。
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ここは今でも健在だ。
『名曲喫茶ライオン』も変わらぬ佇まいで頑張っている様子だった。(僕は行かないのだが。)
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道玄坂小路にはいい店がたくさん在った。
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今も健在な台湾料理の『麗郷』、そして無くなってしまった『フレッシュマン・ベーカリー』と『カスミコーヒー』だ。

『ZOO』で出していたトーストなどのパン類はフレッシュマンから仕入れており、若林さんが忙しい時なんかは、何故かお客の富塚君なんかがパンを受け取りに行っていた。とりわけ『フレッシュマン・ベーカリー』は、店の佇まいが良かったのだ。朝、古びたガラス戸が開くと土間の様な店内のガラスケースにパンが並んでいるのだ。ここのレーズンパンは良く『ZOO』でトーストにして食べたけど、総菜パンやシナモンパンなどもとても美味しかった覚えがある。数年前にクローズしたがその建物は暫くの間そのまま残っていたけれど、先日前を通ったら「ヤマダ電気」建設予定地との看板が立っていた。なんだか淋しいなぁ。

若林さんが珈琲を入れていた『ZOO』は、宇田川町交番の左側の道をずっと奥に入って行ったところにあるのだが、その途中ヤクルトの販売所の隣にある『金龍菜館』にもかなりお世話になったと思う。

だいたい、学校が終わって夕方から『ZOO』に行き、音楽や映画、洋服の話などのどーでもいー会話で時間を過ごし、途中で腹が減ると中座して金龍に行って「柔らかい焼きそば」か「ニラそば目玉乗っけ」なんぞを食べて、舞い戻り、またもどーでもいー話に花を咲かせていたのだった。
しかし、喫茶店を中座して食べに行ってたんだから、みんなフザケた連中だったのだなぁ。
あの恐い『ブラックホーク』だって、途中で『ムルギー』の「玉子カレー」食べたり、『喜楽』の「もやしそば」か「炒飯」食べて、また戻って行ったのだ。要するにみんな貧乏だったから珈琲2杯頼むお金が無かった訳である。
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その『金龍菜館』も最近閉店してしまった。久しぶりに食べたいなぁ、と思っていたら矢先に友人から店が無くなった事を聞いてビックリしたのだ。

『カスミコーヒー』は、エプロンじゃなくて白い割烹着を着たおばちゃんが珈琲を入れていて、『ZOO』の常連達もみんな好きな珈琲屋だったけれど、僕が23歳の頃にクローズしてしまった。
当時の渋谷では、他にも『TOP』とか恋文横町にあった『ブラジル』なんかもたまに行っていたなぁ。『ブラックホーク』はある種の緊張感がある喫茶店だったので、それをホグすのは所謂フツーの喫茶店に限るのだった。あの頃、ロック好きでも『ブラックホーク』派と『BYG』派に分かれていたと思うが、僕のまわりの連中はほとんどBYGには行かなかったんじゃないだろうか。

井の頭線近くの『珉珉羊肉館』で誕生日祝いもしたし、名前を忘れてしまったがその近くの甘味処なんかにもちょくちょく若林さん達と行ったものだ。
ロシア料理の『サモワール』、鰻の串もので呑めた『うな鐵』も一軒家だった。喫茶『ブラジル』前にはたしか『わらじ とんかつ』と云うトンカツ屋もあった。飲み屋の『カッパ』は、井の頭線の再開発の後も姿を変えて、代替わりして営業しているが、今風立ち飲み屋になってしまい当時の面影はまるで無い。
『うな鐵』はその後立ち退いてビルに移転し、今も『元祖 うな鐵』として営業をしているが、ずっと残っていた『サモワール』もとうとう無くなってしまった。
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今はパーキング場だ。まるで昔の面影なし。

先週久しぶりに『うな鐵』に行ってみたが味も店内の風情も当時のままでホっと安心できた。
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昭和32年創業のうなぎ串の老舗だが、池袋や浅草などに同名他社の店が増えてきたので店名を『元祖 うな鐵』に変えたそうだ。「とんかつ井泉」が「まい泉」になったようなものだなぁ。僕は、入口の「精力絶倫」の文字に惹かれて今だに通っているのである。
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ブリキ屋根の居酒屋『玉久』もいい風情の店だったのに立派なビルに変わってしまった。インテリア井門ビルの地下にあった中華料理『井門』は、渋谷では美味しい中華料理店だったけど、大学を出て社会人になり少し金が出来ると渋谷よりも飯倉片町にあった『中国飯店別館』や当時珍しかった芝大門の『新亜飯店』の「小龍包」を食べに行ったっけ。先日、武蔵小山のアーケード街を歩いていたら『中華 井門』って店があったけど、同じ店なのだろうか。

あの頃は、プライムビルも109ビルも無く、古着屋、輸入レコード屋、喫茶店を巡回しているような毎日だった気がする。
音楽の事は、兄貴の影響も強くあったが、和田さんや若林さんと出会ってから、いろんなジャンルを知る機会が増えていった。そうして兄貴とはまた別の世界に入っていったなぁ。まぁ、そのおかげで後に下北沢に『アルゴンキンズバー』なんて云うSOUL BARも持てた訳だし、そこからいろんな人に出会うことも出来た。

『喜楽』は今のビルに立て替える前は二階建てだったのだけれど、夏なんかは二階の窓が全部開放されていて、気持ちの良い風が通る中で実に心地良く「もやしそば」をすすっていた。
そうそう、『喜楽』での面白い話をひとつ。当時の喜楽は入口の扉も夏は開放だった。僕の兄貴がラーメンを注文している時たまたま偶然、青学軽音楽部の後輩の大森君が店の前を歩いていたのである。大森君を見つけた兄貴は思わず「おぉー、オーモリーっ!」って外に向かって叫んだのだ。すると、らーめん作っていたちょびヒゲ店長が「あいよっ、兄ちゃん大盛りだねっ!!」だって。
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今でも『喜楽』の店の前にはストリップ劇場が在るのだが、当時そこに出ていたコント赤信号が出番の合間で店に居り、兄貴と店長のやり取りを見て、すかさず「そのネタいただき!!」。さすが芸人、ワンチャンスを逃さないのだった。
そう云えば、ちょびヒゲ店長の横で寡黙に淡々とラーメンを茹でていた金ちゃんはジョン・レノンばりの風貌でとてもインテリな雰囲気を醸し出していたっけ。いつの間にか『喜楽』を辞めたと思っていたら、バブルの頃に西麻布、青山墓地下で『香湯ラーメン』を出していたっけ。その後、恵比寿の名店『ちょろり』を開き、今では目黒店に居るそうだ。

『喜楽』の隣り角にあった餃子専門の『大芽園』にはかなりお世話になった。餃子と焼きそばしかないのだが、これがもう絶品だった。カウンター越しに親爺さんが一つ一つ小さなすりこぎ棒で餃子の皮を伸ばしていき、一気に種を入れながら餃子を作って行くのだ。いつでも作りたてを焼いてくれて、これがまたビールに合うのだ。若かったせいもあるが、10皿くらいペロリと喰えたもんだ。ラードをたっぷり効かせた焼きそばも美味い。これ、麺しか使っておらず、具は何も無し。麺とラードと調味料の味のみで勝負しているのだが、病みつく味だった。たまにワイン好きだった親爺の為にワインを持参すると、店を閉めた後に遅くまで一緒に飲んだものだ。でも、話は大抵近所のキャバクラやスナックの話だったような気がしてきた。あの親爺も病気で他界してしまったので、いまはもう『大芽園』は無くなってしまった。『大芽園』の裏にあったバー『壷』も店主が日替わりと変わった店だったっけ。

時代は当然の如く移り変わっているが、その時代時代に光っている店も出来ている。『喜楽』の前の路地を入った処にある『WOKINI』も先日4周年を迎えた。もう立派に道玄坂に根付いているのだ。店主のコースケもここで生まれ育っているし、今月は渋谷生まれの息子も誕生したそうだ。実にめでたい。
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以前、『WOKINI』で一人呑んでいたら、『道頓堀劇場』に出ている踊り子と隣合わせになった。聞けば、定期的に札幌のストリップ劇場から遠征に来ているとの事だった。昔、学生時代のアルバイトで札幌道頓堀劇場の照明係のバイトをした事があった。隣の喫茶店でバイトしていたのだが、時給も高かったので夏休みの間こっちに鞍替えしたのだった。そんな地元の話で盛り上がりながら杯を重ねたが、あのコは今でもまだ東京に来て踊っているのだろうか。

さて、あれから30年近い年月が経つが、僕は今でも『富士屋本店』のカウンターで呑んでいる。
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ここだけは昔と何ひとつ変わらない世界だ。東京一長いんじゃないだろうか,って云う変形コの字カウンターの入口付近にはいつも顔馴染みが集っている。
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塗装屋の大将も赤い顔して上機嫌だ。夏が近づいて、湯豆腐から冷や奴に変わっていた。今日は、スパサラとちくわ天、それに瓶ビールかな。
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by cafegent | 2007-05-28 18:34 | ひとりごと