東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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晴乃ピーチク師匠の訃報を知った。昭和の偉人がまた一人居なくなり残念だ。

昨晩、夕刊を見ていたら「晴乃ピーチクさん」の訃報が出ており大変びっくりした。今年の八月の朝日新聞で「朝草の灯よ 六区の芸人」と云う特集が組まれ、その中で元気に舞台に立つ師匠の近況を知って、舞台を観たいなぁとずっと思っていた矢先だったから、非情に残念だ。
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「ピーチクパーチク」のコンビを解消してからは、絵を描き出し、似顔絵漫談で舞台に立っていた。67歳から始めた油絵でも二科展に何度も入選する程の腕前になっていたと知る。享年82歳、心よりご冥福をお祈りしたい。合掌。
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新橋演舞場にて「錦秋演舞場祭り 中村勘三郎奮闘」が開催されている。昼の部は十月大歌舞伎であるが、三遊亭圓朝が口演した人情噺「文七元結」を山田洋次監督が補綴(ほてい)を手掛け、話題になっている。夜の部は、勘三郎がずっと競演を待ち望んでいた森光子を迎え、新作舞台「寝坊な豆腐屋」が上演演目だ。
オリンピックの開幕を控えた、昭和37年の東京下町が舞台の人情話。豆腐屋の癖に朝寝坊ばかりしている清一と三十数年前に幼い清一を置いて、ぷいと出て行ってしまった母親の澄子の再開のドラマを中村勘三郎と森光子が、笑いあり、泪ありの素晴らしい舞台に仕上げていた。脇を固める佐藤B作や米倉斉加年、そして勘三郎の姉の波乃久里子が好演しており、芝居に厚みを持たせてくれた。

僕が子供の頃も家の前をまだ都電が走り、豆腐やの喇叭(らっぱ)が鳴ると訳も無く追い掛けて行ったものだ。僕が兄にくっ付いて無理矢理幼稚園に行ったのも丁度この頃だったので、芝居を観ながら舞台と昔の自分の遠い思い出が度々重なってしまった。
クレージーキャッツの唄に乗せ、懐かしい昭和三十年代の舞台セットも素晴らしかった。全体に大いに笑わせてくれる場面が多かったが、最後に漸く母親に「お母ちゃん」と云えるようになった清一が、母をおんぶして花道を歩いて行く時なんか、泪がどっと溢れてしまった。ここ最近、続けて勘三郎の芝居を拝見しているが、本当に素晴らしい役者だと実感した。当分、勘三郎から目が離せないのだ。
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ここ何年も母親と逢う機会が減っており、年に一度も逢うかどうかになってしまっている。近くに居ながら兄貴にも暫く会っていない。
でも、みんな元気に生きていてくれているだけでありがたいもんだね。先月も友人が癌で亡くなってしまったが、若くして去ってしまう連中が増えて行くのは寂しいばかりである。
by cafegent | 2007-10-25 18:20 | ひとりごと