十人も入れば一杯になる寿司屋に、五百人近い人がお祝いに駆けつけた夜。
2008年 06月 25日
目黒のはずれ、住宅街の路地裏に佇む寿司店「いずみ」の創業33周年記念を祝う感謝祭が催されたからだ。
僕も仕事柄、銀座を始め、多くの寿司屋を訪れるが、自分へのご褒美として寿司を愉しむ時は此処以外考えられない。
本当はもっと前、親方の事を一冊にまとめた本「失われゆく鮨をもとめて」(一志治夫著)の出版記念に合わせて開催される予定だったのだが、親方が病に倒れた事で延期となり、必死のリハビリを続けた事で、漸く元気になってきたので会が実現した訳だ。
「寿司いずみ」は先代の後を継いで、今の親方が江戸前寿司を更に追求し、全国各地の魚場や食の産地を自分の足で訪ね歩き仕入れた魚介をしっかりと一手間かけた仕事をしてから寿司にして出してくれる究極の寿司屋である。
開業以来、暖簾も出さず、いつも「準備中」の札が玄関に置かれているのだ。それでも、連日お客さんで埋まっている名店だ。
カウンター10席で一杯になってしまう程の小さなお寿司屋さんのお祝いなのだから、いつも通りの普段着でふらりと出掛けようかナと思って居たのだが、親方から送られて来た招待状の内容を見て、こりゃ案外ちゃんとしたパーティなのかな?と思い直したのだ。
開催場所も目黒雅叙園である。そして、その中でも大広間である舞扇の間と記されている。此処って、芸能人や財界人が数百人招いてパーティが出来る場所じゃないか。そして、当日記念撮影が有るから開演の一時間前までには受付を済ませて欲しいと書いてあった。
雅叙園のエスカレーターを上がり二階に上がると、それはもう凄い人の数。そして、親方家族や先代女将の敏子さん、愛弟子キンちゃん達を前にして次々とお客さん達が並び記念撮影が始まっている。
そう、10席の小さな店に通うお馴染みさんたちが、ナント500人近くも集って居たのである。
開いた口が塞がらないほど、驚いてしまった。
舌の肥えたグルメたちがこれだけ一堂に集ったのだから、雅叙園の料理長だって大変だっただろう。でも、どの料理も大変素晴らしく美味しく戴いた。
親方の愛弟子キンちゃんが一人黙々と500人分の寿司を握っていたら可笑しいナ、なんて思っていたが、この日は流石にビシッと格好良くスーツに身を包んでおりダンディさをアピールしていたナ。それにひきかえ、親方の格好は凄かった。とんでもなくブッ飛んで居た。新しい新興宗教の教祖様か、新手の山伏か、一体全体何処であつらえたらあんなファッションになるのだろうか。親方のジョーク以上に摩訶不思議のひとつだろう。
日本酒も親方の目利きで集められた志田泉や明鏡止水など、美味い酒が勢揃いした。
会場ではいずみで扱う食材の生産者や魚介漁の方々も全国から招いており、みんなきっとあんな小さな路地裏の寿司屋のパーティがこんなにも豪勢だったとは思わず度肝を抜かれた事だろう。お客の僕らだってそう思ったのだから。いずみの客ならば誰もが知っている和芥子を作っている方も、いずみ自慢の生うにを捕っている方も来場していた。皆が親方の寿司に対する情熱に心惹かれているから、協力しているのだろう。
此の日は「寿司いずみ」を通じて、食の生産者と食べ手側が出会う事が出来た記念すべき日でもあった。常々、親方は「生産者とそれを食べる人の架け橋になりたい。」と語っていたが、それが実現したのだった。正に夢の様な出来事だ。
宴も盛り上がって、発起人の尾崎亜美さんの歌が4曲も披露された。
親方は2年前に病に倒れ、生死を彷徨うほどの体験をし、まだまだ寿司を握り続けたいと云う強い思いで、元気になりつつある。愛弟子キンちゃんは、すっかり親方のジョークまで受け継ぐ程になっているし、親方自身も最近また中に入る様になってきたので、ちょっと安心してきた。でも、まだまだ無理をせずリハビリを続けてもらわないと、これから先まだまだ続く長い寿司人生なのだからネ。親方をずっと支え続けて来た奥様やご家族、お弟子さんたちもさぞや嬉しい日を迎えた事だろうね。
会場では、他のお馴染みさんたちとも仲良くなれたし、またグっと「いずみ」との距離が近くなった感じがした。
二次会でも、一緒に酒を酌み交わしたし、実に愉しく酔えた。
キンちゃんも饒舌になって語っており、嬉しそうだったなぁ。親方が着々と元気になっていく姿を見るのが、一番幸せなのだろう。
大いに酔って、大いに「寿司いずみ」と親方家族、そして愛弟子たちに感謝した夜になった。雅叙園を出ると、外はまだ雨降りだったが、この雨が親方の病をすっかり洗い流してくれたら良いなぁと思ったよ。
家に戻り、戴いた土産袋の中の封書を開けると、親方から「感謝の心」との手紙が添えられていた。お寿司のこと、お客さんのこと、作り手たちのこと、そして命のこと、全てに対して親方は「感謝」の気持ちで一杯なのだ。
こんなに素晴らしい「感謝の心」を僕はそのまま紹介したいと思った。
「寿司の話」
寿司を食べれば長生きをする。寿司という字は、
長寿を司ると書くと故・父勇からよく耳にした。
平成壱拾八年壱拾壱月弐拾七日この病気(脳出血)
を発病して、死ぬか生きるかを味わい病室のベッドの
中で「寿司」という食べものを改めて考えた。
寿司の命は寿司飯いわゆる「舎利」である。
「舎利」の意味は「舎利頭」、「仏舎利」からきている。
人間、他界すれば骨になる。この骨(舎利)を使うのが、
寿司である。そして「種(たね)」、江戸の早寿司(握り寿司)
では、寿司飯(舎利)の上に乗る魚介類である。
「種(たね)」は生であり生物の命の誕生の意味である。
考えれば考えるほど不思議な食べもの、それが寿司である。
「舎利(骨)」は死であり、「種(たね)」は生(命)、
この二つが融合した食べ物、生と死が一体となっている。
命が燃えつき命が生まれる生物そのものである。
私はこの寿司を作る仕事をしている。一生をかけられる
仕事だとほこりに思う。
感 謝
平成壱拾九年参月八日 午前九時
昭和大学付属リハビリ病院ベッドの上
佐藤 衛司
寿司を衛る
こんなに吞んで、長寿を司れるのかネ、まったく俺は。