クリスマスイヴは権太楼師匠の「芝浜」で大泣きをした。
2007年 12月 26日
さて、今朝は知り合いから随分と立派な深谷ネギが届いた。
昼飯は家から歩いて程近い日仏会館の1階に在るフランス料理「レスパス」で頂く事にした。ここの鴨のコンフィは中々旨いのだが、いつも豚のリエットにコンフィと同じメニューを頼んでしまうので、今回は違う料理にしてみた。
続いてレンス豆のスープ。
これだけ楽しめて2,000円のコースに1杯500円のグラスワインなのだから、人気なのが判る。
さて、この日の午後は用賀の真福寺にて柳家権太楼師匠一門による「暮れの会」を拝見することが出来た。毎回足を運ぶご贔屓さんが多い落語会なので、実は既に完売だったところを無理言って入れて頂いたのである。ウメカナちゃんに感謝感激!神あられはまた今度、な訳である。
午後2時少し前に用賀に到着。のんびりと歩き、瑜伽(ゆが)山真福寺の赤門をくぐると、もうお客さんが並んでいる。
「元犬」と云う話を掛けた。八幡様の境内に住み着いて居た人なつっこい白い野良犬が、或る日八幡様に願掛けしたら翌朝人間になっていたと云う一席。せっかく人間になったのに、昨晩までは犬である。小便すりゃあ片足上げるし、掃除したバケツの水を飲んでしまう有様。こう云うお伽話も大変面白い。以前、志ん生のCDで聴いたことが有るが、ほんと噺家によってガラりと変わる。古典落語はいろんな人で聴き比べるのが楽しい。
お次は柳家我太楼師匠だ。この方はどんどんと権太楼師匠の落語に近づいている気がする。ガツンとした仕草や表情なども素晴らしい。この日の演目は「強情灸」。江戸っ子が銭湯の熱い湯やお灸のもぐさに必死で堪える様に大笑いしてしまった。これも昔志ん生で聴いたかな。
さて、おまちかね権太楼師匠の出番である。さて師匠、今の今まで、何を掛けようか悩んでいると云う。これが師匠のお得意のスゴ技なのだが客席からのリクエストで演目を決めようと云うのである。来ている方々も皆落語好きである。方々からいろんなお題が聞こえてくる。そして後方の席から「にらみ返し!」と声が上がった。これは年末らしい噺である。大晦日の晩に、一年貯めた借金の取り立てを追い返す抱腹絶倒の一席だ。
ちょうど先週、江戸東京博物館で催された第4回らくだ亭「年忘れ、団塊四人会」と凄いタイトルの落語会で権太楼師匠と一緒に出た柳家さん喬師匠が演じた「掛け取り」と同じ噺なのだが、この噺から抜き取ったのが「にらみ返し」と云う一席。
意地でも金を取り返そうとする借金取りとそ奴等を追い返す双方の仕草は権太楼師匠らしい味が存分に出て凄いとしか例えようがないのだ。可笑しくて、大笑いしながらも師匠のダイナミックな演技の中の繊細さも垣間みれて、こんな難しい噺をリクエストで直ぐ喋れるのだから権太楼師匠は、全く持って凄い落語家である。
前半最後は特別ゲストの講釈師、宝井琴柳師匠が登場。こちらも年の瀬に相応しく義士にまつわる一席「忠臣蔵外伝/徂徠(そらい)豆腐」。芝・増上寺の門前に店を構える豆腐屋の上総屋七兵衛とまだまだ学問では飯が食えなかった貧乏学者の荻生徂徠(そらい)との人情噺である。この荻生惣右衛門徂徠なる人物は、赤穂浪士の討ち入り後の処分に、武士としての誇りを持たせた功労者である。
なんともホロリとさせられる琴柳師匠の名講釈、すっかり魅了させられてしまった。
ここで中入り。
中入り後はお待ちかね権太楼師匠の「芝浜」である。
毎年、年末になるとこの「芝浜」を掛ける噺家さんが多い。
この噺はもう誰もが知っている古典中の古典落語だが、大晦日がヤマ場なので、ベートーベンの「第九」よろしく年の瀬に相応しい噺なのだ。
つい先日も上野鈴本演芸場では、「芝浜特集」と題して、一週間、扇遊師匠や正蔵師匠など毎日違う噺家さん達がこの「芝浜」を演じた。こんな聴き比べも年の瀬ならではの楽しみである。
この「芝浜」は三代目桂三木助師匠の十八番(おはこ)だった。三木助師が演じる魚屋は「魚勝」なのだが、権太楼師匠は馬生師匠に習ったそうで、その流れに乗っ取り「あたしの『芝浜』は魚屋の熊五郎、熊さんでやりますので」と語っていた。
云わずと知れた人情噺なのだが、もうグイグイと話に引き込まれ、大晦日に女房が本当の事を語りだすとこ辺りから、涙が止まらないのなんの南野陽子。
クリスマスイヴに大の男をこんなに泣かせるなんて、いやぁ権太楼師匠は罪なお人でござる。