週刊少年漫画誌が50周年だそうだ。ボクと変わらんのだね。
2009年 03月 25日

春分の日の金曜日、朝から京成立石の「宇ち多”」へと出掛けた。日曜の東京マラソンに出場する友人ビリーを応援する為、壮行会って訳じゃあ無いが奥の常連席には補助椅子も入れて9人での楽しい昼酒となった。


そして、口開けに並んだ者しか味わえない豚の顎骨のまわりを煮込んだ「ホネ」を味わいたいからさ。

おっと、僕が着ているこのポロシャツは、「なるきよ」店主の吉田成清主宰のブランド「Two Pole」の新作なのだ。50年代ヴィンテージのエッセンスが随所にみられ、可成りイカしたデザインで、この春イチオシなのだナ。
ビリーと二人で、顎のホネを並べてみたら、まるで蝶々が羽を拡げているみたいになった。

「宇ち多”」の次は、近所の「ゆう」にて飲み直し。

ビリーはビックサイトで開催中の「東京マラソン」イベントに行くと云うので、僕は浅草へと足を伸ばした。



日曜日の東京マラソンは物凄い参加者数で、テレビで観ていても圧倒された程だ。
そんな中、我が酒の友ビリーはと云えば、天地人の直江兼続よろしく、頭に『愛』の文字を付けた兜を冠り、顔にはツマブキ君のアイマスクを付けての、完全にオバカに徹した姿で42.195キロを完走したそうだ。

夕べは仕事帰りに完走者のメダルを見せびらかしに「宇ち多”」へと向かったのだと。とことん、おバカなビリーに拍手だネ。
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さて、週刊少年サンデーと週刊少年サンデーが今月、ともに創刊50周年を迎えたそうだ。ほぼ、僕と同じ時代を歩んで来た事になるが、あの頃は、マンガ家が憧れの存在であり、デパートの催事場などで、赤塚不二夫氏やちばてつや氏、川崎のぼる氏が来ると聞けば、長い行列も何の其のとジッと並んで色紙に絵とサインを描いてもらい宝物にしていたっけ。他にも山根赤鬼とか、つのだじろう、石森章太郎などの各氏に色紙を描いてもらった事を覚えている。
先日、新聞をめくったらドーンと15段ぶち抜きで少年サンデー創刊50周年を記念したカラー広告が掲載されていた。この50年の間に発行されたサンデーの表紙がびっしりと埋められており、当時の懐かしい表紙を見つける事も出来て懐かしさと嬉しさが蘇ってきた。

同じ頃の少年マガジンでは、「あしたのジョー」が大人気で、松本零士の「男おいどん」や谷岡ヤスジの「メッタメタガキ道講座」が大人や大学生などにも大ウケし、多くの流行語も生まれたものだ。

マセガキだった僕は、兄と一緒に青林堂の「ガロ」や手塚治虫の創刊した「COM」などを読みふけっており、万博の頃には、横尾忠則に憧れ、小学校6年生の時には赤塚不二夫責任編集の「漫画No.1」でエロに目覚め、白土三平やつげ義春、滝田ゆうなどの大人の漫画に夢中になり、中学の途中あたりからは、すっかり少年漫画から遠ざかってしまった。
「機動戦士ガンダム」は高校時代に流行っていたが、その頃はまるで漫画やアニメに興味がなく、それ故に未だに誰ともガンダムばなしには参加が出来ないで居る。
最近、週刊現代にて「あしたのジョー」が復刻連載を始めた。久しぶりに読んでみたが、今でも随分面白い。ワーキングプアが増加する現在と総合格闘技の人気が重なり、泪橋で明日に向かって拳を打つ矢吹丈に夢と希望を見いだす若者も可成り居るのではないか、と思ってしまった。
今、郵便局に行くと、両雑誌を祝って「週刊少年漫画50周年」の記念切手シートが2種類発売されいている。おそ松くん、8マン、タイガーマスク、タッチ、巨人の星、等々沢山のまんが家たちの作品がちりばめられていて、1シート800円なのだから、こりゃ買いだろう。僕は、額装して飾ろうかしら。
「記念切手」紹介サイト
