東京だからこそ出会う人や店をつれづれなるままに紹介


by cafegent
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カテゴリ:ひとりごと( 475 )

今日の東京は春の嵐が吹いた。街行く人達の傘がみんなラッパのようになって役に立たなくなっていたナ。暦では、「啓蟄」を迎えたネ。桃の節句が終わり、冬ごもりしていた虫や生き物たちが土の中から顔を出す季節になった。それでも、せっかく這い出した途端にカラスや猛禽類の餌食にされてしまうこともあるから、いやはや堪ったもんじゃないネ。

昨日の公園散歩でも大きなカエルがカラスに食べられていた。
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ミミズもムクドリなどの格好の餌食にされてしまうものナァ。自然の法則には逆らえないけれど、ちょっと切ないかもしれない。
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我が家の近くの都立林試の森公園では河津桜が満開になった。
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桜の花蜜を求めてメジロたちが群れでやって来ていた。
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昨日は気温が20度を超えて初夏のような陽気だったネ。
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カミさんの実家の岡山から日生(ひなせ)の牡蠣が届いたので、酒仲間を招いて牡蠣パーティを催した。
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各自酒と肴を持ち寄っての酒宴なのだが、さすが呑んべい達だけあって、酒に合うものばかりが揃ったのだナ。

我が家では牡蠣は「蒸し牡蠣」にして出す。
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昨年末の牡蠣パーティは酒朋キクさん邸の庭で催したので炭火で「焼き牡蠣」を堪能したが、今回は屋内なのでいつもの様に蒸して出した。
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プリップリの身は冷えたシャブリがよくマッチしたナ。
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今回は武蔵小山の名酒場『長平』(ちょうべい)の店主ミツル君と浜松町『秋田屋』のヤマちゃんも参加してくれたので、長平に集う仲間たちでの酒宴となった。

こちらはネパール料理のアチャールだ。
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最近、カミさんがネパール料理にすっかりハマっているので、今回もジャガイモとパクチーのアチャールを作ってくれた。これも酒がススむつまみだったナ。

大量の牡蠣もあっという間に食べ切った。午後4時無事にお開きとなって『長平』へと場所を移したのでアール。
       ◇           ◇           ◇
さて、ワタクシごとで恐縮だけれど、先日毎日新聞の夕刊で不肖小西康隆を取り上げて戴いた。
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毎日新聞の名物記者、鈴木琢磨さんが毎週金曜日の夕刊で連載をしている「人生は夕方から楽しくなる」のシリーズで、先日惜しくも他界した俳優の大杉漣さんや漫画家の白土三平さん、歌手の小林幸子さんなど錚々たる面々と同等に取り上げて貰い、とても嬉しい限り。

文章の練習になるかナ?と始めたブログ「東京自由人日記」も14年が経ったのだナ。随分と前に都立家政の酒場『竹よし』で毎日新聞の鈴木琢磨さんと出会った。開口一番に「次長課長の河本に似ているやっちゃナァ」と言われ、それ以来神保町酒場の『兵六』などでも顔を合わせるようになったのだが、ここ数年はご無沙汰していたのだネ。そして、鈴木さんが名刺を整理していた時に、僕のブログ名刺に目が止まり、連絡をくれたのが今回の新聞掲載となったワケだ。

酒が取り持つ縁「酒縁」はスバラシいネ。この取材の日も神保町の『兵六』に始まり、新宿の『三日月』へ。
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そしてゴールデン街の『ル・マタン』とハシゴ酒となった。
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途中、朝日新聞の名物男・小梶さんを無理矢理「三日月」に呼び出して、この夜も楽しい怪しい酒宴となった。

鈴木琢磨さん、素晴らしい文章を有難うございました!感謝多謝!

「毎日新聞/人生は夕方から楽しくなる」のサイト
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by cafegent | 2018-03-05 16:03 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
一月ももう終わりが近づいてきた。昨日も粉雪が一瞬舞い、改めて「大寒」なのだナと感じたっけ。
我が家の近くの高校では、朝から寒稽古に勤しんでいた。冬の厳しい寒さに耐えられるほどの体力を遠目から羨ましく眺めていた自分ちょっと恥ずかしく思えた朝だった。

一年の季節を72の候に分けて表す「七十二候」も残すところあと2つとなった。その七十一候目は「水沢腹堅」(さわみず、こおりつめる)、小川の水が厚く凍る時季となったのだネ。「腹」とは包むの意味を持つ。春の兆しを受けて、「堅い」大地に凍っていた沢の水が少しづつ溶け出して大地を包み込む、といったところだろうか。厳しい冬の寒さは辛いが、近くまで来ている春の気配を感じながら、もうちょっとだけ頑張ろうかナァ。

朝の散歩の途中、民家の生垣の上やアンテナの上から「ヒッヒッヒッ、カッカッ」と鳴き声が聞こえてくるとジョウビタキが居るのだネ。11月頃から渡ってきて、一冬をこの辺りで過ごすのだ。
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毎日、顔をあわせるようになると、慣れてきて向こうから近づいて来てくれる。なんとも愛らしくて、冬の愉しみのひとつになっているのだナ。

週末の新聞に岡山発信のビオワインの記事が出ていた。ちょうど昨年末に酒朋から岡山に美味しいヴァン・ナチュールが有るよと教えて貰い、早々に「LE CANON」を戴いたばかりだったので、ことさら全国の人たちに岡山で醸造された「自然派ワイン」の記事に嬉しくなった。
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フランスで自然派ワイン造りに取り組んでいた醸造家・大岡弘武さんが帰国してワイン造りを始めたのが岡山だった。岡山の船穂町の葡萄農家が手掛けたマスカット・オブ・アレキサンドリアを用いた無添加ワインは、薄濁りの微発泡白ワインだ。へぇ、こんな白ワインもあるのか、と最初は興味本位だけで口にしたのだが、果実のフルーティな香りがパッと広がり、適度な辛口が後を引く不思議な味わいだった。

カミさんの実家が岡山なので、何かと岡山発信のモノが気になっている。
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倉敷帆布を用いた「ALAPAAP」(アラパープ)のトートバッグは、丈夫だし僕が出かける時にはいつも一緒だ。
ジーンズだって、もう10年以上「桃太郎ジーンズ」を愛用しているしネ。

そして最近は、赤磐市の農業生産者たちが手掛ける『AKAiiWA』プロジェクトが気になっている。まだ、自分の目で見ていないので、どんなことをしているのか、何を仕掛けようとしているのか未知の世界なのだけれど、とても興味が湧いているのだ。

よし、今年は赤磐まで足を伸ばしてみようかナ。

「AKAiiWA」のサイト

「ALAPAAP」のサイト
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by cafegent | 2018-01-29 12:02 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
二十四節気では「大雪」が訪れた。季節を72に分けて表す七十二候では「閉塞成冬」(そらさむく、ふゆとなる)の季節到来となった。重く垂れ込めた鼠色の雲が空を覆い隠し、天地の気が塞がれ、生き物の動きを止める。そんな深閑とした真冬が訪れる時季を表している言葉だ。

東京はまだ雪こそ降らないが、朝の野鳥探索では凍てついた空気が僕の顔を叩くように通り抜けていく。

鳥たちも寒さに耐え忍びながら餌を求めて飛んで来る。
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モチノキの赤い実を求めて、冬を告げるツグミもようやく数羽見かけるようになった。

今朝は、若いノスリが飛ぶ姿を見ることが出来た。
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餌となるモグラでも探しに来たのだろう。
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公園の小さな池にはルリビタキが水を飲みにやって来た。
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シロハラは、この倒木の辺りを自分の陣地にした様子だ。
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小さなエナガはすっかり此処が気に入ったのか居着いてくれている。
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野鳥探しを終えて家に戻ろうとしたら、空の上をコサギが大きな羽を広げて飛ぶ姿を目にした。日増しに寒さが厳しくなっているが、冬鳥たちが次々と来てくれるようになったので、僕は嬉しい限りなのだナ。
          ◇           ◇           ◇
さて、ワタクシゴトで恐縮だが、先週僕が手がけた季刊誌『音楽スタア』が創刊した。1970年代、’80年代に一世を風靡し、今もなお現役で大活躍しているレジェンドスタアたちにスポットを当てた音楽誌だ。

ジュリーは来年、古希を迎えるというのに、1年間「芸能生活50周年記念ライブ」のツアーで全国を回っている。今年52歳となった中森明菜も、この冬ディナーショーで素晴らしい歌声を披露している。

この夏、何気なくテレビを観ていたら「有吉反省会」に児島美ゆきさんが凄いボンテージ衣装を纏って登場したのだ。僕の1970年のアイドルだった彼女が、当時さながらのボインを武器に再ブレイクしていたのを目にして、とにかく元気を貰ったのだ。そんな彼女への応援メッセージとして巻頭ページの筆をとった。

僕ももう58歳。50代から60代、いや70代だって、まだまだ現役で活動する時代となった。そんな僕らの世代の方々にエールを送りたい、レジェンドスタアたちから何かを受け取り、自分も頑張れたらいいナァ、との思いからこの本が生まれた訳でアル。

是非ともこの年末年始にじっくりとご一読頂けたら嬉しい限り
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      音楽スタア´70-´80
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by cafegent | 2017-12-10 16:05 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
九月に入り、東京も少し秋の気配を感じるようになったかナ。日中は相変わらず暑いが、夜になれば開け放たれた窓から涼し風が虫の音色を運んでくれる。

七十二候では、「草露白」(くさのつゆ、しろし)の季節。草に降りた露が白く光って見える時季となった訳だ。朝早く公園を歩いていると木々の葉や草花に露が降りているのを目にするようになった。朝晩の気温がグッと下がる時に見られ、あぁ、いつの間にやら夏から秋へと季節が変わったのだナァ、と感じるのだ。散歩で出くわす御仁に「朝露が降りているから、今日は晴れるネ」なんて声をかけられると、その日一日中清々しい気持ちで過ごせる気になるから不思議だネ。

さて、そんな秋晴れの土日を利用して仙台まで青春18きっぷの旅に出た。朝7時に家を出て、品川駅でグリーン券情報をSuicaに入れる。これで、快適な居酒屋グリーンを堪能できるってワケだ。
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学生たちが夏休みの真っ最中だったら、上野まで行って上野始発の列車に乗るのが賢明だ。だが、九月に入ってからの土曜日なので品川から乗っても座れるだろうと読んでみた。少し早めにホームのグリーン車の場所に行ってみると案の定、大正解だった。数人しかグリーン車前に居らず、入ってきた列車もグリーン車だけはガラガラだったのだナ。

旅は家を出た瞬間から心が躍りだすのだネ。最寄り駅までの足取りも何故か早足になっており、そんな自分に思わずテレてしまうのだ。

8時12分、定刻通りにJR東海道本線の宇都宮行きの列車が品川駅を出た。車窓からの景色が品川駅から変わったことを確認すると、缶ビールのプルを引っ張るのだ。
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おぉ、キリンの秋味が新しい季節を歓迎してくれているかのようだ。今回の朝飯は駅弁「深川めし」だ。駅で売っている深川めし、実は二種類あるのだネ。
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本当はハゼの甘露煮が入っている方の弁当が好きなのだが、残念ながら品川駅では売っていないのだヨ。でも、あさりとごぼうの生姜煮をツマミながら飲むビールも最高だ。

浦和を過ぎ、ビールを飲み干したので、お次は白ワイン!
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南アフリカのワイン、Okhaのシャルドネーは安くて美味しいのだナ。
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カミさんがツマミにと買ってきてくれた神戸コロッケがワインによく合うナァ。

旅に出るときに紙コップじゃなく、ちゃんとしたグラスを持参するだけで、極上の旅気分を味わえるよネ。白ワインを楽しんでいるうちに列車は宇都宮駅に到着だ。そして、そのまま黒磯行きの列車に乗り換えた。この路線はボックスシートじゃないので、酒はお預けだ。読みかけのペーパーバックを取り出して、しばしの読書タイムとなった。そして約50分、ガタゴトと揺られながら黒磯駅に着いた。

午前11時過ぎ、黒磯で昼酒を楽しもうと『みよし』に向かったら臨時休業だった。では仕方ないと『中央食堂』まで足を伸ばすと、またもや人の気配がない。
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いつもなら朝10時から開いている筈なのだが、あいにくのお休みだった。

気を取り直して、駅近くまで戻り蕎麦の『冨陽』の暖簾を潜った。
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ふぅ、歩き回ったからすっかり汗ダクになってしまったナ。よし、キリリと冷えた地酒といこう!

栃木の地酒「大那」の夏の酒ほたる 特別純米生詰を一合戴いた。
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呑みやすくてクィクィとススんでしまうネ。

「七水」の純米吟醸も昼酒に良いナ。
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枝豆をツマミながら酒を嗜んでいたら、お待ちかねの蕎麦がやって来た。

僕が頼んだのは「湯の花そば」だ。那須や草津の板室の温泉をイメージした蕎麦は、冷たいぶっかけと暖かいあんかけから選べるのだヨ。で、僕は冷たいぶっかけにしてみたのだナ。
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腰のある蕎麦に山菜や豆腐などたくさんの具が絡み合い実に美味い。

カミさんが頼んだのは、「焼きトマトと豆腐のぶっかけそば」だ。
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地物のトマトをじっくりと焼いて甘みを際立たせていたネ。またフライドオニオンの香ばしさが、この蕎麦をモダンな洋風テイストに仕立てていたヨ。どちらも美味しい蕎麦だったナァ。

後から続々とお客さんが入って来たので、僕らは席を譲ろう。
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そしてお隣の酒屋さんへGO!『政喜屋酒店』では、有料試飲が出来るので、「七水」の純米吟醸『55雄町100%』と「菊」の純米大吟醸『栃木の紅菊』を飲み比べてみた。
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どちらも大変旨い酒だったが、仄かな果実の香りとキリッとした後味が僕を釘付けにしたので、「菊」の方を買うことにした。
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あぁ、両方買っても良かったかナ!
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さぁ、郡山行きの列車の時刻が近づいた。黒磯駅の一番奥のホームへと渡り、東北本線の郡山行きの列車に乗り込んだ。
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こちらもまた横長のベンチシートなので、再び読書タイムで1時間を過ごしたのだヨ。
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そして、郡山から福島まではボックスシートだったので、居酒屋ローカル線の旅の復活となった。

福島で15分程の待ち時間を過ごし、今回の旅の目的地仙台へと向かったのだ。
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車窓の向こうでは、ススキが揺れていたナ。

青春18きっぷの旅は、目的地よりもローカル線を乗り継ぐ「移動」を楽しむ方が醍醐味かもしれないナ。

そんな訳で、朝7時に家を出た旅は午後4時ちょうどに仙台駅に到着したのでアール。
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by cafegent | 2017-09-11 15:49 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
    深山木(みやまき)に雲ゆく蝉の奏(しら)べかな   飯田蛇笏
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暦の上では、今日は「立秋」だネ。まだまだ夏真っ盛りだからピンと来ないが、翅をバタつかせながらひっくり返っている蝉の姿を眼にすると少しだけ晩夏の気配を感じたのだナ。

飯田蛇笏は、声高らかに鳴く蝉の声が流れゆく雲に乗っていつまでも鳴いていて欲しいとでも思って詠んだのだろうか。

蛇笏の句と対極に当たると思えるのが松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えた後に詠んだ句だ。

     やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

蝉は思い切り鳴くために生まれ、大いに鳴いたらあとは死ぬだけのことだ、とまるで悟りの境地のような歌を詠んだ。この句の前置きとして芭蕉は「無常迅速」と記している。世の中の移ろいは極めて早い、そして生も死も無常に繰り返す、という意味だろうか。そして、芭蕉はこの句を詠んだ4年後に死を迎えているのだナ。

飯田蛇笏の方が、ロマンチストなのだろうナァ。僕は蛇笏の句が好きだがネ。
    ◇             ◇             ◇
閑話休題。

毎朝、欠かさずに行っていることに「珈琲を淹れること」がある。

豆を電動ミルに入れ、約10秒ほどの目算で豆を挽く。ペーパーフィルターの角を折りたたみ、陶器のドリッパーにセットしたら、挽きたての粉を入れる。

ケトルのお湯が沸騰したら、火を止める。沸々とした湯が大人しくなるまで少しの間、待つ。ケトルの注ぎ口の温度が下がり湯の飛沫が飛ばない頃合いにペーパーフィルターの中へお湯をたらし、珈琲粉を蒸らすのだ。

珈琲の香りに包まれて、だんだんと僕自身も目を覚ましていく。お湯を注ぎはじめ、キメの細かい気泡が膨らんでくれると、なんだか一日が気分良くスタート出来る気がするのだナ。
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以前、表参道に事務所を構えていた時は、毎朝一度出社してメールのチェックなどを済ませたあとに必ず246の大通り沿いの雑居ビルの二階に在る『大坊珈琲店』へと出掛けた。
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角の方が反り返った分厚い木のカウンター席へと座り、大抵「3番」の濃さの珈琲をお願いした。

カウンターの隅で店主の大坊勝次さんが手まわし式焙煎ロースターのハンドルをゆっくりと回す姿やザルの中で冷ました珈琲豆を選り分ける作業など、ずっと眺めていても飽きなかったナァ。
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そして、何よりも左手に持ったネルドリップに丁寧にお湯を注ぐ姿は実に素敵だった。そう云えば、大坊さんはネルドリップを蒸らさずに珈琲を淹れていたけれど、本当に美味しい味だった。
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小一時間ほどを大坊珈琲店で過ごし、二杯の珈琲を飲み終えると事務所に戻るのだが、いつもシャツに珈琲の焙煎臭が染み付いてしまうので、みんなから焦げ臭いと言われる始末だったっけ。

今日は深煎りの珈琲を飲みながら、ふと大坊さんのことを思い出したのでアル。

そうそう、大坊勝次さんが綴ったエッセイやコーヒーの作り方、糸井重里氏や平松洋子さんなど大坊珈琲店をこよなく愛した方々の寄稿文で構成された本が出ているので、是非!

素敵な文章と店内の写真で『大坊珈琲店』を愉しんでみてくださいナ。 
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                      大坊珈琲店

過去の日記から/『大坊珈琲店』12月、38年の歴史に幕
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by cafegent | 2017-08-07 15:53 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
      ひやひやと壁をふまえて昼寝哉       松尾芭蕉

子供の頃、夏の暑い日など、土壁に頬や太ももを引っ付けてヒヤリとした涼を感じながら楽しんでいたナ。クーラーなどまだ高嶺の花だった時代、土壁は湿気を吸い取り、梅雨のジメジメした空気や秋の長雨の嫌な匂いなどもかき消してくれて、昔の人の知恵に随分と感心したっけ。

残暑厳しい夏の盛り、旅の途中の芭蕉翁も昼寝の最中に壁に触れてひやっとした涼しさを楽しんでいたのかナ。

僕の住むマンションはちょうど今、大規模修繕の真っ最中だ。あと残り二ヶ月、朝から夕方まで通路やベランダをたくさんの方々が作業をしながら往来している。午前中はずっと部屋でパソコンに向かっているので、工事の騒音に閉口しているワケだが、僕らの快適な住まいのために作業をしてくれているのだから、とこちらも堪えないとネ。そんな工事の音も12時を迎えるとピタッと止まり平穏な時が戻ってくるのだ。そう、作業員さんたちの昼休みの時間なのだ。小一時間のことだが、僕はその時間に大いにキーボードを叩き、文面に集中することにしている。

自分の昼飯を買いにマンションを出ると、駐車場脇や工事現場の空いたスペースなどで昼寝をしている作業員さんを見かけるのだナ。こんな夏の暑い昼間に職人や大工さんが休憩時に仮眠を取ることを「三尺寝」と呼ぶのだネ。太陽の影が三尺ほど傾く小一時間ほどの睡眠だから、この名が付いたと言われているが、作業場の隙間の三尺ほどの小さなスペースで寝転んでいたからとの説もある。

しかし、どの家庭にもエアコンが設置してある時代、昼寝する場所だって室外機の熱気で涼など取れないだろうネ。三尺寝の真っ最中の職人さんたちは、芭蕉の昼寝とまではいかないがせめて日陰が続いていてくれることを願いつつ買い物に出かけたのでアル。
    ◇             ◇             ◇
暑い夏の日に一番飲みたくなるのがミントジュレップだ。
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週末の昼下がり、冷蔵庫から取り出した氷を細かく砕き大きめのグラスにぎっしりと詰める。ベランダから摘んだミントをサッと水で洗い氷の上に置いたら粉砂糖を加えてスプーンの頭でミントを氷に押しつぶすようにして砂糖を一緒に溶かす。その上からバーボン・ウィスキーをなみなみと注ぎ、太いストローで軽くステアすれば完成だ。

あとは、グラスと本を持ってベランダの日影を探すのだ。最近では、もっぱらラム酒を使ったモヒートが持て囃(はや)されているが、僕の時代はバーボンかライ・ウィスキーだった。我が家にはいつもジムビームやフォアローゼス、それにオールドオーバーホルトが置いてあった。特に銘柄にこだわっていた訳じゃなく、その日の気分で選んでいたっけ。

イアン・フレミングが書いた『ゴールドフィンガー』の中で、ジェイムズ・ボンドは甘さを抑えたミントジュレップを飲んでいた。
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何をやってもさまになるボンドに僕も憧れたものだ。

今からもう30年以上も前、軽井沢を訪れた時、ホテルの庭のテラスで初めてこのカクテルを飲んだ。ボンドが頼んだカクテルよりは甘い味だったのだろうが、その時から僕の中では「避暑地の酒」と言えばミントジュレップになったのだナ。
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夏の飲み物と言えば、もうひとつ。英国の夏の定番飲み物が「ピムス」だ。ジン・ベースのリキュール「PIMM’S No.1」をレモネードかサイダーで割り、レモンスライスとキュウリを入れるのだヨ。日本でも下町の居酒屋あたりに行くとチューハイにキュウリのスライスが幾つも入ったものを目にすることがある。この「かっぱ割り」、まるでメロンのような香りを放ち、爽やかな酒となるのだネ。

夏のロンドンでは、パブなどで大きめのグラスにキュウリやオレンジなどを入れたピムスのカクテルを飲んでいる人たちをよく見かけた。彼らの感覚だと、食前のサングリア的なものなのだろうナァ。

昔は、余り日本では目にしなかったリキュールの PIMM’S No.1だが、今はキリンが国内で発売しているのだネ。
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ピムス 25度 700ml
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by cafegent | 2017-07-31 12:35 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
今朝の朝刊を開いたら、懐かしいパン屋さんの名前が紹介されていた。その記事は、下北沢で永く続いたパン屋『アンゼリカ』が今月末をもって閉店するとの内容だった。
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今から30年程前、僕は下北沢と云う街に住んでいた。駅から南口へと出て駅前の商店街を真っ直ぐ進み、茶沢通りに出る代沢三叉路手前に小さな郵便局が在った。一階が世田谷代沢郵便局で、その上がアパートになっていた。その名も「ポストハイツ」と云い、そのまんまのネーミングに物件を見に行った時に、思わず吹き出してしまったっけ。

駅からポストハイツへと向かう途中のちょうど真ん中辺りに『アンゼリカ』は在った。平日は殆ど店が開いている時間には帰れなかったが、土曜日はよくパンを買いに行った。みそパンが名物だったが、僕は此処のカレーパンが好きで、いつも二個買って食べていたナァ。

たまに友人の家に遊びに行く時などは、パンプディングを買い求めた。長細いアルミフォイルに入ったパンプディングはカスタードの香り豊かで、僕自身が大好きだったから、手土産にも重宝したっけ。

午前中に昼飯用のパンを買いに行った時などは、可愛い双子のお嬢さんを連れたシーナ&ロケッツの鮎川さんの姿を見かけたこともあったナァ。みんなもう随分前の思い出だ。50年の歴史に幕を降ろす「アンゼリカ」のパンの味は、ずっと僕の記憶の中に残っていくことだろう。当時は本当にお世話になりました。そして、お疲れ様でした。

僕は郵便局の二階に住み始めてから、毎晩のように茶沢通りに在ったソウルバー『あんずや』に入り浸った。通いだしてから1年ほどが過ぎた時に、店主のテル君から突然店を畳むとの知らせを受けた。そうか、行きつけの酒場が無くなってしまうのか、とまた何処か居心地の好い酒場を探さなくちゃなぁ、と思っていた時に家の近くの不動産屋に物件情報の貼り紙を見つけたのだった。

「あんずや」だった場所が居抜き物件として売りに出ていたのだ。最初は〝また誰かが借りて好い酒場が出来ると良いのだが〟程度のことだった。

当時、収集していたR&B、Soul Musicのアナログ盤が約4,000枚ほども有り、それに加えて当時主流になっていたCDも膨大な量になっていて、アパートの二階の床が抜けないかと心配する日々を送っていたのだ。そして、咄嗟に閃いたのが「居心地の良い酒場がなくなってしまったのならば、自分でバーを開こう」との考えだったのだナ。

部屋に有る膨大なレコードとCDも1階のバーならば安心して置いておけるし、みんなにも僕の好きなソウルミュージックを知って貰える、ましてや自分が一番居心地の良い酒場を作れば良いのだ。

こうして、一念発起して鉛筆ナメナメ事業計画書を仕上げて片っ端から金融機関の門を叩いた。営業譲渡金、不動産契約金、内外装費、酒等の仕入れ代金、音響設備などなど数百万円の見積もりとなったのだが、なんとか五年返済の計画で資金調達をすることが出来た。あとは友人知人たちの手を借りて殆どを自分たちで工事して店を仕上げたのだったナァ。

約三ヶ月の準備を経て1989年、僕は酒場『 ALGONQUIN’S BAR』の主人となったワケだ。
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あれから28年が過ぎたが、アルゴンキンズバーは、今も下北沢・茶沢通り沿いに健在だ。

きっちり5年で金融機関の返済を終えて無借金となり、丸10年が経った時に僕はまた違うことがやりたくなったのだナ。その頃、ちょうど二代目のバーテンダーの日影館くんが結婚し子供が出来たばかりだったので、この店の運営で家族を養えるならば、と彼に無償で店を譲ったのだった。唯一、僕が出した条件は「店の名前を残すこと」そして「僕のレコードを保管すること」だったが、タモツくんはちゃんと今でも守ってくれている。

今朝の朝日新聞の記事を読んで、久しぶりにあのパン屋さんのことを思い出し、当時住んでいた下北沢の街が走馬灯のように脳裏に浮かんだのだった。
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8月に入ったら『アルゴンキンズバー』の扉を開きに行ってみようかナ。

過去の日記から「2010/5月 ボブ・マーリーの命日に昔を思い出す」
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by cafegent | 2017-07-27 12:38 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
海の日の月曜日、鎮痛剤が効いているので日本橋の高島屋まで買い物に出かけた。一週間前は、自宅から最寄り駅まで40分以上もかかったのに、この日は10分ぐらいで到着だ。

買い物を済ませた後、地下の食材売り場を散策。東京の百貨店は全国各地の銘菓や名物が揃うから嬉しいネ。この日は「本日入荷」の張り紙に惹かれ、伊賀の菓匠 桔梗屋織居の夏の氷菓「小豆憧風(あずきどうふ)」を購入した。
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水羊羹よりも口当たりがなめらかで、山口のういろう「豆子郎(とうしろう)」を彷彿させた。

名店街をグルリと散策したから、足に随分と負担をかけてしまったのだナ。エレヴェーターで上に昇り甘味処『浅草 梅園』へと向かった。
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店に到着すると、待つ人の列が10数人も居た。
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だが、足を休ませるには暫くじっとしていた方が良いのだネ。そして、30分程で席に着くことが出来た。

此処に来たら、やっぱり「粟ぜんざい」だナ。梅園では、粟(あわ)でなく、餅ちきびを使っている。半搗きした餅ちきびを練り上げて蒸し上げた粒々は、どこかクスクスにも似ている。
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温かく蒸された餅ちきびにじっくりと炊いたこし餡が乗っている。きびの仄かな香りと淡い渋み、それを覆う甘い餡、おぉ、これこれ、これだよネ!東京の味わいを感じる一品なのだヨ。江戸時代は、吉原で遊んだ後の朝帰りの途中、茶店での一服に粟ぜんざいを食べたそうな。

甘いものを補給し、体力も戻ったかナ?日本橋から地下鉄を乗り継いで新宿へと移動した。

新宿西口広場に出て、スバルビルの脇の地下道を歩く。東京モード学園のビルから地上に上がると目の前に新宿副都心にそびえ立つ損保ジャパン日本興亜本社ビルが見える。

エレヴェーターで一気に42階へ。気圧の変化で耳がおかしくなるのだナ。到着したのは『東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館』だ。
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今回は僕が敬愛する画家・吉田博の生誕140年を記念した大規模な展覧会で、昨年の春に千葉県の千葉市美術館で開催された企画の巡回展となる。昨年の夏にNHKの日曜美術館で放映された「木版画 未踏の頂へ 〜吉田博の挑戦〜』を観て、今年の巡回先の長野まで観に行きたいと思っていたのだがタイミングが合わず見逃していたので、漸く東京での開催に行くことが出来て良かった。
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日曜美術館「木版画_未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」紹介のサイト

過去に何度か吉田博展を観たことがあるが、ほとんどが後期の新版画の作品が中心だった。だが、今回は幼少期のスケッチの作品から日本画、洋画を始め、吉田博の画業の全てを垣間見ることが出来る貴重な展覧会だった。

「絵の鬼」と呼ばれていた画家だが、僕の中ではずっと「旅する画家」の印象が強いのだナ。明治32年に画家仲間の中川八郎と共に片道の渡航費だけを工面してアメリカに渡り、向こうのデトロイト美術館で二人展を催した。その際に、自分の絵を売って生活費を得るなんて尋常じゃないよネ。しかも、ほとんどの絵が売れて千ドルもの大金を手にしている。当時の金としては、教師の給料の11年ぶんにも相当するらしい。スゴいネ!

アメリカを巡り、そこからロンドン、パリと足を伸ばしている。日本に戻ってからも、各地の山々を登り精力的にスケッチを重ねており、多くの水彩画、油彩画、木版画を残しているのだナ。中でも日本各地の名勝地を描いた木版画のシリーズは僕の大好きな作品だ。

明治36年には再び渡米し、そこからヨーロッパを経由してエジプトまで巡っている。
後年、大正期にはスイス・マッターホルンを訪れ、昭和期に入ってからもインドや韓国、中国にも訪れている。
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晩年、太平洋戦争が起きた昭和16年には、戦う戦闘機から見下ろした大地を描いた作品『空中戦闘』を描いている。戦後生まれの僕は、この絵を前にして胸が詰まる思いで観てしまった。

吉田博の作品の多くは、海外に渡っている。当時から、海外の人たちの琴線に触れる「日本の風景」を木版画にして、外国人ウケするアングルで風景を切り取ってグラフィカルに描いたのだろうネ。これは写真では決して表せない吉田博の世界観で描いたグラフィックアートなのだ。
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本展覧会では、そこに辿り着くまでの画業のヒストリーと画家の旅を辿ることが出来た。

    ダイアナ妃や精神医学者フロイトも魅了した画家

展覧会のフライヤーに書かれたキャッチコピーは、なんだかナァと思ってしまうのだが、広く多くの方々が足を運んでくれるキッカケとなるのであれば、まぁイイか。

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            吉田博 作品集

ゆっくりと館内を回ることは出来たのだが、さすがに足が痛くなってきた。そろそろ痛み止めの効果が切れる頃かナ。
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と云うわけで、杖を片手に家路へと戻ったのでアール。

過去の日記から「2009/10月 吉田博の新版画に浸る」

過去の日記から「2011/8月 夏の百花園にて句会と酒場」
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by cafegent | 2017-07-20 11:19 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
       簾外(れんがい)のぬれ青梅や梅雨明り    飯田蛇笏

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関東も明日あたりに梅雨明けとなりそうだ。昨日は都内でも激しい落雷に見舞われ、茗荷谷あたりでは雹(ひょう)が降ったみたいだネ。雨が降ると少しは気温も下がり涼しくなるから、と気を抜いて歩いているとスグ近くに雷が落ちたりして腰を抜かしそうになる。

季節は「小暑」から「大暑」へと変わろうとしているネ。今週から暑中見舞いを出す時期になったのだナ。一年の季節の移ろいを春夏秋冬の四季だけでなく、七十二種にも分けて表した「七十二候」というものが中国から我が国へと伝わっている。今週はちょうど「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)の季節。巣立ちしたタカの幼鳥が大空へと飛び立ち獲物を捕らえることを学ぶ時季になったのだナ。オオタカは環境省の準絶滅危惧種に指定されているそうだが、近年東京都内でも繁殖が増えていて、空を舞う姿を見る機会が増えている。

僕がよく訪れる白金台の「国立科学博物館附属自然教育園」でも、オオタカが営巣をしていたのでヒナが巣立ち始めている頃だろうか。親鳥も鳩やカラスを襲い、ヒナへと餌を運ぶのだネ。食物連鎖の頂点とも言えるオオタカだが、自然の生態系が保たれているからこそ、餌となる小動物を捕獲できるワケだ。近年、勝手に捨てられた外来種のペットが野生化している。都内でもワカケホンセイインコ、ガビチョウ、ソウシチョウなどの鳥やミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)、アライグマなどの侵略的外来種が増えているので、生態系に悪影響を及ぼすそうだ。
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我が家から徒歩数分の「東京都立林試の森公園」でも、時折何処かから餌を求めてオオタカが飛来してくる。野鳥を探して藪の中へと分け入ると、オオタカが捉えたばかりの鳩を解体している所へ出くわすこともしばし有るのだナ。また、タカの仲間で一番小さい雀鷹(ツミ)もよくやって来る。ツミはもっぱら雀やシジュウカラなどの小鳥を狙うのだが、いかんせん鳩ぐらいの大きさしかないので、しょっちゅうカラスに追いかけられている。
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ツミが来ると小鳥たちが逃げて何処かへ隠れてしまうので、バードウォッチングしに行く身としては非常に困るワケだが、まぁ鳥は鳥。小鳥じゃないが、キッとした目鼻立ちが素敵なツミも絶好の被写体としてシャッターを切っているのだナ。近所の家のガレージの軒下ではツバメがこの時季、二度目の繁殖に成功していた。小さな巣の中からはみ出しそうな程大きく育ったヒナたちが大きな口を開けて餌を運ぶ親ツバメを待っていた。七十二候ではないが、「燕乃学習」と言ったところか。

       梅雨明けや森をこぼるる尾長鳥    石田波郷
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オナガも大勢の家族を連れ、餌を求めにやって来るのかナ。
     ◇           ◇           ◇
閑話休題。

二週間前に突然、お尻に激痛が走り動けなくなった。翌日になるとその痛みが右足の太ももから膝にかけて広がっていた。痛む足を引きずりながら病院に駆け込むと「座骨神経痛を発症していますネ」と言われたのだ。もともとギックリ腰になり易かったのだが、臀部から足が痛むなんてことは一度もなかった。聞けば、脊椎の骨が神経を刺激しており、その神経は臀部から足まで繋がっているために足の神経も痛くなるのだそうだ。

しかし、今回一番ショックだったのは、先生に原因を聞くと「歳をとったせいですヨ!加齢ですね」と、あっさり言われたことだった。どんなに若い気持ちでいても、現実はそう甘くなかったってことか。トホホ。

この痛み、尋常じゃないのだヨ。大の大人が涙を流す程に痛いのだ。この痛みを何かに例えると擦れば、打撲をしてアザが出来て腫れている箇所を固い棒の先でグリグリと押された感じかナ?ズキズキ
、ジンジンと痛み、疼(うず)くのだ。この痛みのことを「疼痛(とうつう)」と呼ぶらしい。

最初に先生から処方されたメチコバール錠とロルカム錠という薬は、末梢神経障害の症状を緩和する働きがあり、痛みを和らげると聞いた。薬を飲み、腰から下を冷やさないようにエアコンを極力避けて痛みを和らげていたのだが、それでも激痛は止まらなかった。

そんな中、用事があって駅の近くの郵便局まで行かなくちゃならなくなった。Amazonから届いたばかりの杖を左手に持ち、痛む右足を引きずりながら、必死の思いで郵便局まで向かった。我が家から郵便局までは、普段だと5分程で到着する距離なのだ。それが、ちょっと歩くとスグに激痛が走り、しばらくガードレールなどに腰を下ろし休んでいると再び歩けるようになる。それの繰り返しでアル。「間歇性跛行(かんけつせいはこう)」という症状だと聞いた。

うりゃっ!満身創痍の身体に鞭を打ち、30分かけて到着だ。

汗をかき々々、やっとのこと郵便局に辿り着いたのだが、そこで大マヌケなことをやってしまったのだった。トートバッグを肩から下ろし、郵送する封筒を取り出すと、出す筈のモノとは違う茶封筒だったのだ。おいおい、こりゃ何の天罰だヨ!あちゃーっ、不甲斐ない自分に思わず苦笑いまで出る始末だ。

あぁ、再びこの道を戻り、また来なくちゃならないのか。再び30分、今度は上り坂だ。右足の痛みと痺れを我慢しながらも、己の阿呆さ加減の方が強く僕を攻撃してくるようだった。トホホのホ!

郵便局から我が家へと、這々(ほうほう)の体(てい)で戻って来たのだヨ。あれ、家を出たの確か10時だったよナ。ソファに崩れ落ち、腕時計に目をやると、11時を疾(と)うに過ぎていた。あぁ、疲れたナァ。

病院で処方された薬は、全く効かなかった。この日は郵便局に行くのを諦め、午後にまた病院に向かった。病院までの道のりも辛く、激痛を伴ったが、堅忍不抜の精神で見事に歩ききった。

そして、この二日間の症状を先生に伝えると、ヘルニアや腰部脊柱管狭窄症かもしれないから MRIの検査をしよう、と云うことになった。

先生が新たに処方してくれた薬は、神経痛を和らげる「リリカカプセル」というものだった。
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このクスリは「ロキソニン」よりも強いとのことで1日に服用する量を調整してもらった。

この日の夜、処方された薬を飲んだ。服用してから1時間余りが過ぎたあたりから、劇的に痛みが緩和されたのだった。これはオドロキだ!今まで、立っていることが辛くて、トイレで立ち小便をすることも出来ない状態だったのだからネ。

ベッドで寝ている間も痛みが少なかった。翌朝、薬の効能が切れたのか、再び臀部から右膝にかけて痛みが走っていたが、薬を服用し1時間ばかりすると痛みが和らいだ。痺れは余り治らないのだが、立って歩けるし、神経痛が緩和されていることが嬉しかったのだナ。

先生が処方してくれた薬が僕の症状に見事にマッチしたのだろうネ。あとは、MRIの検査結果を観て治療に専念しよう。
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よしっ、前日の失敗を糧にして、郵便物を再チェック!杖を片手に意気揚々と郵便局へと向かったのでアール。
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by cafegent | 2017-07-19 13:26 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)
先日、朝日新聞社の主催により『市川崑の60年代レア作品「青春」をフィルムで観てから、「黒い十人の女」の頃の話もしてしまう会」と云うトンデモなく長いタイトルのイヴェントが催された。
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映画を鑑賞した後に音楽家・小西康陽とミルクマン斎藤さんとのトークショーも開催されたらしく、市川崑ファンには堪らない催しだったのだネ。ちなみにミルクマン斎藤氏は、デザインスタジオGROOVISIONSのメンバーであり、映画評論家として活躍している。
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生憎(あいにく)、僕は仕事の都合で参加することは出来なかったのだが、酒朋の友人が何名も参加したりして、愉しんだと聞いた。また、この企画自体を実行した朝日新聞社の小梶さんも我が酒朋でアル。

このイヴェントで上映された作品は『第50回全国高校野球選手権大会 青春』という1968年公開の映画だ。
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市川崑監督の作品でスグに浮かぶのは、’65年の映画『東京オリンピック』だネ。大勢のスタッフや機材を導入し開会式から閉会式までを緻密な絵コンテを作り、撮影に挑んだそうだ。閉会式までの15日間に撮影した膨大なフィルムの編集は気が遠くなるほどの作業だっただろうナァ。

その結果、この映画は大ヒットし、日本国内のみならず海外でも高い評価を得て、確かカンヌ映画祭でも賞を獲得した筈だ。今回上映されたこの映画は『東京オリンピック』の成功を確信し、高校野球大会の主催団体のひとつである朝日新聞社に自ら持ち込んだ自主企画だと知った。

   選手たちの一年間にわたる、長くつらいトレーニングは、それぞれの土地の風土、
   つまり自然とのたたかいです。そのたたかいのなかに、青春の生命感があると思い
   ます。大会は、凝縮したその結果が開花するときです。

1968年8月10日の朝日新聞夕刊の記事の中で、市川崑監督が語った言葉だ。

世界のスポーツの祭典を「映画」というカタチで見事に〝映像美〟なるものをを僕らに植え付けた監督。その視点・基軸をそのまま日本のスポーツの祭典である高校野球を「青春」という切り口で映像化した作品が、この『第50回全国高校野球選手権大会 青春』なのだネ。

この映画をフィルムで観れる貴重な機会は逃してしまったが、8月初めにDVDが発売されると知ったので、8月7日に始まる第99回全国高校野球選手権大会の前に一度は観たいものだ。そして、14日間にわたる激動の青春を体感したら、もう一度この映画を鑑賞してみよう。
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第50回全国高校野球選手権大会 青春 [DVD]

我が兄、小西康陽が昔から市川崑監督の映画を愛していることは誰もが知っている周知の事実だ。好き過ぎて、’97年に自ら映画『黒い十人の女』をリヴァイヴァル上映したことがキッカケとなって、渋谷系世代をはじめ、再び「映画監督 市川崑」が脚光を浴び、過去の映画の再上映に繋がったのだネ。

1994年の雑誌「ブルータス」11月号の中で、小西康陽は「あの頃は蓮實重彦的な映画ジャーナリズムが圧倒的で、もちろんぼくのカブれたクチだが、市川崑など徹底して無視されていた時代だった。好きだと言っても苦笑されるのがオチ。」と記している。そして「『おとうと』の唐突的なラストを、『黒い十人の女』の圧倒的なグラフィックセンスをあぁ、知る者にしか判らないのだ」と怒っていたっけ。京橋のフィルムセンターで「市川崑」を発見してから、ずっと市川崑の映画を観続けているのは大したものだナ。
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黒い十人の女 [DVD]

ちなみに僕が市川崑の映画で一番印象に残っているのは『鍵』だ。冒頭のタイトルロールから、線路の上を走る市電の足元に配役らのテロップが流れ、実にカッコイい。場面が変わる時のリズムやカットをつなぐテンポの良さなど、これこそ市川崑らしい映像編集のセンスの良さを発揮した映画だった。

しかし、この映画は何と言っても、主演の今日マチ子、叶順子、仲代達矢、そして中村鴈治郎の四人が、とにかく凄い怪演ぶりを発揮していることだろう。吊り上がった細い眉が妖艶さを強調した京マチ子と、対照的に太い眉毛で純真一途な女学生らしさを醸し出す叶順子、もうどちらも可成りエロいのだナ。

病に伏せ、死ぬ間際に京マチ子演じる妻・郁子を裸にさせ、それを拝みながら冥土に旅立つ剣持を演じた中村鴈治郎も実にエロい。

京マチ子がこんなにもエロティックで妖艶な女優だったのか、と改めて僕の好きな女優にランク・インしたのもこの映画に出会ったからだったナ。娘・敏子の婚約者で若き医師・木村を演じた仲代達矢は強烈だったナァ。飄々としていて、クールで、実にシニカルな演技は、今も仲代達矢ならではの個性とも言えるだろう。
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鍵 [DVD]

先日、改めて谷崎潤一郎の『鍵』を読み返してみたのだが、自分の性欲の衰えを妻と娘の婚約者との逢瀬によって生まれる嫉妬と興奮により制欲の糧にしている亭主の年齢が今の僕よりも若いと云うことに驚いた。そんなことは、まーどーでもイィのだが、市川崑監督の映画で一番好きな映画が『鍵』なのでアル。

今日の夕方、BSフジで放映されたテレビドラマ版『黒い十人の女』は市川崑自ら監督を努め、鈴木京香さん、浅野ゆう子さん、小泉今日子さんらが実に素敵な演技をみせていたナ。ダメな男の代表とも言えるテレビプロデューサー風松吉役はオリジナル版の船越英二氏もリメイク版の小林薫さんもどちらも怪演だったナ。

一昨日の日曜日、東中野のもつ焼き屋『丸松』にて休日を過ごしていたら、偶然にも酒朋コカ爺ぃこと小梶詞さんが友人とやって来た。彼らは既に赤羽『まるます家』からの帰りでゴキゲンだったので、いざカンパイ!僕が観られなかった前出のイヴェントも盛況だったそうだった。
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そして、彼が手がけたこのイヴェント特製のZineを戴いたってワケだ。

昨日じっくりと戴いた特製Zineを拝読したところに、タイミングよく今日のテレビ版『黒い十人の女』の再放送を知ったので、つい今日は勢いで書いてしまったのだナ。

我がブログの読者にも、これを機に市川崑という映画監督とその作品を好きになって貰えたら幸いでアル。
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by cafegent | 2017-07-18 21:32 | ひとりごと | Trackback | Comments(0)