サツマ芋に感謝して、二連チャンの『大坂屋』で憩う。
2009年 10月 28日
デザイナーと打ち合わせが終わり、二人で昼飯にした。少し歩かせてしまったが、不動前駅の近く、『piano piano』で好物のベーコンとトマトのきのこソースを食べた。
日頃から『兵六』で呑ませて頂いている薩摩無双だって、甘藷先生なくしては呑めなかった芋焼酎なのだネ。感謝!
石段を下りる途中に秋らしいホトトギスの花が咲いていた。
さて、今週の月曜日は台風の様な雨風が吹き荒れた。夕方外に出ると傘が茶碗の様に反り返ってしまい、まるで役立たずになった。
こんな天気なら、いつも混んでいる店もスッと入れるだろう、と門前仲町へと移動した。『大坂屋』の戸をガラリと明けると煮込み鍋の前は空いていた。先客が三人おり、間に入れて頂きぬる燗をお願いした。煮込みは先ず五本頂いた。
此処のシロは脂がたっぷりと乗ったマルチョウなども入っている。
これに、歯ごたえあるナンコツ、柔らかいフワと、実にバランスが良いのだナ。
右隣りの二人が建築談義に花を咲かせていた。二人とも70歳前後なのだが、格好も話の内容も僕の世代となんら変わらない。コルビュジェの建築話からマイケル・グレイブスに飛び、果ては大坂屋で使っているデュラレックスのグラスはF.O.B.コープの益永みつ枝さんだ、なんて話まで出てくるのだ。
益永みつ枝さんは僕が80年代、六本木の輸入雑貨店の仕入れを担当していた頃にお世話になった。その当時、浜野商品研究所と云う都市空間プロデュース会社がAXISと云うビルを創り、その直営店の雑貨店で扱う商品のセレクトも最初みつ枝さんが手掛けた。
恵比寿の『coci』や東京ミッドタウンの『yao』のオーナーで、僕が今でも大変お世話になっている楠林さんも、元浜研出身で開店当時のF.O.B.コープを手伝っていたっけ。皆、凄いよネ。僕なんて生涯追いつかないもんナ。
AXISビルの総合プロデュース・ワークで81年度の毎日デザイン賞を受賞した代表の浜野安宏氏は、正に時代の寵児だったものだ。その頃の話をしながら楽しい酒を呑んだ。
浜野さんと同い年だと云う方のお名前がシイネさんと教えて頂いた。
「椎茸のシイに根っこのネですよ」と聞くと、ハテ何処かで聞いた名前だナ、と考えた。そうだ、数日前に朝日新聞の書評で見た『平凡パンチの三島由紀夫』の著者じゃないか。と、その話題になると案の定ビンゴであった。
この本は、二年程前に新潮社から出版されたのだが、ようやく文庫本になったので僕も買ったのだった。この『平凡パンチの三島由紀夫』を読むと、僕のひと回り上の先達らが過ごした時代のなんて自由奔放だったことか、とちょいと悔しくなるのだナ。
本の帯についたキャッチコピーは、「まだ誰も知らない、本当のミシマ」だった。
若者向け週刊誌「平凡パンチ」を通して見た素顔の三島由紀夫を綴っているノンフィクションなのだが、実は三島由紀夫と云う一人のスーパースターと編集者として出会い、あの割腹自決事件までの三年間をともにした椎根和氏の痛快青春小説なのだナ。読み始めから面白くて、一気に読んでしまった。
社会に出て間もない頃、白金台の都営住宅に住んで居たマガジンハウスの編集者、岩瀬充徳さんの奥さんに随分と仲良くして頂いた。ホームパーティなんかには今野雄二さんなども来ていたっけナ。
椎根さんの本の中には、宇野亜喜良さんや長沢節さんなど懐かしい名前が沢山登場しているし、70年代に藤純子に憧れた自分を懐かしく思い出した。
『大坂屋』のお手洗いに可憐な山茶花が生けてあった。
いい気になって呑み続けていたら9時半を過ぎてしまった。いやぁ、申し訳ないデス。女将さんに椎根さんの本を紹介して、「次回持ってくるからネ」と約束をした。
皆とは此処で別れ、僕は武蔵小山へと向かった。
駅近くの小径を入ってスグの処に在る居酒屋『なな福』は、家庭的な店でちょいと小腹が空いた時に重宝する。それにしても、武蔵小山と云うエリアは都心からスグだと云うのに値段設定がスバラシク安いのだ。
他の店に入っても、大抵満足出来るのが嬉しい限り。
此処は、ホイス直系の『焼き肉 みやこや』のご主人もいらっしゃるそうだが、同業に愛される店ってのは、イイネ。
〆の炭水化物は「えびとニラの塩やきそば」を戴いた。
秋の夜長、BSで録画をした欧州モルトウィスキーの旅を観た。常盤貴子のナレーションも耳に心地良く、さながら自分がスコットランドに旅をした気分に浸れた。
てな訳で、1991年に樽詰めされたアイラ地方のタリスカーを呑んだ。
こうして、また僕はソファで朝を迎えたのであった。トホホ。
さて、タリスカーはアイラじゃなくて、アイランズのスカイ島の酒だった。
そして、こんなコメントを通りすがりさんから頂戴した。