東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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‟ダレヤメ„のために集う酒場、「兵六」の酒に癒されて。

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     兵六の 灯り惹かるる 赤蜻蛉

昨晩、ライターの森一起さんと一緒に神田神保町の「兵六」の暖簾をくぐった。芝大門で仕事が終わったのだが、無性に「兵六」へお邪魔したくなり森さんに無理言ってお付き合い頂いたのだ。

此処に来るのは実に二十年ぶりじゃないだろうか。社会人になって5、6年経った頃だったからナ。当時は何でも背伸びしたくて、大人が集う酒場などに足繁く通ったものだ。八重洲に在ったビアホール「灘コロンビア」もあの頃に知ったのだ。

三代目の店主、柴山真人さんが笑顔で迎えてくれ、正面のカウンターに腰を下ろした。
変わらない店内、変わらない常連客たち、そして変わらないどこか凛とした雰囲気が漂う中、妙に落ち着いてしまうのだナ。

その三代目亭主が、或る雑誌で語っていたのだが、「‟ダレヤメ„と云う鹿児島の言葉があります。ダレは疲れ、ヤメは取るの意。仕事の疲れを取り、再び活力を得るには、肩の力を抜いて無心で酒と対する時間がオトコには必要だと思います。此処はそういう場であり続けたい。」と。

ホント、その通りだよね。酒と向き合って無心になる。さっきまでの疲れも、きっと肥やしになるのだよネ。

そして早速、薩摩焼酎の無双を戴いた。
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徳利と一緒に添えられた豆薬缶の白湯で自分好みの味にして呑むのだ。此処は僕が初めて訪れた頃から、既に薩摩焼酎がウリの店だった。当時はまだ焼酎ブームなど無くて、焼酎と云えば宝焼酎しか知らなかったものだった。あぁ、ハズかしい。

昔、五反田にすこぶる茶漬けの旨い居酒屋「てやん亭”」(てやんでぃと読む)と云う店が在った。其処の壁に「居酒屋禁止語録」なる張り紙が有った。
「放歌高吟、席外献酬、他座問答、乱酔暴論」と四文字熟語にして書いてあったのだが、酩酊客への厳しい言葉だ。
「声張り上げて高らかに唄うな!他の席にお酌をするな!他の席に行って喋るな!ヨッパラって暴論を交わすな!」と云う意味だネ。

随分と経ってから、それと殆ど同じ語録を此処「兵六」で見つけた時には、妙に嬉しくなったもんだ。
「他座献酬、大声歌唱、座外問答、乱酔暴論」の張り紙は煙草の煙で随分と燻されていたが、今もしっかりと壁に貼られていた。

当時は、背筋を正して、しゃんとして酒を呑め、と云わんばかりの空気が流れていたが、代が替わってもその雰囲気はお馴染みさんたちにしっかりと受け継がれている様だ。皆、それぞれに寛ぎ、隣同士で語らって居るのだが、心の中にしっかりと「兵六憲法」が染み付いているのだ。微妙な一線を越えない所がイイネ。

但し、三代目はとても物腰が柔らかく人当たりも良い。それでも初代の血を受け継いでいるので、酒の嗜み方を知らない輩にはさぞかし厳しい事だろう。
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炒豆腐(ちゃーどうふ)をアテに酒がススむ。空腹に芋焼酎はガツンと効いたので、豆腐の優しい味が嬉しいネ。玉葱も甘くてどこか懐かしい味わいだ。
徳利も空きが早くなってきた。食べ出すと止まらなくなるもので、お次は餃子をお願いした。一つひとつ丁寧に手作りされた餃子は香ばしくて旨い。この焼き色がたまらんね。口の中にほんの少し生姜の香りが広がるのも、芋焼酎に合う。
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森さん曰く、此処の初代亭主は、上海に住んで居た事があるので、創業時から品書きに「炒麺」や「餃子」が有るのだそうだ。

長年の常連さんである詩人、水上紅さんが並びの席で愉しげに酒を嗜んでいた。帰り際に紅さんの詩集「私のすばる」を一冊戴いた。
嬉しいネ、優しいね。
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ページをめくると17編の詩と共に沢山の紅さんのポートレイトが載っていた。
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今もとっても若くて可愛らしい人だが、先代のご主人、平山さんの居る「兵六」で和む紅さんはモノクロームの写真の中なのに、陽気な酒に酔い頬を紅く染めているのが判る。まさに「兵六ハッピー」だ。

今宵も陽気な紅さんと入れ替わりに、ひとみ姐さんの登場だ。
姐さんは初「兵六」との事で、随分と嬉しそうな顔をしていたナ。

無双をもう一つお代わりをした。ぬか漬けも実に旨い。山芋のぬか漬けは酒のアテに最高だね。

兵六の壁には沢山の文士たちの色紙が架けられている。
「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」、ご存知林芙美子の「放浪記」からの一節だ。実に味のある文字で描かれた色紙だった。きっと、何処へ行っても色紙をせがまれ、数多く書いたのだろうネ。そうじゃなきゃ、こんなに上手に書けない筈だ。

「放浪記」と云えば、今では林芙美子を演じている森光子さんの方が凄いよね。一度たりとも舞台を休んでいないのだから。そんな訳で僕の中の林芙美子像は、勝手に森光子の顔になっているのだ。

「放浪記」の中で、「私は、一人の酔いどれ女でございます。」と語る林芙美子は、きっと此処のカウンターの隅で酒に酔っていたのだろう。森光子の顔をした林芙美子が焼酎を呑んで佇む姿が目に浮かぶなぁ。
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銀座の「鉢巻き岡田」も文豪が集った名酒場で、至る処に作家たちが贈った手紙や色紙が飾られている。あの店は暖簾にも久保田万太郎や川口松太郎の季節の句が描かれていた。皆、酒を酌み交わしながら、大いに語り合ったのだろうか。

良い酒場は、こうやってずっと続いて行くとイイネ。
湯島の「シンスケ」や恵比寿の「さいき」、自分が少しづつ歳をとってきて、ようやく和める店が増えて来たのかナ。
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塩辛をアテに焼酎がススむ。
9時半を廻ったところで、最後の酒を呑み干した。

あぁ、幸せなひと時を過ごしたね。外に出て気付いたのだが、「兵六」はビルの一階なのだネ。あの頃からもうビルだったのか、当時はまだ一軒家だったのか記憶が曖昧だ。どちらにせよ、暖簾の向こうは変わらぬ世界だったナ。

ひとみ姐さんもまた、足繁く通う様になるのだね。むふふ。

神保町を後にして、僕らは渋谷のんべい横丁へと向かったのだ。
「ビストロ・ダルブル」は通りの外まで賑わってるし、「莢」もカヨさんが居たせいか男どもが多かったナ。そして僕らは「Non」へ。

狭い店内がひと際狭く感じたのは、「CA4LA」の社長が居たからか。
30数キロダイエットしたとは云え、矢張り巨漢には変わりないのネ。

愉しい酒宴は終わりを知らないのだが、深酒をする前に店を出た。そのお陰か、今朝は胃もたれもせず、調子が良かったナ。

さて、もうそろそろ神田「ランチョン」のカキフライも始まる季節が来るね。神保町の古書屋を散策後、ランチョンが先か、兵六が先か大いに悩むところだ。
by cafegent | 2008-09-19 16:33 | 飲み歩き