うつくしき羽子板市や買はで過(す)ぐ 高浜虚子
浅草の「かんのんさま」は、何と言っても浅草の象徴でアル。
かんのんさまの表玄関が「雷門」、正しくは「風雷神門」と云う。
この門の正面には、『金龍山』と云う額が掛けてある。
此処から表参道、すなわち仲見世を抜けると、門の左右に仁王尊像が安置されている。
宝蔵門には『浅草寺』の額が掛けられており、そして本堂には『観音堂』の額が掛けられているのだナ。
つまり三枚の額が揃うと『金龍山浅草寺観音堂』となる。
浅草寺と宝蔵門一帯にかけて、毎年12月17日から三日間「羽子板市」と「歳の市」が催される。
人形の老舗『吉徳』や『原島』、『眼楽亭』といった羽子板店などの市が立ち、早咲き梅の盆栽や福寿草などの小盆栽の店なども所狭しと店を並べ、一段と盛り上がりを見せるのだ。
浅草の行事の締めくくりと云えば「歳の市」だネ。
最も浅草が、浅草ならではと思える行事のひとつでアル。浅草寺境内では新年の初詣に始まり、亡者送りなど数々催される行事の総仕上げとなるのが、歳の市。これで浅草の一年が無事終結、一足早い歳の暮れを感じる時なのだナ。
冬の灯が夜空に冴え、浅草寺名物の老公孫樹の葉が木末に幾枚か残して北風に揺れている。この北風に乗って雑踏や羽子板市の啖呵などが入り乱れて聞こえてくる。
浅草寺の行事と云えば、あとは大晦日に除夜の鐘を撞くだけだネ。
羽子板市では、江戸から続く技巧を受け継いだ職人たちだ作る見事な羽子板が並ぶ。
伝統的な物から、今年の話題を取り入れた社会風刺や芸能ネタを表現した変わり羽子板も多く、店の前に人集りが出来ている。
ふなっしーやくまモンの羽子板も有った。
縁起物の羽子板を一年間飾り商売繁盛を願う店も多いネ。ご祝儀を付けて羽子板を購入すると威勢の良い掛け声で、手締めとなる。
「家内安全・商売繁盛」と廻りの客も交えて大勢で手を打つのは、最高に盛り上がる瞬間なのだナ。
年の市何しに出たと人のいふ 小林一茶
結局、僕も虚子や一茶の様に羽子板を買わず、買っている人たちに柏手を打つだけだったナ。
◇ ◇ ◇
納めの観音、浅草寺でお詣りを済ませ、歳の市を楽しんだ。
浅草寺を出て、染め絵手拭いの『ふじ屋』さんへ。今年世話になった方へ贈る日本手拭いを買ってきた。
東京に雪が降るなんてニュースを聞いたので、我が家に飾る手拭いも冬仕様に衣更えしてみた。
素朴な雪だるまが赤に映えて、イイネ!
用事も済ませたし、夕暮れの浅草を再び歩く。だが、足は勝手に酒場へと向かうのだナ。
『浅草サンボア』のドアを開くと、バーテンダー松林さんの笑顔が迎えてくれた。
カウンターに立つだけで、背筋がピンと伸び、酒と対峙出来るのだナ。
松林さんの作るハイボールは、本当に旨い。
キリリと冷えたハイボールを戴き、喉の乾きを潤す。街が乾燥しているから、一段と美味しく感じるネ。
丁度一年前、雑誌『ぴあ』の取材を快く引き受けてくれた松林さんに来年も連載が継続した事を伝え、お礼が出来た。
晩秋から初冬の夕暮れ、バーで飲むハイボール、それも主人が暖炉に火を入れ、店内にはまだ数人しか客が居ない頃に飲むハイボールの素晴らしさを僕は身をもって知っている。一緒にグラスを掲げてカンパイが出来る酒朋が居れば、なおさら旨いことだろう。
暖炉は無いにせよ、『サンボア』の店内は程よい暖房が効いており、かじかんだ手を解してくれる。
二杯目はホットウィスキーをお願いした。
クローヴの実が、お湯により香りを引き立たせていたナ。
徐々にカウンターに立つお客さんが増えて来たので、ご馳走さま。
心も躯も温まり、歳の瀬で賑わう浅草を後にした。