東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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枝豆は生意気だ

目黒川近くの民家の庭に随分と立派な柿の木が在り、沢山の実をつけていた。雀に交じってムクドリやヒヨドリも柿の実に集まっている。
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古本屋で池田弥三郎師の本を見つけた。
師は慶應義塾大学の文学部教授の傍ら、国文学、民俗学を研究したり、随筆家としても活躍していた人であった。著書も多数有るが、実家が銀座の老舗天婦羅屋「天金」と云うこともあり、食や酒に関しても結構多くの随筆が残っている。「天金」はその昔、銀座本店を閉めた後も渋谷東急文化会館の中に分店が在ったがそれも今はもうない。

池田弥三郎師の随筆は、軽妙洒脱な文章で存分に楽しめる。そして、今回手に入れた本はタイトルも随分と洒落ている。
「枝豆は生意気だ」である。
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師と親交の深い戸板康二氏が装丁画を描いているも素晴らしい限り。
戸板康二氏も歌舞伎評論家として名を馳せたが、江戸川乱歩の強い勧めで推理小説を書き直木賞まで取っているのだが、画才もどうして素晴らしい。久保田万太郎宗匠も仲間達だが、才人の廻りには必然的に才人が集まると云う事なんだろうなぁ。

で、何故枝豆が生意気か、と云うとである。師は大の相撲好きである。大相撲の夏場所が始まると、そら豆の季節が到来する。美味いそら豆となると夏場所が終わらぬうちに、もう固くなってしまい、姿を消してしまうと云う。

少し紹介すると、
『そうしてそのあとに、エヘンともっともらしい咳払いをしてしゃしゃり出て来るのが枝豆だ。生意気にも枝豆は、そら豆をそうそうに追い立てて、したり顔に登場するのだ。〈中略〉

 枝豆は夏場所から川開き(注:墨田川の花火のこと)まで五月、六月、七月と、まだ続いている。ひいき目にみたって、少し長すぎるとは思いませんか。ましてそら豆に目のない私が、枝豆は生意気だと言っても、そう無理な言い分でもなかろうではないか。
 その上枝豆は、たべられもしない莢(さや)のまんま、食膳にのぼって来る。さやから出て、薄ものの皮だけで出て来るそら豆にくらべて、その点でも生意気だ。〈中略〉

 遅いのになると枝豆のくせして初秋の走りの松茸と同居して出て来る。松茸が、さやと甘皮と二枚も着ている枝豆にたいして、いい感じをもっているはずがない。松茸はふんどしもしていないのだから。
 ところがである。枝豆は季節の長いのをいいことにして、五月から四、五ヶ月というものは、旅館の夕食だろうが料理屋の膳だろうが、洋酒のバーでも、日本酒の呑み屋でもビヤホールでも、つき出しは枝豆にまかせて、安心しきっている。〈中略〉

 この生意気な枝豆に、いばらせておくバーや飲み屋も気に入らない。いささか坊主憎けりゃのたぐいかと反省するが、つき出しに、サッと枝豆をつき出されると、二杯のところは一杯で、三杯のところは二杯で五杯のところは四杯で....十敗のところは九杯でやめて、ごめんをこうむることにしている。九杯飲みゃたくさんだ、などと言ってもらいたくない。あと一杯飲みたいところを、グっと枝豆をにらんで帰るつらさである。
 まったく枝豆は生意気だ。』

池田弥三郎師のことを書いていたら、銀座の「はち巻き岡田」に行きたくなってきた。かつて山口瞳大先生が「鉢巻岡田の土瓶蒸しを食べないと私の秋にならない」また「鉢巻き岡田の鮟鱇鍋を食べなくちゃ冬が来ない」と名言を残した程の江戸前料理屋の老舗だ。今でも銀座松屋の裏手に暖簾がかかっている。

最近、このあたりには「栄庵」なるカウンター・フレンチの名店を知ってしまったので困ったものである。過日もこの露地を歩いて居て、外に出ていた「栄庵」のご主人に遭遇してしまった。
「今日はヒマでねぇ。寄っていくかい?」との嬉しいおコトバに頭を下げて、「今日は岡田なので」とは言えないのである。

「はち巻き岡田」の暖簾には池田弥三郎師がお元気だった頃の諸先生方の筆による句がかかれている。里見弴、河口松太郎、久保田万太郎、久米三汀、そして小島政二郎の面々だ。暖簾だけで参ってしまうのだから凄いねぇ。

秋の句を詠んでいるのは小島政二郎先生だ。 
          うつくしき鰯の肌の濃き薄き

うーん、やっぱり行きたくなってきた。
by cafegent | 2007-10-26 18:59 | ひとりごと