東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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最近、レストランガイドにうんざりする事が多いナ。

最近の料理批評家の書くガイド本を読んで、感じる事がある。
全ての店がそうでは無いのだろうが、可成りの店に対して、皆、一度や二度しか訪れないで、ご大層な意見を語っているのだ。

僕は、誰かにその店の批評を伝えるのだったら、十っぺんや二十っぺん足を運んでから好き勝手を云って1欲しいナ、と思う。
昔の江戸吉原だって、そうじゃないか。初めて訪れた時は、花魁だって一緒にお酒を呑み、おしゃべりは付き合ってくれるが、床までは一緒にしない。せいぜい、横で添い寝だ。二度目、そう、「裏を返して」ようやく一緒に寝てくれる。そして、三度、四度と足繁く通って初めて「お馴染みさん」に成る訳だ。
居酒屋某(なにがし)と云う人気のサイトなどを拝見しても一度訪れただけで、其の店の批評をしているのだ。個人の主観で其の店の好き嫌いを語るのは大いに結構である。只、語るに相応しい程、店に通ってから謂えってもんだ。
だから、僕は週刊誌に出ているレストラン批評などを信用していない。

ネットの時代だから、皆沢山の料理店に対するコメントをしている。
其れだって、大いに結構だ。個々が自分の為に、語っているのだから。
只、其れがメディアに乗って、雑誌に掲載されたり、書籍となって、お金を出して批評を買う方々が大勢居るのだから、職業として店の批評をしている人たちに物申したいのだ。
誰とは云わないが、そんな輩(やから)が多すぎる。

僕だって、いろんな方々の批評を拝読しながら、「あぁ、今度は此の店に行ってみよう」と判断するのだから。
例えば、僕の知っている御仁は一年に三百回程、立石「宇ち多”」に通っている。それも毎日口開けの客である。粋な着物姿にシャッポを冠り、毎日開店前30分並んで待っているのだ。こんな方が、「最近は、客筋が変わったね。」とか「煮込みの味が一段と旨くなったネ。」なんぞ云ったら、其れはもう紛れも無い事実である。人に物申す値の在るお言葉なんでアル。

僕が好きなコラムに、料理店の批評をする方で友里征耶さんの「行っていい店、わるい店」と云うサイトがある。此れが大変面白いのだ。他の何よりも辛口で、正直なのだ。此処に記されたコラムを読んで、僕も足を運んだ店が沢山有る。

時々、こんな店まで行ったのか、と思う処も出てくるが、友里さんが此の「大いなる無駄金」を割いてくれているので、僕も「それじゃあ、ひとつ行ってみるか。」と成る訳だ。
常に、正直に、辛辣に店をブッた切る、その姿勢に恐れ入る。そして、其のコラムも実に素晴らしい。ひと時代かふた時代前あたりの料理評論家、否や料理随筆家は皆が友里さんの様なスタンスで店を語っていた。

狩野近雄しかり、薄井恭一しかり、山口瞳しかりである。池田弥三郎などは「食いもの屋のおやじが、本なんか書いちゃ終わりですね。だから辻留なんか駄目になっちゃった。」などと平気で語ってるのだ。此の精神を友里征耶さんと云う方はちゃんと貫いているなぁ、と感じた。

まぁ、たまに好みの違いも在るのだが、それはご愛嬌だろう。皆それぞれ味覚、感覚、趣向性が違うのだから。

イチイチ、其れに腹を立てたり、俺とは違うゾ、などと怒ってもしょうがない。僕だって此の方のコラムを読んで、おや?そうですか、と思う事も多々有る。
例えば、鰻の「尾花」だ。彼は「こんな柔らかい鰻は蒲焼きなんかじゃ無い、蒲蒸しだろう」、と書いていた事があった。ホント、ごもっともである。
だが、此の蒸し過ぎかもしれん柔らかい鰻の味を求めて、わざわざ遠く南千住まで足を運ぶのである。あの佇まい、座敷から覗く板場の風景、膝を付け合わせながら30分程待つ時間に呑むビールの味、其の何れもが全て尾花の素晴らしい所なのだから。誰が何と云おうと僕は、こよなく「尾花」を愛しているのだ。其れにまで意見は云えないだろうしね。只、僕もちょっと外側が焼け過ぎてパリっとした歯応えの鰻も大好きだから普段はそんな鰻の蒲焼きを食べている。まぁ、町場の鰻屋なんてモノは、殆どがそんな歯応えの蒲焼きを出しているだろう。
そんな訳で、僕はいつも大変面白く友里さんのコラムを愛読している。
「友里征耶の行っていい店、わるい店」

料理の批評は人それぞれ自由に語れば良いのだ。ましてや、身銭を切って、食べ歩いて居るのだから、誰に気兼ねせず好き勝手物を申せば良いのだ。

僕は食に対して貪欲である。誰かが美味しいと云えば、何処へだって足を運ぶ。誰かが地方に出張に出掛けると云えば、何処其処のアレを買って来て!と頼む次第なのだから。そして、美味しいナと感じた事を記しているのだ。
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自分の文体を確立したいナぁと思い、日々是精進だと思い昨年から毎日ひとつコラムを書き続けている。原稿用紙2枚半程度を原則に一日ひとつ書いている。まるで公開練習、ボクシングのスパークリングみたいなモンだね。
家にパソコンを置かない主義なので、土日はペンを置く。否やキーボードを置く、か。
其れが今日、漸く100回目を迎えた。
よく、まあ毎日々々続いたもんだナ、と我ながら驚くばかりだ。

そして、記念すべき第百話は、我が愛しの「宇ち多”」を書いた。明日は土曜日。朝起きて、会社に寄って一仕事したら、10時14分五反田発の電車に乗って「宇ち入り」である。「行きつけの店」と云うものは、こう有りたいものだね。
「新版 好食一代」
by cafegent | 2008-03-07 15:34 | ひとりごと