東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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東京黄昏酒場/その1.神保町路地裏の『兵六』

黄昏(たそがれ)時とは、夕暮れの外が薄暗い時分のことだ。前から来る人の顔が暗がりで見えにくくなり、「誰(た)そ彼は?」と云ったところから、その語源となり「黄昏」と字が当てられるようになった。
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そんな黄昏時になると無性に酒場の暖簾を潜りたくなるのだナ。
毎週足繁く通う店も在れば、呑み仲間に教えて貰った酒場も在る。酒呑みの五感が働いて訪れた見知らぬ酒場も数多く在る。其の酒場とまた肌が合えば、とことん通うのだナ。

今年も馴染みの暖簾をくぐる合間に多くの酒場を見つけることだろう。

日が暮れたあたりに寄りたくなる酒場を時々紹介して行こうかナ。
       ◇        ◇        ◇
東京黄昏酒場/その1.神保町『兵六』
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地下鉄神保町の駅の階段を上り、老喫茶『さぼうる』から三省堂書店までの細い路地裏が好きである。

時に『ミロンガ』のビールや『ラドリオ』のウィンナーコーヒーで、買ったばかりの古書を捲るのも愉しい。
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日が暮れてきたら、迷わず『兵六』の暖簾を潜るのだ。此処は昭和二十年代頃から続く民衆酒場である。

初代店主の平山一郎氏は、鹿児島出身なので当初から芋焼酎が中心だ。
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薩摩無双は燗に温められ、アルマイトの小さな薬缶に入った白湯で割って呑む。

壁の上に初代の写真と共に『阿Q正伝』で知られる作家、魯迅の額が飾られている。上海で魯迅と邂逅した平山氏は、文化芸術と共に上海仕込みの餃子と炒豆腐(チャーどうふ)を酒のアテにこの地に『兵六』を開いたのだ。

此処では誰もが襟を正して、酒と向き合う。
平山氏が作った「兵六憲法」が、今も店と客の間に無言で保たれているからだ。だが、恐れる事はない。愉しく酔う分には、皆大歓迎だから。但し、無粋な客は今も三代目店主平山真人氏が厳しく叱る。代々引き継がれたこの酒場の伝統である。

一日の疲れを此処のダレヤメの酒で癒す。鹿児島ではダレ(疲れ)をヤメ(止める)晩酌の事をダレヤメと言う。

独り盃を持ちながら、向こうの壁を見ると林芙美子や壷井繁治の額が目に入る。

     友のさし入れてくれた
     林檎一つ 
     掌にのせると 
     地球のように 
     重い

プロレタリア詩人の壷井重治が獄中で詠んだ詩を読み返す度に自分の今までの道のりを思いおこし、薩摩無双で我が身を清めるのだ。
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此処は、開店以来ずっと電話無し、冷暖房無しである。それでも、皆足繁く通うのだ。口開けの時間は、初代の頃からの古い常連さんが多い。

八十を超える方々も沢山居るのだ。先日も隣りに居た御仁が、「戦後」にもこんな素晴らしい酒場が在るのだ、と独り言を言い呑んでいた。

神保町の片隅で酒呑みの作法を覚えるのも良いだろう。
『兵六』は酒呑みの学校かもしれない。こうやって、誰もが素敵に歳を重ねて行くのだから。
by cafegent | 2011-01-14 18:00 | 飲み歩き