今日から二月に入った。暦ではあと3日で大寒が終わり、立春となる。
七十二候も72番目、大寒の末候「鶏始乳」(にわとり、はじめてとやにつく)時季となった。鶏が鶏舎に入って卵を産む時季を迎えたのだネ。
立春の前日は「節分」だ。福豆を撒いて鬼を追っ払う。そして、歳の数に一粒加えた数の豆を食べ福を招き入れるのだナ。あぁ、今月また誕生日を迎える。福豆も53粒食べなくちゃイカンのか。
恵方巻きは食べないが、毎年欠かさず立春の境目となる日の深夜零時に恵方の方角に「一陽来復」のお札を貼る。陰の気が、陽の気へと移る季節の替り目が「一陽来復」の日だ。沢山の皆さんに一陽来復の春が訪れることを願って、お祈りしよう。
豆を打つ声のうちなる笑ひかな
宝井其角(たからいきかく)の詠んだ節分の句だ。芭蕉に師して俳諧を学んだ人だが、相当の吞んべいだったらしい。深酒が祟って47歳で他界している。おっと、自分も同じ轍を踏まぬ様、気を付けなくちゃナ。
◇ ◇ ◇
さて、夕べは三ノ輪まで足を伸ばした。
新しい仕事先の物件が居酒屋『丸千葉』のスグ近くに建つので、下見がてらに日本堤から南千住、三ノ輪まで街を歩いた。
日が暮れた午後6時少し前に酒朋ビリー隊長と待ち合わせた。
昭和通りを東日暮里方面へと歩くと3,4分で目当ての酒場に辿り着く。
暖簾は出ていないが、「やってるぞ 遠太」の看板通り開いている。
ガラリと戸を開けると同時に近所の奥さんも入って来た。何やらお母さんに届け物らしいが、此処はいつもながらお母さんのマイペースで進行する。
そんな訳で、暫くの間はお母さんの井戸端話が済むまで、僕らはご飯お預けの犬状態でアル。
待つこと数分、いつもの特製焼酎ハイボールを戴いた。
どうですか、この琥珀色のボールの美味いこと。お母さんのマイペース加減を鑑みて、酒のアテはポテトサラダにした。
ジャガ芋の甘さが絶妙で美味い。
続いて、ナット唐揚げをお願いした。「はいよっ」っと厨房に入るお母さんの姿に何故だか懐かしさを覚えた。
もう随分昔の夏の日、故ひとみ姐さんと此処の小上がりでまったりと吞んでいた。姐さん、すっかり酔い心地で、「此処は家で吞んで居るみたい!」と言いながら寝てしまったのだネ。『大林』からのハシゴ酒だったから、すっかり出来上がっていたのだが、余りの寝姿に「ホラホラ、此処は家じゃないんだヨッ」って、呆れられていたっけ。
そんな事を思い出しているうちに、香ばしい匂いがしてきた。ナット唐揚げの出来上がり。
コレ、納豆好きには堪らない一品だネ。
ボールのお代わりもススみましたナ。
そう云えば、あの頃のボールは、確か270円だったっけ。まぁ、今の300円でも十分に安いけどネ。
此処『遠太』は、8年程前にご主人が他界している。それまでは、鰻や天ぷらを出していたのだが、お母さん独りになって以来それらの料理を出せなくなった。
その時からこの「天ぷら うなぎ」の文字が入った遠太の暖簾は一度も外に掲げていないのだナ。
お母さん、もう80歳ぐらいになっただろうか。
いつまでも元気で僕らを迎えてくださいナ。優しい味の一品と変わらないボールもご馳走様でした。
日比谷線で仲御徒町まで移動し、閉店間際の角打ち『まきしま酒店』に滑り込む。
ビリーは八海山、僕は天狗舞を冷やで戴いた。
酒のアテは、韓国海苔とチーズだ。
プロセスチーズを韓国海苔で巻いて食べると実に美味いのだネ。
三軒目は、御徒町駅ガード下『佐原屋』並びの居酒屋『かっぱ』へ。
此処、本当は月曜日だと酒が安いのだナ。スーパードライの大瓶が294円だから驚きでしょ。
いかフライは、このボリュームで400円だし、もつ焼きは3本セットで210円なのだ。凄いでしょ。
これだから、いつも大賑わい。
燗酒もクイクイといってしまったネ。
ビリー隊長もゴキゲンだ!
さぁ、エンジン全開モードに突入し、僕らは神保町へ移動。
この日、四軒目は『兵六』だ。菜の花をアテに薩摩無双を白湯で割る。
五臓六腑に沁み渡る。気心知れた仲間と酌む酒ほど美味いことはない。
夕べは、これにてハシゴ酒は終了。だが、この後中々家に辿り着けなかったのだナ。神保町から乗った地下鉄は東急目黒線に乗り入れている。
座ったのがイケなかった。そのまま寝過ごして日吉まで行ってしまったのでアール。なんとか折り返しの終電には間に合ったが、家に着いたら午前様になっていた。トホホ。