東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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      ひやひやと壁をふまえて昼寝哉       松尾芭蕉

子供の頃、夏の暑い日など、土壁に頬や太ももを引っ付けてヒヤリとした涼を感じながら楽しんでいたナ。クーラーなどまだ高嶺の花だった時代、土壁は湿気を吸い取り、梅雨のジメジメした空気や秋の長雨の嫌な匂いなどもかき消してくれて、昔の人の知恵に随分と感心したっけ。

残暑厳しい夏の盛り、旅の途中の芭蕉翁も昼寝の最中に壁に触れてひやっとした涼しさを楽しんでいたのかナ。

僕の住むマンションはちょうど今、大規模修繕の真っ最中だ。あと残り二ヶ月、朝から夕方まで通路やベランダをたくさんの方々が作業をしながら往来している。午前中はずっと部屋でパソコンに向かっているので、工事の騒音に閉口しているワケだが、僕らの快適な住まいのために作業をしてくれているのだから、とこちらも堪えないとネ。そんな工事の音も12時を迎えるとピタッと止まり平穏な時が戻ってくるのだ。そう、作業員さんたちの昼休みの時間なのだ。小一時間のことだが、僕はその時間に大いにキーボードを叩き、文面に集中することにしている。

自分の昼飯を買いにマンションを出ると、駐車場脇や工事現場の空いたスペースなどで昼寝をしている作業員さんを見かけるのだナ。こんな夏の暑い昼間に職人や大工さんが休憩時に仮眠を取ることを「三尺寝」と呼ぶのだネ。太陽の影が三尺ほど傾く小一時間ほどの睡眠だから、この名が付いたと言われているが、作業場の隙間の三尺ほどの小さなスペースで寝転んでいたからとの説もある。

しかし、どの家庭にもエアコンが設置してある時代、昼寝する場所だって室外機の熱気で涼など取れないだろうネ。三尺寝の真っ最中の職人さんたちは、芭蕉の昼寝とまではいかないがせめて日陰が続いていてくれることを願いつつ買い物に出かけたのでアル。
    ◇             ◇             ◇
暑い夏の日に一番飲みたくなるのがミントジュレップだ。
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週末の昼下がり、冷蔵庫から取り出した氷を細かく砕き大きめのグラスにぎっしりと詰める。ベランダから摘んだミントをサッと水で洗い氷の上に置いたら粉砂糖を加えてスプーンの頭でミントを氷に押しつぶすようにして砂糖を一緒に溶かす。その上からバーボン・ウィスキーをなみなみと注ぎ、太いストローで軽くステアすれば完成だ。

あとは、グラスと本を持ってベランダの日影を探すのだ。最近では、もっぱらラム酒を使ったモヒートが持て囃(はや)されているが、僕の時代はバーボンかライ・ウィスキーだった。我が家にはいつもジムビームやフォアローゼス、それにオールドオーバーホルトが置いてあった。特に銘柄にこだわっていた訳じゃなく、その日の気分で選んでいたっけ。

イアン・フレミングが書いた『ゴールドフィンガー』の中で、ジェイムズ・ボンドは甘さを抑えたミントジュレップを飲んでいた。
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何をやってもさまになるボンドに僕も憧れたものだ。

今からもう30年以上も前、軽井沢を訪れた時、ホテルの庭のテラスで初めてこのカクテルを飲んだ。ボンドが頼んだカクテルよりは甘い味だったのだろうが、その時から僕の中では「避暑地の酒」と言えばミントジュレップになったのだナ。
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夏の飲み物と言えば、もうひとつ。英国の夏の定番飲み物が「ピムス」だ。ジン・ベースのリキュール「PIMM’S No.1」をレモネードかサイダーで割り、レモンスライスとキュウリを入れるのだヨ。日本でも下町の居酒屋あたりに行くとチューハイにキュウリのスライスが幾つも入ったものを目にすることがある。この「かっぱ割り」、まるでメロンのような香りを放ち、爽やかな酒となるのだネ。

夏のロンドンでは、パブなどで大きめのグラスにキュウリやオレンジなどを入れたピムスのカクテルを飲んでいる人たちをよく見かけた。彼らの感覚だと、食前のサングリア的なものなのだろうナァ。

昔は、余り日本では目にしなかったリキュールの PIMM’S No.1だが、今はキリンが国内で発売しているのだネ。
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ピムス 25度 700ml
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by cafegent | 2017-07-31 12:35 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
再開発が進む武蔵小山は駅を降りるとスグ目の前に広大なタワーマンションの建設現場が広がっている。其処には、かつての面影など微塵もない。と言っても、1年半ほど前まではスナックや小料理屋、居酒屋が数十店舗も軒を連ねる飲食店街「りゅえる」が在った。細い路地が縦横に並び、まるで迷路の中をぐるぐると歩き回って二軒目、三軒目の酒場を探したものだ。

馴染みの酒場が幾つも閉店したり、違う街へと移転したりしたが、近くに好い場所を見つけた店も有り、その営業再開は僕ら地元連中にとっては何よりの「嬉しい知らせ」だった。

昔の場所から通りを二つほど奥に遠ざかったが、幾つか飲食店が並ぶ路面店として復活したのが『佐一』だ。その店構えはモダンな和食店のようで、ちょっと敷居が高そうかナと思ってしまうが、戸を開けると仲睦まじいご夫婦の笑顔が優しく迎えてくれて、感じていた空気が一瞬で払拭する筈だ。もちろん、居心地の良い空気感のみならず、抜群の酒肴の美味しさとリーズナブルな価格もこの店の敷居が低いことを納得して戴けることだろう。

L字型のカウンター席のみの小体の居酒屋は、いつも馴染みの顔が集っており、誰もが良い顔をして酒を愉しんでいる。
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大将のユキさんは太い眉と優しい目が印象的で昔の映画俳優のような二枚目で、女将のユミさんも目鼻立ちがはっきりとして凛とした美しさを醸し出している。そう、二人とも実に素敵で華が有るのだナ。
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以前は寿司屋を営んでいたので、大将の仕入れる魚介類は素晴らしい。その魚たちをそれぞれ一番美味しく味わえるように料理してくれるのだ。

「はい、小肌だよ」

何度か通っていると僕の好みなども覚えていてくれて、黙っていても好きな肴を出してくれるのも嬉しい心遣いなのだ。

大将の料理を引き立てるのが、酒の仕入れを受け持っている女将さんの目利きだ。
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ユミさん、実はお酒は殆んど呑まないそうだ。だが、長年の仕入れ経験や全国の酒の情報収集などから、その時一番呑んで貰いたいと思う酒を仕入れている。そして、ユキさんが造る肴に合う酒を選んでススめてくれるのだナ。

この日もお任せで刺身の盛り合わせをお願いした。
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むふふ、好物の小肌やタコを忘れずに入れてくれたし、身がキュッと締まったコチや新鮮なイカのワタも好い酒の肴となった。
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辛口の酒「日高見」も濃厚なワタを絡めたイカの旨味にピッタリだ。

カウンターの向こうから何とも言えぬ良い香りが漂ってきた。大将が何かを蒸し焼きにしているのだナ。その香りがどんどんと強くなり、僕の鼻腔を刺激した。と、その時振り返った大将が、スッと皿をカウンターの上に置いたのだ。熱々のアルミフォイルを開くと松茸の馥郁(ふくいく)たる香気が、完全に僕を虜にしてしまった。
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おぉ、早松(さまつ)だネ。梅雨の時季に季節を早とちりして地上に現れる松茸で、市場ではなかなかお目にかかれない。

香ばしく七輪で焼かれた松茸には燗酒が合うが、ふっくらと蒸されたコイツには冷酒だネ。合わせた酒は東京の地酒、澤乃井の純米吟醸酒「東京蔵人」だ。
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爽やかな酸味が松茸の香りを邪魔することなくスーッと喉を流れいてく。これぞ「生酛造り」の酒の美味さだナ。

箸休め代わりに糠漬けをお願いした。暑い真夏にバテぬように発酵食も欠かせないネ。
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蕪、きゅうり、人参、茗荷にセロリ、どれも好い塩梅で漬かっている。これも酒がススむススむ。

お次にユミさんが出してくれたのは、栃木の宇都宮酒造が造る「四季桜」だ。
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トロッとした口当たりで芳醇な旨味が口いっぱいに広がってくる。あぁ、旨い、幸せなひとときだ。強い糠漬けの乳酸菌を酒の旨味が包み込み渾然一体となって僕の味覚を覚醒させていった。

もう一つ、僕の好物は此処の「なめろう」だ。これは結構手間がかかるので早めにお願いした方が良いかもしれないネ。丁寧に包丁で叩いたなめろうは海苔に巻いて食べる。
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鯵の旨味が凝縮されて、これまた酒がススむ一品だヨ。鯵が無い時もあるが、そんな時も別の魚で作ってくれたりするので、酒好きならば是非頼んでみて欲しいのだナ。

「佐一」は元々、牛すじ煮込みともつ煮込みが評判の、古くから続く地元の名酒場だった。ユキさんとユミさんは長い間、西五反田の桐ヶ谷斎場通りでお寿司屋さんを営んでいたのだが、2010年に地元に戻り二代目を注いで居酒屋「佐一」の看板を守ることにしたのだネ。
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場所こそ変わったが、親から引き継いだ煮込みの味は今も変わらない。そして鮨職人として培った料理人の技を惜しむことなく、この居酒屋で安価で提供されるのだ。

よし、〆に何か握って貰おうか。品書きには載っていないが、大将にお願いすれば鮨も握って戴けるのだヨ。僕は小肌やヒラメの昆布締めなどが好きだが、旬の時季のシンコも堪らない。

この日は簀(す)巻きがいいナァ、と告げると、ユキさんは黙って巻き簀を出して海苔を置いた。サァ、何が出てくるか楽しみだ。

「はい、どうぞ!」

登場したのは、ネギトロ巻だった。
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脂の乗ったマグロが口の中で溶けていく。酢飯をしっかりと食べたので、深か酔いもせずに家路に着くことが出来た。

武蔵小山には、まだまだたくさんの名酒場が在るが、此処『佐一』はきっと皆さんの期待に応えてくれる一軒となるだろうと思っている。

そして、僕だってまだまだ知らない店も多いので、皆さんが訪れてみて気に入ったところが有れば、是非とも教えて欲しいのだナ。

では、また! CHAO!
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by cafegent | 2017-07-28 13:31 | 飲み歩き | Trackback | Comments(0)
今朝の朝刊を開いたら、懐かしいパン屋さんの名前が紹介されていた。その記事は、下北沢で永く続いたパン屋『アンゼリカ』が今月末をもって閉店するとの内容だった。
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今から30年程前、僕は下北沢と云う街に住んでいた。駅から南口へと出て駅前の商店街を真っ直ぐ進み、茶沢通りに出る代沢三叉路手前に小さな郵便局が在った。一階が世田谷代沢郵便局で、その上がアパートになっていた。その名も「ポストハイツ」と云い、そのまんまのネーミングに物件を見に行った時に、思わず吹き出してしまったっけ。

駅からポストハイツへと向かう途中のちょうど真ん中辺りに『アンゼリカ』は在った。平日は殆ど店が開いている時間には帰れなかったが、土曜日はよくパンを買いに行った。みそパンが名物だったが、僕は此処のカレーパンが好きで、いつも二個買って食べていたナァ。

たまに友人の家に遊びに行く時などは、パンプディングを買い求めた。長細いアルミフォイルに入ったパンプディングはカスタードの香り豊かで、僕自身が大好きだったから、手土産にも重宝したっけ。

午前中に昼飯用のパンを買いに行った時などは、可愛い双子のお嬢さんを連れたシーナ&ロケッツの鮎川さんの姿を見かけたこともあったナァ。みんなもう随分前の思い出だ。50年の歴史に幕を降ろす「アンゼリカ」のパンの味は、ずっと僕の記憶の中に残っていくことだろう。当時は本当にお世話になりました。そして、お疲れ様でした。

僕は郵便局の二階に住み始めてから、毎晩のように茶沢通りに在ったソウルバー『あんずや』に入り浸った。通いだしてから1年ほどが過ぎた時に、店主のテル君から突然店を畳むとの知らせを受けた。そうか、行きつけの酒場が無くなってしまうのか、とまた何処か居心地の好い酒場を探さなくちゃなぁ、と思っていた時に家の近くの不動産屋に物件情報の貼り紙を見つけたのだった。

「あんずや」だった場所が居抜き物件として売りに出ていたのだ。最初は〝また誰かが借りて好い酒場が出来ると良いのだが〟程度のことだった。

当時、収集していたR&B、Soul Musicのアナログ盤が約4,000枚ほども有り、それに加えて当時主流になっていたCDも膨大な量になっていて、アパートの二階の床が抜けないかと心配する日々を送っていたのだ。そして、咄嗟に閃いたのが「居心地の良い酒場がなくなってしまったのならば、自分でバーを開こう」との考えだったのだナ。

部屋に有る膨大なレコードとCDも1階のバーならば安心して置いておけるし、みんなにも僕の好きなソウルミュージックを知って貰える、ましてや自分が一番居心地の良い酒場を作れば良いのだ。

こうして、一念発起して鉛筆ナメナメ事業計画書を仕上げて片っ端から金融機関の門を叩いた。営業譲渡金、不動産契約金、内外装費、酒等の仕入れ代金、音響設備などなど数百万円の見積もりとなったのだが、なんとか五年返済の計画で資金調達をすることが出来た。あとは友人知人たちの手を借りて殆どを自分たちで工事して店を仕上げたのだったナァ。

約三ヶ月の準備を経て1989年、僕は酒場『 ALGONQUIN’S BAR』の主人となったワケだ。
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あれから28年が過ぎたが、アルゴンキンズバーは、今も下北沢・茶沢通り沿いに健在だ。

きっちり5年で金融機関の返済を終えて無借金となり、丸10年が経った時に僕はまた違うことがやりたくなったのだナ。その頃、ちょうど二代目のバーテンダーの日影館くんが結婚し子供が出来たばかりだったので、この店の運営で家族を養えるならば、と彼に無償で店を譲ったのだった。唯一、僕が出した条件は「店の名前を残すこと」そして「僕のレコードを保管すること」だったが、タモツくんはちゃんと今でも守ってくれている。

今朝の朝日新聞の記事を読んで、久しぶりにあのパン屋さんのことを思い出し、当時住んでいた下北沢の街が走馬灯のように脳裏に浮かんだのだった。
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8月に入ったら『アルゴンキンズバー』の扉を開きに行ってみようかナ。

過去の日記から「2010/5月 ボブ・マーリーの命日に昔を思い出す」
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by cafegent | 2017-07-27 12:38 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
昨日は「土用の丑の日」だった。土用とは、五行に由来した暦の雑節だネ。四季に合わせて、年に4回あり、立夏・立秋・立冬・立春の「四立(しりゅう)」に入る前の18日間のことを土用と云う。

この中の夏の土用は、暦の立秋を迎える前の期間をさし、今年は7月の19日が「土用の入り」と呼び、来月の6日あたりを「土用明け」と呼んでいる。年に4回あることから、夏以外にも秋土用、冬土用、春土用もあるのだナ。

土用の季節の間の丑の日に当たるのが「土用の丑の日」というワケだ。今年は7月25日と8月6日が丑の日となる。
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実は鰻の旬は冬だったのだネ。江戸時代、学者や発明家として流しれていた平賀源内が、夏場がヒマで困っていた鰻屋の主人に頼まれて『本日、土用の丑の日』という貼り紙を鰻屋の店先に貼り出したら、途端に流行りモノに目がない江戸っ子たちがこぞって鰻を求めてやって来て大人気となったそうだ。今で言うところのキャッチコピーが見事にハマッたってことだネ。現代まで「土用の丑の日」には鰻を食べるってことが根付いているのだから、江戸期の天才コピーライター平賀源内、恐るべし!

物心ついた少年時代から、土用の丑の日と言えば鰻の日だった。世話になっていた叔母が、近所のうなぎ屋の軒先で香ばしく焼かれた鰻の蒲焼を買ってきてくれてドンブリ飯の上に乗せてくれた我が家のうな丼は夏のご馳走のナンバーワンだったナァ。ひょうたん型の山椒入れは、多分、年に一度しか食卓に並ばなかったのじゃなかろうか。

そして、たまに北海道に帰省した折に祖父の家に遊びに行った時などは、うな重を出前でとってくれたものだった。重箱に収められた鰻の蒲焼は、それはもう〝特別〟な食べ物だった。蓋を開けた瞬間に香ばしい香りが鼻腔を刺激し、ストレートに胃袋を揺さぶるのだ。目で十分にうな重を鑑賞し、箸を手に取る。サァ、どっちから食べようか。ふっくらした首下の身から行こうか、それともこんがりと焼かれた尾の部分から行こうか、毎回悩むのでアル。最初は鰻だけを味わい、それからご飯と鰻をバランスよく箸で取り分けて口へと運ぶ。程よく乗った鰻の脂がタレと一緒にご飯に絡まり渾然一体となって旨味を増幅させるのだナ。最後に重箱の隅に残った米粒は、蒲焼の名残りのタレと風味でかき込むって寸法だ。

高校時代までは、毎年夏になると鰻にあり付けていたのだが、大学で上京してからはトンとご無沙汰になった。社会人になって数年が経ち、自力で焼肉屋や寿司屋に行けるようになった頃から、再び夏の土用を迎えると鰻を食べるようになった。もちろん、それからは酒も一緒に愉しんだのだナ。
       ◇             ◇             ◇
さて、昨日は朝10時15分、酒仲間のダンディさん、スーさんと新小岩駅で待ち合わせをした。
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駅前からタクシーに乗り込み江戸川区役所方面へと向かった。
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「魚三酒場」の前を通り、区役所を過ぎてから左へとコの字のように回りタクシーを進めると、なんとシャッターが下りているではないか。タクシーの運転手さんが「お休みみたいですネ〜!」と一言。シャッターに貼られた「本日、お休みさせて戴きます」の紙に僕らも諦めた。そうだよネ、最近は普段から流行っている『野田岩』のような鰻屋さんは、土用の丑の日を休むところが増えているものナ。

11時開店に合わせて向かったので、まだ次の手立てを考える時間はある。我ら三人は、タクシーを降りずにそのまま再び新小岩の駅まで戻ることにした。

そして浮かんだのが亀戸天神社の参道に店を構える天ぷら・活鰻の『八べえ』だ。こちらも臨時休業だったら元も子もないので、新小岩の駅から電話を入れてみた。すると、感じの良い声で「はい、八べえです!」との返事が聞こえた。今日は鰻を食べられるかを問い合わせると、この日も11時半から通常に営業をするとのことだった。ただし、近所への出前の注文がいっぱいなので、店内での鰻の提供は12時を回ってしまうかもしれない、とのことだった。

おぉ、これはありがたい!毎週土曜日の立石朝酒で、待つことには慣れている三人だ。喜んで待ちます、と今から向かう旨を告げて電話を切った。

よしっ、とJRの改札に入り、総武線で亀戸へと移動したのだナ。
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亀戸駅を出て北口の商店街を進み蔵前橋通りへと歩く。

夕方に通夜に向かうスーさんは喪服姿で暑そうだ。
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パナマハットに短パン姿と見た目にも涼しそうなダンディさんとは真逆だったナァ。

そして杖をつきながら、僕は後ろから追いかけるのでアル。

11時5分前、『八べえ』に到着だ。11時半開店なので、30分ちょっと待つことにした。
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すると、ガラリと戸が開いて「お暑うございますので、中でお待ち戴いて大丈夫ですよ」とお声掛けしてくれたのだ。これは嬉しい気遣いだネ。先ほどの電話の応対といい、本当にお客様本位の素晴らしいお店なのだネ。

お店の方にご挨拶をして、奥の小上がりへと進み腰を下ろした。駅から亀戸天神社まで歩くと、やっぱり汗も吹き出すのだ。
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冷たいおしぼりで汗を拭い、ホッと一息。すると、飲み物を出してくれるとの嬉しいお言葉!では、お言葉に甘えて「生ビール3つ、お願いします!」
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では、カンパ〜イ!

こうして、お店の方々の気遣いに甘えて、並ぶことなく鰻を待つことが出来たのだ。
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それにしても、喪服姿のスーさんと、真っ白なTシャツ姿のダンディさん、まるでレザボアドッグスに出てくる野郎どもにしか見えないネ。

メゴチの天ぷらを肴にビールが美味い。
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江戸前の天ぷらには欠かせないメゴチの身はふっくらとして塩が旨味を引き立ててくれたナ。

11時半の開店になると続々とお客さんたちが入ってきて、スグに座敷も満席となった。

そして、12時過ぎまで待つとばかり思っていたうな重も程なくやって来た。
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美しい重箱の蓋を取ると、ふっくらと焼きあがった天然青うなぎの姿に目が釘付けになる。
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おぉ、麗しき蒲焼よ。タレとうなぎの脂が醸し出す香ばしい香りが僕の鼻腔をくすぐるのだ。この香りだけで、酒がススむススむ。

よし、戴きます!「八べえ」ではうなぎを頼むと、関東風の「蒸し」か関西風の「地焼き」かを聞いてくれる。どちらも好みなので、気分によって変えることが多いのだが、今回は天然の青うなぎなので、身もしっかりしているだろうから、と蒸しをお願いした。肉厚なうなぎが程よく蒸されているので、ふっくらとした口当たりで実に美味い。
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先ずは、いちばん身の厚い胴のところから口へと運んだ。むふふ、辛めのタレが東京のうなぎ屋らしさを醸し出しているネ。
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岡山は児島湾で捕れる青うなぎは、アナジャコを餌にしているので「しゃこうなぎ」とも呼ばれているのだナ。川で捕れる天然ものと違って、身も柔らかく、脂も程よいのが、青うなぎなのだ。
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肝吸いも三つ葉が仄かに香り、うな重で満たされた口の中をさっぱりとさせてくれる。あぁ、もっとじっくりと味わいたかったが、美味し過ぎて三人ともモノの10分ほどで平らげてしまったネ。

「どうぞ、ゆっくりとして行って下さいネ〜」と声を掛けて頂いたが、真に受けちゃイカン。何と言ってもこの日は「土用の丑の日」だ。長っ尻は待っている方々にも失礼でアル。ご馳走様でした。
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外に出ると蝉の鳴く声が参道の彼方此方に響き渡っていた。
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亀戸天神社を一回りして、藤棚の向こうに望むスカイツリーを拝んだ。

ちょっと外に出るともう汗が噴き出している。亀戸天神社の隣に店を構えるくず餅の老舗『船橋屋本店』にて涼を取ることにしたのでアル。
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再び、三人揃って氷宇治金時の白玉トッピングを注文。
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それにしても氷がデカい。
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こちらでは、純白の氷に自分で抹茶シロップと小豆をかけるのだネ。氷が器から崩れ落ちないように気をつけて食べなくちゃならない。
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意外と、呑んべいに甘いもの好きが多いのだネ。

店の奥の坪庭を眺めながら、冷たいかき氷を戴く。
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なんて贅沢はひとときだろうか。

宇治抹茶も濃くて、甘さも控えめだった。
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冷たく冷えた白玉に甘く煮た小豆が合うナァ。最初は氷の量が多いから、全部食べきれるだろうか、と心配したが最後はペロリと平らげ小さなガラスの器だけになった。

オヤジ三人、茶寮での一服を堪能し、涼を取ることが出来た。
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午後1時、今にも一雨降り出しそうな灰色の空の下を錦糸町まで歩き、次の酒場へと向かったのでアール。

過去の日記から「2011/8月 児島湾の天然しゃこうなぎに唸る。」
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by cafegent | 2017-07-26 13:28 | 食べる | Trackback | Comments(0)
海の日の月曜日、鎮痛剤が効いているので日本橋の高島屋まで買い物に出かけた。一週間前は、自宅から最寄り駅まで40分以上もかかったのに、この日は10分ぐらいで到着だ。

買い物を済ませた後、地下の食材売り場を散策。東京の百貨店は全国各地の銘菓や名物が揃うから嬉しいネ。この日は「本日入荷」の張り紙に惹かれ、伊賀の菓匠 桔梗屋織居の夏の氷菓「小豆憧風(あずきどうふ)」を購入した。
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水羊羹よりも口当たりがなめらかで、山口のういろう「豆子郎(とうしろう)」を彷彿させた。

名店街をグルリと散策したから、足に随分と負担をかけてしまったのだナ。エレヴェーターで上に昇り甘味処『浅草 梅園』へと向かった。
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店に到着すると、待つ人の列が10数人も居た。
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だが、足を休ませるには暫くじっとしていた方が良いのだネ。そして、30分程で席に着くことが出来た。

此処に来たら、やっぱり「粟ぜんざい」だナ。梅園では、粟(あわ)でなく、餅ちきびを使っている。半搗きした餅ちきびを練り上げて蒸し上げた粒々は、どこかクスクスにも似ている。
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温かく蒸された餅ちきびにじっくりと炊いたこし餡が乗っている。きびの仄かな香りと淡い渋み、それを覆う甘い餡、おぉ、これこれ、これだよネ!東京の味わいを感じる一品なのだヨ。江戸時代は、吉原で遊んだ後の朝帰りの途中、茶店での一服に粟ぜんざいを食べたそうな。

甘いものを補給し、体力も戻ったかナ?日本橋から地下鉄を乗り継いで新宿へと移動した。

新宿西口広場に出て、スバルビルの脇の地下道を歩く。東京モード学園のビルから地上に上がると目の前に新宿副都心にそびえ立つ損保ジャパン日本興亜本社ビルが見える。

エレヴェーターで一気に42階へ。気圧の変化で耳がおかしくなるのだナ。到着したのは『東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館』だ。
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今回は僕が敬愛する画家・吉田博の生誕140年を記念した大規模な展覧会で、昨年の春に千葉県の千葉市美術館で開催された企画の巡回展となる。昨年の夏にNHKの日曜美術館で放映された「木版画 未踏の頂へ 〜吉田博の挑戦〜』を観て、今年の巡回先の長野まで観に行きたいと思っていたのだがタイミングが合わず見逃していたので、漸く東京での開催に行くことが出来て良かった。
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日曜美術館「木版画_未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」紹介のサイト

過去に何度か吉田博展を観たことがあるが、ほとんどが後期の新版画の作品が中心だった。だが、今回は幼少期のスケッチの作品から日本画、洋画を始め、吉田博の画業の全てを垣間見ることが出来る貴重な展覧会だった。

「絵の鬼」と呼ばれていた画家だが、僕の中ではずっと「旅する画家」の印象が強いのだナ。明治32年に画家仲間の中川八郎と共に片道の渡航費だけを工面してアメリカに渡り、向こうのデトロイト美術館で二人展を催した。その際に、自分の絵を売って生活費を得るなんて尋常じゃないよネ。しかも、ほとんどの絵が売れて千ドルもの大金を手にしている。当時の金としては、教師の給料の11年ぶんにも相当するらしい。スゴいネ!

アメリカを巡り、そこからロンドン、パリと足を伸ばしている。日本に戻ってからも、各地の山々を登り精力的にスケッチを重ねており、多くの水彩画、油彩画、木版画を残しているのだナ。中でも日本各地の名勝地を描いた木版画のシリーズは僕の大好きな作品だ。

明治36年には再び渡米し、そこからヨーロッパを経由してエジプトまで巡っている。
後年、大正期にはスイス・マッターホルンを訪れ、昭和期に入ってからもインドや韓国、中国にも訪れている。
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晩年、太平洋戦争が起きた昭和16年には、戦う戦闘機から見下ろした大地を描いた作品『空中戦闘』を描いている。戦後生まれの僕は、この絵を前にして胸が詰まる思いで観てしまった。

吉田博の作品の多くは、海外に渡っている。当時から、海外の人たちの琴線に触れる「日本の風景」を木版画にして、外国人ウケするアングルで風景を切り取ってグラフィカルに描いたのだろうネ。これは写真では決して表せない吉田博の世界観で描いたグラフィックアートなのだ。
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本展覧会では、そこに辿り着くまでの画業のヒストリーと画家の旅を辿ることが出来た。

    ダイアナ妃や精神医学者フロイトも魅了した画家

展覧会のフライヤーに書かれたキャッチコピーは、なんだかナァと思ってしまうのだが、広く多くの方々が足を運んでくれるキッカケとなるのであれば、まぁイイか。

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            吉田博 作品集

ゆっくりと館内を回ることは出来たのだが、さすがに足が痛くなってきた。そろそろ痛み止めの効果が切れる頃かナ。
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と云うわけで、杖を片手に家路へと戻ったのでアール。

過去の日記から「2009/10月 吉田博の新版画に浸る」

過去の日記から「2011/8月 夏の百花園にて句会と酒場」
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by cafegent | 2017-07-20 11:19 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
       簾外(れんがい)のぬれ青梅や梅雨明り    飯田蛇笏

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関東も明日あたりに梅雨明けとなりそうだ。昨日は都内でも激しい落雷に見舞われ、茗荷谷あたりでは雹(ひょう)が降ったみたいだネ。雨が降ると少しは気温も下がり涼しくなるから、と気を抜いて歩いているとスグ近くに雷が落ちたりして腰を抜かしそうになる。

季節は「小暑」から「大暑」へと変わろうとしているネ。今週から暑中見舞いを出す時期になったのだナ。一年の季節の移ろいを春夏秋冬の四季だけでなく、七十二種にも分けて表した「七十二候」というものが中国から我が国へと伝わっている。今週はちょうど「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)の季節。巣立ちしたタカの幼鳥が大空へと飛び立ち獲物を捕らえることを学ぶ時季になったのだナ。オオタカは環境省の準絶滅危惧種に指定されているそうだが、近年東京都内でも繁殖が増えていて、空を舞う姿を見る機会が増えている。

僕がよく訪れる白金台の「国立科学博物館附属自然教育園」でも、オオタカが営巣をしていたのでヒナが巣立ち始めている頃だろうか。親鳥も鳩やカラスを襲い、ヒナへと餌を運ぶのだネ。食物連鎖の頂点とも言えるオオタカだが、自然の生態系が保たれているからこそ、餌となる小動物を捕獲できるワケだ。近年、勝手に捨てられた外来種のペットが野生化している。都内でもワカケホンセイインコ、ガビチョウ、ソウシチョウなどの鳥やミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)、アライグマなどの侵略的外来種が増えているので、生態系に悪影響を及ぼすそうだ。
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我が家から徒歩数分の「東京都立林試の森公園」でも、時折何処かから餌を求めてオオタカが飛来してくる。野鳥を探して藪の中へと分け入ると、オオタカが捉えたばかりの鳩を解体している所へ出くわすこともしばし有るのだナ。また、タカの仲間で一番小さい雀鷹(ツミ)もよくやって来る。ツミはもっぱら雀やシジュウカラなどの小鳥を狙うのだが、いかんせん鳩ぐらいの大きさしかないので、しょっちゅうカラスに追いかけられている。
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ツミが来ると小鳥たちが逃げて何処かへ隠れてしまうので、バードウォッチングしに行く身としては非常に困るワケだが、まぁ鳥は鳥。小鳥じゃないが、キッとした目鼻立ちが素敵なツミも絶好の被写体としてシャッターを切っているのだナ。近所の家のガレージの軒下ではツバメがこの時季、二度目の繁殖に成功していた。小さな巣の中からはみ出しそうな程大きく育ったヒナたちが大きな口を開けて餌を運ぶ親ツバメを待っていた。七十二候ではないが、「燕乃学習」と言ったところか。

       梅雨明けや森をこぼるる尾長鳥    石田波郷
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オナガも大勢の家族を連れ、餌を求めにやって来るのかナ。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

二週間前に突然、お尻に激痛が走り動けなくなった。翌日になるとその痛みが右足の太ももから膝にかけて広がっていた。痛む足を引きずりながら病院に駆け込むと「座骨神経痛を発症していますネ」と言われたのだ。もともとギックリ腰になり易かったのだが、臀部から足が痛むなんてことは一度もなかった。聞けば、脊椎の骨が神経を刺激しており、その神経は臀部から足まで繋がっているために足の神経も痛くなるのだそうだ。

しかし、今回一番ショックだったのは、先生に原因を聞くと「歳をとったせいですヨ!加齢ですね」と、あっさり言われたことだった。どんなに若い気持ちでいても、現実はそう甘くなかったってことか。トホホ。

この痛み、尋常じゃないのだヨ。大の大人が涙を流す程に痛いのだ。この痛みを何かに例えると擦れば、打撲をしてアザが出来て腫れている箇所を固い棒の先でグリグリと押された感じかナ?ズキズキ
、ジンジンと痛み、疼(うず)くのだ。この痛みのことを「疼痛(とうつう)」と呼ぶらしい。

最初に先生から処方されたメチコバール錠とロルカム錠という薬は、末梢神経障害の症状を緩和する働きがあり、痛みを和らげると聞いた。薬を飲み、腰から下を冷やさないようにエアコンを極力避けて痛みを和らげていたのだが、それでも激痛は止まらなかった。

そんな中、用事があって駅の近くの郵便局まで行かなくちゃならなくなった。Amazonから届いたばかりの杖を左手に持ち、痛む右足を引きずりながら、必死の思いで郵便局まで向かった。我が家から郵便局までは、普段だと5分程で到着する距離なのだ。それが、ちょっと歩くとスグに激痛が走り、しばらくガードレールなどに腰を下ろし休んでいると再び歩けるようになる。それの繰り返しでアル。「間歇性跛行(かんけつせいはこう)」という症状だと聞いた。

うりゃっ!満身創痍の身体に鞭を打ち、30分かけて到着だ。

汗をかき々々、やっとのこと郵便局に辿り着いたのだが、そこで大マヌケなことをやってしまったのだった。トートバッグを肩から下ろし、郵送する封筒を取り出すと、出す筈のモノとは違う茶封筒だったのだ。おいおい、こりゃ何の天罰だヨ!あちゃーっ、不甲斐ない自分に思わず苦笑いまで出る始末だ。

あぁ、再びこの道を戻り、また来なくちゃならないのか。再び30分、今度は上り坂だ。右足の痛みと痺れを我慢しながらも、己の阿呆さ加減の方が強く僕を攻撃してくるようだった。トホホのホ!

郵便局から我が家へと、這々(ほうほう)の体(てい)で戻って来たのだヨ。あれ、家を出たの確か10時だったよナ。ソファに崩れ落ち、腕時計に目をやると、11時を疾(と)うに過ぎていた。あぁ、疲れたナァ。

病院で処方された薬は、全く効かなかった。この日は郵便局に行くのを諦め、午後にまた病院に向かった。病院までの道のりも辛く、激痛を伴ったが、堅忍不抜の精神で見事に歩ききった。

そして、この二日間の症状を先生に伝えると、ヘルニアや腰部脊柱管狭窄症かもしれないから MRIの検査をしよう、と云うことになった。

先生が新たに処方してくれた薬は、神経痛を和らげる「リリカカプセル」というものだった。
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このクスリは「ロキソニン」よりも強いとのことで1日に服用する量を調整してもらった。

この日の夜、処方された薬を飲んだ。服用してから1時間余りが過ぎたあたりから、劇的に痛みが緩和されたのだった。これはオドロキだ!今まで、立っていることが辛くて、トイレで立ち小便をすることも出来ない状態だったのだからネ。

ベッドで寝ている間も痛みが少なかった。翌朝、薬の効能が切れたのか、再び臀部から右膝にかけて痛みが走っていたが、薬を服用し1時間ばかりすると痛みが和らいだ。痺れは余り治らないのだが、立って歩けるし、神経痛が緩和されていることが嬉しかったのだナ。

先生が処方してくれた薬が僕の症状に見事にマッチしたのだろうネ。あとは、MRIの検査結果を観て治療に専念しよう。
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よしっ、前日の失敗を糧にして、郵便物を再チェック!杖を片手に意気揚々と郵便局へと向かったのでアール。
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by cafegent | 2017-07-19 13:26 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
先日、朝日新聞社の主催により『市川崑の60年代レア作品「青春」をフィルムで観てから、「黒い十人の女」の頃の話もしてしまう会」と云うトンデモなく長いタイトルのイヴェントが催された。
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映画を鑑賞した後に音楽家・小西康陽とミルクマン斎藤さんとのトークショーも開催されたらしく、市川崑ファンには堪らない催しだったのだネ。ちなみにミルクマン斎藤氏は、デザインスタジオGROOVISIONSのメンバーであり、映画評論家として活躍している。
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生憎(あいにく)、僕は仕事の都合で参加することは出来なかったのだが、酒朋の友人が何名も参加したりして、愉しんだと聞いた。また、この企画自体を実行した朝日新聞社の小梶さんも我が酒朋でアル。

このイヴェントで上映された作品は『第50回全国高校野球選手権大会 青春』という1968年公開の映画だ。
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市川崑監督の作品でスグに浮かぶのは、’65年の映画『東京オリンピック』だネ。大勢のスタッフや機材を導入し開会式から閉会式までを緻密な絵コンテを作り、撮影に挑んだそうだ。閉会式までの15日間に撮影した膨大なフィルムの編集は気が遠くなるほどの作業だっただろうナァ。

その結果、この映画は大ヒットし、日本国内のみならず海外でも高い評価を得て、確かカンヌ映画祭でも賞を獲得した筈だ。今回上映されたこの映画は『東京オリンピック』の成功を確信し、高校野球大会の主催団体のひとつである朝日新聞社に自ら持ち込んだ自主企画だと知った。

   選手たちの一年間にわたる、長くつらいトレーニングは、それぞれの土地の風土、
   つまり自然とのたたかいです。そのたたかいのなかに、青春の生命感があると思い
   ます。大会は、凝縮したその結果が開花するときです。

1968年8月10日の朝日新聞夕刊の記事の中で、市川崑監督が語った言葉だ。

世界のスポーツの祭典を「映画」というカタチで見事に〝映像美〟なるものをを僕らに植え付けた監督。その視点・基軸をそのまま日本のスポーツの祭典である高校野球を「青春」という切り口で映像化した作品が、この『第50回全国高校野球選手権大会 青春』なのだネ。

この映画をフィルムで観れる貴重な機会は逃してしまったが、8月初めにDVDが発売されると知ったので、8月7日に始まる第99回全国高校野球選手権大会の前に一度は観たいものだ。そして、14日間にわたる激動の青春を体感したら、もう一度この映画を鑑賞してみよう。
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第50回全国高校野球選手権大会 青春 [DVD]

我が兄、小西康陽が昔から市川崑監督の映画を愛していることは誰もが知っている周知の事実だ。好き過ぎて、’97年に自ら映画『黒い十人の女』をリヴァイヴァル上映したことがキッカケとなって、渋谷系世代をはじめ、再び「映画監督 市川崑」が脚光を浴び、過去の映画の再上映に繋がったのだネ。

1994年の雑誌「ブルータス」11月号の中で、小西康陽は「あの頃は蓮實重彦的な映画ジャーナリズムが圧倒的で、もちろんぼくのカブれたクチだが、市川崑など徹底して無視されていた時代だった。好きだと言っても苦笑されるのがオチ。」と記している。そして「『おとうと』の唐突的なラストを、『黒い十人の女』の圧倒的なグラフィックセンスをあぁ、知る者にしか判らないのだ」と怒っていたっけ。京橋のフィルムセンターで「市川崑」を発見してから、ずっと市川崑の映画を観続けているのは大したものだナ。
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黒い十人の女 [DVD]

ちなみに僕が市川崑の映画で一番印象に残っているのは『鍵』だ。冒頭のタイトルロールから、線路の上を走る市電の足元に配役らのテロップが流れ、実にカッコイい。場面が変わる時のリズムやカットをつなぐテンポの良さなど、これこそ市川崑らしい映像編集のセンスの良さを発揮した映画だった。

しかし、この映画は何と言っても、主演の今日マチ子、叶順子、仲代達矢、そして中村鴈治郎の四人が、とにかく凄い怪演ぶりを発揮していることだろう。吊り上がった細い眉が妖艶さを強調した京マチ子と、対照的に太い眉毛で純真一途な女学生らしさを醸し出す叶順子、もうどちらも可成りエロいのだナ。

病に伏せ、死ぬ間際に京マチ子演じる妻・郁子を裸にさせ、それを拝みながら冥土に旅立つ剣持を演じた中村鴈治郎も実にエロい。

京マチ子がこんなにもエロティックで妖艶な女優だったのか、と改めて僕の好きな女優にランク・インしたのもこの映画に出会ったからだったナ。娘・敏子の婚約者で若き医師・木村を演じた仲代達矢は強烈だったナァ。飄々としていて、クールで、実にシニカルな演技は、今も仲代達矢ならではの個性とも言えるだろう。
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鍵 [DVD]

先日、改めて谷崎潤一郎の『鍵』を読み返してみたのだが、自分の性欲の衰えを妻と娘の婚約者との逢瀬によって生まれる嫉妬と興奮により制欲の糧にしている亭主の年齢が今の僕よりも若いと云うことに驚いた。そんなことは、まーどーでもイィのだが、市川崑監督の映画で一番好きな映画が『鍵』なのでアル。

今日の夕方、BSフジで放映されたテレビドラマ版『黒い十人の女』は市川崑自ら監督を努め、鈴木京香さん、浅野ゆう子さん、小泉今日子さんらが実に素敵な演技をみせていたナ。ダメな男の代表とも言えるテレビプロデューサー風松吉役はオリジナル版の船越英二氏もリメイク版の小林薫さんもどちらも怪演だったナ。

一昨日の日曜日、東中野のもつ焼き屋『丸松』にて休日を過ごしていたら、偶然にも酒朋コカ爺ぃこと小梶詞さんが友人とやって来た。彼らは既に赤羽『まるます家』からの帰りでゴキゲンだったので、いざカンパイ!僕が観られなかった前出のイヴェントも盛況だったそうだった。
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そして、彼が手がけたこのイヴェント特製のZineを戴いたってワケだ。

昨日じっくりと戴いた特製Zineを拝読したところに、タイミングよく今日のテレビ版『黒い十人の女』の再放送を知ったので、つい今日は勢いで書いてしまったのだナ。

我がブログの読者にも、これを機に市川崑という映画監督とその作品を好きになって貰えたら幸いでアル。
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by cafegent | 2017-07-18 21:32 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)

以前、歌川広重が浮世絵に残した風景を辿って歩いたことがある。「東都三十六景」の中で描かれた富岡八幡宮は、今でも東京の名所として親しまれているネ。僕が門前仲町に足を運ぶきっかけとなったのも、「東都三十六景」シリーズの「深川八まん」と云う浮世絵だった。

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この絵はちょうど桜が満開の季節。鳥居の上から鳩たちが参道に向かって飛び立つ姿が印象的だ。広重は、この版画の他にも「江戸名所」や「江戸高名会亭尽」などで何度もこの場所を描いているのだナ。

この「深川八幡境内」の絵では蘇鉄(ソテツ)の木が大きく描かれており、周りを料理茶屋が囲んでいる。この頃から、此処は多くの人々が訪れ賑わいを見せていたのだネ。


荒川と隅田川に囲まれた門前仲町は、周辺に木場公園や清澄庭園、深川不動堂などが在り、いつも大勢の人々が訪れている。駅から十分も歩けば、越中島の水上バス乗り場も有るので天気の良い日に東京水辺ラインの船旅もまた愉しい。


江戸三大祭りの一つ「深川八幡まつり」で知られる富岡八幡宮では、日曜に骨董市が催され、掘り出し物を見つける事が多い。僕も此処で「民平」(淡路焼き)の皿を見つけて、値段交渉をして手に入れた事があったナァ。


江戸情緒が随所に残る深川の中心、門前仲町の名は、永代寺の門前に開かれた町であり、江戸時代には辰巳芸者目当てに多くの旦那衆が茶屋に集まり賑わっていた。


その門前から真っ直ぐ清澄通りへと続く通りを歩く。深川公園を過ぎた辺りに、そこだけ昭和にワープした様な「辰巳新道」が在る。かつては、江戸から続く辰巳芸者たちが通りを行き交い、色香を放っっていたことだろう。男を真似て羽織を纏った辰巳芸者は、吉原芸者の派手さに対し、粋さを重んじ、いなせと俠気を売りにしたと云う。そんな気質が江戸っ子たちにウケて、広重の浮世絵などにも頻繁に登場したのだろうネ。


「辰巳新道」は、間口九尺二軒の小さな店が三十店近く軒を連ねており、夕暮れと共に酒を求める人たちが集まって来る路地だ。


辰巳新道と清澄通りの間にひっそりと佇む『大阪屋』は、大正時代から続く牛煮込みの酒場でアル。

使い込まれた白木のカウンターには「この店の主人は私だ」とでも言わんばかりに、真ん中にデンと煮込み鍋が鎮座している。


サッポロ赤星の大瓶をお願いすると、シュポンッと栓を抜いてくれて小さなビールグラスと共に白木のカウンターに置いてくれる。

此処では、席に着くと四つに折った白い布巾と自家製のお新香が出てくるのだ。この白い布巾はよくおしぼりと勘違いする方も多いのだが、大坂屋の煮込みは濃い色の煮込みツユの中に串に刺さった牛モツが浸かっているので、串もしっかりと鍋に浸かっているのだネ。そんなワケで、串を持った手を拭くために用意されているのだ。

 

鍋から聞こえるグツグツと沸く音が至福の時へと誘ってくれるのだ。此処の煮込みはシロ、フワ、ナンコツの三種のみ。甘過ぎず、辛過ぎず丁度良い塩梅に煮込まれて、どの酒にも合う。焼酎の梅割りが一番だが、三杯も呑めばボディーブロウのように酔いが回って来る。


夕方四時の口開け時は、先代の頃からの古いご常連が多い。

今は、三代目に当たる佐藤元子さんとお嬢さんが煮込みの味を守っているのだが、天井近くを覗いてみると、先代がじっと鍋を見つめているのだナ。


2010年の春の紫綬褒章を受賞した映画監督の根岸吉太郎さんも此処の煮込みが好きでアル。監督が色紙に残したコトバが何とも素敵なのだ。


        写真の中の親父の煙草 

        灰が鍋の中に落ちないか

        気にかかる。

        それにしても、いい顔。


頑固な親父さんの意志をしっかりと受け継いだ元子さんも、行儀の悪い人やタチの悪い酔っぱらいには手厳しい。ちゃんと酒の吞み方を判っている方には、とても優しい笑顔で迎えてくれるのだナ。皆さんも是非、此処を訪れたら鍋の上に飾られている先代の写真と根岸監督の色紙を見てもらいたい。この酒場を知って良かったと、しみじみと感じる筈だから。


僕はもっぱら一人で訪れるのだが、俳句の話や旅行の話でいつも愉しい酒となる。


今は、元子さんの厳しい指導の元、四代目を受け継ぐお嬢さんも店に立っている。元々、ピアノの先生をしていたのだが、以前から店が忙しい時は手伝いに来ており、古いご常連さんたちからも可愛がられていたので、四代目になると聞いた時もそんなに違和感はなかったナ。


都会の喧噪を逃れ、ちょいと路地に入れば、ほっこりとなれる酒場が待っているのだ。ビールを飲み干したら、梅割りにしよう。ストレートグラスになみなみと注がれた焼酎に下町ハイボールでお馴染みの梅エキスを垂らしてくれるのだ。冷たく冷えた梅割りが呑みたければ、氷の入ったグラスを出してくれる。こんなちょっとした気遣いが名酒場たる所以なのだナ。


小さな半円カウンターと壁際の席で十人も入れば一杯になってしまう小体の店だが、此処は心優しい客が多く、席を詰めてくれたり切り上げて席を譲ってくれる。そんな下町の心意気に触れられるのも、煮込みの味と共に「大坂屋」の魅力である。四時開店なので、深川散歩に疲れたら此処の暖簾を潜ると良い。牛もつ煮込みを肴に、焼酎の梅割りや燗酒が疲れを癒してくれるのだ。


煮込みの〆には、名物の卵スープがおススメだ。崩した黄身に串から外したシロをつけて食べてみて欲しい。ほっぺたが落ちそうになる程に美味いのだ。


小さな酒場故に長ッ尻もいけない。程よく酔ってきたら、新客に席を譲ろう。路地を曲がれば「辰巳新道呑み屋街」も在るし、永代通りを渡れば魚が旨い『魚三』だって開いている。さぁ、広重も愛した街を歩いて、酒場の暖簾を潜ってみてはいかがかな。



東京黄昏酒場/大坂屋
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by cafegent | 2017-07-14 14:51 | 飲み歩き | Trackback | Comments(0)

二十四節気では「小暑」の時季なのだが、東京は朝から気温が高く「何が小暑だ!」と言いたくなってしまうほど暑い。もう梅雨明けしたのだっけ?と思ってしまうネ。


以前、この季節に京都の祇園祭りを観に行ったことがある。

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京都フリー写真素材
最初のうちは胸躍る気持ちの方が強く大勢の観客に混じって見物していたのだが、次第に体がダルくなり目眩がしてきたのだ。京都特有の茹だるような暑さに僕の躰がついていけなくなったのだナ。朦朧としている僕を心配してか、カミさんが近くの甘味茶屋の『梅園』に連れて行ってくれた。


店内の冷房でホッとしたのも束の間、急に躰が冷えたせいか余計にダルくなってしまったのだ。そんな僕を尻目にカミさんは梅園の宇治金時白玉のかき氷を美味そうに食べていたっけ。七月の茹だるような暑さの中に身を置くと、何故かトラウマのように梅園のかき氷さえ食べられないほどにヘタっていたことを思い出してしまうのだナ。トホホ。


あぁ、それでもこの季節になると京都に行きたくなるのだナ。

京都フリー写真素材
鱧(ハモ)は、梅雨明け頃が一番美味い。鱧は江戸時代「海鰻(ハモ)」とも記された。なるほど、と思う当て字だネ。江戸期の料理本『海鰻百珍』の中には「鱧の木屋町焼き」など120種類の鱧料理が紹介されていた。鱧の歴史は古く平安時代に書かれた『和名抄』の中にも、夏場でも内陸まで生きて運べるほど生命力が強く、大変美味しい魚だと記されていると聞いたことがある。


海鰻百珍を始め、豆腐百珍、鯛、蒟蒻(こんにゃく)、卵、甘藷(さつまいも)などの江戸の料理を840種も紹介している『料理百珍集』が出ているので、是非!

ちなみに「鱧の木屋町焼き」とは、ふっくらとしたハモの身をパリッと焼いた皮で挟み、とろとろの葛で旨味を包んだ料理。二枚の鱧の皮目を鴨川と高瀬川に見立てたので、この名が付いたのだ。そうか、川と皮をシャレたのだナ。この江戸の鱧料理が食べたくなったら、京料理の『木乃婦(きのぶ)』だ。海鰻百珍の「木屋町焼き」を現代風に復活させたり、鱧の釜飯も実に旨い。だが、しかし!懐に優しくないのが、玉に瑕(きず)だナ。財布の中に福沢諭吉が何人も居る時じゃないと、不安で美味い料理も喉を通らなくなっちまうからネ。


僕が子供の頃は、鰻が主流の東京では「鱧」なんて言葉さえ出ることもなく、ましては家庭で食べるものではなかった。もっとも鰻だって家で造るワケじゃなく出前だったけれどネ。

七月の梅雨明け前、木屋町、高瀬川舟入の目の前に佇む割烹『やました』で、是非とも味わって貰いたいのが「鱧の焼き霜」だ。
炭火の上に丸く足高の網を乗せたカンテキの上で鱧の皮目だけを炙ってくれるのだ。
梅雨の雨を飲んだ鱧は身が一段と旨いのだ。あっさりとした味わいの夏ハモの皮目を香ばしく炙り、脂や身の旨味をギュッと封じ込めている。パリっとした皮の食感と刺身のような身の食感の相対する美味さを口の中で愉しむのだナ。これに、灘の「大神力」純米酒の冷酒を合わせれば、クィクィと呑んでしまいそうだナ。


京都の伝統的な鱧料理と言えば「鱧落とし」だネ。「落とし」とは、湯引きのこと、骨切りしたハモを湯引きして氷水の中に落とすことから、こう呼ばれている。これも身がクッと引き締まって旨いのだ。鱧落としが食べたくなったら、老舗の『堺萬(さかいまん)』だナ。創業150余年を誇る鱧料理の名店で、鱧の骨切りの技は絶妙で日本一を誇るといわれているのだヨ。あぁ、鱧そうめんや薄造りなどが楽しめる堺萬の「鱧づくし」も食べたいナァ。

うーん、机の前で一人京都旅行を空想している僕だが、座骨神経痛が悪化して、右足に疼痛(とうつう)が発症し、まともに歩くことが出来ない状態だ。

病院の先生から「リリカカプセル」と言う神経痛に効く薬を処方して貰って痛みを凌いでいるのだが、クスリが切れるとまた激痛が走る。これじゃ、まるでヤク中だよネ。参ったナァ。早く治して、旅にでも出たいものだ。トホホ。
過去の東京自由人日記「京都の旅」
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by cafegent | 2017-07-14 11:06 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)

梅雨明け間近の東京は暑い日が続いている。先日の日曜日も灼熱の太陽が強い西日をアスファルトに叩きつけるように放っていた。
午後3時半過ぎ、東中野の駅近くに扇子片手にパナマ帽姿の酒朋たちが続々と集い始めていたのだナ。

そう、最近の日曜日の夕暮れは東中野の「丸松」で酒を酌み交わすのが恒例となってきた。

歳を重ねると、自然に浴衣姿も板に付くから粋だよネ。


今年の三月、東中野の駅からスグ近くに『もつ焼き 丸松』が開店した。店主の松浦辰也さんは、城西地区を代表する野方の名店「やきとん 秋元屋」で8年半もの長きに渡り働いて、先輩のたっつんが独立した後は、店長として店を切り盛りし、満を持して独立開業したのでアル。

僕は10年以上「秋元屋」に通っていたので、松っちゃんが入った頃から知っている。秋元屋の桜台店を任されている三浦さんの下で長い間修行していた「たっつん」こと藤井龍成さんも沼袋で『やきとん たつや』を営み、この10年の間にも多くのスタッフが巣立ちして、都内各地に12店舗以上もあるだろうか。まっちゃんより後に入った者が先に独立したりしており、僕らも彼がいつ独立するのか、と気を揉んでいたっけ。


西武新宿線エリアには既に何軒もの秋元屋出身者の店が在るので、松っちゃんも違う沿線で物件を探していたのだが、随分と物件が見つからなかった。そして、偶然この場所に出会ったので開業を決めたのだネ。

L字型のカウンターが12席、小さな4席の卓が一つ、壁際に2席程度のスペースが有るが、決して広いとは言えない空間に連日多くのお客さんが足を運んでいる。


秋元屋出身らしい味噌だれのもつ焼きをはじめ、白レバ、せせり、ねぎま、ぼんじりなど鶏の部位も用意してあるのがウレシイ限りだナ。


生ビールはサッポロ、瓶ビールは僕の大好きなサッポロ赤星だ。ホッピーや酎ハイ用の焼酎は、お馴染みのキンミヤ焼酎なので、クィクィとイケるのだナ。


この日は白ホッピーを頂いた。

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暑い夏の盛りにはシャーベット状に凍ったシャリ金ホッピーが最適だ。注文の仕方は秋元屋と同様にメモ用紙に自分で書いていく。


    かしら タレ 1

    レバー 味噌 1

    なんこつ 塩 1

    せぎも タレ 1

    手羽先 塩  1

  ーーーーーーーーーーー

    もつカレー  1

    ゆでたん山葵 1

    キャベツみそ 1

    自家製ぬか漬 1


と、こんな具合にネ。秋元屋スタイルだとメモ用紙の真ん中に横線を引いて、上段に串もの、下段に単品料理を記すのだ。それ故に、僕らは自然にその調子で書いているのだナ。


書いた紙をスタッフに渡し、暫しの間飲んで待つ。小体の酒場のよい所は、厨房との距離が近く炭火で焼かれていく串を眺めたりするのも愉しいし、店主との他愛ない会話もまた楽しいひとときとなる。


キャベツやぬか漬はスグに出てくるので、酒の肴にちょうど好い。焼きモノ以外を用意してくれているのは松っちゃんの同級生だそうだ。そうか!狭いカウンターの中でも、あ・うんの呼吸でスムーズに切り盛りしていたのは、少年時代の絆がもたらしていたのだネ。


この日はちょうど大相撲名古屋場所の初日だったので、入口上に有るテレビで相撲中継を流してもらい、皆でそれぞれの贔屓の力士たちの応援となった。


もつカレーには炭火で焼いたバゲットが二つ添えられる。

バゲットが無くなったら、キャベツにもつカレーを載せても実にウマいのだヨ。

さぁ、お待ちかねの串モノが焼き上がってきた。

先ずは、せぎも串から。タレで焼いたせぎもに山椒が香ばしい。

ハラミもジューシーで美味いナァ。この自家製ぬか漬も、漬かり具合が抜群なのだ。これは日本酒がススみそうだネ。「丸松」では、定番の酒「宮の雪」が醸造、純米、にごり酒と常備されているのだが、季節に合わせた純米酒を数種類用意している。この日の日本酒は、静岡の土井酒造場が造る「開運 涼々」特別純米だ。
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夏限定の純米酒で、仄かな酸味が喉に涼しさを感じさせて、クィクィとススむ夏らしい一杯だ。この他にも神奈川は海老名の泉橋酒造が造る「夏ヤゴ」も仕入れていたネ。こちらも夏季だけの限定で、冷酒でクィッといきたいもんだナ。

ゆでたんは、豚の舌をじっくりと柔らかくなるまで茹でてあり、柚子胡椒か山葵で戴く。


「丸松」では、他にも上タン串や自家製つくね、てっぽうなど絶品な焼き加減の串も多い。オープンした日にひと串の大きさが大きいなぁと思っていたのだが、松っちゃんは「原点回帰じゃないけれど、自分が衝撃を受けた頃の秋元屋で食べたもつ焼きの部位の大きさにしたんです」と語ってくれた。なるほど、そう云えばこの食べ応えのある大きさは昔の秋元屋を思い出させてくれたナ。


おっと、テレビでは幕内の力士たちの取組も中盤を迎えていた。外では待っている方々も数人居たし、そろそろ席を空けるとしよう。
松っちゃん、ご馳走さま、また来週ネ!


「もつ焼 丸松」

中野区東中野1-56-4 第一ビル1F TEL 03-5338-4039

16時~23 月曜定休

JR東中野駅 西口2番出口を降りて右手へ進み、正面の通りを左折してスグ


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by cafegent | 2017-07-11 16:40 | 飲み歩き | Trackback | Comments(0)