夏の夕暮れ、業平公園近く「もつ焼き まるい」で憩い。
2008年 08月 12日
千早振る 神代も聞かず竜田川
唐紅(からくれない)に 水くくるとは
ご存知、百人一首の中で有原業平が詠んだ歌だが、幼い娘に質問され、この歌の意味を聞きにきた長屋の八五郎。ところが、とんだ知ったかぶりのご隠居が途轍もないデタラメな解釈を思い付き、一気に即興でまくしたて誤魔化して仕舞う一席だ。
竜田川と云う相撲取りが吉原の花魁「千早」に一目惚れしたが、振られて仕舞い、それじゃあ妹の「神代」を口説こうとするが、話すら聞いてくれない。
この調子で「千早振る神代も聞かず竜田川」を説明しちゃうのでアル。
相撲を引退して、家業の豆腐屋を継いだ竜田川。そこへ、吉原を出て、喰うや喰わずの空腹で旅をしていた千早が現れる。おからで良いから恵んで欲しいと慈悲を乞うが、昔自分を振った花魁千早大夫だと判り、恨みが蘇った。「お前には、おからはくれてやれねぇ!このアマーっ」と引っ掴んで、裏の土手まで千早を放り投げてしまったのだ。目に涙を浮かべた千早はすぐ傍の井戸の水の中に身を投げて仕舞うのでアル。
コレが「から(オカラ)くれないに 水潜るとは」になる訳ダネ。
大変面白い話だが、最後のオチは、是非師匠の落語で聞いて欲しいナ。
まぁ、これじゃあ、有原業平もさぞ腹を抱えて笑うコトだろうネ。
とマクラ話が長くなったが、先日は「宇ち多”」の常連ご夫妻に連れられて、押上は「業平公園」方面へ遠征に行って来た。業平と云う場所は、そう有原業平にちなんで付けられた地名なのだ。
その業平公園のちょいと先の「まるい」へお邪魔することになった。
開店まもない時間だと云うのに、一階は既に満席で二階の座敷へと上がることに。
二階に上がると、不思議と下のざわめきが一切入って来ず、時が止まったようなのだ。テレビを付けたら「シャボン玉ホリデー」なんか映ってたりして。
「まるい」と云えばエッジの立った牛のレバー刺しや〆の仔牛サンドが有名だが、この日は牛が早々に品切れとの事で、残念無念、皆ウ~ンっと唸って仕舞ったのだった。
なんせ、夫婦と息子の三人で一階と二階を切り盛りして居るのだから仕方無いよネ。のんびりと夜風が通る座敷で呑んでいると、次の料理が来た。「地鶏すきみ焼き」だ。
お次は「まるいサラダ」の登場。
まるいサラダをアテに、暫くまた料理の来ない時を焼酎でまったりと過ごす。そして、忘れた頃に「シロ」登場。
暫くしてまたトントントンの音がして、漸く僕らの軟骨ホルモン焼きが出来上がって来た。
押上に新しい東京タワーが建ったら、「まるい」はもっと入れなくなるのだろうネ。
さて、最近、立石「宇ち多”」仲間と呑む機会が多い。いつもは僕が立石方面へお邪魔しているので、この日の夜は渋谷のんべい横丁の「鳥重」へ連れて行く事にしたのだ。
此処も以前はその日に電話をすれば入れる事が多かったのだが、最近は随分と前に電話をしないと席が取れない程になっている。エチエンヌが朝日新聞に紹介したからか、モリンコが料理通信に紹介したからだろうか、ネェ。嬉しいやら悲しいやら、なのでアル。
それでもお母さん、普段大勢の予約は受けてくれないのに、僕の予約を快く引き受けてくれたのだ。そして九時半の会を外で待つ。
「鳥重」は焼き鳥屋の顔をした鳥料理屋である。
一本目が焼き上がると、漸くお酒を聞いてくれる。外の猛暑にバテ気味なので、冷たい瓶ビールにした。ひとみ姐さんと岩崎さんは既に酔いの口なので、ノっけから日本酒をつけていた。
続いて、心臓が焼き上がる。
これに柚胡椒を付けて食べると、もう「ぐふふ」状態なのだ。
ビールをお替わりし、合鴨を戴いた。これも脂が乗っていて素晴らしい。
此処の名物だった生の鳥レバーが仕入れ先の倒産によって、手に入らなくなって仕舞ったと聞いた。先月、タイミング良く食べられたので僕は良かったが、初めての皆さんに食べさせてあげたかったナぁ、残念。
その代わり新しい一品を戴いた。「鳥ささみの炙り焼き」だ。
「Non」へ戻ると、いつもの顔たちが集って居た。真夏の深夜、虫の音を肴に呑む酒もまたオツだねぇ。