東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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カテゴリ:ひとりごと( 468 )

海の日の月曜日、鎮痛剤が効いているので日本橋の高島屋まで買い物に出かけた。一週間前は、自宅から最寄り駅まで40分以上もかかったのに、この日は10分ぐらいで到着だ。

買い物を済ませた後、地下の食材売り場を散策。東京の百貨店は全国各地の銘菓や名物が揃うから嬉しいネ。この日は「本日入荷」の張り紙に惹かれ、伊賀の菓匠 桔梗屋織居の夏の氷菓「小豆憧風(あずきどうふ)」を購入した。
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水羊羹よりも口当たりがなめらかで、山口のういろう「豆子郎(とうしろう)」を彷彿させた。

名店街をグルリと散策したから、足に随分と負担をかけてしまったのだナ。エレヴェーターで上に昇り甘味処『浅草 梅園』へと向かった。
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店に到着すると、待つ人の列が10数人も居た。
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だが、足を休ませるには暫くじっとしていた方が良いのだネ。そして、30分程で席に着くことが出来た。

此処に来たら、やっぱり「粟ぜんざい」だナ。梅園では、粟(あわ)でなく、餅ちきびを使っている。半搗きした餅ちきびを練り上げて蒸し上げた粒々は、どこかクスクスにも似ている。
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温かく蒸された餅ちきびにじっくりと炊いたこし餡が乗っている。きびの仄かな香りと淡い渋み、それを覆う甘い餡、おぉ、これこれ、これだよネ!東京の味わいを感じる一品なのだヨ。江戸時代は、吉原で遊んだ後の朝帰りの途中、茶店での一服に粟ぜんざいを食べたそうな。

甘いものを補給し、体力も戻ったかナ?日本橋から地下鉄を乗り継いで新宿へと移動した。

新宿西口広場に出て、スバルビルの脇の地下道を歩く。東京モード学園のビルから地上に上がると目の前に新宿副都心にそびえ立つ損保ジャパン日本興亜本社ビルが見える。

エレヴェーターで一気に42階へ。気圧の変化で耳がおかしくなるのだナ。到着したのは『東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館』だ。
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今回は僕が敬愛する画家・吉田博の生誕140年を記念した大規模な展覧会で、昨年の春に千葉県の千葉市美術館で開催された企画の巡回展となる。昨年の夏にNHKの日曜美術館で放映された「木版画 未踏の頂へ 〜吉田博の挑戦〜』を観て、今年の巡回先の長野まで観に行きたいと思っていたのだがタイミングが合わず見逃していたので、漸く東京での開催に行くことが出来て良かった。
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日曜美術館「木版画_未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」紹介のサイト

過去に何度か吉田博展を観たことがあるが、ほとんどが後期の新版画の作品が中心だった。だが、今回は幼少期のスケッチの作品から日本画、洋画を始め、吉田博の画業の全てを垣間見ることが出来る貴重な展覧会だった。

「絵の鬼」と呼ばれていた画家だが、僕の中ではずっと「旅する画家」の印象が強いのだナ。明治32年に画家仲間の中川八郎と共に片道の渡航費だけを工面してアメリカに渡り、向こうのデトロイト美術館で二人展を催した。その際に、自分の絵を売って生活費を得るなんて尋常じゃないよネ。しかも、ほとんどの絵が売れて千ドルもの大金を手にしている。当時の金としては、教師の給料の11年ぶんにも相当するらしい。スゴいネ!

アメリカを巡り、そこからロンドン、パリと足を伸ばしている。日本に戻ってからも、各地の山々を登り精力的にスケッチを重ねており、多くの水彩画、油彩画、木版画を残しているのだナ。中でも日本各地の名勝地を描いた木版画のシリーズは僕の大好きな作品だ。

明治36年には再び渡米し、そこからヨーロッパを経由してエジプトまで巡っている。
後年、大正期にはスイス・マッターホルンを訪れ、昭和期に入ってからもインドや韓国、中国にも訪れている。
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晩年、太平洋戦争が起きた昭和16年には、戦う戦闘機から見下ろした大地を描いた作品『空中戦闘』を描いている。戦後生まれの僕は、この絵を前にして胸が詰まる思いで観てしまった。

吉田博の作品の多くは、海外に渡っている。当時から、海外の人たちの琴線に触れる「日本の風景」を木版画にして、外国人ウケするアングルで風景を切り取ってグラフィカルに描いたのだろうネ。これは写真では決して表せない吉田博の世界観で描いたグラフィックアートなのだ。
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本展覧会では、そこに辿り着くまでの画業のヒストリーと画家の旅を辿ることが出来た。

    ダイアナ妃や精神医学者フロイトも魅了した画家

展覧会のフライヤーに書かれたキャッチコピーは、なんだかナァと思ってしまうのだが、広く多くの方々が足を運んでくれるキッカケとなるのであれば、まぁイイか。

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            吉田博 作品集

ゆっくりと館内を回ることは出来たのだが、さすがに足が痛くなってきた。そろそろ痛み止めの効果が切れる頃かナ。
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と云うわけで、杖を片手に家路へと戻ったのでアール。

過去の日記から「2009/10月 吉田博の新版画に浸る」

過去の日記から「2011/8月 夏の百花園にて句会と酒場」
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by cafegent | 2017-07-20 11:19 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
       簾外(れんがい)のぬれ青梅や梅雨明り    飯田蛇笏

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関東も明日あたりに梅雨明けとなりそうだ。昨日は都内でも激しい落雷に見舞われ、茗荷谷あたりでは雹(ひょう)が降ったみたいだネ。雨が降ると少しは気温も下がり涼しくなるから、と気を抜いて歩いているとスグ近くに雷が落ちたりして腰を抜かしそうになる。

季節は「小暑」から「大暑」へと変わろうとしているネ。今週から暑中見舞いを出す時期になったのだナ。一年の季節の移ろいを春夏秋冬の四季だけでなく、七十二種にも分けて表した「七十二候」というものが中国から我が国へと伝わっている。今週はちょうど「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)の季節。巣立ちしたタカの幼鳥が大空へと飛び立ち獲物を捕らえることを学ぶ時季になったのだナ。オオタカは環境省の準絶滅危惧種に指定されているそうだが、近年東京都内でも繁殖が増えていて、空を舞う姿を見る機会が増えている。

僕がよく訪れる白金台の「国立科学博物館附属自然教育園」でも、オオタカが営巣をしていたのでヒナが巣立ち始めている頃だろうか。親鳥も鳩やカラスを襲い、ヒナへと餌を運ぶのだネ。食物連鎖の頂点とも言えるオオタカだが、自然の生態系が保たれているからこそ、餌となる小動物を捕獲できるワケだ。近年、勝手に捨てられた外来種のペットが野生化している。都内でもワカケホンセイインコ、ガビチョウ、ソウシチョウなどの鳥やミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)、アライグマなどの侵略的外来種が増えているので、生態系に悪影響を及ぼすそうだ。
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我が家から徒歩数分の「東京都立林試の森公園」でも、時折何処かから餌を求めてオオタカが飛来してくる。野鳥を探して藪の中へと分け入ると、オオタカが捉えたばかりの鳩を解体している所へ出くわすこともしばし有るのだナ。また、タカの仲間で一番小さい雀鷹(ツミ)もよくやって来る。ツミはもっぱら雀やシジュウカラなどの小鳥を狙うのだが、いかんせん鳩ぐらいの大きさしかないので、しょっちゅうカラスに追いかけられている。
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ツミが来ると小鳥たちが逃げて何処かへ隠れてしまうので、バードウォッチングしに行く身としては非常に困るワケだが、まぁ鳥は鳥。小鳥じゃないが、キッとした目鼻立ちが素敵なツミも絶好の被写体としてシャッターを切っているのだナ。近所の家のガレージの軒下ではツバメがこの時季、二度目の繁殖に成功していた。小さな巣の中からはみ出しそうな程大きく育ったヒナたちが大きな口を開けて餌を運ぶ親ツバメを待っていた。七十二候ではないが、「燕乃学習」と言ったところか。

       梅雨明けや森をこぼるる尾長鳥    石田波郷
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オナガも大勢の家族を連れ、餌を求めにやって来るのかナ。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

二週間前に突然、お尻に激痛が走り動けなくなった。翌日になるとその痛みが右足の太ももから膝にかけて広がっていた。痛む足を引きずりながら病院に駆け込むと「座骨神経痛を発症していますネ」と言われたのだ。もともとギックリ腰になり易かったのだが、臀部から足が痛むなんてことは一度もなかった。聞けば、脊椎の骨が神経を刺激しており、その神経は臀部から足まで繋がっているために足の神経も痛くなるのだそうだ。

しかし、今回一番ショックだったのは、先生に原因を聞くと「歳をとったせいですヨ!加齢ですね」と、あっさり言われたことだった。どんなに若い気持ちでいても、現実はそう甘くなかったってことか。トホホ。

この痛み、尋常じゃないのだヨ。大の大人が涙を流す程に痛いのだ。この痛みを何かに例えると擦れば、打撲をしてアザが出来て腫れている箇所を固い棒の先でグリグリと押された感じかナ?ズキズキ
、ジンジンと痛み、疼(うず)くのだ。この痛みのことを「疼痛(とうつう)」と呼ぶらしい。

最初に先生から処方されたメチコバール錠とロルカム錠という薬は、末梢神経障害の症状を緩和する働きがあり、痛みを和らげると聞いた。薬を飲み、腰から下を冷やさないようにエアコンを極力避けて痛みを和らげていたのだが、それでも激痛は止まらなかった。

そんな中、用事があって駅の近くの郵便局まで行かなくちゃならなくなった。Amazonから届いたばかりの杖を左手に持ち、痛む右足を引きずりながら、必死の思いで郵便局まで向かった。我が家から郵便局までは、普段だと5分程で到着する距離なのだ。それが、ちょっと歩くとスグに激痛が走り、しばらくガードレールなどに腰を下ろし休んでいると再び歩けるようになる。それの繰り返しでアル。「間歇性跛行(かんけつせいはこう)」という症状だと聞いた。

うりゃっ!満身創痍の身体に鞭を打ち、30分かけて到着だ。

汗をかき々々、やっとのこと郵便局に辿り着いたのだが、そこで大マヌケなことをやってしまったのだった。トートバッグを肩から下ろし、郵送する封筒を取り出すと、出す筈のモノとは違う茶封筒だったのだ。おいおい、こりゃ何の天罰だヨ!あちゃーっ、不甲斐ない自分に思わず苦笑いまで出る始末だ。

あぁ、再びこの道を戻り、また来なくちゃならないのか。再び30分、今度は上り坂だ。右足の痛みと痺れを我慢しながらも、己の阿呆さ加減の方が強く僕を攻撃してくるようだった。トホホのホ!

郵便局から我が家へと、這々(ほうほう)の体(てい)で戻って来たのだヨ。あれ、家を出たの確か10時だったよナ。ソファに崩れ落ち、腕時計に目をやると、11時を疾(と)うに過ぎていた。あぁ、疲れたナァ。

病院で処方された薬は、全く効かなかった。この日は郵便局に行くのを諦め、午後にまた病院に向かった。病院までの道のりも辛く、激痛を伴ったが、堅忍不抜の精神で見事に歩ききった。

そして、この二日間の症状を先生に伝えると、ヘルニアや腰部脊柱管狭窄症かもしれないから MRIの検査をしよう、と云うことになった。

先生が新たに処方してくれた薬は、神経痛を和らげる「リリカカプセル」というものだった。
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このクスリは「ロキソニン」よりも強いとのことで1日に服用する量を調整してもらった。

この日の夜、処方された薬を飲んだ。服用してから1時間余りが過ぎたあたりから、劇的に痛みが緩和されたのだった。これはオドロキだ!今まで、立っていることが辛くて、トイレで立ち小便をすることも出来ない状態だったのだからネ。

ベッドで寝ている間も痛みが少なかった。翌朝、薬の効能が切れたのか、再び臀部から右膝にかけて痛みが走っていたが、薬を服用し1時間ばかりすると痛みが和らいだ。痺れは余り治らないのだが、立って歩けるし、神経痛が緩和されていることが嬉しかったのだナ。

先生が処方してくれた薬が僕の症状に見事にマッチしたのだろうネ。あとは、MRIの検査結果を観て治療に専念しよう。
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よしっ、前日の失敗を糧にして、郵便物を再チェック!杖を片手に意気揚々と郵便局へと向かったのでアール。
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by cafegent | 2017-07-19 13:26 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
先日、朝日新聞社の主催により『市川崑の60年代レア作品「青春」をフィルムで観てから、「黒い十人の女」の頃の話もしてしまう会」と云うトンデモなく長いタイトルのイヴェントが催された。
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映画を鑑賞した後に音楽家・小西康陽とミルクマン斎藤さんとのトークショーも開催されたらしく、市川崑ファンには堪らない催しだったのだネ。ちなみにミルクマン斎藤氏は、デザインスタジオGROOVISIONSのメンバーであり、映画評論家として活躍している。
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生憎(あいにく)、僕は仕事の都合で参加することは出来なかったのだが、酒朋の友人が何名も参加したりして、愉しんだと聞いた。また、この企画自体を実行した朝日新聞社の小梶さんも我が酒朋でアル。

このイヴェントで上映された作品は『第50回全国高校野球選手権大会 青春』という1968年公開の映画だ。
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市川崑監督の作品でスグに浮かぶのは、’65年の映画『東京オリンピック』だネ。大勢のスタッフや機材を導入し開会式から閉会式までを緻密な絵コンテを作り、撮影に挑んだそうだ。閉会式までの15日間に撮影した膨大なフィルムの編集は気が遠くなるほどの作業だっただろうナァ。

その結果、この映画は大ヒットし、日本国内のみならず海外でも高い評価を得て、確かカンヌ映画祭でも賞を獲得した筈だ。今回上映されたこの映画は『東京オリンピック』の成功を確信し、高校野球大会の主催団体のひとつである朝日新聞社に自ら持ち込んだ自主企画だと知った。

   選手たちの一年間にわたる、長くつらいトレーニングは、それぞれの土地の風土、
   つまり自然とのたたかいです。そのたたかいのなかに、青春の生命感があると思い
   ます。大会は、凝縮したその結果が開花するときです。

1968年8月10日の朝日新聞夕刊の記事の中で、市川崑監督が語った言葉だ。

世界のスポーツの祭典を「映画」というカタチで見事に〝映像美〟なるものをを僕らに植え付けた監督。その視点・基軸をそのまま日本のスポーツの祭典である高校野球を「青春」という切り口で映像化した作品が、この『第50回全国高校野球選手権大会 青春』なのだネ。

この映画をフィルムで観れる貴重な機会は逃してしまったが、8月初めにDVDが発売されると知ったので、8月7日に始まる第99回全国高校野球選手権大会の前に一度は観たいものだ。そして、14日間にわたる激動の青春を体感したら、もう一度この映画を鑑賞してみよう。
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第50回全国高校野球選手権大会 青春 [DVD]

我が兄、小西康陽が昔から市川崑監督の映画を愛していることは誰もが知っている周知の事実だ。好き過ぎて、’97年に自ら映画『黒い十人の女』をリヴァイヴァル上映したことがキッカケとなって、渋谷系世代をはじめ、再び「映画監督 市川崑」が脚光を浴び、過去の映画の再上映に繋がったのだネ。

1994年の雑誌「ブルータス」11月号の中で、小西康陽は「あの頃は蓮實重彦的な映画ジャーナリズムが圧倒的で、もちろんぼくのカブれたクチだが、市川崑など徹底して無視されていた時代だった。好きだと言っても苦笑されるのがオチ。」と記している。そして「『おとうと』の唐突的なラストを、『黒い十人の女』の圧倒的なグラフィックセンスをあぁ、知る者にしか判らないのだ」と怒っていたっけ。京橋のフィルムセンターで「市川崑」を発見してから、ずっと市川崑の映画を観続けているのは大したものだナ。
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黒い十人の女 [DVD]

ちなみに僕が市川崑の映画で一番印象に残っているのは『鍵』だ。冒頭のタイトルロールから、線路の上を走る市電の足元に配役らのテロップが流れ、実にカッコイい。場面が変わる時のリズムやカットをつなぐテンポの良さなど、これこそ市川崑らしい映像編集のセンスの良さを発揮した映画だった。

しかし、この映画は何と言っても、主演の今日マチ子、叶順子、仲代達矢、そして中村鴈治郎の四人が、とにかく凄い怪演ぶりを発揮していることだろう。吊り上がった細い眉が妖艶さを強調した京マチ子と、対照的に太い眉毛で純真一途な女学生らしさを醸し出す叶順子、もうどちらも可成りエロいのだナ。

病に伏せ、死ぬ間際に京マチ子演じる妻・郁子を裸にさせ、それを拝みながら冥土に旅立つ剣持を演じた中村鴈治郎も実にエロい。

京マチ子がこんなにもエロティックで妖艶な女優だったのか、と改めて僕の好きな女優にランク・インしたのもこの映画に出会ったからだったナ。娘・敏子の婚約者で若き医師・木村を演じた仲代達矢は強烈だったナァ。飄々としていて、クールで、実にシニカルな演技は、今も仲代達矢ならではの個性とも言えるだろう。
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鍵 [DVD]

先日、改めて谷崎潤一郎の『鍵』を読み返してみたのだが、自分の性欲の衰えを妻と娘の婚約者との逢瀬によって生まれる嫉妬と興奮により制欲の糧にしている亭主の年齢が今の僕よりも若いと云うことに驚いた。そんなことは、まーどーでもイィのだが、市川崑監督の映画で一番好きな映画が『鍵』なのでアル。

今日の夕方、BSフジで放映されたテレビドラマ版『黒い十人の女』は市川崑自ら監督を努め、鈴木京香さん、浅野ゆう子さん、小泉今日子さんらが実に素敵な演技をみせていたナ。ダメな男の代表とも言えるテレビプロデューサー風松吉役はオリジナル版の船越英二氏もリメイク版の小林薫さんもどちらも怪演だったナ。

一昨日の日曜日、東中野のもつ焼き屋『丸松』にて休日を過ごしていたら、偶然にも酒朋コカ爺ぃこと小梶詞さんが友人とやって来た。彼らは既に赤羽『まるます家』からの帰りでゴキゲンだったので、いざカンパイ!僕が観られなかった前出のイヴェントも盛況だったそうだった。
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そして、彼が手がけたこのイヴェント特製のZineを戴いたってワケだ。

昨日じっくりと戴いた特製Zineを拝読したところに、タイミングよく今日のテレビ版『黒い十人の女』の再放送を知ったので、つい今日は勢いで書いてしまったのだナ。

我がブログの読者にも、これを機に市川崑という映画監督とその作品を好きになって貰えたら幸いでアル。
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by cafegent | 2017-07-18 21:32 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)

二十四節気では「小暑」の時季なのだが、東京は朝から気温が高く「何が小暑だ!」と言いたくなってしまうほど暑い。もう梅雨明けしたのだっけ?と思ってしまうネ。


以前、この季節に京都の祇園祭りを観に行ったことがある。

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京都フリー写真素材
最初のうちは胸躍る気持ちの方が強く大勢の観客に混じって見物していたのだが、次第に体がダルくなり目眩がしてきたのだ。京都特有の茹だるような暑さに僕の躰がついていけなくなったのだナ。朦朧としている僕を心配してか、カミさんが近くの甘味茶屋の『梅園』に連れて行ってくれた。


店内の冷房でホッとしたのも束の間、急に躰が冷えたせいか余計にダルくなってしまったのだ。そんな僕を尻目にカミさんは梅園の宇治金時白玉のかき氷を美味そうに食べていたっけ。七月の茹だるような暑さの中に身を置くと、何故かトラウマのように梅園のかき氷さえ食べられないほどにヘタっていたことを思い出してしまうのだナ。トホホ。


あぁ、それでもこの季節になると京都に行きたくなるのだナ。

京都フリー写真素材
鱧(ハモ)は、梅雨明け頃が一番美味い。鱧は江戸時代「海鰻(ハモ)」とも記された。なるほど、と思う当て字だネ。江戸期の料理本『海鰻百珍』の中には「鱧の木屋町焼き」など120種類の鱧料理が紹介されていた。鱧の歴史は古く平安時代に書かれた『和名抄』の中にも、夏場でも内陸まで生きて運べるほど生命力が強く、大変美味しい魚だと記されていると聞いたことがある。


海鰻百珍を始め、豆腐百珍、鯛、蒟蒻(こんにゃく)、卵、甘藷(さつまいも)などの江戸の料理を840種も紹介している『料理百珍集』が出ているので、是非!

ちなみに「鱧の木屋町焼き」とは、ふっくらとしたハモの身をパリッと焼いた皮で挟み、とろとろの葛で旨味を包んだ料理。二枚の鱧の皮目を鴨川と高瀬川に見立てたので、この名が付いたのだ。そうか、川と皮をシャレたのだナ。この江戸の鱧料理が食べたくなったら、京料理の『木乃婦(きのぶ)』だ。海鰻百珍の「木屋町焼き」を現代風に復活させたり、鱧の釜飯も実に旨い。だが、しかし!懐に優しくないのが、玉に瑕(きず)だナ。財布の中に福沢諭吉が何人も居る時じゃないと、不安で美味い料理も喉を通らなくなっちまうからネ。


僕が子供の頃は、鰻が主流の東京では「鱧」なんて言葉さえ出ることもなく、ましては家庭で食べるものではなかった。もっとも鰻だって家で造るワケじゃなく出前だったけれどネ。

七月の梅雨明け前、木屋町、高瀬川舟入の目の前に佇む割烹『やました』で、是非とも味わって貰いたいのが「鱧の焼き霜」だ。
炭火の上に丸く足高の網を乗せたカンテキの上で鱧の皮目だけを炙ってくれるのだ。
梅雨の雨を飲んだ鱧は身が一段と旨いのだ。あっさりとした味わいの夏ハモの皮目を香ばしく炙り、脂や身の旨味をギュッと封じ込めている。パリっとした皮の食感と刺身のような身の食感の相対する美味さを口の中で愉しむのだナ。これに、灘の「大神力」純米酒の冷酒を合わせれば、クィクィと呑んでしまいそうだナ。


京都の伝統的な鱧料理と言えば「鱧落とし」だネ。「落とし」とは、湯引きのこと、骨切りしたハモを湯引きして氷水の中に落とすことから、こう呼ばれている。これも身がクッと引き締まって旨いのだ。鱧落としが食べたくなったら、老舗の『堺萬(さかいまん)』だナ。創業150余年を誇る鱧料理の名店で、鱧の骨切りの技は絶妙で日本一を誇るといわれているのだヨ。あぁ、鱧そうめんや薄造りなどが楽しめる堺萬の「鱧づくし」も食べたいナァ。

うーん、机の前で一人京都旅行を空想している僕だが、座骨神経痛が悪化して、右足に疼痛(とうつう)が発症し、まともに歩くことが出来ない状態だ。

病院の先生から「リリカカプセル」と言う神経痛に効く薬を処方して貰って痛みを凌いでいるのだが、クスリが切れるとまた激痛が走る。これじゃ、まるでヤク中だよネ。参ったナァ。早く治して、旅にでも出たいものだ。トホホ。
過去の東京自由人日記「京都の旅」
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by cafegent | 2017-07-14 11:06 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
「四万六千日、お暑い盛りでぇございます」古典落語でお馴染み黒門町の桂文楽師匠の十八番(おはこ)『船徳』の語りだネ。
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毎年、夏になるとこの噺をCDで聞いている。と云うよりも、これを聴かなくちゃ僕の夏は来ないのでアル。

浅草、浅草寺では昨日と今日に「ほおずき市」が催されているが、毎年この時に浅草の観音様にお詣りをすれば、四万六千日もお祈りしたことと同じだけの功徳が得られると伝わっている。
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今日も東京は朝から良い天気に恵まれたので、僕もお詣りへと出かけた。


ちょうど一週間前から座骨神経痛に見舞われて、右足が痛くて歩くのもままならない状態なのだが鎮痛剤が効いている間は多少痛みも和らいでいる。その間を見計らって地下鉄に乗って浅草寺まで足を伸ばしたのだナ。
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平日だというのに、宝蔵門の先も人で溢れていたナ。賑わう人々の後に並んでお詣りをしよう。

思いのほかスムーズに列が流れ、時間も掛からなかったナ。
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無事にお詣りを済ませると浅草寺から「雷除守護」のお札を賜ることが出来る。
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よし、これで座骨神経痛が早期に治ることを願うとしよう。
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境内をぐるりと回り、ほおずき市の賑わいも楽しんだ。

浅草寺の喧騒を抜けると、裏路地は平日らしさを取り戻していた。
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『浅草サンボアバー』の扉を開けると、いつものように凛とした空気が漂っていたナ。帽子を脱いでカウンターへと進む。此処で最初に頼むのは、決まってハイボールだ。
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いつも「初心忘れず、の気持ち」で丁寧に作ってくれる、その姿も酒の旨味を増幅させるのだナ。

この時間に飲むハイボールは、どうしてこんなにも美味しいのだろう。
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キリリと冷えたグラスを手に取り、口へと運ぶ。おぉ、仄かな柑橘の香りが鼻腔を刺激する。
ゴクリ、炭酸の泡が僕の喉を刺激する。ふぅ、汗ばんだ肌に一筋の涼が沁み込んでいくようだ。

遅めのランチは、評判の100%ビーフのハンバーガーにしようか。
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これもハイボールに合う一品だネ。
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さぁ、神経痛が目を覚まさないうちに早々に引き上げるとしよう。
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by cafegent | 2017-07-10 16:53 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
今日7月6日は大安であり「一粒万倍(いちりゅうまんばい)日」だネ。一粒万倍とは、たった一粒の籾(もみ)が万倍にも実り、見事な稲穂になるという日なんだナ。加えて、今日は「天赦日(てんしゃにち)」と言って開業や結婚、引っ越しなど大事な催しの事始めに良いとされている日なのだ。

そんなワケで、今日は大安、一粒万倍日、天赦日と三つの縁起が重なっているメデタイ日なのだネ。
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※稲穂の画像は、淀屋橋心理療法センターのフリー写真素材からお借りしました。

閑話休題。

一昨日から腰痛がひどくなり、昨日はその痛みがお尻まで移動した。

最初は右腰あたりの痛みだったのだが、突然右の臀部がズキズキと痛み出し、翌日にはその痛みが膝に来た。普通に椅子に座って安静にしている分には痛みも少ないのだが、キッチンで洗い物をしていたら急に太ももから下が重くなり痺れと膝小僧あたりが痛み出したのだ。
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特に何か重いものを持ったりしたという訳ではないが、ちょうど一ヶ月程前の引越しの作業中に本が詰まったダンボールを運んだり、冷蔵庫を動かしたりした時にギックリ腰の前兆のようなピキッといった痛みを感じたのだが、それ以降はさほど何も症状が出なかったから放っておいたのだった。

数日前から再び右の腰あたりが痛み出し、風呂の中で腰を押したりしていたのだが、その日の晩に急に右のお尻の辺りに激痛が走ったのだナ。そして、昨日の朝一番に病院に行った次第だ。しかも、家から病院に向かう途中で、右足が重くなり、膝に痛みが生じた。こりゃ堪らん、と児童公園のベンチで少し休むと痛みも和らいだ。

先生に症状を伝えると、ウンウンと頷き、先ずは骨を見てみましょう、とレントゲン室へ。

再び診察室に戻り、レントゲン写真を見ると僕の背骨は、明らかに曲がっていた。

積み上がった背骨のお尻に近い側の椎骨の間の隙間が他の部分よりも狭くなっていたのだネ。脊柱管の中には神経が通っている。この神経に沿う血管が椎骨の間の狭まりによって圧迫されて、神経が刺激されて痛みや痺れを疾患するのだと伺った。

どうやら、腰部脊柱管狭窄(ようぶせきちゅうかんきょうさく)症と言う疾患が生じてしまったらしい。
難しいことは解らないが、所謂(いわゆる)ヘルニアの一種だそうだ。それによって神経が圧迫されて引き起こされる痛みなのだネ。

そして、歩くと膝が痛むのは「間欠性跛行(かんけつせいはこう)」という症状とのこと。これも坐骨神経の症状だそうだ。

さて、原因はなんだろう?長時間パソコンに向かっている時の姿勢が悪かったのかもしれない。先生は「何が原因かははっきりとは判らない。色々な要因が積み重なってきたのかもしれないしネ。まぁ、そんな歳になったってことだよ。」だった。トホホ、還暦を目前に控えたとはいえ、まだまだ自分は若いつもりでいたのだヨ。加齢が引き起こした疾患だったのネ。

右の尻から足にかけての痛みは続いているが、今日は新しい仕事が始まるのだ。「一粒万倍日」と「天赦日」のご利益を賜れるように、痛みをグッと堪えてひと頑張りしようかナ。
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by cafegent | 2017-07-06 12:21 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
今日、6月29日はフランスの作家サン=テグジュペリの誕生日だそうだ。
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今から50年近くも前、父親から2冊の本を貰った。一冊がバージニア・リー・バートンが書いた「せいめいのれきし」という絵本、そしてもう一冊がサン=テグジュペリの書いた「星の王子さま」だったナ。

「せいめいのれきし」は大判の絵本で、地球に三葉虫などの生命が誕生してから、現代までの壮大なヒストリーをカラフルな絵と分かりやすい文章で紐解いてくれた。鳥も恐竜が進化したものだったなんて、この本で初めて知ったっけ。

  みなさん、お待たせいたしました。いよいよ、舞台の幕が上がります。プログラムは「せいめいのれきし」。地球上に生命が誕生した瞬間から、地上でひとびとの暮らしが営まれている今、この時までのおはなし。・・・・

タキシードを着た司会者がステージに立って生まれたての地球の姿を紹介しているイラストは、まるでスペースオペラを客席で観劇しているかのように、その絵に魅入ったナァ。

三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と続いた恐竜の時代が白亜紀の後期にこの地球上から姿を消したのだが、恐竜の絶滅の原因がまさか巨大な隕石がメキシコのユカタン半島沖に衝突した衝撃によるものだったなんて、この絵本が出た頃は誰も知らなかったからネ。そんな歴史の大発見を踏まえて、実に半世紀ぶりにこの絵本の改訂版が出たのだネ。

当時読んだ絵本は、もう手元に残っていないけれど、隕石の衝突や、その後の恐竜の進化などが新たに書き加えられているみたいなので、「せいめいのれきし 改訂版」を買ってみようかナ。
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おっと、サン=テグジュペリの誕生日から話がそれてしまったネ。「せいめいのれきし」は何処かへ無くなってしまったが、「星の王子さま」は当時読んだものと同じモノが、今も僕の手元に有る。10年ほど前に新橋の古書市で見つけて、懐かしさのあまり手に入れた一冊だ。岩波少年文庫の小学5・6年以上向けのもので、扉の王子さまとバオバブの木の挿絵以外は全部がモノクロだ。
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この本は、小学生の頃に読んだ時、高校生の頃に読み返した時、そして社会に出てから再び読んだ時とまるで印象が違っていたのだナ。

大人になってから、誰かのエッセイで「星の王子さま」からいろんなことを学び、心が洗われた、と綴ってあったので読み返してみたワケだ。なるほど、その通りだったナ。

バラの花のことでキツネと話をしている場面があった。五千ものバラの花が咲いた庭で、王子さまは遠い星に残してきた一本のバラのことを想っていたのだナ。「僕はこの世に、たった一つという、珍しい花を持っているつもりだった。ところが、実は、当たり前のバラの花を、一つ持っているだけだったんだ。僕はこれじゃあ偉い王様になんかなれない...」と嘆いて泣いたのだ。

そこで出会ったキツネが泣いていた王子さまと言葉を交わし、少し元気を取り戻した。仲良しになったキツネは「もう一度、バラの花を見に行ってごらんよ。あんたの花が、世の中に一つしかないことがわかるんだから。・・・・」

再びたくさんのバラの花の庭に行った王子は、花たちに向かって「あんたたち、僕のバラの花とは、まるっきり違うよ。ただ、咲いているだけじゃないか。だぁれも、あんたたちとは仲良くしなかったし、あんたたちの方でも、誰とも仲良くしなかったんだからね。...あの一輪のバラの花は、僕が水をかけて、ガラスで覆いをかけ、つい立てで風に当たらないようにしたからね。不平も聞いてやったし、自慢話も聞いてやったし、黙っているならいるで、時には、どうしたのだろう、と聞き耳を立ててやった花なんだからね。僕の花なんだからね」と言って、キツネのところに戻って来た。

キツネは「もう一度、バラの花を見に行ってごらんよ。あんたの花が、世の中に一つしかないことがわかるんだから。・・・・」そして、「心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ。肝心なことは、目には見えないんだから・・・・あんたがバラの花を大切に思っているのはね、そのバラの花のために、時間を無駄にしたからだよ」

偶然出会ったキツネとの会話を通じて、王子さまは大切なことを気付かされたのだナ。「人間っていうものは、この大切なことを忘れているんだよ」

なるほどネ。旅の途中で王子さまが気づいた多くの事柄が、社会に出た自分のことに置き換えられるのだ。忘れていたことを思い出させてくれるのだ。
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そんな訳で、「星の王子さま―オリジナル版」をもう一度読んでみようかナ。
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by cafegent | 2017-06-29 15:57 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
地下鉄神保町駅のA7番出口の階段を登り右手の路地へと入る。車も通れないこの細い路地を作家の坂崎重盛さんは著書『神保町「二階世界」巡り』の中で、「さラミ兵三」横丁と命名している。
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路地に入ってスグ右手に喫茶『さぼうる』が在る。名物のナポリタンを求めて、いつも人が並んでいるネ。
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その路地を歩き進めると喫茶『ラドリオ』だ。
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昭和24年創業の老舗喫茶は重厚なレンガ造りで、創業当時はかなりハイカラでモダンだったであろう。
なるほど、ラドリオとはスペイン語でレンガのことだネ。
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古書店巡りに疲れたら、此処のウィンナーコーヒーが体を癒してくれる。
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我が国でウィンナーコーヒーを最初に出したのもラドリオだと聞いたことがある。

ラドリオの斜め前には世界のビールが揃う『ミロンガ・ヌォーバ』だ。昔は炭火焙煎の珈琲を味わいながらタンゴの名曲に耳を傾けるタンゴ喫茶「ミロンガ」だったのだが、ビールを提供するようにあってから「ヌォーバ」を付けたそうだ。向かい合う重厚なレンガ造りがこの路地を古き良き時代へとタイムスリップさせてくれるのだナ。
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ミロンガ・ヌォーバの前を過ぎると老舗居酒屋の『兵六』が在り、路地の突き当たりが『三省堂書店』の裏口にぶつかる。駅から三省堂書店までの路地の名店の頭文字をとって「さラミ兵三」となった訳だネ。

日が長くなった六月、酒場『兵六』の縄のれんが出る五時はまだ明るい。
入り口を半分ぐらい覆うほどに大きな提灯が初夏の風に揺れている。買ったばかりの本を抱えて、三省堂書店の裏口からまっスグに「兵六」の暖簾を潜るご常連も多い。
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此処は昭和二十年代頃から続く民衆酒場である。来年創業70周年を迎え、東京でも古参の居酒屋と言えるだろう。小体の店だが、店主をグルリと囲むコの字カウンターが妙に和む。口開け早々から席が埋まり、皆が良い笑顔で酒を愉しんでいる。初代店主の平山一郎氏は、まだ東京の酒場では馴染みがなかった鹿児島の本格焼酎を提供していた。

一年中、芋焼酎のさつま無双は燗酒で出される。
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添えられた小さなアルマイトの薬缶には白湯が入っており、自分の好みの濃さに湯で割って嗜むのが此処の流儀だ。

麦焼酎は氷の入ったグラスと水が供される。そして度数の高い球磨焼酎「峰の露」は冷凍庫でキンキンに冷やされており、ストレートで出されるのだナ。

店内には、初代の写真と共に『阿Q正伝』で知られる作家、魯迅の額が飾られている。上海で魯迅と邂逅した平山氏は、文化芸術と共に上海仕込みの餃子と炒豆腐(ちゃーどうふ)を酒の肴にこの地に『兵六』を開いたのだ。
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店の片隅に小さな張り紙が貼られている。紫煙で燻された紙には「他座献酬、大声歌唱、座外問答、乱酔暴論」と記されている。「他の席にお酌をするな!声張り上げて高らかに唄うな!他の席に行って喋るな!酔って暴論を交わすな!」と云う意味だネ。

此処では誰もが襟を正して、酒と向き合う。初代の平山氏が作ったこの「酒紳四戒」が、今も店と客の間に無言で保たれているからだ。だが、恐れる事はない。愉しく酔う分には、皆大歓迎だから。但し、無粋な客は今も三代目店主平山真人氏が厳しく叱る。代々引き継がれたコの字酒場の伝統である。

兵六では「酒は三合まで」と云う暗黙のルールがある。誰もがこの酒場に通うにつれて、自然にあの四戒が身に付き、大人の酒の愉しみ方を覚えていくのだナ。

つけあげ(薩摩揚げ)を肴にさつま無双をゴクリ。あぁ、五臓六腑に染み渡る。皆が銘々に酒と向き合っている姿を眺めているだけで、酒の味がグンと上がるのだ。

この酒場で僕は「ダレヤメの酒」と言う言葉を覚えた。「ダレは疲れ、ヤメは取るの意。仕事の疲れを取り、再び活力を得るには、肩の力を抜いて無心で酒と対する時間がオトコには必要だと思います。此処はそういう場であり続けたい。」と三代目の真人さんが語っていたのだ。スバラシイね。酒と向き合って無心になる。肩に乗った疲れも、明日への糧となるのだよネ。

此処は九州の郷土料理の他に、初代が本場中国で覚えた中華も美味い。乾麺で作る焼きそばや皮から手作りの焼き餃子、野菜と豆腐を炒めた炒豆腐(ちゃーどうふ)の濃い目の味付けが焼酎の旨みを引き立てる。
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厨房を仕切るのは、初代店主の娘さんたち。現在三代目の柴山真人さんは初代の甥に当たる。初代から受け継ぐ自慢の酒菜も此処の酒に合う。

独り盃を持ちながら、向こうの壁を見ると林芙美子や壷井繁治の額が目に入る。
     
    友のさし入れてくれた林檎一つ 
     
    掌にのせると地球のように重い
 
プロレタリア詩人の壷井重治が獄中で詠んだ詩を読み返す度に自分の今までの道のりを思いおこし、薩摩無双で我が身を清めるのだ。
 
此処は、開店以来ずっと電話無し、冷暖房無しだったが、厨房を守る初代の次女、茅野邦枝さん他女性陣たちの夏の辛さを考えて数年前よりエアコンが入った。それでも、今の様な季節は窓も入り口の戸も開け放たれて、路地を抜ける風を取り込んでいる。エアコンが無かった頃は、扇子や団扇が欠かせなかった。夏真っ盛りの季節になると、三省堂の社員通用口が開く度に流れ込んでくる書店の冷気を有り難く待ったっけ。

この店は初代が始めた頃とは違う建屋だが、最初の店の醸し出していた大正レトロな雰囲気をそのまま生かしてデザインされている。
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これは、昔の兵六の写真だが、今の店舗を設計したのは建築家の中島猛詞氏で、今も時々この店で一緒に酒を酌み交わしている。

口開けの時間は、初代の頃からの古い常連さんが多い。八十を超える方々も沢山居るのだ。前にも隣りに並んだ御仁が、「戦後」にもこんな素晴らしい酒場が在るのだよ、と独り言を言って猪口を口へと運んでいたナ。この酒場に集う彼らの酒の嗜み方を見習いながら、僕も知らず知らずのうちに酒飲みの作法を覚えていったのかナ。
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『兵六』は酒呑みの学校かもしれない。神保町の片隅で酒呑みの作法を覚えるのは素晴らしいことだ。此処で出会った御仁のように、誰もが素敵に歳を重ねて行くのだから。
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by cafegent | 2017-06-26 15:31 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
昨日の東京は朝から雨が降り続き、テレビでは「新幹線も豪雨により運転見合わせ」とのニュースが流れていが、夕方には雨も上がり雲間から夕日が覗いてきた。雨宿りがてらに立ち寄った馴染みの酒場を出ると、午後6時過ぎには空の色が青、紫、群青と美しいグラデーションとなり、武蔵小山の駅前でしばらく空を眺めてしまった。
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「夏至」とは二十四節気の中で、1月の小寒から数えて12番目にあたり、一年で一番昼間が長くなる日だネ。

梅雨時だけれども、晴れた日には初夏の色合いが濃くなり夕焼けの中を飛ぶツバメの姿に見入ってしまう。暑い夏の日差しもツラいが、早く梅雨が明けて欲しいものだ。

     のびきって夏至に逢うたる葵かな  

夏至の頃の東京は、梅雨真っ盛り。大粒の雨に当たってタチアオイもグングンと空に向かって伸びていき美しい花を咲かせるのだネ。我が家では昔から、夏至の日にはイチジクの実を食べると聞いていた。なんでもイチジクは「不老長寿の実」と言って、高血圧や脳梗塞、動脈硬化の予防になるそうだ。本当かどうかは定かじゃないが、誰かが必ず買って来たような思い出があるナァ。

先の句は、正岡子規が明治29年に詠んだ句だ。前年、日清戦争の従軍記者として中国に渡った子規だが、帰りの船の中で吐血し帰国しすぐに入院生活を送ることになったのだネ。子規がこの句を読んだ時は東京に戻っていたが、激しい腰痛で床に臥せっていたことだろう。空に向かってぐんぐんと伸びる葵(タチアオイ)の花を、腰が痛くて立ち上がれない自分の身と照らし合わせて、夏至の遅い日の入まで縁側越しに寝床から眺めていたのだろうか。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

人が好きで、酒場が好きだから、いつも酒朋が集う居酒屋に顔を出し酒を酌み交わすことが多い。でも時々、一人でしみじみと酒と向き合いたくなる時がある。そんな時は神楽坂の酒場『伊勢藤』や恵比寿の『さいき』に行くことが多い。

そして、少し遠出になるが目黒から山手線に乗って鶯谷駅へと出かけることがある。30分程電車に揺られ、鶯谷に到着すると降りた車両によって北口か南口のどちらかの改札を出るのだ。

北口から出るとスグに怪しい女性たちの視線を浴びることになる。ミニスカート姿に派手なメイクを施した彼女たちの年齢は不詳だ。ボクの母親よりは若いだろうナァ、と思う方も見受けられるが、女性の好みが合う御仁ならば、この街はパラダイスだネ。
狭い土地に乱立したラブホテルの合間を抜けて言問通りの信号を渡ると住所は根岸になる。立ち飲み『晩杯屋』の手前の路地を曲がると左手に、根岸の里の侘び住いが現れる。

日が長くなったので、17時を過ぎてもまだまだ明るい。
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うん、いつ見てもこの『鍵屋』の佇まいは渋い。
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夏場は白地の暖簾が出ているのだネ。そう云えば、今テレビ朝日で放送している倉本聰脚本のドラマ「やすらぎの郷」の初回、主人公の石坂浩二がテレビのプロデューサー役の近藤正臣と待ち合わせる居酒屋のシーンで店の入り口が映ったのだが、此処「鍵屋」が撮影場所に使われていたのだったネ。

ガラリと戸を開くと店主の清水賢太郎さんの笑顔が出迎えてくれた。

この日は珍しくまだお客さんの姿が少なかったナ。ずっしりとした楓(かえで)の木のカウンター席に腰を下ろし、櫻正宗をぬる燗でお願いした。お通しは煮豆だ。
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この時季になると、煮こごりになったり心太(ところてん)が出たりするのだが、こんな酒肴が東京の居酒屋らしいところだネ。

台東区根岸は、正岡子規が住んでいた街でアル。先ほどの夏至の一句もきっとこの地で詠まれたのだろう。かつては文人墨客が多くすむ街だったが、今では周りをラブホテルに囲まれて、この「鍵屋」の在る一角だけが古き良き時代の名残を感じられるのだナ。

開け放たれた玄関から心地よい初夏の風が吹き込んでくる。今年もあと二週間もすれば入谷の朝顔まつりだネ。毎年、朝顔の鉢を手にした方々が鍵屋の暖簾を潜るので、店も大賑わいとなるので、今回はつかの間のゆったりとした空気の中で酒を味わえたのだ。

初夏の時季、ぬる燗に合わせるのは味噌おでんが好い。
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焼き豆腐、ちくわぶ、こんんにゃくにたっぷりと甘い味噌が乗っている。柚子の香る味噌おでんに和辛子をつけて、竹串を口へと運ぶのだ。あぁ、やっぱりちくわぶが美味い。甘味噌が絡んだちくわぶの存在感は抜群だ。そこへ櫻正宗のぬる燗をグィっとやる。うーん、幸せだナ。

鍵屋のカウンター席に座ると自然に背筋がピンと伸びてしまう。還暦を目前に控えた僕でさえ、この店の醸し出す空気の中では少し緊張するのだナ。でも、その緊張感がいつまでも酒場では初心忘れずに控えめであれ、と諭してくれているのかもしれない。
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真っ白な徳利を持ち、ゆっくりと盃に酒を注ぐ。この店では幾つかの大きさの猪口が用意されているのだが、何故か僕の前には一番デカいものが置かれるのだナ。
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この蛇の目のぐい呑みだと多分二回も注げば徳利が空になってしまうだろう。
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鍵屋には、櫻正宗の他に菊正宗と大関と冷酒が用意されている。
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僕はいつも櫻のぬる燗から始めるが、食後に立ち寄る時などは辛口の大関を冷や(常温)で戴くことが多い。また、朝顔まつりの帰りや暑い夏の盛りには、飲み切りボトル櫻正宗の上撰本醸造クールチェリーが好い。生貯蔵酒のような爽やかな味わいだ。グイッとひと口呑めば、乾ききった喉にキリリと一筋の滝が流れていくようだ。仄かな酸味が暑さを忘れさせてくれるのだナ。

此処、鍵屋の創業は実に古い。今から160年前、幕末の安政三年に遡る。その時代、日本に来航していたペリーの旗艦に乗船し海外に出ようとして投獄された吉田松陰が、出獄し松下村塾を引き継いで明治維新に向けて奔走したのがちょうどこの時期だネ。それにしても大政奉還よりも10年も前から酒屋として開業しているのだから、鍵屋の初代は徳川慶喜の時代を過ごしていたのだナ。

店内の彼方此方に酒屋時代から使われていたであろう道具類や装飾品がさりげなく飾られている。
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この燗つけ器も年季が入っているよネ。

時代と共にこの酒場を訪れる客たちを眺めてきたのだろう。煙草の紫煙や焼き物の煙で飴色になった壁や柱も時代の陰影を刻んでいる。

今の建物も大正元年に建てられたものなので既に106年も経っているのだが、それ以前の酒屋時代から続いた居酒屋「鍵屋」の建物が移築保存されており今も見ることが出来るのだ。小金井公園内に併設されている「江戸東京たてもの園」の中に昔の鍵屋がそっくりそのままの状態で保存されているのだネ。
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安政の大地震も、関東大震災も無事に切り抜け戦火にも耐えた鍵屋だが、昭和49年の道路拡張と云う都市化の波には抗えなかったとは皮肉だネ。
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移築保存された建屋の店内は、1970年頃の居酒屋の姿に復元されている。現在の店も十分老舗の風格を感じさせられるが、歴史が物語る揺るぎない風情を感じることが出来るのだ。
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此処は賢太郎さんの奥様の実家だが、先代のご主人も毎日パリッと糊の効いた白いワイシャツに身を包んで燗酒をつけていたと伺った。ご主人から女将さんに引き継がれ、娘さんにバトンが渡され今こうしてご夫婦二人が中心となって店を切り盛りしている。
この店に通い始めた頃は、口数が少ない賢太郎さんは気難しい人なのかナァと思っていたが、通っているうちに、気さくに声をかけて下さり言葉を交わすようになっていた。この辺りのさじ加減も先代譲りなのかもしれないネ。

女将さんは先代の母親から、燗酒のつけ方やビールの冷やし方、客との接し方についてもきっちりと教えを乞うたそうだ。そして、賢太郎さんと二人、何十年も同じ流儀を貫いているのだ。この日も隣に並んだ客といつの間にか話に花が咲いた。客筋が良い酒場は、居心地が良い。
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昨年、神保町の古書店で見つけた加太こうじ著の「落語的味覚論」の中で、昔の鍵屋の写真を見ることが出来た。当時の坂本二丁目都電角に、幕末から残る二軒の建物が在ったと記されている。
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紺地の暖簾が掛かり、半分は葦簾(よしず)に覆われている。
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店内では、先代の女将が燗酒をつけている。
当時から酒の肴は、冷ややっこ、うなぎのくりから焼き、味噌おでん、さらしくじら、それにたたみいわしなどと、今と変わらない。

今から54年前に出版された本だが、働き盛りのサラリーマン諸氏がびっしりとカウンターを埋め尽くし酒を酌み交わしている姿は今と差ほど変わらない光景だ。
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開催目前に迫っている東京オリンピックの話題で盛り上がっているのだろうか、はて?

さて、桜のぬる燗をおかわりしよう。
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そして、売り切れる前に名物うなぎのくりから焼きをお願いしようか。

     六月を綺麗な風の吹くことよ    正岡子規

東京黄昏酒場/その11.根岸『鍵屋』で東京の酒場を知る。
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by cafegent | 2017-06-22 14:22 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
東京と埼玉を繋ぐ北の玄関口と呼ばれている赤羽は、漫画家清野とおる氏が漫画アクションに連載し大人気となった『ウヒョッ!東京都北区赤羽』やその漫画に感化された俳優の山田孝之が主演したドラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』のヒットにより、一躍人気エリアへと躍り出て「住みたい街」ランキングでも第2位になったのだネ。

僕の住む武蔵小山からも東京メトロの南北線で乗り換え無しで赤羽岩淵駅まで行けるし、恵比寿駅からも湘南新宿ラインや埼京線で20数分で着いてしまう。以前はちょっと遠いかなと思っていたのだが、今では思い立ったらスグ飲みに行けるエリアとなったのでアル。

時々、気分転換を兼ねて荒川と隅田川に挟まれた土手沿いや荒川赤羽桜堤緑地を歩いたりしている。深く深呼吸をしながら、たっぷりと歩いたら、ちょいと一休みだ。この街には昭和の香りを色濃く残した純喫茶が幾つか在るのだネ。スズラン通りの『純喫茶デアー』のウィンナーコーヒーも美味しいし、駅前の『梅の木 本店』のレモンスカッシュもスバラシイのだナ。

読みかけのペーパーバッグを区切りの良いところまで読み進めたら、丁度良い酒場タイムとなる訳だ。

昨日は梅雨らしい雨が降り続いていたが、赤羽に着いた途端に上がってくれた。この街に来たら真っ先に足が向くのが赤羽一番街の中に在る大衆酒場『まるます家』だネ。朝の9時から開いており、朝から晩までいつも老若男女で賑わっている。この日も外に7、8人が並んでいたが、雨も止んでいるし並ばないとネ。でも、心配ない。ひっきりなしにお客さんも入れ替わるので、そんなに長くは待たずに入れるのだナ。

程なくして二つあるコの字カウンターの左側に座ることが出来た。
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いつもは二階の座敷席を仕切る和子さんが、この時間は一階で働いていたネ。

「ジャン酎ひとつ!モヒートも下さいナ!」ジャン酎とはハイリキの1リットル瓶の酎ハイでアル。
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ジャンボサイズの酎ハイだから「ジャン酎」なのだ。これにフレッシュミントの葉とライムがセットになった100円のモヒートを足すのだヨ。
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味も香りも一段とアップした酎ハイを氷の入ったジョッキに注ぐのだ。クゥーッ!旨い!

大根にたっぷりと味が沁みた牛すじ煮込みも酒がススむ一品だナ。此処に来るとあれもこれも食べたくなってしまうから二人とか数人で来ると良いだろうか。ジャンボメンチカツもイカフライも美味い。どじょうの柳川鍋も外せない。あぁ、たぬき豆腐も頼まなくちゃ!ってな具合になってしまうのだ。

そして出てきたのは熱々に揚がった里芋の唐揚げだ。カリカリに揚がったまん丸のフライは、一口噛むとサクッ、そしてスグにねっとりとした甘い里芋の味が口の中に広がり、そこへ酎ハイをゴクリ!ふぅ、至福のひと時とはこういうことなんだナ。

暫くすると店のお姉さんから「うなぎの肝焼き、もうスグ焼きあがりますヨ~!」と声が掛かった。これも「まるます家」の名物で、一日に数回しか焼かないのでタイミングが合った時には必ず頼みたい一皿なのでアル。
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おぉ、香ばしく焼かれているネ。山椒の香りが僕の鼻腔を刺激する。ほろ苦のうなぎ肝にタレが絡み、これまた酒がススむススむ。
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そう言えば、長年に渡り朝9時から営業していた「まるます家」だが、七月四日より平日は朝10時開店となるそうだ。ただ、土日祝祭日は今まで通り朝9時から開くとのことなので一安心。

午後6時過ぎ、外は買い物かごを下げた主婦や学校帰りの小学生が行き交っている。この雑多な混在感もこの街の魅力なのだネ。さぁ、もう1、2軒ハシゴ酒といこううかナ。
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by cafegent | 2017-06-14 16:06 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)