東京自由人日記
2023-03-15T09:46:45+09:00
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東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介
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日々是日記/映画『仕掛人・藤枝梅安』に唸った!
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2023-03-14T12:34:00+09:00
2023-03-15T09:46:45+09:00
2023-03-14T12:34:22+09:00
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オヤジさん自慢の明日葉の天麩羅を口に運び、紙面の中程を開くと目にも鮮やかな黄色い15段広告が飛び込んできた。そこには「池波正太郎生誕100年企画 仕掛人・藤枝梅安 映画化」の文字と決定している出演者の名前とその役名だった。豊川悦司の梅安に片岡愛之助の彦さんだ。それだけでもうゾクゾクとし始めたのを今も覚えている。あの広告では、他に菅野美穂の「おもん」、そして天海佑希の役名が「おみの」と記してあったので、ベースになる原作は第一話の「おんなごろし」だろうとは思っていたが、徐々に情報が開示されるにつれ、「殺しの四人」など幾つかの話を織り交ぜていると知った。長いこと書棚に眠っていた文庫本を再読しながら、さてどんな映画になるのだろうとクリスマスを待つ子供のような気分で映画の完成を心待ちにしたのだナ。そして今年二月三日、待ちに待った映画『仕掛人・藤枝梅安』の一部作目が公開された。あぁ、もう冒頭の中村ゆりさんの顔のアップにすっかりヤラれてしまった。緒形拳が主演した映画『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』でも冒頭から梅安とおもんの濡れ場から始まるが、時代劇に見るエロチシズムは実にソソられるのだ。おもん役のひろみどりもおりん役の松尾嘉代も艶があって色っぽかったナァ。それにしても今回の主人公・藤枝梅安を演じた豊川悦司は本当に素晴らしかった。長年、小説の中の梅安像が緒形拳になっていたが、そのイメージが一掃されるほどの存在感だった。これまでにも緒形拳をはじめ、田宮二郎、萬屋錦之介、渡辺謙など錚々たる役者たちが藤枝梅安を演じてきたが、数十年経っても新鮮で個性が光っているキャラクターになっていて映画を見ながらニヤリとしてしまったヨ。また、彦さん(仕掛人仲間の楊枝職人・彦次郎)を演じた片岡愛之助もしっくりとハマっていて良かった。梅安が心を許す相棒だが、二人が鍋をつつきながら酒を酌み交わすシーンは何度観ても羨ましい光景だ。誰だって、この二人の様な心許せる男友達が欲しいからネ。この映画には梅安の親友である浪人剣士、小杉十五郎は登場しないが、早乙女太一が演じる石川友五郎という侍が良い。仕掛人の二人が針と吹き矢なので、彼の剣さばきは見ていて惚れ惚れする。人を殺めるのにスカッとするというのも少々ためらうが、本当に見事な立ち回りを見せてくれた。流石、幼い頃から大衆演劇で磨きをかけてきた演技が光っていた。もう一人、梅安の家の世話をしているおせきを演じている高畑淳子さんも素晴らしい。緒形拳の映画では、梅安を始めコミカルな要素を盛り込んでいたけれど、この映画では見事に緒方梅安のイメージを払拭し、よりフィルム・ノワールさを際立たせていただけに、彼女の飄々とした滑稽さが良いスパイスになっていたナ。他にも柳葉敏郎始め、たくさんの俳優陣が脇を固めているが、皆さんの持ち味を発揮していて画面に釘付けになった。 ◆ ◆ ◆ 「私にとって女を抱くということは 死に近づくということに思える」こんなセリフ、藤枝梅安じゃなきゃ言えないよネ。おもんを演じた菅野美穂も良かった。小説に登場するおもんは僕の頭の中での世界に現れる人物像だけれど、梅安が心を許せる女性ってこんな人なんだナって納得しながら魅入ってしまったヨ。こんな女性が側に寄り添って尽くしてくれたらナってね。欲をいえば、もう少し艶のあるエロチシズムが観たかったかナ。梅安の生き別れた妹・おみの役の天海祐希も凄かった。女が一人で生きていくにはどんな事だってする、それのどこが悪い!っていう業を背負った魔性の女感を見事に演じていたネ。背筋がゾクッとする程の色気が漂っていたものネ。ただ、テレビドラマと違い映画なのだから、もう少し色気のあるシーンを登場させて貰いたかったナァ。主人公・藤枝梅安は表稼業は町の鍼医者、裏の顔は殺し屋というダークヒーローだが、作者の池波正太郎氏はフランス映画に見られるフィルム・ノワール(暗黒映画)に強く影響を受けていたそうだ。「鬼平犯科帳」に登場する殺し屋や盗賊など裏社会で生きる人間を描いた小説が多い。火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵を通して、フィルム・ノワールの世界を池波なりに書いてきたが、この「仕掛人・藤枝梅安」によりより一層「人の心の奥底に潜む闇」を具現化している。「人間というのは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」かつて、池波正太郎は「鬼平犯科帳」シリーズの中で、幾度もこの台詞に近い言葉を残しているが、今回の映画でも梅安がこのセリフを言っていた。まさに梅安の死生観だが、池波正太郎の小説の根底にあるテーマなんだネ。勧善懲悪になりがちなヒーローものには無い、闇を抱えながら生きるダークヒーローの存在は、世の中何が一体正義なのだろうということを考えさせてくれる。「役者の演技のために美味い料理を作る」池波正太郎の小説と言えば、何と言っても随所に登場する江戸の料理だ。僕は『包丁ごよみ』の中で、銀座「てんぷら近藤」の店主・近藤文夫さんが作っている江戸料理を参考にしているが、今回の映画で料理を作っていたのは「分とく山」の主人・野崎洋光さんだ。原作の「おんなごろし」でも登場した沙魚(ハゼ)の鍋だが、野崎さんが作った料理を映画でも美味そうに食べていた。ドキュメント番組『池波正太郎の江戸料理帳~映画「仕掛人・藤枝梅安」裏の世界~』を観たが、豊川さんは「明日をも知れぬ命の二人なので、これが毎回最後のご飯かもしれないと思いながら食べている食事のシーンなので、その時は毎回命が輝くように食べないといけないなって思います。でも、そういう気持ちにならなくても野崎さんの料理はそういう気持ちにさせてくれるパワーがありました」と語っていた。彦さんが振舞うお粥も実に美味そうだった。「かつお節だけで、こんなに美味くなるものかい?」って言いながら頬張る梅安が羨ましかったナ。江戸の頃の料理ゆえになるべくシンプルに、でもしっかりと味がある当時の料理を再現するという河毛監督の命題にしっかりと答えていた野崎さん、流石だネ。映画の中で、たとえ食べるシーンが無かったり、料理が画面に映らなくてもしっかりとその料理を作っている。「匂いは役者の芝居につながる。だから本物の料理を作る」これが、野崎さんのこだわりだ。あぁ、軍鶏鍋が食べたくなってきた。今回の映画は江戸を舞台にした時代劇ながら、光と影を上手く捉えた映像美と登場人物総てのセリフや演技に引き込まれていった。テレビで最初に観た時も衝撃を受けたが、それを上回る衝撃度だったナ。ドラマシリーズでは最初、映画『仁義なき戦い』で知られる深作欣二氏が監督をしていたが、あらゆる面で池波正太郎の世界を創り上げた監督の河毛俊作さんに脱帽だ。1作目が公開中の新・時代劇『仕掛人・藤枝梅安』、四月公開の次回作が待ち遠しい!]]>
日々是日記/冬の岩手で、ジャズが聴きたくなった。
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2020-12-03T15:32:00+09:00
2023-03-14T12:28:43+09:00
2020-12-03T15:32:26+09:00
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ひとりごと
酒場の友から貰った映画鑑賞券を見た時は、懐かしさ以上にあの店が映画になったんだと云う方が驚きだったナ。30代の半ばの頃、仕事で岩手を訪れた時に訪れたのが最初であり、二度目は46歳の時に青春18きっぷで旅をした時だった。初夏の薫風が心地よい六月の初旬、盛岡城公園まで歩く途中に北上川の遥か向こうに名峰・岩手山を望むことが出来た。
神々が宿る雄大な山と対峙し、僕は畏敬の念を抱き深くお辞儀をしたことを思い出した。『白龍(ぱいろん)本店』で元祖じゃじゃ麺を戴き、JR東北本線で約1時間半で一ノ関駅に到着した。
二度目の『ベイシー』は自分が歳を取ったせいか、スーッと馴染むことが出来た。東京のジャズ喫茶でも同様だが、店内の醸し出す空気感にはいつも緊張させられる。あの時、店で架かったレコードは確かセロニアス・モンクやコルトレーンだったかナ。アナログのレコードなのに、目を閉じるとまるで目の前で演奏しているかのように聴こえたから珈琲が冷めてしまうほど聴き入ってしまったっけ。
僕が訪れたのはどちらも東日本大震災の前だったから、穏やかに時を過ごしていたが、映画を観てこの店にも震災の傷跡が残っていたことを知った。そして、岩手県内の他のジャズ喫茶の復旧にも菅原さんが中心となって支援活動をしていたことに心打たれてしまった。
元々僕は音楽は大好きだが、オーディオに関してはど素人に近い。だから、あの店の壁にセットされたJBLのスピーカーにしても、この映画で知ったアンプやターンテーブル、レコード針に至る総てのオーディオ・システムに感心し、一人唸りながら映画に観入っていた。
また、この映画は編集が凄い。個々の店名となったジャズ・オーケストラの巨匠カウント・ベイシーとの長い交流の軌跡、ナベサダや坂田明などのトップクラスのジャズプレイヤーを始め、指揮者・小澤征爾、女優・鈴木京香、建築家・安藤忠雄など錚々たるゲストが店主の菅原正二さんと『ベイシー』への思いを語っている。中でも僕が敬愛する元週刊プレイボーイの編集長である島地勝彦さんが出ていたことが嬉しかったが、島地さんも高校時代まで一関市で過ごしていたのだったネ。菅原さんが一関一高の1級後輩だったが、在学中は話したこともなく70歳を過ぎてから仲良くなったそうだ。
僕の親父は北海道・岩見沢市の出身だが、昭和30年頃日大芸術学部に進み、東京で暮らしていた。ジャズが好きでレコードを買ってもプレイヤーを持っていなかったので、渋谷のジャズ喫茶『スィング』でアルバイトをしていたそうだ。6歳下の菅原正二さんは早稲田大学時代にジャズバンド「ハイソサエティー・オーケストラ」のバンマスとドラマーをしていたそうだが、もしかしたら何処かのジャズ喫茶で邂逅していたかもしれない。僕も学生時代は、『ブラックホーク』や『DUG』など親父に憧れて渋谷や新宿の音楽喫茶に通ったものだ。
その男は、レコードを演奏する
この映画のキャッチコピーだ。レコードとオーディオシステムと菅原正二さんが三位一体となって唯一無二の音を奏でているのだ。正に『ベイシー』ならではの音を求めて全国から人が集う。それにしても菅原さんはいい顔をしてたナ。映画「ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩 -Ballad」を撮ったのは、今回が初監督となる星野哲也氏だ。普段は二店舗の飲食店を経営している方で、昔からオーディオが好きで菅原さんのことはオーディオ雑誌で知っていて憧れていたそうだ。この映画が初作品とは思えないほどのクォリティーに感動したが、次回作も大いに楽しみだ。映画の最後は雪が降る中でのシーンだった。僕も今度は冬の岩手を訪れてみたくなった。ジャズのように生きる男のレコードを聴くために。]]>
日々是日記/今日は、酒を語らず。
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2020-11-20T16:10:00+09:00
2020-11-20T16:10:48+09:00
2020-11-20T16:10:48+09:00
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ひとりごと
昨日、11月19日は「一茶忌」だった。今から192年前、江戸の後期1828年の11月19日に俳人、小林一茶が生涯を閉じた日を「一茶忌」と呼び、一茶を偲び讃えている。
一茶は、その生涯に2万2千もの俳句を詠んでいる。秋を詠んだ句にも素晴らしいものが沢山ある。
人並みに 畳の上の 月見かな
日の暮の 背中淋しき 紅葉かな信州の貧しい農家に生まれた一茶は、江戸で俳句を学び、貧しいながらも全国を旅し句を詠んだ。誰もが小学生の頃に一茶の句にふれたことがあるだろう。
やせ蛙(がえる)負けるな一茶 これにあり
時鳥(ほととぎす)我身ばかりに 降る雨か
梅さけど 鶯(うぐいす)なけど ひとり哉
雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る一茶の句には身近にいる小鳥や小動物など親しみ易いモティーフを題材にしたものが多い。だからこそ、広く人々の心に浸透してきたのだろうネ。僕は、正岡子規の俳句に出会って、句を詠むようになったが、子規を通して一茶の俳句が好きになった。かつて、子規は一茶の俳句をこう評している。「一茶の句の特色は、滑稽(こっけい)で、風刺が効いて、慈愛に溢れている」と。
一茶忌や 窓辺の雀に 米をまき 八十八]]>
日々ヘベレケ日記/久しぶり、高円寺ハシゴ酒!
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2020-11-11T15:39:00+09:00
2020-11-11T15:44:50+09:00
2020-11-11T15:39:11+09:00
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飲み歩き
イロハモミジも少しずつ赤く色づいてきた。
七十二候では「山茶(つばき)始めて開く」の時季、街の彼方此方で山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃だ。山茶花や椿の花を見かけると、心がほっこりと暖かくなり、寒さも和らいでくるのだナ。
コロナ禍の勢いが衰えない日々が続き、僕も用事が無い限り自分の住む街から出ないようになった。先日、新宿に所用があったので久しぶりに電車に乗って移動した。東急目黒線もJR山手線もマスクをしていない乗客は見当たらなかった。もちろん僕もマスクはしているがメガネが曇るのが、どうにも鬱陶しいのだ。小一時間ほどで用事も済んだので、久しぶりに高円寺まで足を伸ばしてみた。
駅を降りて北口へと出て、あずま通り商店街へと歩いた。居酒屋「大将」は既に賑わっており、「一徳」は開店前の準備で忙しそうにしていたナ。秋晴れの午後は、外の席で飲むのも心地が良いだろうネ。そして、僕がこの日向かうのはあずま通り商店街の終わり、早稲田通りに出る手前の左側に佇む居酒屋『マキノウチ』でアル。前回紹介した時は、プレオープン時だったので、暖簾がキンミヤの前掛けだったのだが、今はちゃんとマキンコ姐さんの似顔絵が入った暖簾が掛かっている。昔からの酒朋、マキンコこと杉原真希子さんが今年の6月に開いたばかりの酒場は、カウンター席だけの小体の店だが、一人で切り盛りするには丁度良い広さだ。此処はキンミヤ焼酎でお馴染みの三重県四日市の酒蔵「宮崎本店」の酒に惚れ込んだ彼女が、日本酒「宮の雪」をメインに福井の「黒龍」や高知の「美丈夫」などをセレクトして呑ませてくれる。もちろんキンミヤ焼酎も有るのでボトルキープするも良し、自家製のキンミヤレモン焼酎やキンミヤコーヒー焼酎も人気だ。酒の肴は名物のポテトサラダを始め、たこぶつ三種盛りや干しほたるいかなど酒に合うものを手作りしている。僕はキープボトルのキンミヤをモリンガ茶で割って飲むことにした。このお茶、体にもすこぶる良いらしく、緑茶とさほど変わらない味だからキンミヤにも合うネ。
三杯ほどモリンガ茶割りを楽しみ、日本酒へ。「宮の雪」の純米酒を燗につけて貰った。冷酒とは打って変わって純米の甘みが引き立つのだナ。あぁ、旨い!五臓六腑に酒の雫が沁み渡る。マキンコのお酌だと、なおさらだ。心も身体も温まったので、ご馳走様。
外に出るとすっかり日も暮れていた。あずま通り商店街の中程を右手に折れて、餃子の名店「赤天」や「カレーハウス コロンボ」、渋い居酒屋「バクダン」など多くの飲食店が軒を連ねる高円寺庚申通り商店街へ出た。
久しぶりに、高円寺駅北口近くに在るカウンター天ぷらの名店『天すけ』へ足が向いた。いつも行列が出来ている人気店、この日も6名ほど並んでいたが15分程で座ることが出来た。
先ずはビールを戴く。此処に来ると僕はいつも玉子天ぷら定食をお願いする。酒を頼まない人には揚げたての天ぷらと同時にご飯と味噌汁が出てくるのだが、僕のように酒を頼む人には最後の〆にだしてくれるのが嬉しい限り。
海老に始まり、いかしそ巻き、きすと順次揚げたてが目の前に出されるのだ。
揚げ油の胡麻の香ばしい匂いが僕の鼻腔をくすぐる。
かぼちゃ天、茄子天などが続き、海老のかき揚げの登場だ。
一応、これで一通り定食の天ぷらが出揃った。お腹に余裕があれば、ウニの天ぷらも素晴らしいし、季節の天ぷらなども有るので、是非!生牡蠣のピーマン詰めも美味そうだったヨ。
此処のご主人は天ぷらの「つな八」で修行を積み、銀座の老舗「天國」で研鑽を積んだそうだ。そして80年代の後半に地元である高円寺に自分の店を構えた。僕が初めて「天すけ」を訪れたのももう25年ぐらい前だけれど、その頃から玉子の天ぷらは人気だったナァ。かき揚げを食べ終えると〆のごはんになるのだが、揚げ玉子の乗ったご飯は絶品だ。天つゆをかけるか醤油にするか選べるので、この日は天つゆをかけて貰った。そして、なんといってもこの玉子の天ぷらを作る時の大将のパフォーマンスは見逃せない。生玉子の殻を片手で割り、その殻を左後ろの壁にポンッと放り投げるのだ。この仕草も格好良いし弧を描いて二つの壁にコンコンと当たって下に落ちていく。
最後に大将の「どうでぇっ!」とでも言いたそうに歌舞伎の見得を切るポーズがなんとも粋なのでアル。この一連の大将の動きが有名となり、テレビでも何度か取り上げられていたナ。最近、他の天ぷらチェーンなどでも玉子の天ぷらを出す店も出てきたが、やっぱり此処には敵わない。いやぁ、美味かった。セントラルロードでも歩いて、もう1、2軒ハシゴしようかナ。]]>
日々ヘベレケ日記/不要不急でご近所ハシゴ酒
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2020-10-17T05:45:00+09:00
2020-10-17T05:45:17+09:00
2020-10-17T05:45:17+09:00
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飲み歩き
10月に入り中秋の名月から2週間が経った。いつもの公園では、まだ曼珠沙華の花が咲いている。
今年は、例年に比べて開花が遅いようだナ。密集して咲く彼岸花は、見事に咲き誇る時は僅か1日か2日ばかりだが、次々と新しい花が咲き出すので朝の散歩時に眺めるのが毎年お彼岸の時期の楽しみだ。
今朝は5時頃に消防車のけたたましいサイレンの音で目を覚ました。どこかで火事があったのかナと思っていたが、ラジオ体操をしている公園内の2箇所の自動販売機が放火されたのだった。
コロナ禍の影響で、闇バイトに手を出す者が増えているけれど、自販機に火をつけても小銭が取れる確率は低いと思うのだが。なんとも物騒な世の中だナ。
コロナにより不要不急を考えるようになってからは、本当に電車に乗らなくなっている。それまでは仕事が終われば、電車に乗って都内各地の酒場に出かけていた。
かれこれ6ヶ月も自宅で過ごしているのだから、夕暮れになると自宅から歩いていける酒場で過ごす日々が続いている。
9月の初めの頃は夕方になってもまだ夕陽が出ていて、暮れ泥(なず)む空の下を歩いて酒場へと向かっていたが、秋の彼岸が過ぎた辺りから急に日が暮れるのが早くなったネ。秋の日は釣瓶(つるべ)落としと言うが、本当に水を汲むために落とす釣瓶が井戸の中にストンと落ちていくように、一瞬にして日が落ちていくようになった。
最近気がついたのだが、秋になれば道路脇の街路樹や家々の植栽からキリギリスやコオロギ、ウマオイなどの虫の鳴く声が響いていたが、それが聞こえなくなったような気がする。毎晩のように通っている酒場『牛太郎』でも、数年前までは開け放たれた戸の向こうから秋の虫の集(すだ)く音色を酒の肴に一杯ひっかけていたが、今ではかろうじてカネタタキの「キンキンキン」と鐘を叩くような音色ぐらいしか聞けなくなった。なんとも寂しい気もするが虫たちまで、新型コロナの影響で不要不急の外出を控えるようになったのだろうか?ハテ。
店主のジョーさんの笑顔に癒されながら飲むハイサワーのなんと美味いことか。さて、武蔵小山の名酒場『牛太郎』の少し先に鰻の串焼きで飲める酒場『梅星』が在る。鰻で呑むというと敷居が高いと思いがちだが、此処はカウンターのみの立飲み酒場だから、懐にも優しい。この店のすぐ近くに、既に武蔵小山では名店と呼ぶに相応しいもつ焼きの『豚星』(ぶたほし)が在り、此処はその姉妹店でアル。長年に渡りもつ焼きの串で培った炭火焼の扱いを生かし、鰻の串焼きを手頃な価格で提供している。
丁寧に捌かれた鰻の各部位を串打ちし、炭火で焼き上げる。香ばしい香りが鼻腔を刺激し、酒がススむススむ。鰻の串は、肝、ヒレ、八幡、くりから、短尺などが有り、一串200円から350円で味わえる。初めてならば、一通り(5本)1,200円がオススメだろうか。また、串の他にも骨せんべいや肝刺し、鰻つくだ煮などの酒の肴も有るから嬉しい限りでアル。
酒は「豚星」でもお馴染みの金魚やコップワイン、それに下町の酒場で親しまれている焼酎の梅割りなどが用意されている。
大葉と赤い唐辛子を金魚に見立てた辛口の酎ハイ「金魚」も病みつく旨さだ。
ストンと日が落ちていく秋の夕暮れ、武蔵小山の街は『牛太郎』を始め、『梅星』や『晩杯屋』などハシゴ酒を愉しみながら歩けるから嬉しい。皆さんも自分の住む街の酒場ホッピングを探してみてはいかがかナ。
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日々ヘベレケ日記/中秋の名月と秋霖の時季が来た。
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2020-10-08T16:43:00+09:00
2020-10-08T16:43:22+09:00
2020-10-08T16:43:22+09:00
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飲み歩き
実際の満月は翌日の月だったが、両日とも雲が切れて美しい月が秋の夜空を照らしてくれたネ。
今日の東京は一日中雨が降っている。秋の長雨、「秋霖」(しゅうりん)が続きそうだネ。今年はまだ台風が本州を直撃していないが、秋雨前線はしっかりと停滞しているから、まだまだ油断は出来ないのだナ。
先日、玄関の靴箱を開いたら、革靴やワークブーツにカビが発生していた。我が家は風通しが良いとばかりに除湿を怠っていたので、しっぺ返しを喰らってしまった。カビ取りをして除菌スプレーをかけて、しっかりと陰干しをしてなんとか靴を生き返らせたのでアル。目に見えるところばかり掃除しても駄目だね。
雨が降っていない朝は、いつも近所の公園でラジオ体操をしている。公園では桜の葉やイチョウの葉が少しづつ色づき始めており、地面に落ちた銀杏の実を拾う方々が増えてきた。
秋の渡り鳥たちも来始めたが、年々渡来する数が減っているようだ。キビタキやエゾビタキ、三光鳥などは今秋も来たが、ツツドリやマミチャジナイは出会えなかった。
雨上がりの公園では、金木犀の甘い香りが一段と強く広がっている。朝6時50分、ラジオ体操が終わるとその足で銭湯へと向かう。
6月に西小山駅近くにリニューアルオープンした銭湯『東京浴場』は朝5時から8時までの朝風呂営業をしているから重宝している。此処は午後も2時から深夜2時まで開いているので、飲食店関係の人たちも深夜に利用している。サウナは無いが、3つの湯船と酒の樽を活用した井戸水風呂が有るので、温冷浴を数セットするのが好きなのだナ。風呂上がりには7千冊もある漫画本と絵本を自由に読むことができるので、朝ビールをしながら絵本を読むひとときを愉しんでいる。
土曜日などは銭湯を出ると、中原街道近く荏原中延の『日の出食堂』へ。
此処も毎朝5時から開いているので、朝酒好きには堪らない一軒だ。
大抵はラジオ体操仲間が先に来てビールを飲んでいる。食堂なので、料理の品数も豊富だ。僕は目玉2個のハムエッグを肴にビールや酎ハイを戴いている。
カツ煮やハンペンのバター焼き、肉巻きニンニクも美味しく酒に合う。土曜の朝は此処のテレビでチコちゃんに叱られながら、他愛の無い話に花を咲かせるのだナ。古き良き昭和の時代から50年続く町の食堂は、ご夫婦の愛が溢れている。
この町も武蔵小山と同様に町工場が多くあり、此処で朝食を食べ、昼のお弁当も作って貰い、仕事が終わるとまた此処で一杯ひっかける、そんな常連さんで溢れていたそうだ。今もまだ数人は昼飯用のお弁当を頼んでいるらしく、僕らが酒を嗜んでいる間も親父さんはせっせとお弁当を仕込んでいるのだ。それを一つづつ女将さんが風呂敷で包んでいく。なんとも言えない愛らしい光景でアル。
今年76歳になる親父さんは、実に元気だ。ウチのお袋や親父もそうだけれど、永く商売をしている人は元気だネ。僕の母も昭和3年生まれだけれど、今もスーパーに買い物に出かけるし、風呂上がりには缶ビールを楽しんでいる。
親父さん、女将さん、ご馳走様!午前10時半、『日の出食堂』での朝酒を堪能したら、のんびりと歩いて武蔵小山へと戻る。
そして、居酒屋『牛太郎』の口開けへ。
こうして、週末の長い酒浸りの時間が続くのでアール。]]>
日々是また日記/不要不急の自宅待機をどう過ごそう。その2
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2020-08-31T12:07:00+09:00
2020-08-31T12:07:24+09:00
2020-08-31T12:07:24+09:00
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ひとりごと
コロナ禍が続いている今、僕は仕事や用事がない限り殆ど電車に乗らなくなった。如実に明らかになったのは毎月のSuicaカードの引き落としだ。3月頃までは概ね3、4万円だった支払が、今では3千円でアル。それまでは仕事が終わると京成立石や赤羽、東中野辺りまで呑みに出掛けていたが、この5ヶ月ばかりはそれも無くなった。まったく驚くばかりだナ。そんな毎日なので朝のラジオ体操がすっかり日課となっている。家に戻り、ひとっ風呂浴びるともう予定も無くなる次第だ。
先週は書棚を漁り、久しく開いていない本を手に取ってみた。映画俳優の故・殿山泰司さんが書いた『日本女地図』でアル。殿山泰司は盟友の映画監督・新藤兼人氏と共に近代映画協会を旗揚げし、戦後の日本映画界に圧倒的な存在感を残し、名バイプレイヤーとして活躍した。酒場や映画関係者達からは、親しみを込められて上下の隔たりなく“タイちゃん”と呼ばれていた。
殿山は、ジャズとミステリー小説、そして酒と女をこよなく愛し、『三文役者の無責任放言録』、『にっぽん・あなあきい伝』や『殿山泰司のミステリ&ジャズ日記』などの著作も素晴らしい。
中でもとりわけ僕がこの人スゲーッ!って思ったのが、この『日本女地図』だった。サブタイトルは「自然は、肉体にどんな影響を与えるのか」だヨ。僕がこの本を知ったのは1984年頃だったけど、初版は1969年だ。さすがに9歳の頃には縁遠かっただろうが、24歳になった働き盛り、遊び盛りの時にはまさにバイブルだったっけ。
タイちゃんこと殿山泰司は、この時54歳。役者としても、男としても一番脂の乗った時期だったのだろうネ。今も続く銀座の老舗おでん屋『お多幸』の長男として生まれたタイちゃんは、36歳の時に京都の喫茶店のウェイトレスに一目惚れし東京に連れて来た。当時、彼には鎌倉に内縁の妻が居たのだが、19歳年下のキミエを「側近」と呼び、生涯連れ添った。それでも、酒と女遊びは日常茶飯事だったらしい。(この画像は、殿山泰司本人だ。)それまでスクリーンの世界でしか知らなかった役者・殿山泰司の別の顔をこの本で知り、当時発売したばかりの新刊『殿山泰司のしゃべくり105日』を読み、過去の著作も読み漁った。彼は晩年まで映画に出演し続け、亡くなった年にも映画『黒い雨』に出た。僕は30代の頃、田中小実昌氏や殿山泰司さんが愛した新宿ゴールデン街にも足を運んだが、結局一度も酒を酌み交わすことは出来なかった。それでも、酒場のママたちから聞くタイちゃんやコミさん、たこ八郎さんの逸話は、酒を無性に美味しくさせてくれたナ。
さて、話を『日本女地図』に戻そう。この本は47都道府県の女性を探求しており、「オレは学歴もなく学問もない男であるが、歴史学、考古学、人類学、民俗学、医学、法医学、栄養学、気象学、地理学、物理学、化学などを、猛然と勉強することによって、気候、食べ物、地勢、血統などが、女のアソコを特色づけていることをつきとめたのである」と豪語している。そして、この本を「出身地によるセックス診断としてもよし、勉学用の純粋性科学書として読まれてもよし、結婚相手選択のための参考書として読まれてもよし、すべてはアナタの自由であります」とまえがきに記している。もう、ノッケからタイちゃんの魔法にかけられてしまったのだ。
北海道の女は、なぜ陰毛が長くて濃いのか。 秋田の女は、なぜANAが小さいのか。 静岡の女は、なぜたっぷり濡れるのか。 島根の女は、なぜパイパンが多いのか。 長崎の女は、なぜ巾着なのか。
こんなオンナの地域差を大真面目に語っているのだから、一人大笑い愛ながら読破してしまうのでアル。この本は1983年に角川書店より文庫化されており、本人があとがきを記している。それを読んでいても、タイちゃんは68歳にして、まだまだ現役なんだナァと感じるのだからスゴい人だよネ。
家で過ごすことが多くなっているから、読書をしたり音楽を聴いたりすることも増えている。久しぶりに『日本女地図』を読み返したからか、昨日、殿山泰司の破天荒な人生を映画化した『三文役者』を観返した。新藤兼人監督の晩年の作品で、竹中直人さんがタイちゃんを演じており、『裸の島』や『人間』など当時の新藤作品をそのまま引用しながら、乙羽信子さんが語りべとなっている。竹中さんの演技は素晴らしく、途中から殿山泰司本人に見えてくるから不思議だ。本妻を演じた吉田日出子さんも素敵だが、「側近」と呼ばれた2号さんのキミエを演じた荻野目慶子の体当たりな演技は圧巻だった。自分が10代から20代だった頃の日本は、まだまだ本妻の他に女性を持つ時代だったんだナと、改めて思った次第でアル。]]>
日々ヘベレケ日記/夏越の祓えと『マキノウチ』
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2020-06-30T14:58:00+09:00
2020-06-30T14:58:26+09:00
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飲み歩き
「祓(はら)へ給(たま)い 清め給え 守り給い 幸え給え」と唱えながら、8の字に輪をくぐり抜けるもの。大抵、どの神社に行っても茅の輪の横に作法の手順が書いてあるから、それに習って行えば良い。
母の分 もひとつくぐる 茅の輪かな 小林一茶 ◇ ◇ ◇さて、明日7月1日、高円寺に新しい酒場『酒処 マキノウチ』が開店する。店主の杉原真希子さんは、僕ら酒呑み仲間の一人であり、皆からも「まきんこ姐さん」と慕われている。
日本酒と角松敏生をこよなく愛する素敵な姐さんは、キンミヤ焼酎でお馴染みの宮崎本店の酒に惚れ込んで、日本酒も『宮の雪』をメインにしながら、四季折々で全国の地酒を扱うそうだ。
日本酒は「宮の雪」の本醸造、純米、大吟醸、にごりを始め、燗酒が旨い「九頭龍」「鷹勇」や「黒龍」「作(ざく)」の冷酒が用意されている。「作(ザク)」は、ガンダム好きな彼女のご愛嬌チョイスだネ。焼酎はもちろんキンミヤで、ホッピーやサワー、お茶割りなどで楽しめる。また本格焼酎も麦、芋、米焼酎と揃えているので、オン・ザ・ロック好きや水割り好きでも安心して愉しいひとときを過ごせるのだナ。そうそう、御茶ノ水の『徳兵衛』直伝の自家製キンミヤレモンや渋谷のバー『8カウント』から伝授の自家製キンミヤコーヒーも只今仕込みの真っ最中なので、完成が待ち遠しい。
酒の肴は、ポテトサラダや干しほたるいかの炙り、我が酒朋キクさん手作りのハムとベーコン、おつまみ三種盛りなどがある。酒好きには堪らないつまみばかりだナ。先日、プレオープン営業をしていたので顔を出した。キンミヤの暖簾を潜り、中へ。店内には酒場詩人・吉田類さんが描いた作品『酒呑童子の微笑』がお客さんを出迎えてくれる。浴衣姿が似合う姐さんにはコレだろうと栃木県の飯沼酒造が造る『姿』の特別純米生酒「浴衣すがた」をお祝いに持参した。
この酒蔵は、無濾過生原酒の「闘うすがた」や「晴れすがた」なども旨い。夏の定番「浴衣すがた」は香りも味も爽やかで、クィクィと盃がススんでしまうので、お祝いと言いながら僕ばかり呑んでしまったナァ。
江戸の頃、吉原遊郭では「一度指名した遊女を変えちゃいけない」という決まり事があった。銀座のクラブの様に容易く他のコを指名したりなど出来ず、指名替えをするにはそれなりの金を店に積んで了承を得なくてはならなかったのだ。この遊郭で遊ぶ際には、同じ遊女を指名すると店の人が壁に架かった遊女の名入りの木札を裏返した。これを「裏を返す」と呼び、何度も裏を返す客が贔屓(ひいき)の客として扱われたんだナ。江戸の遊び人たちは、裏を変えさねぇのは江戸っ子の恥だと言い、粋な遊び方を重んじていた様だ。
さて、明日は僕も裏を返しに高円寺『マキノウチ』の暖簾をくぐらなくちゃいけないナ!
『酒処 マキノウチ』店舗情報中野区大和町1-66-4高円寺駅北口からあずま通り商店街を進み、早稲田通りに出る手前の左側。前のイカ焼き屋さん「IKAYAKI TADAKI」の黒いテントがそのまま残っているのが目印。平日 17時~23時 土日祝 14時~21時まで 火曜日定休]]>
日々ヘベレケ日記/晴耕雨読と土曜ハシゴ酒
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2020-06-24T13:17:00+09:00
2020-06-24T13:17:37+09:00
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飲み歩き
そんな雨の街も考え方次第で楽しく出来るんだナ。僕の場合は、お気に入りのL.L.Been社製のメイン・ハンティング・シューズ(今は「Been Boots」と言うのだっけ)を履いて出かけられるし、レインハットをどれにしようかと悩むのも実に愉しい。Tシャツの上には真っ赤なスウィングトップを羽織るのだ。
社会人になりたての頃に神戸・元町のメンズショップで手に入れたバラクータ社のスウィングトップは、すっかり色褪せてしまったが、38年経った今も現役だ。
雨の日ならではのお洒落を愉しみ、読みかけのペーパーバックを持って喫茶店へ。僕は学生時代から通っている目黒駅近くの喫茶店『コーヒーの店ドゥー』でブレンド珈琲を飲みながらインキの匂いのする本のページを捲るのが好きでアル。そう云えば、知らない間に目黒にも『ブルーボトルコーヒー』が出来ていたのだネ。
外に出かけなくても、家に居てゆっくりと読書や音楽を楽しむのもイイネ。「晴耕雨読」を試してみると、意外にもリラックスできることに驚くのだ。窓の向こうの雨模様を眺めながら、ブルース・コバーンやジャック・ジョンソンなんかを聴いていると心身が浄化されていく。時には酒に頼らないメンテナンスも大切だということに、梅雨の雨が気付かせてくれたのだナ。 ◇ ◇ ◇新型コロナウィルスの蔓延で、不要に電車に乗らない日が多くなった。先月までは週に4日は赤坂で仕事をしていたので帰りに京成立石や神保町、赤羽辺りまでハシゴ酒をしていたのだが、この一ヶ月はほとんど地元の武蔵小山から出ていない。それでも「東京アラート』が解除され、飲食店の営業も再開されたので、徒歩圏内の店へは顔を出している。
先日の土曜日は、朝6時半から公園でのラジオ体操に参加し、身体をほぐす。このラジオ体操も以前は仕事の無い日にしか参加できなかったが、今は毎朝行っている。地元の飲み仲間たちも集うので、土曜は体操が終わると、その足で酒を求めて移動するのだ。
都立林試の森公園から武蔵小山パルム商店街を抜けて、平塚橋へと歩く。旧中原街道を中延方面へと進むと目指す『日の出食堂』の行灯が見えてくる。
此処は早朝5時から営業している町の食堂だ。
戸越公園駅や中延駅周辺の酒場の店主やスタッフたちが自分たちの仕事を終えた後のひとときを過ごす為に朝5時から酒を酌み交わしている光景も日常でアル。
先ずは冷えた瓶ビールで喉を潤す。食堂なので料理も豊富、僕は両目のハムエッグが好きなのだ。
煮カツも美味しいし、にんにく豚肉巻きも酒の肴に良い。
開け放たれた入り口から入り込む風が心地よい。
この街も昔は町工場などが多かったので、職人さんたちのお弁当を多く作っていたと聞いた。
今ではめっきり減ったそうだが、今でも変わらずに頼んでくれる方が居るので、毎朝3つ4つのお弁当を作っているそうだ。風呂敷で包んでくれるのも嬉しいネ!
ビールからウーロン茶割りに切り替えて、土曜朝酒を堪能する。親父さん、女将さん、ご馳走様でした!『日の出食堂』を出て、再び武蔵小山方面へと戻る。
二軒目はホームグラウンドの酒場『牛太郎』の口開けへ。武蔵小山が誇る博水社のハイサワーレモン味が爽快だ。
あぁ、毎週土曜日の朝7時に家を出て都営浅草線に乗っていた頃が懐かしい。京成立石のもつ焼き『宇ち多゛』の口開けを待つ2時間半も楽しかったナァ。最近はいつも『日の出食堂』から『牛太郎』、そして町中華の『正来軒』へと流れるコースが定番となっている。此処に来ると僕は焼酎とウーロン茶を貰う。『正来軒』の焼酎は1杯150円、冷奴も豆腐一丁で150円なのだから、懐にも優しいのだナ。僕は夫婦二人三脚で営む店が大好きだ。土曜朝酒の店は三軒ともご夫婦で切り盛りしている。そんな店を見つけるのも酒場巡りの楽しみのひとつ。また自由に電車で出かけられる日が待ち遠しいネ。]]>
日々是日記/梅雨の時季、今日は桜桃忌
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2020-06-19T11:13:00+09:00
2020-06-19T11:13:46+09:00
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ひとりごと
雨に濡れた紫陽花は、美しい。梅雨の時季は雨露が光る紫陽花を見に散歩がしたくなる。今朝は早くからずっと雨が降り続き、窓を開け放たれていればエアコンも要らないほどだネ。毎朝、目が覚めると日めくりカレンダーを捲る。そこに記されている格言を読むのも実に愉しい。ちなみに今日の格言は「親の意見と冷や酒は後で利く」でアル。なるほどネ、とニヤリとさせられながらも一日を元気に過ごせそうな気持ちにさせてくれるのだ。
いつもなら6時半から始まる近所の公園でのラジオ体操も、この本降りの雨だと無理そうだ。中には雨降りでもお構いなしに体操をしている人たちも居るのだが、僕は家の中でテレビ体操をする。新型コロナ渦で家に居ることが多くなったが、テレビ体操が1日に何度も放映されていることは知らなかった。早朝にラジオ体操をしたのに、午後2時55分からまたテレビの前で体操をすることもある。ラジオ体操を始めてから、肩こりも無くなり、体も柔らかくなった。ジムでの筋トレと違って筋肉がつくワケじゃないが、基礎体力は確実に増えているだろうネ。だから飯も酒も美味く感じるのかもしれないナ。 ◇ ◇ ◇六月は「水無月」とも呼ぶが、「無」は「の」と同じで、水の月だそうだ。梅雨明けで水が無くなる月というワケでは無いようだネ。ただ、今月は祝日も無いので「祝無月」なのだナ。
祝日が無い六月だが、僕は新型コロナウィルス蔓延の影響で仕事が無く、ほぼ丸々一ヶ月休日状態が続いている。
今日、6月19日は太宰治が生まれた日として「太宰治誕生祭」となっているが、1948年のこの日は、玉川上水で太宰治と山崎富栄の心中遺体が発見された日であり「桜桃忌(おうとうき)」とされている。これは、太宰が晩年に書いた小説「桜桃」にちなんで命名されたのだネ。子供の頃に『走れメロス』を読んで、初めて太宰の作品を知ったが、太宰治の小説を本当に面白いと思い始めたのは、随分と後になってからだったっけ。それでも全作品を読んではいない。だいたい、作品よりも太宰治という人間の方に興味が湧いたので、それから作品を読み漁ったのだ。僕には子供がいないが『桜桃』を読んだ時に、太宰の子供に対する思いなどを垣間見ることが出来て、面白い男だナと思ったのだ。酒場で出された桜桃(サクランボ)を通して、父親と子供との関係を描いており、素晴らしい短編だと思った。誰もが、まさかこの作品の発表から一ヶ月ちょっとで自殺するとは誰もが思いもよらない出来事だったことだろう。
この一週間、テレビのワイドショーでは有名なお笑いコンビの一人の女性問題を取り上げている。そんな番組を観ていて、何故か『人間失格』や『斜陽』、『パンドラの匣』などを再び読みたくなったのだ。自由気ままに多くの恋をした太宰治の書いた小説を思い出したのは、あのお笑いタレントに太宰治の本でも読んでもらいたいと思ったからだろうか、ハテ?]]>
日々是日記/STAY HOMEの独り言!
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2020-05-19T15:31:00+09:00
2020-05-19T15:31:50+09:00
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cafegent
ひとりごと
五月は、旅をするのにとても良い気候だ。かの松尾芭蕉が「おくのほそ道」へと旅に出たのは旧暦の元禄二年三月二十七日、今で云うところの五月十七日に当たる。いつもなら列車の旅に出ている時季だネ。1時間もすれば、殺伐とした街並みを離れ民家の合間に自然の原風景が広がっていく。窓の向こうで蒼々と茂る新緑の木々を眺めながら缶ビールをプシュッと開けるのも、旅の倖せのひとつでアル。
米農家では田植え間近の頃。深く耕した土に水を流し込み水田を作っていく。キラキラと光る田んぼの水面に青空が映り込む。なんとも言えぬ景色が絶好の酒の肴になる。日本画家・小野竹喬が「奥の細道句抄絵」のシリーズで描いた先の芭蕉の句の風景が浮かぶ。今は新型コロナウィルスの拡大防止のため、旅行を自粛しなければいけないのだが、昔行った旅を思い出したり、旅の本を眺めながら空想の旅に出るのも愉しいひとときだ。
大好きな詩人であり、哲学者であり、エッセイストの故・串田孫一さんが書いた旅の随筆「ひとり旅」は、何度読み返しても素晴らしい。
朝目覚めたときの風の匂いや小鳥のさえずりなどが手に取るように感じられるのだナ。
それでも、本の旅ばかり続けていると旅行への欲求度合いが増してくる。いつになったらコロナウィルス感染拡大は収束するのだろうか?STAY HOMEの新しい施策を探さなくちゃネ。そうだ、これまでに旅の途中で味わった郷土料理でも自宅で再現してみようかナァ。
雨降りの東京で感じた独り言を綴ってみた。]]>
日々是また日記/不要不急の自宅待機をどう過ごそうか。
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2020-04-14T13:36:00+09:00
2020-04-14T13:36:17+09:00
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ひとりごと
先週の木曜から昼間仕事を手伝っていた写真工房も東京の新型コロナウィルス蔓延の影響で、自宅待機の要請が出た。朝からベランダ越しに降る横殴りの雨を眺めながら、この雨がウィルスや激減する収入の不安など世の中の嫌なこと全部を流し去ってくれたら、なんて思ってしまった。
はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る
我々一般労働者の日々の思い、悲哀を実に端的に表した歌だネ。この歌は歌人・石川啄木が明治43年に出した「一握(いちあく)の砂」の中で詠んだものだ。
そう、昨日4月13日は石川啄木の命日「啄木忌」だった。啄木は代表作となった歌集「一握の砂」を刊行した2年後、肺結核のため友人の歌人・若山牧水や妻、そして父に看取られてこの世を去った。
余談だが、僕の祖父も大酒飲みの歌人であり、若山牧水に師していた。26歳の若さで早逝した啄木の先の歌が、今の時勢とどうしても重なってしまう。自分ではどうしようも出来ない新型コロナウィルスの感染、それにより営業自粛を余儀なくされた我々労働者の生活保障の不安など、汚れた手をじっと見つめて石鹸で良く洗い流すことしか出来ないもどかしさだ。
僕自身もことごとく取材が延期やキャンセルになり、本当に日々仕事が激減している。かつてイギリスの劇作家シェークスピアは『マクベス』の中で「明けない夜はない」と書いた。でも、実際の生活環境の中では、明けない夜もあるんじゃないだろうか、と思ってしまうのだナ。そう思いながら仕事を続けていた方が、後々がっかりする度合いも少なくて済むような気がしている。安倍政権のコロナ対策の給付措置だって結局は「出す出す詐欺」のようになりかねないしネ。 ◇ ◇ ◇せっかく家に籠っているのだから、料理でも作って愉しまないとネ。今朝は、ハース・マルティネスの『Hirth From Earth』を聴きながら新玉ねぎをじっくりと炒めた。飴色になった玉ねぎにコンソメスープを注ぎ入れて煮込む。
皿に移し入れバゲットとチーズを乗せて焼けばオニオングラタンスープの完成だ。昨日の大雨が嘘のように青空が広がった。春の風が頬に当たる中、熱々のスープが沁みる。
BGMはハースの2ndアルバム『Big Bright Street』へ。ジョン・サイモンがプロデュースしたこちらも素晴らしいナ。ハースも5年前に他界してしまった。今年はあのウィルスのせいで多くのミュージシャン達も感染し、亡くなった人も出てしまったけれど、早く収束して欲しいネ。
先日は豚の肩ロースブロック肉を手に入れたのでプルド・ポークを仕込んだ。冷蔵庫に残っていた野菜を敷き詰めて塩・胡椒を振った肉を入れて白ワインと水を注ぎ二時間放っておけばよい。油も使わず煮込むだけだから楽チンだ。今回は葉ごとのセロリ、人参、玉ねぎ、青ネギ、ジャガイモを使った。程よく汁気が飛んで肉が柔らかくなったら完成だ。フォークで肉塊をほぐし、野菜と混ぜ合わせればOK。
熱々はパンに乗せて戴くのだナ。ワインもススむススむ。むふふ。冷蔵庫で1週間は保つのでパスタにしたり、スープにしても良い。外出自粛の時には便利でアル。ただ、自宅待機も宅飲みが増えてしまうから、困ったものだナ。
さて、今日は夜のためにスペアリブの黒胡椒煮を作ろう。これは赤ワインが合うんだナァ。
そんな訳で、今は自宅待機を楽しむしかないのだナ。]]>
日々ヘベレケ日記/虫すだく秋、日本堤『丸千葉』でラグビー観戦!
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2019-10-08T18:16:00+09:00
2019-10-08T18:16:51+09:00
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飲み歩き
すべってころんで山がひっそり 山頭火ここ二週間ほど、窓を開けて寝るのが心地よかったが、今朝は寒くて目が覚めてしまった。季節の移ろいは本当に急にやって来るのだナ。暦では寒露を迎えたわけだから、朝晩の冷え込みも一段と感じるようになったネ。
我が街で子育てを終えたツバメたちももう南方へと旅立ってしまった。朝の公園では入れ替わりにキビタキやエゾビタキの群れがやって来ている。季節を72に分けて表す七十二候では「鴻雁来(こうがんきたる)の時季。ツバメと入れ違いに雁が北国から渡ってくる季節というわけだ。雁は日本で越冬し、春が訪れると遙か遠くのシベリアやカムチャッカの方へ帰って行く。ワタクシごとであるが、9月の終わりに足を滑らせて頭から転んでしまい、頭頂部を打撲し入院する羽目になってしまった。酒が入っているため、血が噴き出して白いTシャツが血に染まってしまった。
CTなどの脳検査の結果、幸いにも脳内に支障がなかったため、すぐに退院することが出来た。そして、今日は昭和大学病院にて頭に打たれた医療用ホチキスの針を抜いて貰った。
手術後の縫合を抜く時は、抜糸(ばっし)と呼ぶが、ステープラーの針を抜くことを抜鈎(ばっこう)と呼ぶのだネ。初めて知った言葉だったナ。それにしても還暦を目前に控え、自分が思っているよりも歳を取っているということを入院して改めて感じさせられた。まったくもって、トホホでアル。
◇ ◇ ◇ 酔うてこほろぎと寝てゐたよ 山頭火今週の金曜日、十月十一日は「一草忌」、自由律俳句の先駆けとなった俳人、種田山頭火の命日だ。酒が大好きだった山頭火は、放浪の旅を続けながら自由気ままに多くの句を詠んだ。晩年は松山で過ごしていたが、昭和15年の10月11日、句会の最中に脳いっ血で帰らぬ人となった。
酒好きは僕も変わらない。いよいよ本当に気をつけて日々を生きなくちゃアカンなぁ。
さて、先週末は久しぶりの日本堤『丸千葉』にて酒宴となった。この日メンバーは皆古い酒朋で、毎年隅田川の花火大会に招いて下さっている大野夫妻へのお礼を兼ねた宴でアル。この日は総勢9名だったので大テーブルに椅子を追加して貰い座らせて頂いた。先ずは、ビールで喉を潤す。幹事のユージ君と横浜から参戦のヒロミチ君は一足先に『大林酒場』でミルク割りとか。羨ましい限りでアルご近所の大野夫妻は此処の大常連さんだから、店主のやっちゃんこと多田さんとも仲良しだ。この店は料理も酒も素晴らしいのだが、マシンガントークのやっちゃん劇場がなんといっても愉しいひと時を演出してくれるのだナ。こちらは大野さんオススメのほうれん草の和え物だ。ほうれん草はごま和えとマヨネーズ和えがあるのだが、断然マヨネーズの方が焼酎に合うのだヨ。大勢だとたくさん頼めるから嬉しいネ。
しめ鯖にニラ玉も良し!
丸千葉の鶏の唐揚げも大きくてスバラシイ。口いっぱいに頬張れるってワンパクな少年時代にワープ出来る。途中からラグビーワールドカップで大忙しのキクさんがご登場!
再び、カンパイだ。丸千葉は、ひっきりなしにお客さんが入ってくる。皆が此処に来ると笑顔が絶えない。コの字のカウンターで一人酒を嗜んでいる人、横並びで和気藹々と飲んでいるご夫婦、僕らのようにテーブルで酒宴を愉しんでいる方々、此処は本当に居心地の良い酒場でアル。
ポンポンポ~ンと飛び出るやっちゃんの軽妙洒脱なトークも酒の肴になる。これこそ東京の大衆酒場のあるべき姿かもしれないナ。それにしてもあっという間にキンミヤの一升瓶が空いたネ。二本目に突入だ。皆、だんだんと酔いがまわっていくネ。これが丸千葉マジックなのだナ!丸千葉名物のハンバーグやかつ煮も美味い!この日はラグビーワールドカップの試合もあったので、店のテレビでパブリックビューイングとなった。日本対サモアの試合だったが、本当に素晴らしい試合だったネ。しかも、我が日本代表が勝利を得たのだから酒が美味いのなんの、南野陽子!なんちて。〆の焼きそばとチャーハンも平らげて満腹だ。この日が誕生日だったやっちゃん、素敵な酒宴をありがとう!そしてお誕生日おめでとう!
こうして、日本堤、東浅草の夜は更けていったのでアール。]]>
日々ヘベレケ日記/夏の青春18きっぷで居酒屋グリーンの旅!
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2019-09-06T07:50:00+09:00
2019-09-06T07:50:17+09:00
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飲み歩き
有人改札に向かい駅員さんに日付入りの印を押してもらう。通勤途中の人たちに混じり、暫し満員の山手線に揺られよう。品川駅で東海道線に乗り換えた。この日最初に目指すのは品川から一駅目の川崎だ。朝8時20分、川崎に到着すると酒朋のワタベ君が待っていた。東口の階段を降り、左手へと歩く。そして8時半口開けの食堂『丸大ホール』の暖簾が掛かるのを待つのだ。長い暖簾が外に掛かり「さぁ、どうぞ」の声に誘(いざな)われ、僕らは中へと吸い込まれる。奥から二つ目のテーブルに腰を下ろし、焼酎の緑茶割りをお願いした。壁に掛かる細長い短冊から酒の肴を探すのだ。そして先ずはハムエッグを注文。此処のハムエッグは2枚のハムに半熟の両目、それにポテトサラダと千切りキャベツが盛られている。
開店から数分で各テーブルにご常連さんたちが座り始める。
二杯目はシークァーサー割りをお願いした。ワタベ君は二品目を何にしようか悩んでいる。そして、450円の肉野菜炒めをやめて400円の野菜炒めを注文した。町中華の店でいつも思うのだが、普通の野菜炒めを頼んでも必ず豚肉のコマ切れは入っているよネ。なので、僕はいつも普通の野菜炒めにするのだナ。
丸大ホールの野菜炒めは、二人で十分過ぎるぐらいのボリュームだ。
これで400円は嬉しい限りでアル。6人連れの若い男女がワクワクした素振りで店の扉を開けて入ってきた。彼らも夏休みの最後を朝から食堂呑みで楽しむ予定なのだろうネ。
朝のモーニングを済ませ、僕らは再び川崎駅へと戻った。ホームに降りて熱海までのグリーン券情報をスイカへと記録する。特急踊り子号を見送り、熱海行きの快速アクティに乗り込んだ。平日なのでなんとか二人席へと座ることが出来た。土日や祭日だとグリーン券を購入したのにグリーン車に座れない人も出ることがあるからネ。
さぁ、いざ居酒屋グリーンの旅の始まりだ!
ちょっとした旅でも僕はグラスやお猪口を持参する。これだけで、車中の呑み旅の愉しさが、グンと倍増するのだナ。
駅で仕入れた崎陽軒のポケットシウマイを酒のつまみに戴こう。芥子をシウマイにチョイチョイと乗せて醤油を垂らす。シウマイはこのサイズがちょうど良い。横浜を過ぎ、大船、茅ヶ崎と進んで行くと車窓の向こうの景色も変わっていく。
高いビル群が少なくなり、緑が多くなっていく。そして列車は小田原を過ぎ、真鶴、湯河原と青い海を眺めながら終点熱海へと到着だ。
この日は名残の夏を楽しんでくれと言わんばかりに9月の太陽が眩しい。平日でも熱海は賑わっている。僕らは駅前に在る足湯へと向かった。足を湯に浸かるだけなのに、なんでこんなに気持ちが良いのだろうか?頭寒足熱と云うが、日差しが強いから頭も暑かったネ。駅前のアーケードを散策し、温泉まんじゅうをつまみに缶ビールを開ける。あぁ、極楽ゴクラク。再び熱海駅へと戻り、JR伊東線へ乗るのだ。この列車は下田方面へと向かう伊豆急行なのだが、伊東まではJRなので、鈍行に揺られのんびりと青春18きっぷで行けるのでアル。熱海とは打って変わって駅前の人は少なかったが、この辺りは週末が賑わうのだろうか。川沿いの東海館で温泉に浸かろうと思ったら、平日は館内見学のみとのことだった。残念!そんな訳で、早々に馴染みの店に顔を出すことにした。毎回、青春19きっぷを使い伊東に足を運ぶ目当ては、ラーメン屋の『福みつ』だ。此処は美味しいラーメンと餃子を出す店だが、いつもご常連さんが朝から酒を愉しんでいる。『福みつ』は漁港が近いから、早朝から仕事を終えた海の男衆や奥さんたちが仕事の後の憩いを楽しんでいるのだ。毎回カラになると入れて帰るキープボトルならぬキープ紙パックの宝焼酎ピュアを奥から出してきて、抹茶割りにして戴く。この日は昼を廻っていたので、昼食に来たカップルなども居て混んでいたが、何とかワタベ君と二人座ることが出来た。さぁ、改めて旅に乾杯!ぬか漬けをつまみに焼酎を呑んでいるとみんなから「クーちゃん」と呼ばれて愛されている久美子さんが仕込み終えたキンメの煮付けを出してくれた。『福みつ』では、ボトルさえ入れていれば、あとは何も注文する必要がない。クーちゃんがその日に仕入れた食材を工夫して様々な酒の肴を出してくれるのだナ。お次は分厚いハムステーキの登場だ。あぁ、酒がススむススむ。この日は横浜で仕事を終えた酒朋Kちゃんが特急踊り子号に乗って伊東まで来てくれたので、『福みつ』で合流となった。
クーちゃんお手製の唐揚げも酒に合う。午後3時を過ぎ、ご馳走さま!海岸沿いを歩き、程よい酔いをさます。この日は本当に真夏が戻ったような暑さになった。少し歩いただけでも肌が焼けたほどだったナ。酔いもさめたので、僕ら三人は海沿いに在る源泉掛け流しの温泉『汐留の湯』に向かった。此処は湯川第3浴場という公衆浴場で地元の方々が毎日利用している。湯船が真ん中にありそれを囲むように洗い場が有るのだ。少し熱めの湯にじっくりと浸かり、冷たい水を浴びる。これを三回繰り返しリフレッシュだ。サ道で云うところの「整う」ってワケだ。こうして、男三人伊東の旅を終えた。伊東から熱海までの車中、ビールで温泉後の体を冷やす。天井の扇風機が心地よい風を運んでくれていたナ。再び熱海駅まで戻り、東海道線に乗り換えた。さぁ、お次は小田原で降りて酒場へと向かおうか。]]>
根岸の『鍵屋』から、裏を返しに浅草『ぬる燗』で一献!
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2019-07-25T01:56:00+09:00
2019-07-25T01:56:54+09:00
2019-07-25T01:56:54+09:00
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飲み歩き
もう随分も前になるが酒朋ハッシーさんと浅草界隈をハシゴしている時に、彼が好きな酒場が在るからと連れて行って貰ったのが『ぬる燗』だった。それから何度かお邪魔したが、いつも店主のツンデレと云うか、ニヒルな態度にどぎまぎしながら酒を酌んでいたのを思い出す。それから暫くして店を移転したことは耳に入っていたのだが、何故か新店舗を訪れていなかったのでアル。
鍵屋で浴衣の話から盛り上がり、桜政宗は僕は一年中ぬる燗で頂いていると云う話になり、話の流れから彼が居酒屋『ぬる燗』の主人(あるじ)であることが判ったのだ。おや、あの店での強気な態度は何処へ行ったのだろうか、ハテ?と思いながら酒を酌み交わした。そうなのか、自分の至福のひと時を過ごす時は、自分の構えている店、晴れ舞台で見せる顔とは違うのだナ。この日は本当に愉しい酒を嗜むことが出来た。ぬる燗の近藤さんの屈託のない笑顔と優しさに溢れた応対に一目惚れしてしまったのだナ。
いつの間にやら、桜政宗のぬる燗を四本も空けていた。この日は足がもつれる前に帰路へと着いた。さて、入谷の朝顔市が終わるとスグに浅草のほおずき市が始まる。そんな訳で週明けの水曜日、浅草寺へのお詣りをしに雷門をくぐった。梅雨の合間の晴れだったので、今季初の浴衣に袖を通してみた。雷門から境内へと続く仲見世は国際色豊かな人で溢れていた。そんな中で、粋な浴衣姿の姐さんたちを見かけるとつい目が追ってしまう。若い男の子たちの浴衣姿を見るとほとんどが帯を胸の下あたりで〆ていて、まるで天才バカボンにしか見えないのだヨ。レンタルショップで浴衣を借りた外人の兄さんたちも同様だ。何故、着付ける側も腰の下で帯を巻くように教えてあげないのだろうか、ハテ?四万六千日をお詣りし、我が友たちの無病息災を願いた。
浅草寺の境内では、所狭しとほおずき売りの出店が威勢の良い掛け声で人を集めていたナ。素敵な浴衣を着た美少女の周りにアマチュアカメラマン達が大勢集まってシャッターを切っていたので、僕もスマホでパチリ!
ほおずき市も廻り、ちょいと一杯と思ってバー『サンボア』へと向かうとあいにくの定休日であった。暫くご無沙汰すると休みの日を忘れてしまうのがイカンのだナ。
仲見世の一本脇の路地を歩き、レストラン大宮の向かいに在る『オオミヤ姉妹』なる店でビールを頂いた。此処はミニワッフルの「浅草ロマン焼きミニカステーラ」という菓子が名物らしい。焦がしバターが香ばしい匂いを漂わせていたが、僕は迷わずビールをお願いした。そして、店の軒先の縁台に腰を下ろしちょいと一休み。
さぁ、午後6時が近づいて来た。浅草寺を抜けて浅草5656会館の脇へと曲がる。そう、この日は先日の『鍵屋』での裏を返しに浅草『ぬる燗』へと向かったのでアル。到着すると青地に白抜き「酒や」と記された暖簾が夕暮れの風に揺れていた。ガラリと戸を開けると既に二人の先客が酒を愉しんでいた。此処はいつも予約で満杯になる酒場だが、いつもの如く主人が口元の片方だけを少しだけ上に上げて(これをニヒルと呼ぶのだヨ)、「この日は運良く一席だけ空いているよ」とのことだった。
そんな訳で、タイミング良く、いや運が良く『酒や ぬる燗』のカウンター席に座り、裏を返すことが出来たのでアル。
ちなみに「裏を返す」とは、元は吉原遊郭に遊びに行く際には「一旦指名した遊女は変えてはならない」という遊郭特有のルール、しきたりのことなのだネ。吉原に行っても最初は酒をお酌してもらえるだけで、次に訪れたら煙管に火を点けてくれる。こうやって何度もなんども同じ遊女を指名することで、ようやく床についてくれるってワケなのだナ。遊郭の玄関の中の壁には在籍する遊女の名前を記した木札がズラリと架けられている。そして、客が指名すると、その遊女の名前が記された木札を裏にひっくり返して架けるのだ。「裏を返す」は、この慣わしから生まれた言葉であり、粋さをモットーとした江戸っ子たちは「裏を返さぬは、江戸っ子の恥だぜ」と言っていたとか、ハテ?
で、僕も「裏を返し」に浅草『ぬる燗』の暖簾を潜ったのだ。この日のお通しは、胃に優しい野菜の汁物だった。最初の酒は「伯楽星」をお願いした。
「愛宕の松」で知られる宮城の新澤醸造店が造るこの酒は、口当たりの良さと最後まで爽やかな清涼感があり、蒸し暑い梅雨時期にうってつけの一杯だ。僕は手頃な価格で美味い酒を探すのが好きなので、「日高見」の純米と並んで好きな宮城の地酒だナ。
酒の肴は「生ホヤの胡瓜酢」をお願いした。目の前で料理する姿を眺めながらの酒も実に旨い。東北の酒には東北の料理だネ。あぁ、幸せなひと時だ。
お次の酒は「紀土(キッド)」のカラクチキッド特別純米酒を選んだ。紀土も色々と種類を出しているが、カラクチキッドとは思い切ったネーミングにしたものだ。この酒はその名の通り、キレの良さがイイネ!純米大吟醸のフルーティーさの余韻を残しつつ辛口が効いている。和歌山県の平和酒造も素晴らしいブランドを確立したネ。
三杯目は岐阜・多治見の地酒「三千盛(みちさかり)」にしてみた。いつも呑むのは純米だが、この「超特辛口」は初めて呑む酒でアル。これは、大吟醸ながらしっかりとした旨味が喉を抜けて、その後のキレが素晴らしかった。
口開けにお邪魔したが、次々と予約のお客さんたちが来店する。本当に一席だけ空いていたのだネ。僕の隣の女性客はご常連さんらしいが、近藤さんの辛口トークを浴びていた。歌舞伎役者が舞台の上から見得を切るように、これも彼ならでは「のぬる燗劇場」での大切な一幕なのだ。あぁ、1時間半あまり、楽しい時間と旨い酒、美味しい肴を堪能させて戴いた。近藤さん、ご馳走さまでした。
浅草『ぬる燗』を訪れてから、二週間近くが過ぎた昨日、地元の酒場『牛太郎』へと向うと店から出てきた客がいた。そしてその距離が縮まると互いの顔を見合わせて、笑ってしまった。今度は近藤さんが、わざわざ「裏を返し」に武蔵小山まで足を運んでくれたって訳だ。これだから、酒の縁(えにし)は奥が深く、素晴らしいのだナ。]]>
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