路地裏の至福、『と乃村』の鰻に舌鼓を打つ。
2011年 01月 24日
それ故、日本橋界隈には鰻屋が数多く在ったのだネ。
戦後、本家の『登乃村』が店仕舞いをすると云う事で、長くそこで修行を積んだ先代の主人が此の場所に小さな鰻屋を開き、屋号を引き継いだのだ。
現在のご主人は二代目で、女将さんと所帯を持った頃はまだ電気の配線工事の仕事を生業にしていたと聞く。
70代も後半になったご主人は何度か脳梗塞に見舞われたのだが、幸い軽く後遺症も残らなかったので、今も元気に鰻を捌き、焼き場に立つ。
30分程で鰻が焼き上がり、女将さんが重箱にご飯をよそってくれる。
此処の蒲焼きは南千住『尾花』や麻布『五代目野田岩』と云った東京の老舗の様に舌で溶ける柔らかさでな無い。どちらかと云うと関西風の歯ごたえがしっかりと残る焼き加減に仕上げてある。蒸し加減が少ないからなのだが、頼めば一切蒸さない地焼きにもしてくれるのだネ。
鰻と云えば夏のスタミナ食と思われがちだが、今の時季も美味い。
女将さんも「11月頃から今が一番脂も乗って太くて美味しい鰻が穫れるのよネ。でも、昔の天然鰻が穫れた頃のハナシね。今はみんな養殖だからサ」と笑ってた。
まだ本所深川界隈にお堀が多く在った頃、潮の満ち引きにより美味い鰻が沢山穫れた。
一人だとうな重だけでお腹一杯になってしまうので、次回は是非誰かを誘って「白焼き」を食べに来よう。
いつも拝読しているブログ「journaux 出挙」さんさんオススメの白焼きが眼に浮かぶ。
今年創業60年を迎える『と乃村』は、お二人が元気な間はずっと鰻を焼き続けていることだろう。それまでは、こうして時々路地裏の暖簾を潜るのだナ。
午後一から幸せな気分を味わった。
店を出ると両国橋の先にスカイツリーがそびえ立っていた。
一度仕事場に戻り、所用を終わらせる。午後6時、木場の『河本』の暖簾を潜り、真寿美さんのホッピーを三杯戴いた。
金曜日の『兵六』は、カウンターも卓席も満杯だ。
酒朋ハッシーやトクちゃん、キクさん、それに荒木マタエモンさんと知った顔ばかりが集っていたネ。
丁度、一週間程前浅草田原町の『簑笠庵』で知り合ったバンド「トライセラトップス」のベーシスト林さん夫妻が、早速『兵六』に来てくれたのだった。嬉しいネ、愉しいネ。
聞けば、口開け早々から来ていると云うので、随分と愉しい時間を過ごしていたのだネ。自分がこよなく愛している酒場で、愉しい酒を酌み交わせる幸せ。コレ、酒呑みだけが判る至福のひとときだよネ。