東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
立春を迎えた今日の東京は気温が15度近くまで上がるらしい。
桜の蕾みも一段と膨らみを増すことだろうネ。

近所の軒先で「梅もどき」が赤い実をつけているのを見掛けた。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11435533.jpg
赤い実が小さな梅の実に見え、今の時季に赤い実をつける。
梅もどきは、小鳥が実を食べて、そのお腹を通過しないと発芽しないそうだ。種を遠くまで運ぶ自然の知恵なのだネ。

仕事場の並びに在る和菓子屋では、もう桜餅が出ていた。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11441726.jpg
春ももう近くまで来ているのだナ。

夕べは、酒朋ビリー隊長と立石『宇ち多゛』で待ち合わせた。

地元のウーさんと交代で中席に座る。此処だと朋一あんちゃんとソウさんの両方からイジられるのだ。当然、ビリーのハナシだがネ。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_1147335.jpg
ビールと梅割りを戴いて、ひとときの憩い。

木曜の立石仲見世は定休日の店が多い。
そんな訳で我々は青砥経由で鶯谷へと移動。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11481144.jpg
そして、缶チューハイで「呑み電」だ。

根岸の『鍵屋』の暖簾を潜る。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11502757.jpg
この日のお通しは、ところてん。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11503959.jpg
これが、東京の居酒屋の在るべき姿だネ。

そして、節分の炒り豆を戴いた。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11505516.jpg
皆さんの無病息災を願って豆を頬張った。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11511785.jpg
桜正宗のぬる燗が、いつもながら煮奴に合うのだナ。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11513044.jpg
鍵屋のカエデの木のカウンターで呑んでいると、本当に居心地が良い。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11521350.jpg
今の建物は大正時代に建てられたそうだが、時間が積み重なり、時代の陰影を刻んでいる。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11514258.jpg
壁に掛かる道具や燗付け器が僕らに語りかけているようだ。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_115236100.jpg
此処、根岸の里は俳人正岡子規が居を構え、「子規庵」から数多くの句を詠んだ。
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11525327.jpg
店主の清水さんが見せてくれた日本手拭いに、正岡子規の詠んだ俳句が記されていた。

       雀より鶯多き根岸かな
日々ヘベ日記/節分の夜、根岸の里で豆を喰う。_b0019140_11554578.jpg
鶯谷駅の構内でも、梅に鶯が啼いていた。
# by cafegent | 2011-02-04 11:58 | 飲み歩き
今日2月3日は、節分だ。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_1452972.jpg
季節を分けると云う意味だが、暦では明日から立春だネ。季節の替り目には邪気が出る。それを祓うのが、豆まきだ。「鬼は外、福は内」の掛け声と共に炒り豆をまく。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14523198.jpg
今年は51粒食べなくちゃなぁ。

夕べは、祐天寺『ばん』にて素敵な酒宴となった。

ツイッターを始めてから、新しい酒仲間が増えている。
昨日も横浜のHIROMICHIさんが、yoshitakaさんと『ばん』で呑むと呟いていたので、早々に仕事を切り上げて大鳥神社前からバスに乗った。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14381374.jpg
交差点では、冬の太陽が眩しく輝いていた。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14382531.jpg
夕暮れ間近の祐天寺では、賑やかな話し声とグラスの音が暖簾の向こうから聴こえて来た。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14372220.jpg
名物の「とんび豆腐」をアテにレモンサワーがススんだナ。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14371164.jpg
荒木マタエモンさんのお家芸ドーンがお気に入りらしく、今回はお二人のバージョンで!
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14385049.jpg
はい、ドーンッ!続けてもひとつドーンッ!!
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14392235.jpg
『ばん』では、古い常連さん達とも出逢えたし、愉しく酔えたナ。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14415219.jpg
すっかり陽も暮れて、二軒目は『BAR NAVY』へと移動。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_1439588.jpg
もう一人増えて、乾杯だ。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14401410.jpg
それにしても、此処の戦艦模型は見事だったナ。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14442628.jpg
どうです、凄いでしょう!
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14405357.jpg
沢山の船に囲まれて酒も美味いネ。またひとつ素敵な酒場が増えた。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14431195.jpg
yoshitakaさん、ありがとう!
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14464792.jpg
みんなと別れ、僕は武蔵小山の『晩杯屋』へと向かう。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14454247.jpg
そこからいつもの深夜食堂へと移動したが記憶がまったく無い。

カメラに残された画像を頼りに焼きカレーを食べた事だけが判明した。
日々へべ日記/祐天寺『ばん』で愉しい酒宴!_b0019140_14455936.jpg
トホホな締めくくりで二日酔いでアル。
# by cafegent | 2011-02-03 14:54 | 飲み歩き
まだまだ寒いが、流れる雲が少しづつ春を運んでいるのだろうか。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15373477.jpg
友人の着物スタイリスト如月まみさんは昨日がお誕生日だったそうだ。今までなんとも思わなかったが、二月は「如月」だものネ。今気がついた自分がなんとも恥ずかしい。

如月(きさらぎ)とは元々中国の二月の意味だが、「春寒」の肌寒さ故ゆえに着物に衣(きぬ)を更に着る月と云う意味を重ねて、衣更着(きさらぎ)に当てたとの説も有る。

まみさんの着物姿も一段と映えるお誕生月なのだナ。改めて、誕生日おめでとう!
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15485315.jpg
また庭の草木が芽吹き張り出す時季でもあり、「草木張月」とも云う。

いつもブログを拝読している広島のみぃさんの家では、一足早く子どもたちの為に素敵なひな人形を飾っていた。

ふっくらとまぁるい顔の雛人形は着物の布地を胴体の木に彫った溝に木目(きめ)込んで仕上げるので「木目込み人形」と云われる。
京都の上加茂神社に仕えていた方が最初に作ったのが「木目込み雛」の始まりと聞く。
そう、二月は「木目月」(このめつき)という呼び名もあったのだナ。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_1547725.jpg
明日、節分の2月3日は我が兄の誕生日だ。そしてその二週間後は僕の誕生日でアル。偶然だが、タベアルキストの異名を持つマッキー牧元さんと同じ日なのだナ。

そんな訳で、二月は個人的に大好きな月なのでアル。
        ◇        ◇        ◇
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15375094.jpg
さて、東京の空に粉雪が舞った先月30日、六本木ヒルズに在る森美術館にて『小谷元彦展 幽体の知覚』を観た。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_153846.jpg
小谷(おだに)元彦氏は、東京藝大彫刻科の大学院を卒業後、海外のビエンナーレ等での活躍が目立つ作家だ。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15382510.jpg
以前観た足を拘束帯でアンドロイドの様になったバンビや狼の毛皮のドレスがずっと印象に残っているが、いつもドコか狂気に満ちている様な作品を発表するアーティストだと思う。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15384132.jpg
そう云えば、美術コレクターの精神科医高橋龍太郎氏は、彼の作品を見るといつも「羊たちの沈黙」の世界を思い出すと云っていたナ。

「Phantom Limb」と題された作品は、今から14年程前に友人のタカちゃんが運営していた恵比寿のカフェ&ギャラリー『P-HOUSE』で最初に観た事を思い出した。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15385892.jpg
ラズベリーを手の中で潰す少女の姿が、まるで手に杭を打ち込まれた血まみれのキリストの姿に重なり、観ている自分が痛々しく感じた。

あの当時は、自分の血を作品に用いたり、25歳の若いエネルギー、パッション(古いか、この表現)を感じたが、アーティストって凄いなぁと思うのは、そのまま今もそれが作品から滲み出ている事だネ。

そう云えばP-HOUSEには大きなレトリバー犬が飼われていたので、毎晩誰かしら寝泊まりしていたナ。今じゃ世界的に売れている村上某氏だって、いつも此処でタカちゃん達に酒を呑ませて貰っていたっけ。
P-HOUSEから世に出たアーティストも多かったので、あの場所が無くなったのは惜しかったナ。

今回の展覧会では、過去の作品も数多く展示されていたが、「ホロウ」と題された真っ白な作品群で構成された展示室は、展覧会のタイトル通りまさに「幽体」(ファントム)を感じた。かつて観たティム・バートン監督の映画「スリーピー・ホロウ」を思い出した。

今回の展覧会で一番興味を抱いたの作品が「インフェルノ」だ。
ヴィデオ・インスタレーションの作品だが、8面体の部屋の中に入ると天井と床が鏡張りで、8面の壁全体に激しく流れる滝の映像が映し出されている。其処に立って上を見上げれば、無限の滝が空から流れ落ち、足元を見下ろせばまるで真っ逆さまに奈落の底の地獄に落ちて行く様な体験を味わえるのだ。

4.1chサラウンドから鳴り響く轟音に麻痺されて、自分の軀がまさに浮遊する感覚になり、不思議な気分になるのだナ。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_15552898.jpg
『六本木経済新聞』の記事で、〈ダンテの「神曲」の「地獄篇(インフェルノ)」さながらの底なし地獄を体験することができる〉と書いてあったが、まさにその通りの5分間を体験した。

2月27日までなので、是非見て欲しい展覧会だ。
日々雑文雑多日記/『小谷元彦展 幽体の知覚』を観る。_b0019140_1540391.jpg
毎回、六本木ヒルズを訪れて思うのだが、案内表示が不親切で迷う。
森タワーの53階に着いてからも、美術館に案内されず、展望フロアはこちらと違う方へ手招きされる。

そして、下に降りても地下鉄の方に行くまで何度も迷ってしまった。
本当に此処はボクと相性の悪いビルだナ。

「小谷元彦展 幽体の知覚」

みぃさんのブログ「晴れ 時々 雷 Ⅱ」

如月まみさんオフィシャルブログ
# by cafegent | 2011-02-02 15:57 | ひとりごと
朝から青空が広がったが、顔に当たる風は冷たく痛い。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14152345.jpg
目黒川の桜も徐々に芽吹き始めていた。
今日からもう2月だネ。暦では節分を過ぎると立春でアル。

毎年、立春の境目となる2月3日の深夜零時に恵方の方角に向かって、「一陽来復」(いちようらいふく)のお守りを天井近くに貼るのだナ。
我が家では、恵方巻は食べないがネ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14195292.jpg
この「一陽来復」のお守りとお札は、冬至の日に早稲田の穴八幡神社へ参拝に行き分けて戴く。お守りは節分の日まで貰えるので是非ひとつ。

老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14211715.jpg「一陽来復」の日は、この陰の気から陽の気への季節の替り目なのだ。悪い事が続いた後にようやく良い事が訪れると云う意味だ。
昨年もまた、人災や天災と「災い」が多発した一年だったものネ。
運気の転換は新年ではなく、節分に有ると云われている。3日は、運気好転を願い豆まきをしようか。

毎年古いお守りを穴八幡宮に返すが、昨年はお守りを入れた財布を無くしてしまい、返せずとなった。

一陽来復は、金銀融通のお守りでもアル。穴八幡宮の近くでは、融通にちなんで「融通(柚子)そば」なんてのを出す蕎麦屋も在る。

今年は落とさぬ様、しっかり財布を守ろうかナ。
       ◇       ◇       ◇
さて、先週の土曜日はまたまた東京を縦横無尽に呑み歩いた。
朝は毎度の様に京成立石へと向かう。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14263856.jpg
口開け前、暖簾の前で皆と挨拶を交わすのが、土曜の愉しみなのだ。

『宇ち多゛』の奥席側では、酒朋ホシさんや岩崎さんも来た。この日は昼飯を別に予定していたので、此処ではいつもより少なめにした。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_1428983.jpg
それでも、しっかりと煮込みのホネは戴いた。宇ち多゛のホネは週に一度は食べないとネ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14282557.jpg
梅割りも戴いて土曜朝酒の一軒目が終了。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_1429941.jpg
いつもの様に二軒目は、『ゑびすや食堂』へ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14292174.jpg
宇ち多゛からハシゴは、立石の重鎮イシさんとウーさんも一緒だ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14293684.jpg
香ばしい銀杏をアテに緑茶割りをグビリ。たまらんなぁ。昼開店の『栄寿司』も行列が出来ていたネ。

この日は、酒朋ハッシーと午後1時に南千住で待ち合わせ。
目指すは鰻の名店『尾花』だ。庭に鎮座する伏見稲荷に先ずお詣り。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_1435547.jpg
土曜日は途中の休憩が無いので、案外並ばずに入れるのだネ。僕は此処で並んだ事が一度も無いのだナ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14401262.jpg
そして、入れ込み式の座敷へと腰を降ろす。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14415473.jpg
尾花は鰻も美味いが、此処の何とも云えない寛ぎ感が好きなのだナ。

注文してから鰻を捌き、蒲焼きにするため裕に3,40分程はかかる。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14404992.jpg
僕らはうざくをアテに燗酒を戴き、ノンビリと待つのだナ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14444353.jpg
人によっては此処は蒸し過ぎだ、とか柔らか過ぎると云う声も聴くが、これこそが「尾花の蒲焼き」なのだ。僕は鰻が好物なのだが、その店々の味それぞれに好きなのだナ。

そして、その佇まい、店の人達の温かさ、それに鰻の味が揃った店を贔屓に通う様になる訳だ。此処もそんな鰻屋のひとつでアル。

5日間禁酒をしたと云うハッシーは、箍(たが)が外れたかの如く、お銚子をお代わりしていたナ。うな重が出て来てからも、また頼んでた。

さぁ、お待ちかねうな重の登場だ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14452362.jpg
此処は真ん中の3500円だけ重箱では無く丼なのだ。この方が食べ易いし量も適量なので、僕はいつもコレにしている。

先ずはそのまま蒲焼きを口に入れる。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_1445472.jpg
ふっくらとした鰻が口の中で溶けるように崩れ、舌に旨味だけが残る。山椒をふりかけ、下のご飯と共に箸で持ち上げてかき込むのだナ。
タレの味もさっぱりとして、もう云う事無しの味わいだ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14471223.jpg
そして、また酒を呑む。ぐふふ。

これこそ、東京の鰻の味だナ。昔は暖簾に「天然うなぎ」と染め抜かれていたが、今その文字は無い。今も時々天然物も食べる事が出来るが、最近の養殖うなぎは抜群に美味い。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14493775.jpg
至福の時を過ごした僕らは、元気も戴いたので少し遠くまで足を伸ばすことにした。

新宿から電車を乗り継ぎ、目指す先は「都立小金井公園」だ。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14505928.jpg
此処はあと2ヶ月もすれば、見事な桜が絢爛豪華に咲き誇る。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14522482.jpg
園内では、冬鳥のツグミが餌を探して歩いてた。
老舗『尾花』の鰻に舌鼓を打ち、一陽来復を願う。_b0019140_14524425.jpg
さて、長くなってきたので、続きはまた次回書くとしよう。
# by cafegent | 2011-02-01 15:00 | 食べる
木場駅から永代通りを門前仲町の方へ歩き、木場二丁目の交差点を左に曲がると大横川が流れている。

此処から新木場辺りは、広重の江戸百景にも見られる様に深川の堀割を整備し江戸城の築城に必要な大量の木材を保管する貯木場であった。
木場の名もここから付いた。
東京黄昏酒場/その2.木場平野橋たもとの『河本』_b0019140_1635634.jpg
        (馬場哲弥さんの切り絵作品から)
今はもう川が埋め立てられて、材木問屋も新木場へと移っている。
江戸から続く川並衆が材木に乗る伝統芸「角乗り」の姿は、かろうじて木場公園で年に何度か観ることが出来る。
東京黄昏酒場/その2.木場平野橋たもとの『河本』_b0019140_15552348.jpg
日が暮れ始め、夕映えが川面を茜色に染めると、波が生き生きと輝き出す。川に架かる平野橋を渡ると昭和の面影を色濃く残した侘びた佇まいが見える。
東京黄昏酒場/その2.木場平野橋たもとの『河本』_b0019140_15563029.jpg
交差点の角に面しており、川の高低差なのだろうか二カ所有る入口は通りより低くなっている。

石段を降り、暖簾を潜ると真寿美さんの笑顔が迎えてくれるのだ。

『河本』では、殆どの客がホッピーを頼む。すると真寿美さんが手慣れた仕草で厚手のグラスに金宮焼酎をなみなみ盛り切りに注ぐ。それをジョッキに移す時、手首をクィっと曲げて美味い具合に注がれるのだ。
この光景を見るだけでも幸せな気分になれるのだナ。後は栓を抜いたホッピーと共に目の前に置かれるので、自分で注ぐのだ。

最近、何処の酒場でも一本のホッピーで焼酎のナカを何杯かお代わりする方が多くなっているが、此処でそれは禁物だ。「ナカひとつ!」なんて云おうものなら、真寿美さんが「ウチはホッピー屋だから、ナカソトなんて無いんだヨ!」と激が飛ぶ。
東京黄昏酒場/その2.木場平野橋たもとの『河本』_b0019140_15572258.jpg
此処『河本』の創業は昭和7年と古い。先代が、甘味処から大衆酒場へと変えたそうだ。疎開先の広島で原爆投下を受け、引き上げたのが木場である。真寿美さんは店の前に在る平久小学校に通いながら、12歳で父親の店を手伝っていたと聞く。

高価なビールに替わり、大衆向けにホッピーが生まれたのが昭和23年。河本では、その時からずっとホッピー一筋で営業しているのだ。
東京黄昏酒場/その2.木場平野橋たもとの『河本』_b0019140_1557048.jpg
鍋で煮込まれた牛モツをアテにホッピーを呑み干せば、一日の疲れも吹き飛ぶってものだ。此処は、仕事から開放され、独り酒と向き合うには打ってつけの酒場かもしれない。

冬の間は練炭で温められたおでんも美味い。つけ過ぎの芥子に泪しながら、三杯目のジョッキが空けば、いつしか心も軽くなる。
東京黄昏酒場/その2.木場平野橋たもとの『河本』_b0019140_15561132.jpg
外に出て平野橋を渡ると、頬に当たる風がこんなにも気持ちの良いものかと実感出来ることだろう。此処は、そんな酒場である。

そして、また幾日かが過ぎると、真寿美さんのホッピーが恋しくなり、暖簾をくぐるのだナ。
# by cafegent | 2011-01-31 16:06 | 飲み歩き