訃報、引退、閉店と時代の移り変わりを感じつつ、また呑む。
2008年 01月 22日
戦国武将や歴史上の人物を描いた絵や、色鮮やかで力強い富士山の絵を描き続けた片岡球子画伯が16日にお亡くなりになった。103歳だったのだが、100歳を超えてからも作品を描いていた。
大往生では在ると思うが、日本美術史の一時代を牽引した功績を思うと非常に残念。心から先生のご冥福をお祈りしたい 合掌。
さて、今度も残念なハナシ。
「卯波」は、俳人鈴木真砂女(まさじょ)が50年前に銀座で開いた店であり、2003年に96歳で亡くなってからはお孫さんが受け継いで板場に立っていた。路地裏一帯が地上げとなり、隣のおでんの「よしひろ」も一足さきに移転をしていた。だが、「卯波」は移転せず、閉めることにした。カウンター9席に小上がり二つの店内は週末の金曜日のせいか、果たまた閉店が近い事もあってか満杯で入れなかった。一人でふらりと来たのだから予約などしていなかったのだが、甘かった。
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先日、大井町「廣田」よりカキフライのお誘い。
今回は田園調布「廣田」での宴になるそうで、昔の「廣田」の料理を再現する催しだった。美味いものに目が無い仲間三人で伺うことに。
フランス料理の才人が創る素晴らしい洋食の味を堪能させて頂いた。
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某日夜、のんべい横丁の「ビストロ・ダルブル本店」にて軽くワインを頂く。
まだ時間も早いナと思い立ち、JRに乗って荻窪へ。
ここは小さいながら、常にお客さんで賑わっている。また、凛とした女将さんが泥酔したりタチが悪い客に一喝入れる姿もイイ。
この日の夜も「あ奴は出禁だナ!」とヘベレケサラリーマン親父を追い返していた。
「やき屋」のアテはイカがメインである。
女将さんの地元がイカ漁の盛んな所らしく独自のルートが在るみたい。
先ずは、珍味わた和え、いか大根、いか軟骨焼きと注文。
またも渋谷に戻り、桜ヶ丘の立ち飲み「なんの」へ。流石、大阪出身だけあって、ここのネギ焼きは美味い。レモンサワー数杯で撃沈だー。
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翌朝は朝から寒い。
吐息も白く、雪が降るかナと思ったが天気は持ちこたえた。白金台から電車に乗って三田乗り換えで京成立石へ。
馴染みの方々も続々登場。それでも寒いからか、満席にならず余裕の入りだった。
この日は、梅割り3杯に煮込みにもつ焼きが4皿、幸せな週末の始まりだった。
そして、夜は蒲田「くま寿司」へ。
美味い寿司で腹を満たし、バー「マルクス」へ移動。
タボ君のバースデーだと云う事もあり、シャンパン開けて祝福である。