日々雑文雑多日記/伊達政宗の月に宮城の旅を憶う。
2011年 03月 18日
我が国は草も桜が咲きにけり 小林一茶
街の彼方此方(あちこち)で卒業式が行われる時季だ。仕事場近くの中学でも催されていた。
都内の中学高校や大学でも今回の大地震の被害による被災者を慮り、卒業式の取り止めを決めた学校が多い。その中の一つ、立教新座高校の渡辺憲司校長先生の卒業生へ贈る言葉が素晴らしい。(リンクするので、後で是非とも読んで貰いたい)
校長先生は当初、「時に海を見よ」と題してメッセージを残すつもりだった。先生の脳裏に浮かぶ海とは、真っ青な大海原だ。だが地震発生後〈目に浮かぶ光景は津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である〉と記している。
これから希望に満ちた思いで大学に進む生徒に対して贈る言葉を悩んで悩んで綴ったのだろう。こちらまで、勇気と希望を貰ったようだ。
渡辺校長先生に学んだ生徒たち皆がこれから大人になった時、若き後輩たちに同様のエールを送り背中を押して欲しいものだ。
◇ ◇ ◇
3月10日、木曜日の夜空を見上げると伊達政宗の兜の様な上弦の月が輝いていた。あれは、翌日の大地震を正宗が心配していたのだろうか。
今回の東日本大震災の救援物資輸送の拠点として、自衛隊松山基地の滑走路を迅速に復旧したそうだ。
松島瑞巌寺境内にある淡紅色の臥龍梅はもうすぐ花開く時季となる。
浮世の闇を照らしてぞ行く
伊達政宗の辞世の句だが、仙台市民のみならず我々も政宗の様に悔いなく生き抜いて行こうじゃないか。
塩辛や薫製は東京でも食べるが、生の海鞘は新鮮な海の近くに限る。
小説家の立原正秋は〈生牡蠣の味に似ているが、海鞘はもっと色っぽい味である。また歯ざわりも海鼠(なまこ)の硬さに似ているが、これは若い女のそれであり、海鞘は中年女の歯ざわりである〉と書いている。
酢で軽く〆た海鞘をつまみながら、人肌の燗につけた酒を吞む。至福の時でアル。
ほや食うて水の旨さや青嵐 立原正秋
今日は仙台を旅した時のことを思い出してみた。
「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。」校長メッセージ