東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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日々雑文雑多日記/七夕に亡き姐さんを偲び、鰻を語る。

今日は七夕だネ。
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天の川は、「銀漢」とも云う。先日、ひとみ姐さんの三回忌の酒宴を催した神保町の酒場『銀漢亭』のマスター、伊藤伊那男さんは今日が誕生日の七夕生まれだ。自分の生まれた日に「銀漢」や「七夕」と素敵な呼び名が有るって良いものだネ。

      盃に銀漢映し壺中天     八十八

丁度二年前の七夕の日、神保町の『兵六』にて、ひとみ姐さんと待ち合わせをして吞んだ。
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少し赤ら顔でやって来た姐さん、実はその前に渋谷の『富士屋本店』で独り吞んで来たらしい。

午後十時半、『兵六』の提灯が消える。
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僕とひとみさん、それに吞んだフルこと故木君と気心しれた酒朋たちで近くの『銀漢亭』へと酒場を変えた。

記憶の中に残ってる最後の会話は、映画監督テリー・ギリアムの話題だったりと、他愛無い酒場の与太話だったっけ。

毎回、ひとみさんを偲んで集まる時には、在りし日の写真をプリントして飾るのだが、どの写真もみな吞んでるか喰ってるか、酔ってるひとみさんしか写っていない。あの小さな躯でよくまぁ、毎晩吞み喰いしていたネ。

今宵はきっと織姫となって僕らの居る酒場に舞い降りて来るだろう。
そして、来週の盂蘭盆会(うらぼんえ)の時には、また迎え火に乗って僕らに逢いに来るんだネ。
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七夕の日には、「七回水を浴び、七回親を拝む」とか「家族全員で行水をする」といった水に関する行事が多い。

東日本大震災の後、今年は沢山の方々が「七日盆」(なぬかぼん)の頃に黄泉の国から戻って来られよう。

仙台「七夕まつり」も青森「ねぶた」も感慨深く迎えるのだろうか。

      七夕に来る筈もない君を待ち     八十八
      ◇        ◇        ◇
閑話休題。
七月に入ると無性に鰻が食べたくなる。暑い夏を乗り切る為に、もう毎週でも良い。いや、毎日でも良い。それ程に好きなのでアル。
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今年の土用の丑の日は、今月21日と8月2日の二回だ。梅雨明け間近の今、どうにも躯が鰻を欲するのだナ。
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鵜(う)が呑み込むと難儀する事から「うなぎ」と呼ぶ様になったと鵜飼い師の人に聴いたことがある。ハテ、本当かどうかは知らないが。
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鰻には豊富にビタミンAやビタミンBが含まれている。ビタミンAは目に良いし、皮膚を潤す効果がある。また、ビタミンBには疲労回復効果が有るそうだ。しかし、何と言っても、あの香ばしく焼かれた鰻の蒲焼きの美味い事ったら、もうたまらないのだナ。
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そんな訳で、夏は週に一度は鰻を食べている様な気がする。

鰻の食文化は実に古く、縄文遺跡の貝塚からも鰻の骨が出土している。
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平安時代には蒸して食べ、室町時代後期になるとブツ切りにした鰻を醤油や酒で蒲焼きにした料理が登場した。

鰻の蒲焼きは江戸時代に広まったと聞く。ヒゲタ醤油の五代目当主が、濃い口醤油を発明し、それが江戸っ子たちの嗜好に合ったのだそうだ。
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江戸時代に鰻と云えば、深川か日本橋界隈と決まっていた。

嘉永元年に刊行された「江戸酒飯手引」なる書には、懐石料理、日本料理併せて240軒、茶漬見世22軒、うなぎ屋90軒、鮨屋96軒、蕎麦屋120軒と出ており、江戸っ子達の間でも鰻は相当人気だった事が伺える。
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この『ての字』もしっかりと載っていたナ。

東京湾の鰻を江戸前と称し、利根川、手賀沼の3カ所で獲れる鰻を本場の江戸前鰻と云って庶民に愛されていたそうだ。中でも普通の鰻の倍位に大きい目方の鰻を「ボッカ」と呼んだ。木の杭、ぼっくい程にデカいのでこう呼ばれたのだろう。
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「土用の丑の日」は、江戸時代に平賀源内が馴染みの鰻屋から夏に鰻が売れないから困ると相談されて、ひとひねり考案したとされる。だが、平賀源内の友人で、江戸狂歌や洒落本の太田蜀山人(しょくさんじん)が考えたとも伝わっている。
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鰻重が登場したのは、赤坂に在る『重箱』と云う鰻の名店が、重箱に蒲焼きを入れて出した事が始まりで、見た目の高級感から他店にも広まったそうだ。

『重箱』は、今も変わらぬ佇まいで営業している。外の小さな庭を眺めながら、鰻会席を堪能し、酒を酌むと云った風情を愉しむならば、陽が落ちる前が最高に良い。但し、1人2万円は架かるので、何かの記念日とかにチト贅沢したい向きに限るナ。

あぁ、もう何年も行ってないナ。
久しぶりに塩鮑も食べたいし、奮発して『重箱』に行こうかナ。
by cafegent | 2011-07-07 12:28 | 食べる