丁度一年前の三月、いつものオッサウナの帰りに寄った「日の出食堂」でビールを飲みながら新聞の朝刊に目を通していた。

オヤジさん自慢の明日葉の天麩羅を口に運び、紙面の中程を開くと目にも鮮やかな黄色い15段広告が飛び込んできた。そこには「池波正太郎生誕100年企画 仕掛人・藤枝梅安 映画化」の文字と決定している出演者の名前とその役名だった。豊川悦司の梅安に片岡愛之助の彦さんだ。それだけでもうゾクゾクとし始めたのを今も覚えている。

あの広告では、他に菅野美穂の「おもん」、そして天海佑希の役名が「おみの」と記してあったので、ベースになる原作は第一話の「おんなごろし」だろうとは思っていたが、徐々に情報が開示されるにつれ、「殺しの四人」など幾つかの話を織り交ぜていると知った。長いこと書棚に眠っていた文庫本を再読しながら、さてどんな映画になるのだろうとクリスマスを待つ子供のような気分で映画の完成を心待ちにしたのだナ。

そして今年二月三日、待ちに待った映画『仕掛人・藤枝梅安』の一部作目が公開された。あぁ、もう冒頭の中村ゆりさんの顔のアップにすっかりヤラれてしまった。

緒形拳が主演した映画『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』でも冒頭から梅安とおもんの濡れ場から始まるが、時代劇に見るエロチシズムは実にソソられるのだ。

おもん役のひろみどりもおりん役の松尾嘉代も艶があって色っぽかったナァ。それにしても今回の主人公・藤枝梅安を演じた豊川悦司は本当に素晴らしかった。長年、小説の中の梅安像が緒形拳になっていたが、そのイメージが一掃されるほどの存在感だった。これまでにも緒形拳をはじめ、田宮二郎、萬屋錦之介、渡辺謙など錚々たる役者たちが藤枝梅安を演じてきたが、数十年経っても新鮮で個性が光っているキャラクターになっていて映画を見ながらニヤリとしてしまったヨ。

また、彦さん(仕掛人仲間の楊枝職人・彦次郎)を演じた片岡愛之助もしっくりとハマっていて良かった。梅安が心を許す相棒だが、二人が鍋をつつきながら酒を酌み交わすシーンは何度観ても羨ましい光景だ。誰だって、この二人の様な心許せる男友達が欲しいからネ。この映画には梅安の親友である浪人剣士、小杉十五郎は登場しないが、早乙女太一が演じる石川友五郎という侍が良い。仕掛人の二人が針と吹き矢なので、彼の剣さばきは見ていて惚れ惚れする。人を殺めるのにスカッとするというのも少々ためらうが、本当に見事な立ち回りを見せてくれた。流石、幼い頃から大衆演劇で磨きをかけてきた演技が光っていた。もう一人、梅安の家の世話をしているおせきを演じている高畑淳子さんも素晴らしい。緒形拳の映画では、梅安を始めコミカルな要素を盛り込んでいたけれど、この映画では見事に緒方梅安のイメージを払拭し、よりフィルム・ノワールさを際立たせていただけに、彼女の飄々とした滑稽さが良いスパイスになっていたナ。他にも柳葉敏郎始め、たくさんの俳優陣が脇を固めているが、皆さんの持ち味を発揮していて画面に釘付けになった。 ◆ ◆ ◆ 「私にとって女を抱くということは 死に近づくということに思える」

こんなセリフ、藤枝梅安じゃなきゃ言えないよネ。おもんを演じた菅野美穂も良かった。小説に登場するおもんは僕の頭の中での世界に現れる人物像だけれど、梅安が心を許せる女性ってこんな人なんだナって納得しながら魅入ってしまったヨ。こんな女性が側に寄り添って尽くしてくれたらナってね。欲をいえば、もう少し艶のあるエロチシズムが観たかったかナ。梅安の生き別れた妹・おみの役の天海祐希も凄かった。女が一人で生きていくにはどんな事だってする、それのどこが悪い!っていう業を背負った魔性の女感を見事に演じていたネ。背筋がゾクッとする程の色気が漂っていたものネ。ただ、テレビドラマと違い映画なのだから、もう少し色気のあるシーンを登場させて貰いたかったナァ。主人公・藤枝梅安は表稼業は町の鍼医者、裏の顔は殺し屋というダークヒーローだが、作者の池波正太郎氏はフランス映画に見られるフィルム・ノワール(暗黒映画)に強く影響を受けていたそうだ。「鬼平犯科帳」に登場する殺し屋や盗賊など裏社会で生きる人間を描いた小説が多い。火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵を通して、フィルム・ノワールの世界を池波なりに書いてきたが、この「仕掛人・藤枝梅安」によりより一層「人の心の奥底に潜む闇」を具現化している。「人間というのは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」かつて、池波正太郎は「鬼平犯科帳」シリーズの中で、幾度もこの台詞に近い言葉を残しているが、今回の映画でも梅安がこのセリフを言っていた。まさに梅安の死生観だが、池波正太郎の小説の根底にあるテーマなんだネ。勧善懲悪になりがちなヒーローものには無い、闇を抱えながら生きるダークヒーローの存在は、世の中何が一体正義なのだろうということを考えさせてくれる。

「役者の演技のために美味い料理を作る」池波正太郎の小説と言えば、何と言っても随所に登場する江戸の料理だ。僕は『包丁ごよみ』の中で、銀座「てんぷら近藤」の店主・近藤文夫さんが作っている江戸料理を参考にしているが、今回の映画で料理を作っていたのは「分とく山」の主人・野崎洋光さんだ。原作の「おんなごろし」でも登場した沙魚(ハゼ)の鍋だが、野崎さんが作った料理を映画でも美味そうに食べていた。ドキュメント番組『池波正太郎の江戸料理帳~映画「仕掛人・藤枝梅安」裏の世界~』を観たが、豊川さんは「明日をも知れぬ命の二人なので、これが毎回最後のご飯かもしれないと思いながら食べている食事のシーンなので、その時は毎回命が輝くように食べないといけないなって思います。でも、そういう気持ちにならなくても野崎さんの料理はそういう気持ちにさせてくれるパワーがありました」と語っていた。彦さんが振舞うお粥も実に美味そうだった。「かつお節だけで、こんなに美味くなるものかい?」って言いながら頬張る梅安が羨ましかったナ。江戸の頃の料理ゆえになるべくシンプルに、でもしっかりと味がある当時の料理を再現するという河毛監督の命題にしっかりと答えていた野崎さん、流石だネ。映画の中で、たとえ食べるシーンが無かったり、料理が画面に映らなくてもしっかりとその料理を作っている。「匂いは役者の芝居につながる。だから本物の料理を作る」これが、野崎さんのこだわりだ。あぁ、軍鶏鍋が食べたくなってきた。

今回の映画は江戸を舞台にした時代劇ながら、光と影を上手く捉えた映像美と登場人物総てのセリフや演技に引き込まれていった。テレビで最初に観た時も衝撃を受けたが、それを上回る衝撃度だったナ。ドラマシリーズでは最初、映画『仁義なき戦い』で知られる深作欣二氏が監督をしていたが、あらゆる面で池波正太郎の世界を創り上げた監督の河毛俊作さんに脱帽だ。1作目が公開中の新・時代劇『仕掛人・藤枝梅安』、四月公開の次回作が待ち遠しい!