仙台酒場巡りの旅その2/元祖炉ばたで囲炉裏を囲む。
2010年 04月 09日
こんな名酒場を全国各地に知っておくと旅の楽しみが倍増するのだナ。


酒朋キクさんイチオシの居酒屋『元祖 炉ばた』へ初訪問となった。

東京や札幌で炉端と云えば「炉端焼き」を想い浮かべるだろう。
炉端焼き屋の店内は長年の煙で燻され壁も天井も飴色になっている。
ところが、此処は違うのだ。

先ずは、地酒「天賞」の純米酒を冷や(常温)で戴いた。

小松菜のお浸しに海苔って合うのだネ。

これが、どれも抜群に美味しく酒が進むのだ。帆立貝の天ぷらも美味。

元来、此処『炉ばた』では、囲炉裏端を囲んで酒を呑み語らう場として始めた居酒屋なので、いわゆる「炉端焼き」とは違うのだそうだ。
すなわち、女将さんが座る囲炉裏では魚介も山菜も焼かない。


初代の富弥氏が此の店を開店するにあたり、知人が何かお祝いに飾る物をと古道具屋を探して見つけた品が此処で使われている大きな木べらなのだそうだ。
元々初代は居酒屋の他にも骨董古美術店を営んでおり、店の店内にも様々な骨董古民具等が飾られている。それ故、店内に飾る物を進呈したのだが、数日後に店を訪れたら、すっかり自分の腕の様に器用に木べらを操り、酒や料理を載せて客の目の前まで出したそうだ。
これが、後々全国の「炉端焼き店」に伝承し、今に至っているそうだ。
しかし、あの炉端焼きの定番しゃもじ出しが、此処の先代の考案だったとは今まで全く知らなかった。
この店で修行をし、暖簾分けをした方が北海道釧路で炉端焼きの店『炉ばた』を営んでいる。こちらも五十余年の歴史ある名店だが、煙が立ち上る囲炉裏での炭火焼を始めたのは、こちらが発祥である。仙台の『元祖炉ばた』のご主人たちも今でも交流を深めているそうだ。
仙台が誇る郷土詩人に鈴木碧(スズキヘキ)と云う人物が居た。
残念ながら1973年にお亡くなりになってしまったが、童謡「七つの子」や「紅いくつ」を書いた野口雨情と共に宮城県の児童文化活動を牽引して来た詩人だ。


(のちのペンネームをカタカナに変名している)
そして、ちょっと変わっているが、とても愛嬌があり皆に好かれていたらしい。
吉成山『活牛寺』の近くにはスズキヘキの童謡「ワカレタスズメ」の歌碑が在る。永六輔氏も好きな詩人と語っている程だ。県の中央児童館広場にも「オテントウサンアリガトウ」の童謡碑が在る。
熱燗で気持ち良く酔って来た頃、厨房の奥からご主人が現れ、スズキヘキ作の童謡「オテントサンアリガトウ」や天江富弥(あまえとみや)作の童謡「のんのさんのポッポ」を唄ってくれたのだ。

ちなみに最初に呑んだ地酒「天賞」を造っている天賞酒造が店主の実家だそうだ。
『元祖 炉ばた』に集まる古い客たちは、皆ヘキ翁らの創る童謡が好きで、いつの間にか童謡を唄う会も出来たそうだ。

酒を熱燗に変えた。躯が温まるナ。

その光景を眺めているだけでホっとする。
ご主人が葉わさびのお浸しをご馳走してくれた。


僕の真正面に座ってた可愛いおばあちゃんは、まるで『兵六』の紅さんの様だった。

実にチャーミングなお方でしたナ。
僕の座った席の背中の壁には年季の入った仙台四郎の写真が飾られていた。商売の神様として人形を置いている店も多いネ。
創業時から、もう60年近く掛けているそうだが、仙台では店の開店祝いにはお花より仙台四郎の写真の方が喜ばれるらしい。

先代は、高校時代から竹久夢二と文通し、親交を深めていたらしい。



東京で炉ばたの店を出した時には、竹久夢二をはじめ、高村光太郎や太宰治、そして若かりし頃の棟方志功などが毎晩の様に呑みに来ていたそうだ。



そろそろ〆て貰おうかと思ったら、蕎麦をご馳走するから食べて行ってネ、と女将さんから優しいお言葉。
そして、ご主人が造ってくれたのは打った蕎麦では無く、蕎麦の実その物を使った蕎麦汁だった。



かなしき歌もうたわずに
別れし人の泪かよ
今日も河原に雨がふる
遠き思いははてしなく
若きうたなどしるしけり

風に乗って初代店主、天江富弥のうたが聞こえてきたかナ。
温かいおもてなしと素晴らしい酒席での出会いに感謝しながら、次の店へと向かうのであった。うーん、仙台の酒場は深い。