中野ブラザーズは70歳を過ぎても華麗にタップを踊ってた。
2008年 03月 11日
先月、銀座博品館劇場で60周年記念公演を無事に成功させたのだが、お二人の今までの軌跡と記念公演にかける意気込みと苦労を垣間みる事が出来て、観ていてついホロリとさせられて仕舞った。
兄の啓介さんは東京で、弟の章三さんは福岡でそれぞれタップダンスを教えているそうだ。
番組の中で、啓介さんがジャズバーで「ミスター・ボージャングル」のレコードをしみじみと聴いている場面が映った。今回の記念公演でも「この唄で踊りたい」と語っていた。残念ながら、僕は此の公演を生で観る事が出来なかったのだが、ブラウン管を通して観ても、本当に素晴らしいタップ・ダンスを披露してくれた。
「ミスター・ボージャングル」と云う唄は、シンガー・ソングライターのジェリー・ジェフ・ウォーカーが創った名曲だが、中野啓介さんが聞き入って居たのはサミー・デイヴィスJrの唄った曲だろうか。此の唄は沢山の人がカヴァーしている。ニーナ・シモンやニルソン、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド辺りが有名だろうか。
僕が好きな「ミスター・ボージャングル」は、かつて中川五郎さんが唄ったヴァージョンだ。
「ぼろ靴履いて踊る爺さん、俺の友達..一杯の酒が飲みたくて今でも踊るのさ..でも、いつもは酒場の片隅で空のグラスとにらめっこ..ミスター・ボージャングル、踊って..」、1972年の春一番コンサートのライヴで唄った中川五郎さんの唄は今聴いても素晴らしい。
今「ミスター・ボージャングル」を聴いて、僕の脳裡に浮かぶのはウディこと若林純夫さんの思い出だ。昨年、代官山のライヴハウスで若林さんの追悼コンサートが開催されたが、中川五郎さんも唄ってくれた。
其の時、客席の後方でジッと聴いて居たのが、なぎら健壱さんだった。
日曜日の夜、恵比寿「カドヤ」へ一杯引っ掛けに行くと、偶然にもなぎら健壱さんがいい酔い心地で呑んで居るではないか。ちょうど、ひとみ姐さんも一緒だったので、ウディさんの思い出話に少しだけ、なぎらさんのお時間を頂く事が出来た。
高校を出たばかりの僕は、その店の常連だったひとみ姐さんと仲良くなり、皆で良く落語を聴いたり、洋服の話などに花を咲かせていた。音楽も、洋服も、腕時計も全て、師匠はウディ若林さんだった。
なぎらさんは、僕らよりもずっと古くから若林さんと音楽を通じて仲が良かったらしく、僕達の知らない若林さんの事も伺う事が出来た。
なぎらさんは、「追悼なんかじゃなく、もっともっと早くウディと一緒に何かをやるべきだったんだよ。」とおっしゃって居た。
ウチに戻ってからまた涙が溢れ出て仕舞った。歳を取ると、どうも涙もろくなってイカンなぁ。
中野ブラザーズのお二人も70過ぎても現役で踊り続けている。鴬谷のおでん屋「おせん」のお母さんも84歳とは思えぬ程、元気一杯で店に立って居るではないか。
僕もまだまだ彼等から見れば「若造」である。さて、精進しなくては。