東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

カテゴリ:ひとりごと( 457 )

皆様、新年明けましておめでとうございます。
b0019140_12285156.jpg
今日は1月6日、二十四節気では「小寒」を迎えたネ。冬至と大寒の丁度真ん中辺り、いわゆる「寒の入り」が来た訳だ。東京もこの時期から寒さが一層厳しくなる頃、冬本番だネ。
b0019140_12285953.jpg
明日7日の朝に「七草粥」を戴いて、この一年無病息災で居られる様にと願うのも日本人ならではの新年の風習だ。

季節を72に分けて表す「七十二候」では「芹乃栄」(せり、すなわちさかう)の頃。芹とは七草粥に入る具材の野菜だ。

セリの他に、ナズナ、ゴギョウ(母子草)、ハコベラ(はこべ)、ホトケノザ、スズナ(蕪)、スズシロ(大根)を入れた粥は、青菜が不足がちな時代の古人の知恵だが、消化吸収も良く、暴飲暴食の正月で疲れた胃腸を休めるのにも良いのだナ。

今日から仕事始めとなったが、七草粥や鏡開きなどの行事は新年の事始めとして、忘れぬ様にしたいものだネ。
      ◇           ◇           ◇
この年末年始は、カミサンの実家である岡山/箕島で過ごした。今回は餅搗きをしなかったので、広島まで旅に出てみた。
b0019140_12253584.jpg
先ずは腹ごしらえと東総社に在る讃岐うどんの名店『よこた手打ちうどん』へ。
b0019140_12253692.jpg
此処のぶっかけうどんが、兎に角美味いのだナ。
b0019140_12255187.jpg
山菜や野菜の天ぷらが良いアクセントとなり、うどんがススむススむ。

腹を満たし、一路広島へと向かった。向かう先は安岐の宮島でアル。今まで一度も訪れた事が無かったので、胸躍る旅となった。

三陽自動車道を進み、尾道、呉を抜けて広島市へ。
b0019140_12311831.jpg
瀬戸内海では、牡蠣の養殖をしていたネ。

二日市で高速を降り、宮島口へ。
b0019140_12315534.jpg
物凄い人とクルマの数だったが、何とか駐車場を見つけてフェリーに乗る事が出来た。
b0019140_1232590.jpg
さぁ、フェリーが出発し、厳島神社へと向かう。
b0019140_1232193.jpg
フェリーの向こうにそびえ立つ赤い大鳥居がどんどん近づいて来るのだナ。
b0019140_12333039.jpg
さぁ、到着だ。

神社へと続く参道では、鹿たちが長閑に過ごしていた。
b0019140_12334152.jpg
人懐っこくて、奈良の鹿ともまた違って愛らしい姿で往来の人たちを楽しませていたネ。
b0019140_12343513.jpg
訪れた時刻は干潮だったので、海に浮かぶ幽玄な姿とは行かなかったが、本社火焼前(ひたさき)より88間の海面にそびえ立つ朱塗りの大鳥居まで歩いて行くことが出来た。
b0019140_12361979.jpg
秀吉が献上した「千畳閣」も見事だった。
b0019140_1237313.jpg
本殿や回廊を歩き、海の上に立つ神社を築いた平清盛や毛利元就の時代の歴史ロマンに浸ることが出来た。
b0019140_12375377.jpg
次回は、是非とも満潮時に訪れてみたいのだナ。
b0019140_12392023.jpg
厳島神社を後にして銘菓もみじまんじゅうで有名な『藤い屋菓寮』で一休み。
b0019140_1241376.jpg
店の奥のカフェにてもみじまんじゅうと珈琲を戴いた。
b0019140_12414927.jpg
作り立てのまんじゅうは、香りが立ち、実に美味しかったナ。食べた後に気付いたのだが、藤色のこし餡の他に、抹茶、カスタードクリーム、ブルーベリー餡なども有ったのだネ。
b0019140_1242334.jpg
フェリー乗り場へと向かう途中、海岸沿いにセグロセキレイの姿を見つけることが出来た。
b0019140_12421667.jpg
お酒屋さんの『参匠』で宮島の地酒も手に入れた。
b0019140_12422734.jpg
そして宮島駅近くに在る『原商店』で自家瓶詰めの純米吟醸無濾過生原酒を戴いた。
b0019140_12423784.jpg
お婆ちゃんがこうやって瓶に詰めてくれるのだナ。
b0019140_12433654.jpg
土産も買ったし、再びフェリーに乗り、宮島を後にしたのでアール。
by cafegent | 2014-01-06 12:45 | ひとりごと | Trackback | Comments(1)
b0019140_1556717.jpg
    うつくしき羽子板市や買はで過(す)ぐ  高浜虚子
b0019140_15563926.jpg
浅草の「かんのんさま」は、何と言っても浅草の象徴でアル。

かんのんさまの表玄関が「雷門」、正しくは「風雷神門」と云う。
b0019140_15564632.jpg
この門の正面には、『金龍山』と云う額が掛けてある。
b0019140_1558364.jpg
此処から表参道、すなわち仲見世を抜けると、門の左右に仁王尊像が安置されている。
b0019140_15582266.jpg
宝蔵門には『浅草寺』の額が掛けられており、そして本堂には『観音堂』の額が掛けられているのだナ。
b0019140_15591684.jpg
つまり三枚の額が揃うと『金龍山浅草寺観音堂』となる。

浅草寺と宝蔵門一帯にかけて、毎年12月17日から三日間「羽子板市」と「歳の市」が催される。
b0019140_1623396.jpg
人形の老舗『吉徳』や『原島』、『眼楽亭』といった羽子板店などの市が立ち、早咲き梅の盆栽や福寿草などの小盆栽の店なども所狭しと店を並べ、一段と盛り上がりを見せるのだ。

浅草の行事の締めくくりと云えば「歳の市」だネ。
b0019140_1633122.jpg
最も浅草が、浅草ならではと思える行事のひとつでアル。浅草寺境内では新年の初詣に始まり、亡者送りなど数々催される行事の総仕上げとなるのが、歳の市。これで浅草の一年が無事終結、一足早い歳の暮れを感じる時なのだナ。
b0019140_1671853.jpg
冬の灯が夜空に冴え、浅草寺名物の老公孫樹の葉が木末に幾枚か残して北風に揺れている。この北風に乗って雑踏や羽子板市の啖呵などが入り乱れて聞こえてくる。

浅草寺の行事と云えば、あとは大晦日に除夜の鐘を撞くだけだネ。

羽子板市では、江戸から続く技巧を受け継いだ職人たちだ作る見事な羽子板が並ぶ。
b0019140_1651028.jpg
伝統的な物から、今年の話題を取り入れた社会風刺や芸能ネタを表現した変わり羽子板も多く、店の前に人集りが出来ている。
b0019140_1644683.jpg
ふなっしーやくまモンの羽子板も有った。
b0019140_1645613.jpg
縁起物の羽子板を一年間飾り商売繁盛を願う店も多いネ。ご祝儀を付けて羽子板を購入すると威勢の良い掛け声で、手締めとなる。
b0019140_1651982.jpg
「家内安全・商売繁盛」と廻りの客も交えて大勢で手を打つのは、最高に盛り上がる瞬間なのだナ。

    年の市何しに出たと人のいふ    小林一茶

結局、僕も虚子や一茶の様に羽子板を買わず、買っている人たちに柏手を打つだけだったナ。
     ◇          ◇          ◇
b0019140_1635395.jpg
納めの観音、浅草寺でお詣りを済ませ、歳の市を楽しんだ。

浅草寺を出て、染め絵手拭いの『ふじ屋』さんへ。今年世話になった方へ贈る日本手拭いを買ってきた。

東京に雪が降るなんてニュースを聞いたので、我が家に飾る手拭いも冬仕様に衣更えしてみた。
b0019140_1691559.jpg
素朴な雪だるまが赤に映えて、イイネ!

用事も済ませたし、夕暮れの浅草を再び歩く。だが、足は勝手に酒場へと向かうのだナ。
b0019140_16114694.jpg
『浅草サンボア』のドアを開くと、バーテンダー松林さんの笑顔が迎えてくれた。
b0019140_16123659.jpg
カウンターに立つだけで、背筋がピンと伸び、酒と対峙出来るのだナ。
b0019140_16132238.jpg
松林さんの作るハイボールは、本当に旨い。

キリリと冷えたハイボールを戴き、喉の乾きを潤す。街が乾燥しているから、一段と美味しく感じるネ。
b0019140_16144229.jpg
丁度一年前、雑誌『ぴあ』の取材を快く引き受けてくれた松林さんに来年も連載が継続した事を伝え、お礼が出来た。
b0019140_16134225.jpg
晩秋から初冬の夕暮れ、バーで飲むハイボール、それも主人が暖炉に火を入れ、店内にはまだ数人しか客が居ない頃に飲むハイボールの素晴らしさを僕は身をもって知っている。一緒にグラスを掲げてカンパイが出来る酒朋が居れば、なおさら旨いことだろう。

暖炉は無いにせよ、『サンボア』の店内は程よい暖房が効いており、かじかんだ手を解してくれる。

二杯目はホットウィスキーをお願いした。
b0019140_1614679.jpg
クローヴの実が、お湯により香りを引き立たせていたナ。

徐々にカウンターに立つお客さんが増えて来たので、ご馳走さま。

心も躯も温まり、歳の瀬で賑わう浅草を後にした。
by cafegent | 2013-12-18 16:21 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
青山・表参道の交差点近く。午前11時、人々が行き交う青山通りに深い珈琲の香りが漂っている。
b0019140_16172339.jpg
雑居ビルの二階に在る『大坊珈琲店』では、店主の大坊さんが手回しの焙煎機で、丁寧に豆をローストしている。
b0019140_16175847.jpg
カウンター席に腰を降ろし、僕は決まって「3番」の珈琲を頼むのだ。

   1 30g 100cc  700円
   2 25g 100cc  650円
   3 20g 100cc  600円
   4 25g  50cc  700円
   5 15g 150cc  600円

「深煎りで苦甘」に焙煎された珈琲は、その豆の量とお湯の量で、選ぶ事が出来るので、好みの番号を伝えれば良いのでアル。

もう十数年前になるが、仕事場を表参道に構えて居たので、朝の所用を済ませると此処に珈琲を飲みに来ていた。1時間程、決まって二杯の珈琲を飲んで仕事場に戻った。僕の服に焙煎煙の匂いが移っているから、スタッフからも「今日も大坊さんのところですか?」と笑われたっけ。
b0019140_161893.jpg
外の喧噪に逆らうかの様に、此処には憩いが在る。小さな音量で流れるジャズも憩いのひとときを邪魔しない。大坊さんの廻す焙煎機の音と焦げた様な珈琲豆の香りも全てが見事に調和している。小鳥のくちばしの様に細い口のポットからゆっくりとお湯が布のフィルターに注がれていく。じっくりと蒸らした珈琲豆に静かにお湯を注ぎ、次第に珈琲が出来上がる。

此処の珈琲は、余り熱くない。出来上がりをスグに口に運ぶ事が出来る様に絶妙な温度設定にしてあるのだナ。もちろん、熱いのが好きな方には熱くしてくれる。
b0019140_161828100.jpg
カウンターの上にびっしりと並んだ文庫本は永年の焙煎と煙草の煙により、飴色になっている。ハヤカワミステリーをはじめ、司馬遼太郎、池波正太郎の小説作品が目に入る。

寡黙な店主だが、一段落すると気さくに話をしてくれるのだナ。此処の壁には清楚な女性がこの店で、珈琲を飲む姿を描いた油絵が飾られている。画家・牧野邦夫が描いた作品だ。

以前、僕のコレクションしている画家・斎藤真一の瞽女(ごぜ)の油絵を一ヶ月程『大坊珈琲店』に飾って戴いたことがあった。

絵の話で盛り上がり、故・斎藤真一の絵画を多くの方に知って貰いたいと話をしたら、快く飾って戴いたのだ。
b0019140_16194457.jpg
1975年の開店から38年間、変わらぬスタイルで珈琲を提供し続けている『大坊珈琲店』だが、ビルの取り壊しの為、来月一杯で閉店することとなった。

新しい場所での再開など、今はまだ未定だそうだが、大坊さんの珈琲を贔屓にしているお客さんは数限りない筈だ。
b0019140_16195814.jpg
あと一ヶ月とちょっと、深煎り苦甘の珈琲を求めて足を運ぼうかナ。
by cafegent | 2013-11-25 16:24 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
先日、新聞のコラムに目を通していて、懐かしい言葉に出逢った。

それは、18世紀初めの賢人で、オクスフォード大学の学寮長を務めたヘンリー・オールドリッチが残した言葉だ。

  余のつらつら思うところに過ちなくば、
          酒を飲むのには5つの理由がある。

    良酒あらば飲むべし
    友来たらば飲むべし
    のど、渇きたらば飲むべし
    もしくは、渇くおそれあらば飲むべし
    もしくは、いかなる理由ありても飲むべし。
b0019140_15255750.jpg
そのコラムでは、漫画原作者である城アラキ氏が、まだ駆け出しのライターだった30年程前、鎌倉・小町通りの居酒屋で取材をした詩人の田村隆一氏のことを綴っていた。田村隆一は痩身な躯を軽くひねり、右肘をついてウィスキーグラスを傾け、実に格好良く酒を飲んでいたらしい。

戦後を代表する詩人田村隆一は、かのヘンリー・オールドリッチの言葉を好んでいたそうだ。田村隆一が没して15年、城氏もいつか田村隆一の様な酒の飲み方が出来るようになりたいと思いつつ、まだ果たせないでいると記していた。

先の酒を飲む5つの理由は、その田村隆一が翻訳を手掛けた「わが酒の讃歌=うた」の中で知ったのだナ。
b0019140_152557100.jpg
著者は、イギリスの作家で評論家のコリン・ウィルソンだ。

副題には「文学。音楽・そしてワインの旅」とあり、ワインを飲む愉しみを読者に伝えるために書いたのだそうだ。ワインにまつわるエピソードや歴史、ワインを求めてイタリア、スペイン、ポルトガル、果てはアメリカのワイナリーまでを旅して廻り、酒や音楽の話に引き込まれてしまうのだナ。

新聞のコラムから久しぶりにコリン・ウィルソンの本を思い出した。そして、僕も田村隆一にならって、ヘンリー・オールドリッチの残した5つの飲み方の様な酒呑みになりたいものだ。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

ワタクシごとで恐縮だが、連載中の季刊情報誌『冬ぴあ』が発売となった。
b0019140_1527975.jpg
1月の『早春ぴあ』からスタートし、なんとか一年間連載が続いた。来年も引き続き書くので、ハシゴ酒する街を探さなくちゃならないのだナ。
b0019140_15275310.jpg
今回の『冬ぴあ』では、赤羽~十条を歩いた。

『まるます家』の若女将、和子さんには大変お世話になった。
b0019140_15285777.jpg
いつもは二階を仕切って切り盛りしているのだが、撮影用に忙しい中、下に降りて来てくれた。感謝多謝!
b0019140_1530278.jpg
また、料理の撮影で二階を使わせて頂いたのだが、その間もビールやジャン酎を出して頂き恐縮至極でアル。

お店のお姐さんたちも僕らの取材を気遣ってくれて、他のお客さんたちに説明してくれたり、と本当に頭が下がる思いだった。
b0019140_15312052.jpg
良い酒場とは何かを、いつも教えられる最高の店なのだネ。
b0019140_15323189.jpg
大好きな『丸健水産』も若旦那がメチャメチャ気を使ってくれて、出来立て薩摩揚げの美味しい食べ方を伝授してくれたり、料理撮影以外にも沢山のおでん種を出してくれたのだナ。
b0019140_1532497.jpg
此処はずっと酒朋ビリー隊長と共に訪れていたのだが、最近はずっと一人で伺っている。
b0019140_15342281.jpg
強面(こわもて)だとばかり思っていた兄貴だが、実はこんなにも優しい気遣いの持ち主なのだ。
b0019140_15342751.jpg
ひっきりなしにお客さんが途切れないのもおでんの味に加え、若旦那を始め、お母さんやスタッフの皆さんの気遣いが有るからだネ。
b0019140_15353546.jpg
丸眞正宗のマルカップのおでんダシ割りが美味しい季節。是非、足を運んで欲しいものだ。

また、十条では『斉藤酒場』のご主人と女将さんに大変親切にして戴いた。
b0019140_153714100.jpg
『まるます家』と『丸健水産』は営業中の取材だったが、こちらは営業前に撮影を行った。
b0019140_15375467.jpg
冬の季節に大人気の大根煮や自慢の串かつ等もご主人に丁寧に作って戴いた。
b0019140_15391329.jpg
燗酒など撮影なのだから水で構わないと申し上げたのに、しっかり熱燗を出して頂き、撮影が終わってもお銚子を運んで来てくれました。
b0019140_15395551.jpg
本当に下町の人情溢れる酒場だと云うことを再認識させて戴いた。

一月発売の『早春ぴあ』では、渋谷界隈をハシゴしようと考えている。

読者の皆様、来年の『季刊ぴあ』も宜しくお願いします!是非!
by cafegent | 2013-11-21 15:41 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)
b0019140_17253424.jpg
     水仙や白き障子のとも映り   芭蕉

週末からの温かさから一転し、今日の東京は天気は良いが寒い。暦の上では「立冬」の末候、もう冬を迎えたのだネ。

今年は冬の訪れを告げる木枯らし1号が、昨年より7日も早く吹いたそうだ。寒い日と暖かい日が交互に続くと体調が変になる。

冬季には、寒い日が三日続き、そのあと四日ほど温暖な日が続き、また寒くなることがある。「三寒四温」と呼ぶのだが、気候の変化が著しく、春や秋でもこんな天候となるそうだ。

冬が近づくと空気も澄み、夜空に浮かぶ月も丸く大きく浮いて見える。夕べも美しい満月が漆黒の闇に輝いていたナ。

季節を七十二種に表す「七十二候」では、「金盞香」(きんせんか、さく)の頃。

金盞(きんせん)とは、黄金の杯のことで「水仙」の花の異名だ。香り高き水仙の花を表している。冬の寒さに負けず、背筋を真っ直ぐに伸ばし、凛として咲くは実に美しいネ。
b0019140_17254393.jpg
先日訪れた木場の酒場『河本』でも、真壽美さんの立つ横に水仙が生けてあったナ。

     水仙や木場の酔客迎えをり    八十八

そろそろ、『河本』のおでんは始まった頃だろうか。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

さて、先週の土曜日は、神保町の酒場『兵六』に集う酒朋たちと、恒例の「兵六散歩の会」となった。

今回の案内人は、ドーンッ!で同じみの荒木マタェモンさんでアル。
b0019140_17274449.jpg
新井薬師駅前で集合し、出発だ。この日は前日の雨と打って変わって、爽やかな秋晴れとなった。

先ずは、良く行く焼き串の酒場『焼串』(やくし)の前を通る。
b0019140_17282520.jpg
もちろん、まだ営業していないが、吞んべい達はその佇まいだけでも拝みたいらしい。此処は全国から届く生牡蛎が美味いのだナ。厚岸の牡蠣など最高に美味い。

酒場の前を過ぎて、向かうは『尾崎尺八工房』だ。
b0019140_17302056.jpg
此処も「酒場放浪記」で類さんが訪れていたナ。
b0019140_17303224.jpg
新井薬師の参道を進み、新井薬師「荒井山梅照院」へ。
b0019140_17304526.jpg
此処は新東京百景にも選ばれている。此処に奉納されている十二神将は見事だ。
b0019140_17313780.jpg
薬師如来さまが、人々を苦しみから救い出したいと「十二大願」を立てて、苦行に励んだ。その修行を魔障たちが邪魔しないように守り戦ったのが十二人の神将なのだネ。

新たに仏師により制作された色鮮やかな十二神将を拝む事が出来て良かったナ。

お参りを済ませ、境内裏手から中野通りへと進む。
b0019140_1732492.jpg
ここで、もう迷子が出た。カオルちゃんが居ないことに気付き、再び境内に戻ったが居ない。

携帯で連絡が取れ、15分程のロスで再び出会えたのだナ。
b0019140_1733247.jpg
続いて向かったのは「哲学堂公園」だ。
b0019140_173639100.jpg
妙正寺川沿いに在る広い園内には野球場やテニスコート、弓道場まで在るのだネ。
b0019140_17371724.jpg
この川は人工的に広げたらしい。
b0019140_17374653.jpg
ガンジーさんにご挨拶。
b0019140_17375360.jpg
こちらは達磨大師だネ。
b0019140_17382449.jpg
この六賢臺(ろっけんだい)には聖徳太子や菅原道真など東洋の六賢人を祀っている。

自然溢れた公園をグルリと歩き、新青梅街道に出て「水の塔公園」へ。この塔は、関東大震災の復興時に大勢の人々に水を供給する為に立てられたそうだ。戦争中の空爆で塔に銃撃を受け、その痕跡が残っている。裏の幼稚園側からじゃないと見えないのだナ。

江古田大橋から再び妙正寺川沿いを歩いた。
b0019140_17441094.jpg
川面にはキセキレイが舞い降りていた。
b0019140_17422744.jpg
黄色いハシゴに黄色い鳥だから判りづらいナ。
b0019140_17423952.jpg
続いて向かうは、沼袋「氷川神社」だ。
b0019140_17432662.jpg
この日は七五三のお参りの家族連れが多かったネ。
b0019140_17454389.jpg
お次ぎは、「百観音 明治寺」へ。
b0019140_17455167.jpg
僅かながらモミジが紅葉を始めていた。
b0019140_1746248.jpg
これは「かみなり銀杏(いちょう)」と云い、平成二十年九月に避雷針の如くに落雷を一身に受けて寺を守ってくれたそうだ。大したものだ。
b0019140_17461798.jpg
観音様を拝見し、沼袋方面へと歩く。

吞べい達は、沼袋で酒を補給!
b0019140_17491520.jpg
トクちゃん、ヨイトマケは度数が高かったネ!
b0019140_17495964.jpg
ドラマ「孤独のグルメ」で井之頭五郎さんが訪れた焼肉屋『平和苑』を拝み、再び歩く。
b0019140_17501177.jpg
中野駅周辺の飲み屋街を歩き、散歩の会は無事に終了だ。
b0019140_17502119.jpg
実に中野らしいポスターとパチリ!

一行は阿佐ヶ谷に向かい、いざ打ち上げへ。

今回の打ち上げ場所は『阿佐ヶ谷麦酒道場』だ。
b0019140_17545338.jpg
そう、高円寺の人気クラフトビール屋さんの姉妹店でアル。
b0019140_1755459.jpg
ここからは酒朋キクさんも合流し、愉しい酒宴が始まった。
b0019140_17551514.jpg
此処は月毎に種類が変わる自家製ビール工房なのだナ。

先ずは、ブロンドから戴いた。
b0019140_1755283.jpg
ハイ、皆さんカンパ〜イ!お疲れさまでした。
b0019140_17554015.jpg
次々と登場する出来立ての料理も取り放題だし、美味いビールが安価で飲めるのが人気の秘訣だネ!
b0019140_17574724.jpg
アンバービールも濃くと苦みが強く、旨い。
b0019140_17555195.jpg
途中から、Qちゃんも登場し、兵六仲間で賑わった。
b0019140_17585411.jpg
キクさん、カオルちゃんもゴキゲンなご様子!

再びブロンドを戴いた。
b0019140_1756345.jpg
飲み易くてクィクィと喉を通って行くのだナ。
b0019140_17585779.jpg
屋上には炬燵が出ており、月明かりの下で飲む女のコたちも居たネ。

腹も満たし、程よく酔ってきたので、打ち上げ終了!マタェモンさんお疲れさまでした!
b0019140_17594494.jpg
次回の幹事は、大食いの木谷ちゃんだ。ヨロシクネ〜!

仕事を終えた我がカミサンが阿佐ヶ谷駅に到着したと連絡が入ったので、駅へ迎えに行き『立ち吞み 風太くん』へと移動した。
b0019140_1861898.jpg
一人千円札一枚を〼に入れて、センベロ開始!
b0019140_1825480.jpg
さぁ、ヘベレケたちの勢いは止まらない!
b0019140_1832490.jpg
僕は「だし割り」を戴いた。
b0019140_18262.jpg
カツオ節、サバ節、昆布で取ったダシで割った焼酎お湯割りでアル。
b0019140_1863338.jpg
おでん盛り合わせや辛い煮込みも酒がススんだネ。
b0019140_1833687.jpg
おや、マタェモンさんは風太くんになり切って、ドーンッ!とネ。
b0019140_184226.jpg
カオルちゃんもヘベのレケかな?
b0019140_1843756.jpg
結局、一人1500円オールで、相当飲みましたナ。

皆さん、ヘベのレケになり今年の「兵六散歩の会」も盛況に終わったのだナ。
b0019140_1881643.jpg
最後に記念撮影をパチリ!
b0019140_1882787.jpg
こうして三々五々、阿佐ヶ谷の街に消えて行ったのでアール。
by cafegent | 2013-11-19 18:09 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
毎週通っている神保町の酒場『兵六』での酒仲間、ライターの中西隆紀さんが突然お亡くなりになった。享年66歳とは若過ぎる。
b0019140_16375349.jpg
雲一つない秋晴れの日曜日、京急蒲田の『天祥院』にて告別式が行われた。酒呑み達の結束はこんなにも堅かったのかと思わんばかりに兵六仲間が勢揃いした。
b0019140_16385912.jpg
中西さんは皆から「神保町の宮崎駿さん」と云われて親しまれていたが、本当に良く似ていたのだナ。以前、秋葉原で外国人からサインを求められ、宮崎駿と書いてやった、なんて話を聞かせてくれたっけ。憎めないオヤジだった。
b0019140_16385554.jpg
中西さんは鉄道の歴史に造詣が深く、幻の東京赤煉瓦駅 新橋・東京・万世橋 (平凡社新書)と云う新書を平凡社新書から出版したり、2010年には河出書房新社より日本の鉄道創世記---幕末明治の鉄道発達史と云う鉄道発達の歴史本を上梓した。
b0019140_16424957.jpg
僕もよく『兵六』のカウンターで万世橋の歴史などの話を伺いながら、一献傾けたことがあった。中西さんは、得意な話になると夢中で話してくれたなぁ。
b0019140_1643503.jpg
また中西さんと僕と酒朋ハッシー、紅一点の薫ちゃんと「兵六山部」を作り、登山や散策を楽しんでいたのだナ。
b0019140_16445039.jpg
兵六の呑み仲間たちとも年に何度か「兵六散歩の会」を催し、中西さんも毎回参加していた。
b0019140_16455693.jpg
酒場番長矢野クンと中西さんが幹事となって二子玉川から等々力渓谷、尾山台を歩いたこともあった。
b0019140_16451079.jpg
中西さんはこの辺りに住んでいたので、等々力不動など詳しく案内してくれた。

ただ、可成りマイペースな御仁だったので、途中で一人電車で移動したり、喫茶店で煙草タイムを取ったりしていたものだ。

一番可笑しかったのは、一緒に大山に登った時だったナ。
b0019140_1647326.jpg
電車の中では「大山なんてたいしたこと無い!ちょろいちょろい!」なんて云っていたのだが、中西さんが一番ヘトヘトになって辛そうだったのだ。そして、よくよく聞けば一度も登ったことが無いと云うじゃないか。散々、僕らに吹聴していたのに、まったくいい加減な人だった。
こんな笑い話ももう聞けないのだネ。

渋谷『富士屋本店』でも良く遭遇したナ。最後に一緒に呑みに行ったのは、酒ガール二人と荻窪に出掛けた時だった。駅前で待ち合わせの筈が、中西さんだけ来ない。で、連絡すると既に『やき屋』で吞んで居るとのこと。

いつもがいつもこんな調子だから、まぁ仕方無い。
b0019140_1650206.jpg
僕らも『やき屋』に急いだったネ。
b0019140_16485829.jpg
この日は居酒屋『田中屋』にも行ったのだが、中西さんは店の奥の神棚に夢中だったっけ。
b0019140_16482837.jpg
散歩の会は、世田谷や中野、僕の企画した日暮里・谷中界隈も参加してくれた。
b0019140_16505396.jpg
毎年4月には、北の丸公園に集まり、中西さんが見つけた穴場で夜の花見の酒宴を催したネ。
b0019140_1651997.jpg
通称「中西桜」を眺めながら、燗酒で夜桜を楽しんだ。
b0019140_16513695.jpg
僕が最後に一緒に酒を酌み交わしたのは、9月30日の『兵六』だった。隣りに座ったので、7年後の東京五輪の話などをしたナ。自分の著作本にサインを求められたと云って、可成り上機嫌だったのが最後の中西さんの笑顔だった。

それから1週間程して、皆から中西さんと連絡が取れないと云う話を聞いた。友人の大谷さんが自宅まで訪ねてくれたのだが、不在の様子だった。行方不明になったのか、はたまた入院でもしたのか、誰も判らなかったのだが、結局僕らが知ったのはお亡くなりになったと云う知らせだったのだネ。

出棺を見送り、僕らは餃子が好きだった中西さんを偲んで蒲田『金春』で献杯となった。
b0019140_16551835.jpg
20数名も居たが、タイミング良く全員で入れたネ。これも中西さんのお導きかナ。
b0019140_1656861.jpg
作家の高部さんのご挨拶で、献杯。
b0019140_1655553.jpg
神保町の酒場は出版関係や作家が多い。僕も毎週一度は中西さんにお会いしていたかなぁ。

来年の花見もきっと「中西桜」に集まるだろう。どこからともなく煙草の煙が漂ってきたら、中西さんだろうナ。

今日も神保町『兵六』には変わらぬ酒朋たちが集うことだろう。そして、皆中西さんを偲んで酒を酌む。
b0019140_16534454.jpg
神保町の宮崎駿さん、安らかに。

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌
by cafegent | 2013-10-28 16:57 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
一年の季節を72に分けて表す七十二候では、今「桐始結花」(きり、はじめてはなをむすぶ)の頃。桐の花が結実し、固い実が成り始める時季が来た訳だ。
b0019140_1573731.jpg
東京では猛暑が続き、夕立や落雷による被害が続いている。それでも恵みの雨なのだから、痛し痒しなのだナ。

先日観た映画「風立ちぬ」も、戦争を心底反対する宮崎駿監督が、聡明な青年堀越二郎の「ただ美しい飛行機が作りたい」だけのピュアな気持ちと裏腹に、人々を死に追いやる道具となるゼロ戦の設計を手掛けなければいけないと云う、或る意味で間逆な立場を生きなければいけない彼の背負った事実に対して、どう映画化するのかに興味を抱いた。
b0019140_1542784.jpg
この痛し痒しを宮崎駿監督は見事にそれを映像化させたと思った。

最初は単に堀辰雄の小説「風立ちぬ」の映画化だと思って観たのだが、観を得て改めて色々と考えさせられた。もう一度映画館に足を運ぼうと思っているのだナ。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

先日、入谷の朝顔市の帰り、馴染みの酒場『鍵屋』の暖簾を潜ったら、知った顔に出逢った。凛とした和服姿が太い楓の老カウンターに良く似合う女性だった。
b0019140_1510165.jpg
彼女の名は、如月まみ。新宿二丁目界隈やクラブシーンでは知らぬ者がいない程有名な着物スタイリストなのだナ。僕も知り合ってもう長いのだが、こうやって下町の路地裏の酒場で出逢うと、その美しい姿に思わず魅入ってしまう。

改めて彼女の魅力に浸りながら、旨い桜正宗の燗酒を堪能したのだネ。

さて、その如月まみさんが「酒場のおんな(発行・本分社)」と云うフォトエッセイ本を上梓した。
b0019140_15143129.jpg
東京の中の居心地良い酒場を十軒、彼女が呑む姿を写真家YOUさんこと河﨑夕子さんが実に魅力的にとらえた写真と、まみさんの酒場への愛情溢れる文章で綴られている。

「名前も年齢も職業も知らない者同士が、「酒」をかけ橋に、ゆるみ、うちとけらるなんて愉快で素敵。」

「コミュニケーションがどんどん希薄になっていく世の中だからこそ、酒場でのシンプルなコミュニケーションやたくさんの笑顔を着物とともに、後世に残したいとおもいました。」

まみさんの、この言葉だけで僕は彼女の虜になってしまった。

大衆酒場を紹介した本は数知れず。僕の敬愛する吉田類さんや全国の居酒屋を知り尽くした太田和彦さん、居酒屋礼讃の浜田信郎さん等々、沢山の魅力溢れる酒場本を集めているが、この「酒場のおんな」は今までの酒場本とは一線を画した素晴らしい一冊なのだ。
b0019140_15163567.jpg
なによりも、風情在る下町の酒場で、こんな素敵な和服美人と酒を酌み交したいと誰もが熱望することだろう。この本は、そんな世の男達の願いを実に巧みに、バーチャルに、疑似体験させてくれる一冊だろうネ。

YOUさんの写真も実に魅力的だ。行ったことの無い酒場でも、あたかも自分が一緒に酒を酌み交しているかのような錯覚を覚えるのだ。

中でもモノクロームで捉えた写真は素晴らしい。
b0019140_15155344.jpg
人も酒場も、実に生き生きと切り取られている。

各店に現れるまみさんの着物や帯を眺めているだけで、僕は魅了されてしまう。そして屈託の無い笑顔が、読者を大衆酒場へと誘(いざな)ってくれるのだナ。
b0019140_1518028.jpg
暑い夏、浴衣で酒場へ出掛けようと思っている男たちよ、女たちよ。彼女の着こなしを参考に是非とも酒場へと出掛けて欲しい。

早く第二弾を拝見したい。そんな素敵な一冊を今日は紹介しよう。

さて、隅田川の花火大会に出掛けるとしようか。
by cafegent | 2013-07-27 15:19 | ひとりごと | Trackback | Comments(2)
東京の夏の風物詩、「みたままつり」に出掛けて来た。
b0019140_15123276.jpg
いつもは大勢で集まるのだが、今回は四人と少なかったので、飯田橋駅前で集合し先に一杯ひっかけることにした。

向かった先は餃子の名店『おけ以』だ。
b0019140_15124612.jpg
待つこと覚悟だったが、テーブルが空いていた。むふふ。

暑い夏、何と言ってもギョービーでアル。焼きたての餃子と冷えた瓶ビールを戴くことにした。
b0019140_15135822.jpg
先ずは、カンパイし乾いた喉を潤すのだナ。
b0019140_15142113.jpg
Qちゃんとマタェモンさんは良く来ているらしいが、僕は久しぶりの訪問だった。

さぁ、自慢の餃子が焼き上がった。
b0019140_15141915.jpg
此処の餃子は焼き色の付いた部分はパリッとこんがり、餃子同士がくっ付いた部分は柔らかくモチッとしている。そして、一口噛むとジュワッと美味しい肉汁が溢れ出す。これは、もう何十年も変らないのだナ。神保町からこちらに移転して来て何年が経つのだろうか、ハテ?
b0019140_15154375.jpg
ニラレバとレバモヤシも戴いた。これでビールがススむススむ。
b0019140_15152586.jpg
此処のレバモヤシを食べていたら、芝大門の『味芳齋』のピーマンレバーを思い出した。近々、久しぶりに訪問しようかナ。

小腹を満たし、いざ靖国神社へ。
b0019140_15183650.jpg
例年以上の人出に驚いた。
b0019140_15185184.jpg
大鳥居から盆踊り会場となっている大村益次郎像まで辿り着くのに一体何分かかったのだろうか。

夏の夕暮れ、空の色の移ろいに数万個の灯篭が美しく光り輝いている。
b0019140_15202364.jpg
軒を連ねる屋台の賑わいも、懐かしい夏の縁日の風情そのままに残っている。
b0019140_15211131.jpg
但し、これだけ混み合っていると若いコがジャガバターを持ったまま、こちら側に転ばないで欲しいと切に願うばかりでアル。
b0019140_15213687.jpg
暫らく盆踊りを愉しみ、先へ進んだ。
b0019140_15222838.jpg
夏の夜は、外で飲む酒が旨いネ!
b0019140_15292247.jpg
例年ならば、この後「お化け屋敷」や「見世物小屋」の蛇女こと小雪姐さんに逢いに行くのだが、今回はスルーした。
b0019140_15273250.jpg
七夕飾りの揺れる第二鳥居の先が神霊が鎮まる本殿だ。
b0019140_1528910.jpg
鳥居の向こうでは、半月が美しく輝いていた。
b0019140_15281936.jpg
拝殿にて社頭参拝を終え、早々に激混みの靖国神社を出ることにした。
b0019140_15302641.jpg
途中、九段下辺りで選挙運動中のドクター中松氏に遭遇。
b0019140_15283950.jpg
この方も実に元気だネ。

そして向かうのは、神保町の酒場『兵六』だ。
b0019140_1532228.jpg
変らぬ提灯が風に揺れている。

時間的に一番混んでいる時だったが、何とかコの字カウンターに座ることが出来た。
b0019140_15315430.jpg
ビールは飲んで来たので、こちらではさつま無双の白湯割りを戴いた。
b0019140_15323213.jpg
僕が初めて神保町の酒場『兵六』を訪れたのは、まだ20代前半だった。

当時、サラリーマンになって数年が経ったばかりの若造が、この酒場の暖簾を潜れる訳がない。だが、京橋の本社で働く先輩に連れられて来たのが始まりだった。

当時、八重洲に小さなビヤホール『灘コロンビア』と云う店があった。
クリーミーな泡が自慢の生ビールは、誰もが虜になり軽く3杯か4杯は喉を通ったものだ。

灘コロを大層気に入った僕を見て、その先輩がタクシーを拾い神保町へと移動したのだ。駿河台下でタクシーを降り、神保町すずらん通りを進み、富山房ビルの角を右へと曲がると大きな提灯が風に揺れていた。
b0019140_15353799.jpg
筆文字で描かれた「兵六」の文字は,今より野太い字だったナ。

その頃の『兵六』は、まだ初代店主の平山一郎氏がコの字カウンターの中に鎮座していた。煙草を燻らしながら、酒を頼む都度に両頬が僅かに上に向いたのが印象的だった。先輩を含め、その頃のお客たちが皆声を揃えて、店主は怖くて笑う顔など見たことが無いと云うのがもっぱらの評判だったのだが、それは違った。

襟を正して、素敵な呑みっぷりの客に向かっては、愛想良く笑顔で言葉を交わしていたのを覚えている。

内田百閒の小説「阿房列車」を愛読していた僕は、『兵六』の店主の名前が妙に心に残ったのだ。あの小説の中で雨男として知られる「ヒマラヤ山系」こと小説家の平山三郎と名前がかぶったのだナ。

鉄道の旅が好きになるきっかけを作った奇妙な鉄道同上ルポは、旅の途中で見舞われる雨の度に思い出されたが、平山三郎の名前をことさら印象づけたのだった。

そんな平山三郎と一文字違いの『兵六』店主は、さらに強烈な印象を僕の記憶に留めた。あれから随分と永いこと、此処の暖簾を潜ることが無かったが、酒朋のライター森一起さんに願い出て再び神保町の酒場を訪れる機会を得た。以来、毎週の様に此処で酒を酌んでいるが、三代目店主の柴山真人さんは初代の酒場スピリットをしっかりと受け継いでおり、とても居心地の良い酒場へと進化させていた。これは、もう実に嬉しい限りでアル。

本当のことを云えば、この三代目の名前こそ、件(くだん)の平山三郎と初代店主平山一郎を繋ぐ架け橋となって、「平山二郎」であって欲しかった。(まぁ、そんな訳はないのだが....笑)

七月も半ばの半月が輝く「みたままつり」の夜、そんな兵六の思い出が蘇ったのであった。
by cafegent | 2013-07-17 15:47 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
今日の東京は気温も下がり、連日の猛暑から少しだけ開放された。

七十二候では「蓮始開」(はす、はじめてひらく)の頃。蓮の花が咲き始める時季が来た訳だ。上野の不忍池でも蓮の花が見事に咲いていることだろうナ。
b0019140_14502088.jpg
毎年、この時季が来ると早起きをして不忍池へ行く。蓮の花を堪能したら、朝6時開店の『燕湯』へ。
b0019140_14523454.jpg
此処の熱い湯で、朝風呂を楽しむのでアル。風呂で汗を流したら、もちろん朝酒だ。

上野駅方面へ歩き、立ち飲み『たきおか』へ。こちらも朝7時から開店の早起きにウレシイ酒場なのでアル。

     酔ひふしのところはここか蓮の花   良寛
b0019140_14504587.jpg
酒好きの良寛さんは、酒を詠った句が多い。酒に酔っていつのまにか寝てしまった場所は此処だったのか。蓮の花に囲まれて、まるで極楽浄土にでも居る様な心地だったと詠んだのかナ。
     ◇          ◇          ◇
さて、梅雨が明けて夏真っ盛りとなったが、今年も浴衣を出してみた。
b0019140_1456572.jpg
浴衣に袖を通しただけで、夕涼みの心地になれるのだから不思議だネ。

先日も馴染みの酒場に浴衣姿で出掛けて来た。
b0019140_1504415.jpg
酒朋マタェモンさんなどいつもの面々が集う。
b0019140_1545084.jpg
午後4時口開けの野方『秋元屋』、先ずはサッポロ赤星で喉の渇きを潤した。
b0019140_14571439.jpg
あぁ、ビールが旨い季節だネ。
b0019140_14575176.jpg
アテはキャベツの味噌マヨだ。
b0019140_151564.jpg
毎週、此処で会う酒朋たちとの愉しいひととき。
b0019140_151252.jpg
ビールの後は、三冷ホッピーを戴いた。
b0019140_1458588.jpg
気心しれた仲間たちと飲む酒の、なんと旨いことか。
b0019140_1572488.jpg
美味いもつ焼きの串もススみ、酒のおかわりも続いた。
b0019140_14541161.jpg
まだまだ暑い日々が続く東京の夏。

そろそろ、この「錣山」(しころやま)の相撲浴衣の反物を仕立ててみようかナ。
by cafegent | 2013-07-16 15:09 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
四十雀が濡れそぼち、木の上で羽を乾かしていた。
b0019140_14431893.jpg
梅雨も後半となり、外は可成り湿度が高いネ。

晴耕雨読、雨降りの日は読書に限るのだナ。

時代小説の人気作家、佐伯泰英氏が初めて書いたエッセイ「惜櫟荘だより」を読んだ。
b0019140_14442188.jpg
10年ほど前に熱海の高台の温泉地に仕事場を構えた著者は、隣りに建つ惜櫟荘の存在を知った。
b0019140_1458245.jpg
近代数寄屋建築の巨匠、吉田五十八(いそや)が設計した和風建築の別荘は、岩波書店の創業者岩波茂雄が昭和16年に建てたものだ。
b0019140_14575185.jpg
土地と相模湾の間には大きな松の林があるが、その手前の土地に大きな櫟(くぬぎ)の老木が植わっていた。岩波は、この櫟の木を切らずに別荘を建てる様に吉田に命じたそうだ。この櫟の木を岩波茂雄が惜しんだことから「惜櫟荘」の名が付いたのだネ。
b0019140_1551354.jpg
岩波茂雄は相模湾を望むこの土地にどの部屋からも海を眺められる様に設計を依頼した。たかが30坪の小さな建築物なのだが、吉田五十八が凝りに凝って設計した数寄屋建築でアル。
b0019140_14585959.jpg
完成した洋間からの眺望がしっくりこないと吉田は、職人を呼んで天井を四寸下げる手直しを命じたそうだ。漆喰を塗って仕上げた聚落土の天井を全部剥がしてもう一度4センチも下げるのだから大変な作業なのだ。感覚の人、吉田五十八ならではの発想だ。
b0019140_151462.jpg
佐伯氏が熱海に仕事場を移して5年程経った頃、岩波の代理人がこの別荘を手放すことになったと知らされた時、この歴史ある家が消えていくのを見過ごすことが出来ず、自らが買い取り完全修復し保存することを決めたのだ。

70年前に建ったこの家を一旦全て解体し、地盤の強度を補修した後は約9割りを現状の部材で修復を行った。その為に佐伯氏は吉田五十八の薫陶を受けた建築家・板垣元涁氏をはじめ、昭和46年(42年前)に一度だけ行われた別荘の修理を引き受けた水澤工務店の助力を得て、修復作業に取りかかることになった。
b0019140_153454.jpg
「七十年の歳月が加えた景色、古色」は大事にすべきと云う考えから、「なにも足さずなにも削らず」という修復の基本路線を固めた。
b0019140_15114546.jpg
そして、二年余の歳月をかけて、見事に建築当時の姿に蘇ったのだナ。

この「惜櫟荘だより」は岩波書店の広報誌「図書」に二年にわたり連載されたエッセイを岩波書店から書籍化された本だ。佐伯泰英初のエッセイ集は、氏が惜櫟荘を手に入れるまでの経緯や二年余りの修復作業の記録、自身のガン闘病、そして人気作家になる以前の写真家としてスペインで暮らしていた頃の回顧録で綴られている。

文庫本と云うカタチを最初に創ったのが岩波茂雄であり、今では文庫本は普通に定着している。そして、「時代小説文庫書き下ろし」という新たなスタイルを確立して大ベストセラー作家となった佐伯泰英。
b0019140_1573310.jpg
何とも数奇な「文庫」という繋がりで前者が惜櫟荘を建て、後者がそれを守ることとなった。

今まで「居眠り磐音」や「古着屋総兵衛」シリーズなど佐伯泰英の小説は読んでいたが、この本を読んでこの作家が益々好きになった。
b0019140_1571980.jpg
この15年間で180冊余りもの著書を発表し、累計販売部数が4千万部というから凄いとしか言いようがない。

佐伯氏は60歳を過ぎてからベストセラー作家となり富を得た。そして、その金を惜しみなく惜櫟荘の修復保存に費やすのだから大した人だ。
b0019140_1449392.jpg
さて、先月買いそびれていた居眠り磐音の新作『徒然ノ冬-居眠り磐音江戸双紙(43) (双葉文庫)』でも読むとしようか。
by cafegent | 2013-07-05 15:13 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)