古い友人のトミー富塚君が仕事休みだと云う事で東京に出てきた。彼は成田空港が職場だから、たまの休みの時しか一緒に呑めないのである。
恵比寿「カドヤ」で懐かしい渋谷「ブラックホーク」談義に花を咲かし、そのあと「縄のれん」でレバーステーキと焼酎ハイボールを教えてあげた。ここのレバーステーキはいつもすぐに売り切れてしまうのだが、この日は運良くありつく事が出来た。「二枚あったのだけれど、俺が一枚まかないで食べちゃったよ。」と親爺さん。いやいや、一枚だけでも有り難い。
千葉まで帰る電車の時間までもう少し余裕が有るので、彼はバー「トラック」へ行くと云う。ブラックホークな気分に浸りたいのだろう。
で、僕は仕事仲間が12月から名古屋に単身赴任となり、暫く会えないから飲もう、と云う事になり西麻布「フラスク」へ向かうことにした。
タクシーの中で、はて?と考えたら、彼奴は独りもんじゃねぇか。何が「単身赴任」だ、コノヤロー。そーゆーのは、女房子供の居る奴の台詞じゃねぇーか。

ザキちゃんはコピーライターなのだが、名古屋のクルマ屋さんの仕事で3ヶ月名古屋勤務になるそうだ。
僕も今年は毎月のように名古屋に出掛けたが、あそこの方々は兎に角厄介だ。すんなりと仕事が進んだ試しが無い。彼が居る間に新しい仕事でも開拓しに行こうかナ。

そのうち、エノチンが餞別代わりとシャンパンを抜いてくれた。
シャンパンの泡の様に僕も天に昇る気分になってしまった。そこからの記憶が無いが今朝も「ちりとてちん」の時間に目が覚めた。しかし、頭がガンガンに痛い。トホホな朝だった。
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先週末、天気が良いので紅葉でも観に行こうかと白金の自然教育園まで散歩した。ここは自宅から歩いて数分の処にあるのだが、如何せん広くて入園出来る正面門まで歩くと10分程かかってしまう。それでも十分ご近所と云える距離なので、一年を通じて晴れた週末は大抵お弁当を持って自然教育園の中を歩くのだ。
目黒駅アトレに入っているスーパーマーケット「ザ・ガーデン」では、日本全国の特選弁当が揃っているので、その日の気分で金沢「ます寿司」になったり色々である。この日の気分は江戸「深川めし」と決まった。温かいお茶と弁当を持って、入園する。









ここから湯島まで足を伸ばし、界隈を散策した。バー「EST!」は開店前の支度中だ。近所の野良猫たちが入口辺りで寛いでいる。




エビサンド2400円は幾ら何でもチト高杉晋作、いや高過ぎだろう。ここは矢張り1900円の洋食メンチカツ弁当がオススメだな。二段重ねの重箱には、ロールキャベツやポテトサラダが入っていて、サクサクのメンチもジューシーな肉汁が溢れ出る。
ハンバーグも頑張っている、流石にどの料理も「煉瓦亭」には敵わないが中々の味を出している。この辺りでお洒落にデートしたい向きにはオススメの一軒だな。
さて、18時には湯島のバー「EST!」が明かりを灯す時間だが、これでカクテル飲んでしまうとヘベレケになりそうなのでこの日は寄らず電車で蒲田まで移動。
目指すは「くま寿司」だ。裏の酒屋で白ワインを買って寿司をつまむ事にする。狭い店なので、外で並ぶのは覚悟していたら一組しかおらずグッドなタイミングで入店出来たのである。
先ずはビールに煮イカに〆鯖、平目を刺身で頂く。相変わらず美味いなぁ、ここは。

くま寿司でひとみ姐さんと待ち合わせをしたのだが一向に現れない。あれあれ、待ち合わせ随分前だよナぁと思いながら、外を眺めていたら、どこかの小洒落た爺さんがくま寿司のネオン看板に向かってぶっ倒れてきた。そのまま後ろの原チャリに当たり路上に倒れてしまったのだ。こっちも目の前で倒れたもんだから、外に飛び出し取りあえず爺さんの介抱をすることに。
どうやらここのナナメ前のスナックで飲んだ帰り道だったらしい。店のママたちも騒ぎに飛び出してきたので、取り急ぎ救急車を呼んでもらうことにした。
まぁ、後はプロに任せようと、僕もまた店に戻り飲み直すことにした。
そんなこんなで、小一時間程遅れてひとみ姐さんが現れた。
くま寿司は独りで仕事をしている小さな鮨屋だ。だから、電話にも出られない。酒も自分で取らなくちゃならない。
入口脇の冷蔵ケースから大瓶を取り出し、栓抜きで栓を開けると大将がグラスを出してくれる。だから、こっちもちゃんと大将のペースに合わせて過ごすことになる。ちょっとした気遣いを心得た連中じゃないとここへは連れて来れないのだ。
それでも美味い江戸前の寿司を手頃な値段で食べさせてくれるのだから、通ってしまうのだ。


くま寿司を出て、目黒「権ノ助ハイボール」へ移動すると、どんどんと知った顔ぶれが集まってきた。只でさえ小さい店なのにそこへ僕らが3人、馴染み客がまた3人、「東京ローカル酒場復興委員会」の寺尾夫妻が恵比寿「さいき」の常連たちと6人連れでやってきた。おやっと顔を見ると「さいき」のご主人くにさんまで居るじゃなか。カウンターもテーブル席もみんな一緒んなって飲む事になった。
暫くすると、そこへまたモリンコが登場。渋谷のんべい横丁「Non」のバーキーパー(バーテンダーでは無いらしい。)カナイ君も一緒だ。
恵比寿、渋谷、目黒の飲んだくれ仲間が一堂に集まると云う凄い事になった。
こちとら、昼間っから呑んでいるのだ。案の定、ヘベレケである。
この夜も当然の事ながら、このあとの記憶などまるで無いのだった。



急ぎ足で歩いたので、外は寒いと云うのに僕は汗ダクになっていた。まぁ、ビールかシャンパンでも飲もうかと思って会場内を見渡しても、何処にも何も販売していないのである。大人が集まるライブで、ましてやサッポロビールが保有する会場なのに何故ホール内に酒を振る舞う所が無いのだろう。程よい酒を嗜み、ライブを鑑賞する。これが愉しみだと云うのにガーデンホールに少しガッカリしてしまった。それとも主催者側の気が利かなかっただけなのだろうか。

あの「なごり雪」を独自のアレンジにしているのだが、歌詞の所々を英語に直し、まるで「薮からスティック」な感じで唄っている。何だこりゃ、ルー語ではないか。二曲ほど唄ったが、オリジナル曲(だと思う)方は、日本語にしないほうが良かった。歌詞と云うには余りに稚拙すぎた。まぁ、笑顔が可愛いから良しとしようか、多分J−WAVE主宰だし何かバーターなんだろうナ。
暫く待ち時間があり、いよいよお待ちかねラウル・ミドンの登場だ。
二枚目のアルバム「a world within a world」の発売に合わせての二度目の来日となる。前回から2年ぶり位だろうか。ギター1本抱えて登場したラウルは、目が不自由であるがオーディエンスの熱気を感じとったのか終始ゴキゲンで名演を繰り広げてくれた。ラウル・ミドンがギターを爪弾いた瞬間、正に音楽の神様が舞い降りたのであった。
「ALL THE ANSWERS」と云う曲を紹介する時に、ネット社会の事について触れていた。「僕が学生だった頃は、本が読みたければ、先に調べて誰かに頼んで図書館に行くしかなかったが、今は知りたい事があればグーグルでググってしまえば簡単に見つかる。でも、皆が一番知りたいことなんてブリトニーが今朝何を食べたかってことだよね。」なんて冗談交じりで世の中を皮肉ってみたりもするのだ。
また、「CAMINANDO」を唄う時に、「この曲は、お婆ちゃんの家から自分の家に帰るとき、僕は目が見えないから足で土を感じ、耳で音を感じて歩いて戻らないといけない。目が見える人には判らないことを感じながら、ちゃんと歩いて帰れる、と云う事を歌にしたんだ。」と語ってくれた。
先日、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と云う参加型展覧会で「真っ暗闇の世界」を体感したばかりだったので、途中から僕も目を閉じて、ラウルの奏でる音、歌を目以外の感性で聴いてみる事にした。
歌の合間に語るラウルも茶目っ気たっぷりで、これまた親しみが沸いた。新しい曲が出来るまでの苦労話などはとても可笑しかった。また、彼の口からカーティス・メイフィールドの名前が出ようとは。僕の一番好きなアーティストなだけに益々ラウルを応援したくなってしまった。
それにしても、ラウル・ミドンは溢れ出る音楽の天才としか例えようがない。CDだけを聞いていたら、決して彼の真の凄さは判らないだろう。ライブで、終始一人で演奏をするラウルの姿に僕は鳥肌が立っていた。
前作も素晴らしいアルバムだったが、新作はソウル、ジャズ、ヒップホップの要素に加え、スペインやアルゼンチンの民族音楽を取り入れて新しい世界を開拓している。
アルバムではエレキギターを弾いたり、またバックにキーボード、クラリネット、ドラムス、ストリングスと多彩なバックをサポートに一曲、一曲素晴らしい作品に仕上げているのだが、ステージではそれを全て独りきりでやってのけるのである。リズムギター、リードギター、ベース、パーカッションをギター一つで演じ、ヴォーカル、マウス・パーカッションに加え、これが凄い!マウス・トランペットの怪演だ。
ギターとトランペットの掛け合いに会場は大いに湧きまくった。
「胸躍る」とはこう云う感じなんだろうなぁ。最初から最後まで興奮しっぱなしだった。最後の方で演奏した「STATE OF MIND」では、ただ々々嬉し泪が出てしまう程であった。

年末にこんな凄いライブを観ることが出来て幸せである。神様のクリスマスプレゼントだったのだろうか。
高鳴る胸を抑えつつ、目黒の小さな酒場「ビストロ・シン」へと向かった。連日、満員御礼の店内はタイミング良く禁煙席のカウンター席が空いたところだ。

ほぅ、ジビエですかい。豚肉も良いなぁと思いつつ、エゾ鹿肉のミニッツレアステーキがオススメとの事なのでそれにしてみた。

腹が減っていたので、エリンギと舞茸のカルボナーラを一気に頬張る。

もう1本ワインを頼もうかどうしようか悩んだあげく、権ノ助ハイボールへ移動した。パスタのソースでまったりした口の中をキリリとしたハイボールで洗い流す。腹が一杯になったら、またさっきのステージの事を思い出した。あんなに素晴らしいライブならば、渋谷AXの方も観ておけば良かった、失敗したナ。
ずっと立ち見で興奮していたが、ガーデンホールまでの急ぎ足と重なって、今頃になってふくらはぎが張ってきてしまった。
さて、ゆっくりと風呂で足を揉みほぐして寝るとしようか。






この会場となっているパレットクラブとは、誰もが知っているオサムグッズの作者、イラストレーターであり名コラムニストの原田治さんが主宰する絵の学校である。築地場外の僕がいつも寄る鮪の瀬川やらーめん井上のすぐ脇の露地を入った処に忽然と在る元倉庫だったのだろう白い建物が良い雰囲気である。入口を入ると素敵なホームバーが設置されてあり、酒好きの僕としては、何とも羨ましい限りの環境だ。
二階に上がると天井が高く天窓から自然光が洩れる気持ちの良い空間が広がっており、今回はそこに60席程の椅子が綺麗に並んでいた。僕の愛宕のオフィスをご存知の方はあの空間に洒落たバーがくっ付いた感じだと思って欲しい。
なんでも、古今亭菊六さんは原田さんのご友人のご子息が噺家で二ツ目になったと知り、落語を聞いてみたらすっかり気に入ったらしく、それ依頼、彼を後押ししているとのことだ。
この日は前座の後に1席、仲入り後にもう1席聞く事が出来た。最初は「初天神」だった。これも古典落語でお馴染みの子供ネタの噺だ。
マクラの噺から「真田小僧」かなと思って聞いていたら、おぉこう来たかと云う感じだった。仲入りでワインを一杯戴き、ポワンとした所で次の噺へ。
今度は「喜瀬川」だ。これも古典の名作で、今年は大銀座落語祭で聞いた林家たい平師の「喜瀬川」が気に入っていたので、良い聞き比べが出来た。
吉原花魁の喜瀬川が田舎から出て来るお大尽の部屋に上がることが嫌で、若い衆の喜助に「いいから、喜瀬川は大尽に恋焦がれて死んだことにしておくれ」と何とも無責任な事を云う噺である。
田舎大尽と喜助の問答がこの噺の肝なのだが、どんどんと菊六落語に引き込まれてしまった。ちょっと、今後が気になる若手落語家である。次回は来年4月に開催との事。それまでの間、少し菊六落語を追っかけてみようかナ。
もう10数年も使い続けているラゴスティーナ社の圧力鍋ならば、ものの30分でトロッとろに柔らかく野菜を煮込むことが出来るので朝、「ちりとてちん」を観る前にチャッチャと作れてしまうのでアール。

でも、まぁ良しとする。野菜と一緒に煮込んだ軽井沢デリカテッセンの腸詰めポークソーセージがぱっくりと弾けて、美味しいダシが取れた。むふふ、美味い。
これにパンを浸して食べ、朝から充実した気分になったのだ。

何故に自宅でご飯かと云えば、先日、友人から鎌倉は由比ケ浜の井上蒲鉾店特製「舌鼓抄」を戴いたからでアル。

紅白梅の花の姿をした「梅花はんぺん」、銭洗弁天の福銭に見立てた「小判揚げ」、白身魚をたっぷりと使った「つみ入」、他にも「ごぼう巻き」「えび巻き」「うずら巻き」等々、色とりどりの蒲鉾類が入っており、おでんの季節には持ってこいの具材を貰ったので、ボージョレーヌーボーと一緒に味わうことにした。


熱々のおでんを肴にヌーボーがまるでジュースの様に喉を通っていくナぁ。Vin Bioが仕入れるビオワインのヌーボーだから悪酔いすることもないし安心して酔えるのだ。

毎月、「芸術新潮」に連載している原田さんのコラムがとても面白い。このコラムを知ってから、原田さんのブログも拝見するようになったのだが、「小川軒のショコラ・スフレ」や「千疋屋の洋梨のジュース」等等、僕の好みとかぶる事が多いので、すっかりファンになってしまっている。
「原田治ノート」
明日も楽しみだ。週末は上野鈴本演芸場にて大好きな権太楼師匠が高座に上がるので、また落語三昧になるな。

昨日はPR2の鈴木貴之君の案内で、青山の「AVEDA」のサロン&スパにてアヴェダ初となるメンズ製品の発表レセプションに伺った。
もう20年程前からニューヨークへ行く度にダウンタウンにあるAVEDAショップでシャンプーとトリートメントのデッカいサイズを買い貯めしている。大体、1年位使うと無くなる程の量なので、NYへ行く目的の一つでも有るのだナ。数年前から日本でも展開をしているアヴェダだが、僕が気に入っている商品は薬事法の関係か日本では未発売である。
さて、今回のメンズ製品はヘアケア2製品、ヘアスタイリング4製品、頭皮、ボディ用オイル1製品と合計7つが発売された。今までのアヴェダ製品同様に植物由来成分の独特な香りを放ち、中でもセージとリコリスの香りが心を穏やかに落ち着かせてくれる。
普段は女性専用の地下サロンにて、特別に顔と肩、胸、背中のマッサージを受けさせて頂いた。
可愛い女性のスタッフからいきなり「上半身はだかになってください」と言われた時にはちょっとドキリとしたが、まぁマッサージを受けるのだから当たり前かと気を取り直して服を脱いだ。
顔に温かいスチームが当たり、肌がどんどんとしっとりしてくる。そこへシュパ、シュパっと何かをスプレーすると肌がきゅっと引き締まった感じになる。
「アーユルヴェーダ」に由来すると云う、浄化と癒しのトリートメントパックを顔全体に施し、暫くの間背中から肩、胸にかけてマッサージをしてもらった。しっとりとアロマオイルが滲みたガーゼが顔を覆っているのだが、ハーブの匂いでどんどんと気持が良くなり、精神が安定してくる。そこへ素敵な女性の手で身体をマッサージしてもらうのだから、最高にリラックス出来る。これ、気持ち良過ぎてきっと皆眠ってしまうのだろうなぁ。
小1時間の瞑想の旅が終わると、顔もきゅっと引き締まり、身体も十分ほぐされた感じになった。これは、女性だけにしておくにはもったいない。早くメンズ専用のサロンを作ってもらいたいものだ。うーん、きっと病み尽くだろうナ。
帰りに「なるきよ」に寄ると、久しぶりに後輩に出会った。転職をしたとは聞いていたが、外資系の良いところへ行ったのか。よし、よし。




後輩たちを引き連れて、場所を「マルクス」に移して呑み直し。
僕はすっかり酔っぱらって、久しぶりにマルクスのカウンターで爆睡をしてしまった。起きたら既に皆帰ってしまっていた。古谷兄が女性陣をかっさらっていったのか。
トホホ、と思いつつ、地下「ビブラビ」のみっちゃんが来ていたので呑み直す。
あぁ、こんな日々だから風邪も治らないのだろうなぁ。古谷兄、ご馳走様であった。
先週、日本テレビの企画による「千手観音 My 夢 Dream」を観る事が出来た。

この時の舞台では、平原綾香の歌もウー・ルーチンの京胡の演奏も一応に素晴らしかったが、中国障害者芸術団の前では霞んでしまった。
耳と口が不自由な21名の踊り手たちが一糸乱れずに舞う「千手観音」は、それからもずっと観たいと願っていたので、今回の日本公演で再び彼女たちの名演技を間近に観ることが出来て感無量であった。

今年の24時間テレビでも登場していたのでご覧になった人も多いと思うが、正面から観ると圧倒的な迫力で千手観音が迫って来るのだ。そして、少しずつ席が左右にズレるに従って見え方が大きく変化してくる。
新宿、東京厚生年金会館の大ホールでは左右に大きなモニターが設置され、どの席からも真正面から捉えた踊りを観られるように工夫してくれていた。こんな配慮が実に素晴らしい。
また、千手観音を踊ったダンサーの他に、目や足の不自由な歌手、両腕を無くした農民の素晴らしい舞踊、聴覚障害の京劇、楽器演奏など何れ劣らぬ名演だった。

風邪なんぞにヘバってられんなぁ。


人形浄瑠璃でもしばしばかかる演目だが、殆どが四幕目の「合邦庵室の場」だけを取り上げて上演される事が多い。今回、国立劇場では実に39年ぶりに序幕から大詰めまで通しで上演された。玉手が恋をする俊徳丸は坂東三津五郎が演じたが、当代きっての二枚目は、ここでも余す所なく好い男ぶりを発揮していた。




オーナー・シェフの櫻井さんは、たまに「なるきよ」でお会いするのだが、彼の仕込む豚肉料理はどれも大変美味しく、何を頼もうか何時も悩んでしまう。前回戴いたブーダン・ノワール(豚の血と背脂の腸詰)をくだんのグリルで焼いてもらったのは絶品だった。
ワインは、Le Vins De Vienneのコート・デュ・ローヌ 2004の赤を戴いた。栓を開けたばかりの時は割と強めの酸味が舌に残ったが、空気に触れるにしたがってどんどんとまろやかな風味を増し、豚肉との相性も抜群だった。

今回は先ず「生マッシュルームのサラダ」から。

ちなみにヨーロッパでは、「女はサラダ、ドレッシング次第」と云う言葉がある。
ドレッシングとは、ドレス。つまりは「装う」と云う事であり、女性のお化粧などの「仕上げ」の意味を持つ言葉である。これ即ち、料理をドレスアップさせるのが、「ドレッシング」の重要な役目なのだ。
続いて「温製豚頭のテリーヌ」を戴く。

メインは「カスレ」と「ビゴール豚の肩ロースのグリエ」に決めた。
白インゲン豆と豚肉、腸詰などをコトコトと煮たカスレはバスク地方の名物料理だが、櫻井さんのカスレは、毎回必ず食べたい一品だ。

さて、今回のお楽しみがグリルでじっくりと焼き上げた肩ロース。

もう一杯グラスで赤ワインを戴き、本日のご馳走終了だ。
〆の菓子はガトーバスク。

ここは、豚足やコンフィ、エスカルゴなんかも素晴らしく美味しい。仲間たちとワイワイ食べるには持ってこいの名ビストロだ。また、櫻井さん以下、スタッフ全員が丸刈りなのも実に清々しいのだ。
珈琲を頂戴していると厨房から櫻井さんのお弟子さんが声を掛けてくれた。先日、なるきよの家に遊びに行ったそうだ。皆、仲良くしていて、実にいい。彼が一人前になって独り立ちする時もまた、とても楽しみにしていたい。
さて、それでは「なるきよ」に居場所を変えるとするか。

自分の手が見えないほどのまっくらを体験をしたことがありますか?
こんな言葉にとても興味を惹かれてしまった。
そして先日、「DIALOG IN THE DARK」なるイベントに参加した。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、普段の日常生活で接する環境を真っ暗な闇の空間の中で体験するワークショップ形式のエキシビジョンだ。聴覚、触覚など視覚以外の感覚を使いながら真っ暗闇の世界を歩いたり、共に行動したりする。1989年ドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士のアイディアから生まれたこのワークショップは、ヨーロッパを中心に世界70都市、既に200万人以上の人々が体験しているそうだ。



普段と同じ様に歩く事すら出来ず、何かに躓いたり、壁に激突したりするのだが、初めて一緒になった8人が次第に連帯感を持つ様になり、声を出し合って進んだりする。それでも、皆便りにするのは曽根さんで、あっちからもこっちからも「ソネちゃーんッ!」の声が飛んでいた。
途中、橋を渡ったり、池の水に触れたりしながら、鳥や虫の鳴き声に森を感じたりしてくる。体躯館に入ると木の床に気付き、体育マットを踏みバスケットボールを見つける。美術室や音楽室でも何かを発見したり、楽器を見つけて鳴らしてみたりする。
螺旋階段を上がったり、いくつもの部屋をと通り抜けるうちにもうどんどん方向感覚が判らなくなってくるのだ。光りが一切洩れて来ないので目が慣れるなどと言う事はまるで無い。
闇の旅の終わりの頃に扉を開けた部屋からは畳のい草の匂いを感じることが出来た。そこは用務員室だったのだが、皆で靴を脱ぎちゃぶ台のある畳の座敷に上がる。ソネちゃんから受け取ったおしぼりに熱さを感じとり、ジュースのプルトップを開けるとグレープフルーツの薫りに「こんなにも匂うのか」と改めて感じることが出来た。
日常生活で気がつかなかった何かを感じた、とても不思議な世界を体感させてもらった。
約1時間の闇の旅が終わり、目を慣らすためにしばらく薄暗い部屋で皆が輪になり感想を語り合った。
今までとは違う感覚が自分にも宿ったように感じたが、普段感じている筈の事柄に余りにも無頓着に生活をしていただけだったのかもしれない。
僕の友人の中にも闇の世界で生活をしているミュージシャンの増田太郎君がいるが、この展覧会に参加してみて、改めて彼が日々体験している日常を少しだけ理解出来た。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、とても有意義な展覧会だった。

「ダイアログ・イン・ザ・ダークのサイト」
246を反対側へ渡り、豊川稲荷を訪れる。ちょうど一年前にここでお参りをした時に戴いたお護りの「融通銭」を納めにいくためだ。




♪三条へ行かなくちゃ。三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね♪
お馴染み、高田渡が唄った「珈琲不演唱」(コーヒーブルース)の一節だが、やはり京都の朝は「イノダコーヒ」のブレンドを飲まなくては始まらない。
京都駅を出て、先ず真っ先に堺町通三条へ向かう。


高瀬川、鴨川を渡り、京阪三条から電車で京阪七条へと移動。



美術手帖の岩淵副編集長から先に伺っていたのだが、「獅子図屏風」のその大きさにはたまげてしまった。正に「巨大」なのである。時の権力者だからこそ、これ程大きな絵を依頼し、飾る部屋が在ったのかと思うと、信長や秀吉の絶対権力の凄さがひしひしと伝わって来るようだ。
「洛中洛外図屏風」に見られる緻密で細かい京都の様子も見事としか言いようのない作品だが、それとは正反対の様な力強くて大胆な「檜図屏風」は檜の枝振りのグヮンとした描き方と岩に見られる永徳ならではの筆使いに圧倒されるのだった。全体が描ききれていない檜の大きさもまた「巨大」である。

外に出て何か甘いもので疲れを取ろうか、と七条通り沿い三十三間堂の真向かいに在る「京菓匠 七條甘春堂」へ。
併設の甘味処「且坐喫茶」(しゃざきっさ) へ上がり、「菓子膳抹茶」を戴いた。
慶応元年(1865年)創業と云う歴史ある京和菓子の老舗が始めた喫茶室は畳敷きの京町屋でのんびりとした時間を過ごすのもホッコリ出来て良い。且坐喫茶とは、禅宗から来ており、茶の世界で「且く坐して茶を喫せよ」と云うことだそうだ。「まぁ、座ってお茶でもあがりなさいな」との意味だそうだ。




疲れも癒された所で、またも京阪電車で四条へ。




追加で、丹波松茸のフライと小芋煮を戴く。あぁ、至福の昼飯だ。
「志る幸」の味を堪能したあとは、食後の運動で歩くことにする。

先斗町通りを抜け、東山二条へ。小さいながらいつも秀逸な作品展を企画している「細見美術館」を観る。


東福寺の紅葉でも見ようかと地下鉄に乗ったのだが、17時までしか入れないと云う事を知り、諦める。四条で電車を降り、「南座」から四条通りを八坂神社方面まで歩く。
「何必館(かひつかん)京都現代美術館」にて『「昭和」を撮る 木村伊兵衛の眼』展が開催中だったので観る事にした。入場が17時半までだったので、ギリギリのタイミングで間に合った。

1954年、渋谷の風景に切り取られていたのは、のんべい横丁の「鳥福」と「野川」だった。京都の地で、自分が生まれる前の渋谷のんべい横丁を観ると云うのも何とも不思議な感覚を味わった。
「いよいよ写す時は自分はないんですよ。ほんとうに機械の機能で持ってパッと写して木村というものは、どこかへ消えちゃって相手の人物を出したい。」
木村伊兵衛のことば通り、茶室の横に飾られた「永井荷風」は実に愉しそうな笑顔を捕らえていた。
外はすっかり暗くなっていた。「辻利」で抹茶パフェでもと思って近くまで行くと20人位が列を作っているではないか。甘い物は昼間も食べたしまぁ良いか、とサッさと諦める事にして、寺町京極へ。

サンボアの店内はBGMと云うものが何も流れておらず、外のアーケードを歩く人々のざわめきが時折耳に入るのだ。普段、オフィスでも音楽を流しっぱなしにしており、何処に飲みに出掛けても大抵は音楽が架かっている。
たまに、音楽のまったく架からない場所で一息つくと云うのも大切かもしれないと思ってしまった。

アーケード街をまっすぐ戻り、新京極の「スタンド」へ。

湯とうふも熱々でハフハフしながら食べると実に美味いなぁ。
京で湯豆腐ならば「南禅寺に限る」と言われそうだが、僕は「スタンド」の湯豆腐で大満足であった。串カツも食べ、程よく酔いが廻って来たので、京都駅に向かうことにした。
しかし、そう簡単に控えられる訳も無いのである。「美味いもの病」に取り憑かれている僕は、久しぶりに「あの」お寿司屋さんを訪れることにした。
僕のオフィスが目黒の大鳥神社近くになったので、今までは「わざわざ出掛ける」と云う感じだったのが、ちょっとぶらりと散歩がてらに寄れる距離になったのは大変嬉しい限りである。
そして、目指すお寿司屋さんは、大鳥神社から15分程の林試の森公園の先に在る。
元気そうな姿で書き物をしているご主人とご挨拶をし、席に座る。外の寒さは穏やかになったのかなぁ。
先ずはサッポロビール赤星の大瓶、血合いと髄を完璧に取り除いたハゼの骨を三日間外で干し、揚げたもの。これ、血抜きをしっかりとしているので外に干してもハエ一匹来ないそうだ。
伊豆のアワビを大根と一緒に酒で5、6時間蒸し上げ、それを酒と一緒に型に入れ煮こごりにした。味付けは日本酒のみである。
ご主人、またも素晴らしい事を教えてくれた。世界中どこにも無い日本料理独特の味付けがこの「淡味」と云う味だそうである。
ご主人が京都の宇治で見つけたと云う「三陸のカツオ」。これに和芥子と卸した玉葱の醤油だれを乗せて食す。今度は能登の鯖。これも同様に和芥子で頂く。
次に登場したのは新作だそうだ。

なるほど。
三河の秋蝦蛄(シャコ)はふっくらと炊きあがって素晴らしく美味い。蝦蛄は春が一番で秋も第二の旬だそうだ。
酒を日本酒に切り替える。最初は新潟の辛口、越乃松露と秋田の純米、奥清水を頂いた。
またも凄い組み合わせの一品が出た。

北海道鼻先から届いたと云う毛蟹の巴蒸し。白子と蟹の味噌、内子を沖縄の塩のみで蒸す。素材の美味さが引き立つ一品だ。
握りに行く前に、少し日本酒に合う珍味を戴いた。
三年モノのかつをの酒盗と二年モノのまぐろの酒盗。魚の胃と肝臓を熟成発酵させた酒盗は、魚を漬ければくさやになるしお握りに塗って焼いても美味いと教えてくれた。まぐろの内蔵は、矢張りでかいのだろうか。作っている時の物凄い量を想像してしまった。
ここで、鮭の肝臓をお茶で炊いたものを戴いた。これも日本酒に合う。そろそろ握りとの事なので、酒も比較的さっぱりしたものに切り替える。まず、米沢の吟醸酒「三十六人衆」を頂いた。
べったらの浅漬けを箸休めにする。
日本酒が余りにも美味いので、もう一品、珍味を戴く。五年モノ鮎のうるかだ。肝臓の苦みと共に鮎が川の中で食べている苔(コケ)の味を堪能できる。
続けて天然鮎の精巣と卵巣のうるかを出してもらった。こちらは二年モノだそうだ。爪楊枝の先で少しづつ舐めていれば、いつまででも日本酒がイケてしまうので困ったモノだ。
酒は越後の吟醸「越の魂」と云う初めて呑む銘柄だ。こちらは先程のよりもすっきりかな。クイクイいけてしまう酒だ。
またお漬け物を戴く。マスクメロンを溜り醤油で漬けたお新香だ。小さく可愛いメロンだが、生産農家で間引きしたモノだそうだ。しっかりとメロンの香りが漂うところが嬉しい。またも酒がススむ。
今度は群馬の大吟醸「水芭蕉」。水も米も酵母も全て群馬の物を使った純米の地酒だ。
握りの前の珍味に圧倒されて、随分と酒が進んでしまったナ。
さぁ、ここからいよいよお待ちかねの握りの時間だ。ご主人から「きんちゃん」の愛称で呼ばれているぼくとつとした愛弟子が「寿司はしゃりが命ですから、」と佐藤さんと全く同じ名セリフを言ってくれるのが実に愉しい、と云うか素晴らしい。もう一挙一動、この名店の神髄を受け継いでいるのだ。
先ず、皮剥ぎの肝和えが手の上に乗る。ここは握った寿司を必ず手の平の上に出す。そのまま、口へ運べば良いのだ。もう言う事無しの美味さである。
今度の酒は石川県手取川の「よしたか」と伺ったが、これも初めてだ。うん、これもまた握りに合う。
お次は、淡路産さよりの酢橘洗い。サッと酢橘をくぐらせたさよりが美味い。今度はそのさよりの皮を炙ってくれた。あぁ、これも酒にピッタりだ。
今度は酒塩白魚(さかしおしらうお)と芝えびのそぼろ握り。これは、江戸時代の寿司だ。冷蔵庫の無い時代に酒と塩だけで白魚を蒸して、保存する。素材の味を活かした逸品である。
さてここからお待ちかね、小肌の登場だ。先ずは,酒かすから造られた赤酢で〆た小肌から。これはもう直球だ。次は米から造った白酢と酒で〆た握り。こちらの方が少しあっさりしている。うぅ、どちらもすこぶる美味い。

ご主人曰く「小肌、小肌、ってうるせぇんだよ。独りで仕込んだ小肌全部喰っちまうような奴もいるんだよねぇ。でも、毎度毎度だから、こっちも心得たもんよ!」って、実に愉しそうに語っていた。
ここで一つ旬の握りを出してくれた。

そして、小肌三本勝負の最後、柚子〆小肌の握りだ。白酢に柚子の香りづけが小肌を上品に仕上げていた。たとえるならば、阪急電車で通学する普通の一般女子が宝塚歌劇団に入団出来たような味だナ。全然、喩えになってねぇなぁ、こりゃ。
天然の真牡蛎をそのままで戴いた。シャリも握らず、何もつけず、そのままだ。小指の先程の小さな真牡蛎は冷たい海の味をそのまま味わうことが出来て素晴らしかった。先程食べた信州林檎との味も絶妙だったが、素材がこれだけ良いのだから美味い筈だ。
今度は、ハゼの肝和えが手に乗る。むふふ、としか言いようがない味。
これはハゼの皮を熱い酒で洗っているそうだ。最初に出された鮑も酒のみで蒸していたが、酒は万能な調味料なんだなぁと感心してしまった。
続いて、真白子。だんだんと白子の季節だね。江戸前の青柳ぎを食し、ここでご主人「美味いの入ってるから出すよ!」と蝦夷(えぞ)あわびの肝付けが登場。肝の苦みがあわびの味を引き立たせていて絶品の味。
青柳の小柱を塩で戴く。平貝の握りも貝好きにはたまらない。
お腹も段々と膨れてきたが、これは外せない。蒸し蛤の握りを出してもらった。砂糖を一切使わず、酒と味醂と三十年もの間継ぎ足して来たと云うツメが素晴らしい甘さを出している。あぁ、幸せのひとときだ。
ここでまた箸休めが出て来る。

ふっくらとした穴子の釜あげも素晴らしい。先程のツメがここでも活躍だ。
もう満腹であったが、最後にもう一つ握ってもらうことにした。これも冷蔵庫の無かった江戸の頃の保存法を活かした一品だが、茹でた車海老を卵のおぼろに漬けてある。江戸時代は粟やひえに漬けて保存していたそうだが、漬け床の卵のおぼろをシャリ代わりに握った車海老のおぼろ漬けは文句なく美味い逸品だ。ここに来てこれを戴かないと終わりが来ないのである。
小さな店内もいつの間にか、お馴染みさんたちで満席になっている。隣の席のお嬢さんたちが「こんなの初めて〜!」って黄色い声を挙げると、ご主人一言「あたりめぇだよ。俺がここで初めて創るんだからさっ!」って饒舌ぶりを発揮している。
美味しい料理と美味しい酒、そしてみんなの笑い声が素晴らしい至福の時を過ごさせてくれるのだ。
ご主人の佐藤さんも暫くの間体調を崩していたとお聞きしていたが、この日は変わらずの冗談まじりの江戸前寿司談義を聞かせてくれた。昼間は病院でリハビリ治療をしているとお内儀のはるこさんが教えてくれた。佐藤さんも付け台の中で元気な姿を見せているが、まだ握るのは難しいそうだ。早く良くなってくれると良いナぁ。
ここのお手洗いの中、正面に掛けてあるのは先代の主人の描いた書だ。そこには、「辛棒する木に金な成る。健康は命より大事」と或る。
佐藤さんが「まったく、先代が書いた通りだ。健康は命より大事だなぁ。」と先代の頃からのお馴染みさんに語っていた。
先代の女将さんも元気に店に出ているし、若いお弟子さんたちも見ていて清々しいばかり。ご主人も早く良くなって欲しいを願うばかりだ。
外はすっかり日が暮れて、風の冷たさが秋が深まっている事を告げている。住宅街の中にひっそりと佇むお寿司屋さんの灯りは訪れる度に温かくしてくれた。