東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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日々雑文雑多日記/伊達政宗の月に宮城の旅を憶う。

今朝の東京は風は強く冷たいが、青空が広がっていた。
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仕事場まで歩く途中の軒先で小さな桜草の花が咲いていた。吹く風に負けず、花を揺らす姿に明日への希望が満ちている。
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我もまたこの国の一助にならなければ、と思いながら今一度背筋を伸ばして歩くのでアル。

      我が国は草も桜が咲きにけり     小林一茶

街の彼方此方(あちこち)で卒業式が行われる時季だ。仕事場近くの中学でも催されていた。
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我が酒朋ビリー隊長のお嬢さんも今日が小学校の卒業式らしい。

都内の中学高校や大学でも今回の大地震の被害による被災者を慮り、卒業式の取り止めを決めた学校が多い。その中の一つ、立教新座高校の渡辺憲司校長先生の卒業生へ贈る言葉が素晴らしい。(リンクするので、後で是非とも読んで貰いたい)

校長先生は当初、「時に海を見よ」と題してメッセージを残すつもりだった。先生の脳裏に浮かぶ海とは、真っ青な大海原だ。だが地震発生後〈目に浮かぶ光景は津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である〉と記している。

これから希望に満ちた思いで大学に進む生徒に対して贈る言葉を悩んで悩んで綴ったのだろう。こちらまで、勇気と希望を貰ったようだ。

渡辺校長先生に学んだ生徒たち皆がこれから大人になった時、若き後輩たちに同様のエールを送り背中を押して欲しいものだ。
       ◇       ◇       ◇
3月10日、木曜日の夜空を見上げると伊達政宗の兜の様な上弦の月が輝いていた。あれは、翌日の大地震を正宗が心配していたのだろうか。
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ちょうど一年前の春、福島から仙台へと旅をして廻り、松島から東京に戻った。
今回の東日本大震災の救援物資輸送の拠点として、自衛隊松山基地の滑走路を迅速に復旧したそうだ。
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仙台城址の天守台から今も街を睥睨する伊達政宗さえも今回の神の怒りは予測出来なかっただろう。だが、仙台市民にはこの城を築いた正宗の強い精神が宿っている筈だ。
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これは一年前に写した伊達政宗像が見下ろす仙台市内だ。

松島瑞巌寺境内にある淡紅色の臥龍梅はもうすぐ花開く時季となる。
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     曇りなき心の月を先だてて
          浮世の闇を照らしてぞ行く

伊達政宗の辞世の句だが、仙台市民のみならず我々も政宗の様に悔いなく生き抜いて行こうじゃないか。
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そう云えば、はじめて海鞘(ホヤ)を美味いと思ったのは仙台に旅に出た時だった。
塩辛や薫製は東京でも食べるが、生の海鞘は新鮮な海の近くに限る。

小説家の立原正秋は〈生牡蠣の味に似ているが、海鞘はもっと色っぽい味である。また歯ざわりも海鼠(なまこ)の硬さに似ているが、これは若い女のそれであり、海鞘は中年女の歯ざわりである〉と書いている。

酢で軽く〆た海鞘をつまみながら、人肌の燗につけた酒を吞む。至福の時でアル。
  
    ほや食うて水の旨さや青嵐    立原正秋

今日は仙台を旅した時のことを思い出してみた。

「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。」校長メッセージ
by cafegent | 2011-03-18 12:53 | ひとりごと