「落下の王国」の映像美に遠い日のランボーの道化師が蘇る。
2008年 09月 22日
昨日から雨が降り続いている。
夕べは眠りについてから、夜中に鳴り響く落雷の音にすっかり睡魔をかき消された。今朝も続いていた雨はようやくあがりそうだ。
昼はさっぱりと蕎麦でも喰おうか、と目黒川近くに在る手打ち蕎麦屋の「川せみ」へ。
一緒に行った若者の一言につられ、つい大盛りにしてしまった。それでもペロリと食べれてるのだから、健康なのだろうか。いや、夕べ久しぶりに酒を抜いたせいだろうか。朝の胃もたれが消えていた。
雨降りで気温が低いのは良いが、湿度が高くて汗をかいたナ。
夕方になって、雨足はより一層強くなって来た。
打ち合せの後は渋谷に出て、映画を観ることにした。副都心線の地下鉄が開通したお陰で、渋谷駅からシネアミューズの在る辺りまで雨に濡れずに行けるのは、イイネ。
この日は、ターセム監督の新作「落下の王国」を観る事にした。
絶望の淵に落下しても
行きていれさえいれば
この世界は美しい
舞台は1915年、カリフォルニアの病院だ。
映画の撮影中に鉄道高架線から川に転落し足に大怪我を負い入院したスタントマンのロイ。その間に主演スターに恋人を寝取られ自暴自棄になっており、病院の中で独り自殺願望を抱いている。
一方、家族が働く農園でオレンジを摘んでいて木から転落し左手を骨折して入院していた5歳の少女アレクサンドリア。ちょっと小太りで純粋無垢な少女は退屈しのぎに病院内を歩き回り、ロイの病室に辿り着く。
足が動かなくベッドから起きられないロイは、自殺用の劇薬を手に入れたかった。そこへ突然現れた少女アレクサンドリア。ロイは少女の気を引き、看護婦の目を盗んでモルヒネを取って来させようと企み、思いつきの空想物語を語り始めたのだ。
彼は、六人の勇者たちが、力を合わせ一つの悪に立ち向かう、壮大な愛と復習の物語を語り始めた。ただの思い付きで語り出した他愛のないお伽話はいつしか、二人の物語になっていき、純粋な少女の観る夢が死を望む青年の心を救おうと現実と空想が交差する壮大なストーリーへと展開していくのだった。
時空を越えた映像のマジックの中にグイグイと引き込まれて仕舞い、いつしか観ている僕でさえストーリーテラーとして「次の展開ははこうであって欲しい」、と願いながら物語が進行していく。
この映画の原題は「The Fall」、落下だ。橋から落下したロイ、オレンジの木から落下したアレキサンドリア、そして二人が紡ぐ空想の物語も一人の青年の背負う絶望感によって、「落下」へと導かれて行く。
勇者たちが一人、また一人と命を落として行く都度に泪を流しながら「生きていく物語に変えてよ。」、と願う少女。次第に二人は心を通わせるようになり、死へと落ちようとした青年が5歳の少女との出会いから「生きる」気力を取り戻していくのでアル。
ターセム監督の描く映像世界は、まるで「万華鏡」だ。レンズの向こうをじっと覗きながらお伽話を聴いている。万華鏡をくるりと廻せば、まるで違う世界へひとっ飛びである。この映画は世界中でロケを行っているが、壮大な夢物語を語っているので、リアルな世界を巡る冒険では無いだろう。二人だけの空想の世界を描いているので、世界遺産の絶景とコスチュームデザイナー石岡瑛子の創る衣装が、本当に見事に寓話の世界を表現してた。北京オリンピックの衣装も手掛けた石岡さんならではの衣装は、ターセムの映像美を更に奥行き深くしている。
1980年代に、サントリーローヤルのCFにアルチュール・ランボー篇とアントニオ・ガウディ篇と云う作品が有った。砂丘に踊る大道芸人はフェリーニの世界にも似ており、風景と衣装による摩訶不思議な映像美に虜になったものだ。確か、あの時の衣装は伊藤佐智子さんだった筈だが、映像はCMランドの高杉治朗さんだったっけか。
ターセムの「落下の王国」は、まさにその時の衝撃の再来だった。やはりCMの世界で活躍したターセムだけに、映画とCF映像それぞれの持ち味を生かしているのだろうね。
写真家植田正治が砂丘をモティーフに描いたモノクロームの世界にも通じ、ある種の浮遊感を覚えたのだが、映画「落下の王国」は極彩色の映像美で観る者に圧倒的な残像を残す作品だ。
斬新な実験映画的手法も取り入れながらも、古き良き映画へのオマージュも込めた素晴らしい作品だ。
「落下の王国」オフィシャルサイト