良く晴れた春分の日、よく歩き、よく笑い、よく呑んだ。
2007年 03月 22日
ハリウッドランチ・マーケットにて、バッグを買おうと思ったからだ。そのバッグとは、『FREITAG』(フライターグ)なる代物なのだが、トラックで実際に使われていた幌と自転車のチューブ、それにシートベルトを再利用しており、チューリッヒで作られている。東京では、ハリランと伊東屋で取り扱っていると聞いていたので、散歩がてら代官山まで行ってみた。
トート、ショルダー、ポーチ等サイズもカタチも種類豊富に揃っているが、トラックの幌の再利用なので、柄も切り取る場所などによって全部違うので、結局店の在庫を片っ端から見て行く事になってしまった。
さて、何年ぶりにハリランの店内に入っただろうか。一時、隣のヒルサイドテラスの2Fに仕事場があったので、昼休み時に覗いていたが、あるとき若者の長蛇の列が出来ていて店内に入るのに入場制限をしていると聞いて、それ依頼来ていなかった。まぁ、この日はすんなり入れたので、一時のハリラン・ブームも終息したのだろうなぁ。
10年程前、ハリランの経理を担当していたクリ坊がガンを患って亡くなってしまった。当時、40歳前後だっただろうか、テニスとビーチボーイズとクリント・イーストウッドが大好きで、通夜ではずっとビーチボーイズを流していた。
当時僕は永く禁煙をしていたのだが、クリ坊が火葬されるのを待っている間に何故かまた煙草を貰い吸い出してしまった。クリ坊は運動好きで健康そのものだったのに、健康過ぎてガン細胞が人一倍早く身体の中を駆け巡ってしまったのだから、神様も人が悪い。あの時僕は健康すぎるのも考え物かと、また10年近くも煙草を吸っていたっけなぁ。
それにしてもクリ坊の通夜の席で今でも強烈な印象を残してくれたのが、ハリラン一派である。垂水社長以下、出席者全員が喪服なのにスキンヘッドに素足でローファーなのだ。まるでレザボアドッグスか何処かの組の構成員の様だった。
結局、これぞと思う程気に入ったモノが無かったので、『FREITAG』は諦めた。他のバッグでも探そうと、八幡通りを並木橋方面に出たら、古くからこの街に馴染んでいた「代官山パシフィックマンション」が老朽化で取り壊れる事を知った。
かつて、兄貴の最初の事務所もここだった様な気もするし、仕事をしていたCMディレクターもここに仕事場を構えていた。当時僕は、独立したら絶対に「代官山パシフィック」か「パーフェクトルーム」に入居したいと思っていたが、廻りの友人たちが一足早くに移って行くのが悔しかったっけ。
災害で生き残った人も少なく、信州の乗鞍岳で難を逃れた7人のコミューンへ諏訪湖からパンダ型の遊覧船で流れ着いた一人の男(大倉孝二)が加わり、最初は平和なコミュニティが徐々に自我と欲で壊れていく、云々と云うお話。絶妙に計算された台詞はとても面白く、さすが土田作品は素晴らしいと思ったが、ストーリーの流れ、最後のメデタシ、メデタシ的な演出はちょっと僕にはいただけなかったかな。それでも、各役者たちの絶妙なやりとりは、大いに笑わせてくれた。
ただ、奥菜恵があんなにいい役者だったのは拾い物かも。以前、大人計画と一緒に出た舞台を見逃していたので、これから奥菜恵が出る舞台は見る事にしよう。
役者一人一人はベテラン揃いで上手いと思ったけど、芝居は舞台、照明、音響、演出、そして役者の全体で完成されるモンだから難しいね。
8500円出しても、十分楽しめた舞台であったが、スタンディング・オベーションする程じゃぁ無かったかな。
2時間半の舞台だったので、時計は10時。
文化村から徒歩1分もかからない『グラニテ』にて夕食。
心からおめでとう。
うーん、グラニテのカスレも美味い。バゲットをヒタヒタに浸して食べればビールにも合うなぁ。祭日に開いていると云うのも嬉しい限り。
珈琲豆屋の崎玉君と六本木のバー・トライポッドの間瀬君もカウンターで和んでいた。
ビールから赤ワインに切り替えた所にウメカナさん、石川ちゃんの登場。馴染みの顔に出くわすと何だかホっとするね。これだから、酒場廻りは止められない。