クリスマスだから、いつもと違うカラーリングなのかなぁ、と思って見た訳だがいつもと変わらぬ色だった。

先日、久かたぶりに神楽坂で美味い鍋を食べた。
神楽坂の毘沙門天前に在る「御料理山さき」は、江戸庶民が愛した料理を気兼ねなく存分に楽しめる和食屋だ。

実は美香ちゃんは、僕がサラリーマン時代の後輩であり、当時は輸入雑貨の世界で頑張っていたのだが、一年発起して、料理人の世界に飛び込んだ努力家なのだ。
冬の時期になると、「鴨の巌石鍋」「ねぎま鍋」「よせ鍋」、それに鶉やふぐの鍋も加わる。最初に出されるお通し五品の中に必ず入る玉子焼きはとびきり旨い。修行時代、この玉子焼きが焼けるまでに何年もの歳月を要したと聞く。
この日は、先付けに小海老と百合根とインゲンの卵和えの小鉢から。
淡い味付けが優しい味わいである。

東京の玉子焼きらしく、可成り甘いのに後を引く味である。
続いてお造り。

酒は秋田の地酒「春霞」を燗につけてもらった。


鴨肉をミンチにして豆腐と合わせてあるのが、ここならではの一手間である。


一通り食べ終えたら最後のお楽しみ、巌石鍋の味がたっぷり染込んだ雑炊を作って戴く。


最後にお茶を戴き、「山さき」自慢の手作り菓子を戴く。「葛焼き」とか云ったかな?

昨年の夏にここで生まれたメダカの稚魚を分けてもらった。生まれたてで、体長も1,2ミリ程度。目を凝らさないと見えない程小っちゃかったのだが、今では2,3センチにまで大きく育ってしまった。
「御料理 山さき」は今話題のミシュランガイド東京版で星を一つ獲得した。
東京が世界に誇る店として、大いに讃えるべきである。ミシュランに対する意見も沢山飛び交っているが、僕はこう云う店に星を与えた事をあえて評価したいと思ったナ。
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さて、年の瀬は美味いモノが続く。
今年最後の目黒の寿司は満席のところを無理に用意してもらい奥の座敷での宴となった。



続いてお刺身盛り。と云ったって、ここの刺身は訳が違う。

同じく能登のサバ。これも脂の乗りが良い塩梅。鯖も和芥子で戴く。
あぁ、もう日本酒が欲しくなる。
ここで親方が鮟鱇の肝を持ってきた。

何でも、今ほとんどの料理屋で出す鮟鱇は大半が世界中の海で捕れ築地に送られてくるのだそうだ。国内の海で捕れた鮟鱇は市場に出ると高くて、とてもじゃないが手が出ないと云っていた。
いやぁ、本当に美味しい肝だ。
ごろりとしたアン肝は一つだけ残して、器の中でぐちゃぐちゃにかき混ぜて溶いておくようにと指示が出た。
これには、長崎県壱岐の磯で捕れた平鱸(すずき)にたっぷりと乗せて食べると美味しいとの事。


今度は親方からプレゼントだよ、と「カワハギのしぎ焼き」を戴いた。

続いて、前回も戴いた「天然真牡蠣の茶碗蒸し」が登場。

淡い味わいの茶碗蒸しを食べ、最後に味の濃い焼き牡蠣で締める。これは何度食べても感動する味である。
いつもは、温かい椀モノは一品だが、今回はまた親方が新作料理を考えたのでそちらも出してくれると云うので楽しみに待つ。

先日、お歳暮で「抹茶プリン」を頂戴し、そこから閃いて抹茶プリンならぬ「抹茶椀蒸し」を考案。

これには青森の地酒「陸奥八仙」の絞り薄濁り酒を合わせてもらう。八戸の濁り酒だが呑みやすい酒だった。
日本酒が止まらなくなってきたので、ここで珍味をもらうことに。

ここで、また凄い一品が登場である。
四万十川で捕れた「鮎の背ごし」。

稚鮎の肝のうるかを醤油で溶いたものだ。五年物のうるかだで、約80本分の稚鮎の肝が使われている。
親方と語りながら魚を食べていると日本全国魚介の旅に出た気分に浸れる。最高に美味い酒と肴を味わいながら、魚の話を沢山聞かせてくれるので嬉しい限りである。

続けて、痛風まっしぐらの勢いで親方が自家製からすみの盛り合わせを出してくれた。

このべっこう卵なるからすみは、軍鶏(しゃも)の卵黄を味噌漬けにしたものだが、半端じゃなく濃厚な味だ。
どれもが酒に合うのだが、親方のオススメはボラのからすみに時鮭と軍鶏のからすみを一緒に混ぜて食べると美味いとの事だった。でも、ホント痛風への近道って感じだナ、これは。
ここで、カウンターのお客さんたちが引き上げたので、カウンター席に移り、握りを始めて戴くことにした。
マスクメロンの溜まり酢漬けで口をさっぱりさせて、濃厚なからすみの味にさようならをする。酒は秋田の吟醸「奥清水」。
コハダ三連発に始まり、江戸前の青柳、白魚の酒塩蒸し、土肥岬の本鮪のヅケと立て続けに食べた。青柳と鮪がいつにも増して素晴らしい味だった。


親方からまた格別美味い握りを戴いた。松茸と大トロの握りなのだが、岐阜で採れた松茸で市場に出る事が無く、普段は採った家で食べるだけしか無い貴重な松茸を親方に食べてもらいたくて送ってきた物を分けてもらったのである。

本当はあの「車海老のおぼろ漬け」も食べたかったのだが、さすがに腹が一杯で無理だった。また来年の楽しみにしよう。
正月のおせちは親方にお願いしてあるので、新年早々楽しみである。
ぐふふ。

では、皆さん良いお年を!!
昔は地元の鳶職人さん達がしめ飾や門松などの正月飾りを造って店を出していたのが年の瀬の風物詩のように感じていたものだが、今ではコンビニや花屋で扱っていて、風流なんて味わう事が出来なくなってきた。

星が天高く輝く午前1時になると、ご神霊がお旅所に入る。

この松の木は「影向(ようごう)の松と云うのだが、神様はこの影向の松の前で巫女たちの舞う姿を観る事になる。
全国の能舞台の後ろの背景には必ず大きな一本松が描かれているが、これが影向の松なのである。しかし、能舞台では後ろに松が在るために、これではご神霊にお尻を向けてしまうことにってしまう。しかし、松に向かって能を舞えば今度は観客に背を向けることになる。
そこで、この松の事を「鏡の松」と呼ぶことになったそうだ。神様よ、決してそなた様に尻を向いて舞っているのではない、これは鏡に映っている後ろ姿の松なのだ、と云う訳なのだ。
観客から見れば松の木が後ろを向いている形になるのだが、これはお客の方が南を向いて座っている事を表しているそうだ。中国の故事の「君子南面」が由来とも聞く。

奈良町の猿沢の池から程近い光明院町に在る「酒処 蔵」は古い呉服屋だった所を改築した居酒屋なのだが、中々雰囲気も良く美味い焼き鳥を食わせてくれる。奈良の地酒「八咫烏」も美味い。




先日はカウンターで呑んでいると偶然、映画「殯(もがり)の森」で主役を務めたうだしげきさんに出会った。隣のオッサンほろ酔いである。


カウンターの前に座り、バーテンダーと挨拶を交わしていると、天井から何やら錆びた自転車のブレーキの様な音が聞こえてくる。「キキキキィ~!」と云う音に上を見るとナント二匹の鼠が喧嘩をしていたのだ。すると、一匹の鼠が蹴落とされ、僕の目の前にドンッと落ちてきた。
「うぁっ!」と大声を出してしまったが、向こうだってえらく吃驚しただろう、そのまま一目散に何処かへすっ飛んでいった。
雑居ビルの鼠は相当ドブネズミ色をしているものかと思ったら、何処かでペットにでもなっていたんじゃないだろうか、と思うほど可愛いライトグレイをしていた。
あぁ、あれがネズミ色って色なのかと妙に納得してしまった。


良し、ひとつ目出たい酒でも呑むとしようか。
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週末、増田太郎クリスマスライブを聴きに吉祥寺のライブハウスまで出掛けてきた。
渋谷のセルリアンで観た時から暫くご無沙汰だったので、楽しみにしていたが新曲やクリスマスらしい選曲で会場を大いに沸かせてくれた。



クリスマス・イヴの正午から24時間生放送の番組だが、目の不自由な方達のために「音の出る信号機」を設置するための募金や体の不自由な方々への理解と思いやりを育むのが目的のイベントである。自身も目が不自由な太郎君の参加は大変大きな意義を感じた。
急に寒さが増したような気がするが、周りではインフルエンザでぶっ倒れている輩が増えている。電車の中でうつされる事が多いらしいので他人の咳には気をつけたいもんだ。なんて事を考えながら吉祥寺から電車で移動し、京成立石へ。
「宇ち多”」の暖簾をめくると、ソウさんが「えっ?もう何も残ってないよ」との返事。
「シロしか無いけど、それで良ければ入んなよ」の言葉に甘えて、席に着く。

週末は立て続けにライブを観る。
今度は春日の「文京シビックホール」と云う随分立派な市民ホールだ。

そして、ここで観たのは和太鼓のライブだった。

今回も島根、福島、沖縄、埼玉秩父、三宅島、八丈島、そして佐渡の伝統太鼓をアレンジし、鼓童ならではの名演奏を聴かせてくれた。
それにしても、凄いパワーである。ふんどし一丁で大太鼓に向かってバチを叩き続ける姿に圧倒されるばかり。高背筋や三頭筋など、つい筋肉の動きに釘付けになり(一体、何を観てるのだ?)ながら、迫力ある太鼓の音に魅了されていった。
「鼓童」とは、人間の基本的なリズムである心臓の「鼓動」にインスパイアされたそうだ。赤ん坊が最初に聴く音こそ、母親の胎内で響く心臓の鼓動だ。そして、童の様に純粋な心で無心に太鼓を叩く願いを込めて名付けたそうである。
来年も1月から3ヶ月ヨーロッパ公演に出ると云う。日本の伝統芸能を残すだけに止まらず、世界に知らしめて行くのだから、これからも応援し続けたい。
和太鼓の興奮さめやらぬまま、蒲田へ移動し、今年最後の「くま寿司」へ。今月号の「食楽」と云う雑誌が寿司特集をやっており、なんと「くま寿司」が見開きで紹介されていた。ただでさえ小さな店なのだから、また入れなくなっちまうのか、とぼやきながらも足を運んでしまうのである。
途中、知り合い夫婦が来て、ブルックリンのステーキハウス「ピータールーガー」の話題になる。僕も大好きでNYを訪れると必ず寄るTボーンステーキの名店なのだが、くま寿司の大将も10月後半、「ピータールーガー」に行ったとの事だった。寿司屋に来ているのに頭の中はすっかりあの肉汁たっぷりのどデカいステーキで一杯になってしまったのだ。




さて、今朝は知り合いから随分と立派な深谷ネギが届いた。

昼飯は家から歩いて程近い日仏会館の1階に在るフランス料理「レスパス」で頂く事にした。ここの鴨のコンフィは中々旨いのだが、いつも豚のリエットにコンフィと同じメニューを頼んでしまうので、今回は違う料理にしてみた。

続いてレンス豆のスープ。



これだけ楽しめて2,000円のコースに1杯500円のグラスワインなのだから、人気なのが判る。

さて、この日の午後は用賀の真福寺にて柳家権太楼師匠一門による「暮れの会」を拝見することが出来た。毎回足を運ぶご贔屓さんが多い落語会なので、実は既に完売だったところを無理言って入れて頂いたのである。ウメカナちゃんに感謝感激!神あられはまた今度、な訳である。
午後2時少し前に用賀に到着。のんびりと歩き、瑜伽(ゆが)山真福寺の赤門をくぐると、もうお客さんが並んでいる。


「元犬」と云う話を掛けた。八幡様の境内に住み着いて居た人なつっこい白い野良犬が、或る日八幡様に願掛けしたら翌朝人間になっていたと云う一席。せっかく人間になったのに、昨晩までは犬である。小便すりゃあ片足上げるし、掃除したバケツの水を飲んでしまう有様。こう云うお伽話も大変面白い。以前、志ん生のCDで聴いたことが有るが、ほんと噺家によってガラりと変わる。古典落語はいろんな人で聴き比べるのが楽しい。
お次は柳家我太楼師匠だ。この方はどんどんと権太楼師匠の落語に近づいている気がする。ガツンとした仕草や表情なども素晴らしい。この日の演目は「強情灸」。江戸っ子が銭湯の熱い湯やお灸のもぐさに必死で堪える様に大笑いしてしまった。これも昔志ん生で聴いたかな。
さて、おまちかね権太楼師匠の出番である。さて師匠、今の今まで、何を掛けようか悩んでいると云う。これが師匠のお得意のスゴ技なのだが客席からのリクエストで演目を決めようと云うのである。来ている方々も皆落語好きである。方々からいろんなお題が聞こえてくる。そして後方の席から「にらみ返し!」と声が上がった。これは年末らしい噺である。大晦日の晩に、一年貯めた借金の取り立てを追い返す抱腹絶倒の一席だ。
ちょうど先週、江戸東京博物館で催された第4回らくだ亭「年忘れ、団塊四人会」と凄いタイトルの落語会で権太楼師匠と一緒に出た柳家さん喬師匠が演じた「掛け取り」と同じ噺なのだが、この噺から抜き取ったのが「にらみ返し」と云う一席。
意地でも金を取り返そうとする借金取りとそ奴等を追い返す双方の仕草は権太楼師匠らしい味が存分に出て凄いとしか例えようがないのだ。可笑しくて、大笑いしながらも師匠のダイナミックな演技の中の繊細さも垣間みれて、こんな難しい噺をリクエストで直ぐ喋れるのだから権太楼師匠は、全く持って凄い落語家である。
前半最後は特別ゲストの講釈師、宝井琴柳師匠が登場。こちらも年の瀬に相応しく義士にまつわる一席「忠臣蔵外伝/徂徠(そらい)豆腐」。芝・増上寺の門前に店を構える豆腐屋の上総屋七兵衛とまだまだ学問では飯が食えなかった貧乏学者の荻生徂徠(そらい)との人情噺である。この荻生惣右衛門徂徠なる人物は、赤穂浪士の討ち入り後の処分に、武士としての誇りを持たせた功労者である。
なんともホロリとさせられる琴柳師匠の名講釈、すっかり魅了させられてしまった。
ここで中入り。


中入り後はお待ちかね権太楼師匠の「芝浜」である。

毎年、年末になるとこの「芝浜」を掛ける噺家さんが多い。
この噺はもう誰もが知っている古典中の古典落語だが、大晦日がヤマ場なので、ベートーベンの「第九」よろしく年の瀬に相応しい噺なのだ。
つい先日も上野鈴本演芸場では、「芝浜特集」と題して、一週間、扇遊師匠や正蔵師匠など毎日違う噺家さん達がこの「芝浜」を演じた。こんな聴き比べも年の瀬ならではの楽しみである。
この「芝浜」は三代目桂三木助師匠の十八番(おはこ)だった。三木助師が演じる魚屋は「魚勝」なのだが、権太楼師匠は馬生師匠に習ったそうで、その流れに乗っ取り「あたしの『芝浜』は魚屋の熊五郎、熊さんでやりますので」と語っていた。
云わずと知れた人情噺なのだが、もうグイグイと話に引き込まれ、大晦日に女房が本当の事を語りだすとこ辺りから、涙が止まらないのなんの南野陽子。
クリスマスイヴに大の男をこんなに泣かせるなんて、いやぁ権太楼師匠は罪なお人でござる。



急激に寒さが増してきた一昨晩、大井町「廣田」にて冬の名物カキフライを食べる事が出来た。本当ならば、今年から大井町では食べる事が出来ず、田園調布「廣田」だけでの提供だったのだが、ご主人の猿渡さんのご好意で大井町での宴となったのである。
大井町駅を出て郵便局脇の露地に入り、青森郷土料理の渋い割烹居酒屋や数軒の飲み屋を過ぎ、殆ど人の気配の無い辺りに「廣田」の暖簾が掛かっている。

カキフライの前に出そうと思っていた食材が手違いでまだ店に到着していないとの事だった。でも、もう間近の所まで運ばれているとの事だったので、順序が入れ替わるが宴を初めて頂くことにした。
基本的にカキフライは僕のリクエストだったのだが、それ以外の料理はエンドさんにお任せである。そして当日、友人宛にメイルにて幻の食材「鮭児(ケイジ)」が手に入るのでどうだね、との連絡が入った。北海道に生まれた僕だって中々食べる事が出来ない本当に幻の鮭である。これを食べない訳など有り得ないのだ。
この「鮭児」なるシャケは普通漁で獲ろうったって、出て来るもんじゃない。本来、シャケは5、6年海遊した後、産卵のために生まれた川に戻って来るのだが、川で漁獲されるシャケは歳とって疲労困憊の頃なのである。しかしながら、この鮭児と云う奴はまだ若い1、2歳位のシャケで群れからはぐれ手しまい、訳も判らず川に戻る老シャケについて行ってしまった元気溢れている若いシャケだ。鮭の児童なので鮭児と呼ぶのだね。脂が乗っていて、人によってはトロより好きだと云う輩も居るほどである。
ちょうど今頃が鮭が川に戻る時期なので、時折混ざっている貴重な鮭なのである。であるからして、普段は高級料亭や銀座あたりの寿司店に回るので、我々の口などに入る機会など滅多に無いのである。
さて、サッポロ赤星を呑んで喉を潤して待っているとガラガラと戸が引き、二人のお客さんが入ってきた。おや、顔を見ればイラストレーターのソリマチアキラさんご夫妻であった。
思えば、この名店「廣田」もソリマチさんから教えて貰ったのが最初だったっけ。なんとも奇遇だな、と嬉しく思っていたら、エンドさんが気を聞かせて大井町で特別にカキフライを出すからとインフォメーションしていたそうだった。

ビールが空いた頃合いにカキフライが揚がってきた。以前、僕の誕生日の時にここで白トリュフ料理で祝ってもらっていた時に隣の席で、何やら凄く旨そうな料理が出ているなぁと羨ましく眺めていたのが、このカキフライだったのである。

そして、エンドさんのカキフライはと云うと、これが何と20分から30分かけて揚げるのである。こうしてじっくりと油で揚げる事で完璧に牡蛎に火が入り、牡蠣の持つ旨味が全部廻りの衣の中に充満するのだそうだ。


白ワインにしようかなと思っていたら、エンドさん曰く「ウチのカキフライは赤でも合うよ」とのお言葉にススメられるままにブルゴーニュの赤を頂く事にした。
「シャトー・ド・ピュリニー・モンラッシェ」の極上ピノ・ノワールだ。さっぱりして呑み易いワインだが、本当にこのカキフライにもマッチしていた。
そうこうしているうちに漸くお待ちかね、羅臼で獲れた「鮭児」が到着した。
市場に出れば、1匹8〜10万円はすると云われる幻の鮭である。実はこの鮭児を手に入れたのは「くま寿司」との事だった。なるほど、これだけの素材を手に入れるなんて、流石である。しかし、それを分けてもらっているエンドさんも凄い。


お次は、エゾ鹿の登場だ。

続けて出てきたのはドーンとでっかいエゾ鹿のハンバーグである。

丁度ワインも終わりそうになった頃合いに〆のご飯となる。


〆のご飯がこんなにもホっと出来るなんて、感無量である。
念願のカキフライに幻のニコラス、いやケイジ。なんちて。
それにジビエの蝦夷鹿料理。「廣田」エンドさんのめくるめく料理探求は何処までも果てしなく続くんだろうなぁ。
その季節毎に旬の料理を食べる、と云う至極当たり前の事が段々出来なくなってきている様な気がする。自分ですら、これって今の季節の野菜だったかしら、なんて思う事があるくらいなのだからナ。ここはそう云う意味でも実に有り難い店である。エンドさんご馳走さまでした。
この夜はソリマチ夫妻にもまた新しい赤羽の店を教えてもらった。是非、年明けにでも探してみよう。至福の食を堪能したあと、目黒へ出て「権ノ助ハイボール」へ向かった。ふと、「廣田」に忘れ物をした事に気付き「年明けに取りに行くので置いといてください」と連絡。ハイボールを呑みながら、武田君と他愛無い話をしているとエンドさん登場。そして、忘れ物も持ってきてくれたのである。いやはや恐縮するばかり。そして、案の定また深酒となったのだった。
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翌日の朝、新聞をめくっていたら服飾評論家の遠山周平さんのファッションコラムが出ていた。そうか、今はアメリカントラッドが流行っているのか。これって、イタリアあたりの洋服トレンドがアメトラだと云うことだろうか。時代は回ると云うが、僕のクローゼットの中には何十年も前に買い漁ったレジメンタル・タイが百本くらいある。また、今の洋服にでも合わせてみようかな。

親しみがまた一歩近づいた気がした僕である。

先週の「宇ち多”」は比較的並んでいる人が少なかったのに、この日は11時にはもう人で溢れていた。
きっちり11時半にオープンしいつもの鏡下の席に座る。
先ずは焼酎梅割に「タン生」を戴く。続いて、「ガツ生、ハツ生を1本づつ」。生は早く出て来るから良い。ホっとした頃合いで、「レバー素焼きの若焼き、お酢掛けて!」と僕の好物を注文。すかさずアンちゃんが「レバー素焼き若焼き、焼いてーっ!お酢もかけて」と焼き場に告げる。土曜日はレバ生が無いのだが、僕は表面だけをサッと火を通す「若焼き」が具合が良い。所謂「レバーのたたき」だね、これは。レバたれ若焼きと素焼きのお酢掛けが実に旨いのだ。梅割をお替わりし、「かしら素焼きお酢」と「シロたれよく焼き」で〆る。
この日も1,020円也。あぁ、幸せな土曜の「宇ち入り」なのであった。
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午後は、有楽町の出光美術館にて「乾山の芸術と光琳」展を拝見する。

今回の展覧会では、京都の鳴滝に開いた「鳴滝乾山窯」に焦点を当て、近年の窯跡発掘調査により出土した乾山の陶器、陶片などと共に兄、尾形光琳の絵付けした乾山の角皿等も多数出品された。
また、乾山が影響を受けたオランダのデルフト窯の陶器とそれをモティーフにした「色絵阿蘭陀写花卉文八角向付」など見事としか例えようが無いほどだった。
絵付けと造形の美しさやモダンさは、今でもそのまま通用するデザインであり、光琳には無い大胆な図案が多い。
平成12年に「法蔵寺鳴滝乾山窯址発掘調査団」が結成され、5年間に及ぶ鳴滝窯の発掘調査では出光美術館も参加したそうだ。地中を掘っていて、出土した陶器の破片に「乾」の文字を見つけた時は、さぞかし感動したものだったろうなぁ。
尾形乾山のモダンな造形美センスに驚かされたが、本展では大変面白い手紙も展示されていて興味深かった。それは弟乾山が兄光琳に当てた手紙で、いいかげんに貸した金を返して欲しい旨が、書かれている。元々、二人は京都の裕福な呉服商の家に生まれて莫大な財産を貰い受けたのだが、遊び人の光琳は「大名貸し」と言って蔵米を担保に大名に高利で金を貸していたのだが、貸した金が返っても来ず、受け継いだ財産を湯水の様に使い果たしてしまったそうだ。しかし、20代でこんなに破天荒な生き方が出来るのもまた才能だろうか。
そして、弟乾山にまで相当の借金をこさえたのである。ホトホト、呆れた乾山が長々と手紙で文句を言っている訳である。乾山は光琳とは正反対の性格でとても慎ましやかな生活を送っていたと言われている。まぁ、そんな借金の苦境を乗り越えて、兄光琳も画業に専念するようになり、兄弟での合作も多く残されている。こんな不肖な兄を絵の世界に引き戻すのだから、乾山もまた大した弟である。
そんな二人の合作も多く展示されていて、非常に充実した内容の展覧会だった。
残念ながら16日で終了してしまったが、出光美術館には多数作品が保有されているのでまた見られる機会もあるだろう。



天保7年、幕末に生まれた富岡鉄斎は89歳と言う長寿を全うしたが、生涯勉学に励み、絵筆を握っていた。中国の故事や日本の歴史話、或いは日常の生活をモティーフにダイナミックに描いた作品が多い。

また、老人100人の姿を描いた「百老図巻」も仙厓の作品を彷彿させて興味深く拝見した。
人物を描いた掛け軸の中で、尾形乾山像を描いた作品が出ていた。
思わぬ所で、乾山と鉄斎が繋がるなんて、なんて素敵な出会いなのだろう。これだから展覧会巡りは面白いネ。
ホテルオークラでは、時々素晴らしい展覧会を催しているのだが、定期的にチェックしないとうっかりして見過ごしてしまうことが多い。

大正十二年九月一日の関東大震災は、マグニチュード7.9と云う凄さで東京の中心を一気に焼け野原にした。
水上滝太郎の小説「銀座復興」は、この店の初代岡田がモデルである。
「イガグリ頭に豆絞りの手ぬぐいを兎の耳のようにおっ立てたはち巻きをし」て、「むっつりとした赤面の、額にやけに深い横皺のある」亭主も小説に書いてある通りの人だったそうだ。
狩野近雄著の「食いもの好き」を読むと、初代岡田は「骨っぽい大男で、口をきいたら損みたいに、大きな口を、への字にしっかり結んでいる。笑うといい顔になる」、「おかみさんが唯一の助手。自分一人で仕入れられ、自分一人で料理出来るだけのことしかやらなかった。」と記されている。
初代岡田が戦災の苦労がたたってか早世し、息子の千代造さんがオヤジさんのアトを継いで、今は更にその息子さんが三代目を継いで岡田の味を守っている。
初代の頃から、この店は政界、財界、文壇界の蒼々たるお歴々が集うところだった。
水上滝太郎は一番のゴヒイキ旦那だと聞いたが、「はち巻き岡田」の暖簾には常連の諸先生たちの筆で四季の句が書かれている。
五枚垂れの暖簾の真ん中に里見弴が「舌上美」と大きく書いた。その左右に四季の句が書かれた。
雑炊を煮込むその夜のあられかな 川口松太郎
春の夜の牡蠣小さくはしら大きくいみし 久保田万太郎
夏の夜の浅き香に立て岡田碗 久米三汀
うつくしき鰯の肌の濃き薄き 小島政二郎
店の中にも沢山の先生たちの画賛が掛けてある。二代目千代造さんの時代、この店を大変ひいきにして、全国的に知らしめることになったのは、小説家山口瞳の功績が大きい。著書「行きつけの店」の中でも「はち巻き岡田の鮟鱇鍋を食べなくちゃ、僕の冬が来ない」とまで言っているである。山口瞳は先代の老女将と話をしながら酒を交わすのが好きだったそうだ。
岡田の酒は「菊正宗」のこもかぶりの樽酒である。





鮟鱇鍋が出来上がると、どんどん菊正の徳利も増えていく。あん肝も美味しいなぁ。ぺろりと平らげ、〆に雑炊を作って頂いた。


それにしても「鮟鱇鍋」は温まる。あぁ、これで僕の冬も到来だ。
カウンター席では80代くらいの老紳士が一人で来て、岡田碗を肴に燗酒を愉しんでいた。二代目の女将さんに会いにきたらしいが、今は店に出ておらず大そう残念がっていた。
僕の座った席の横にはキリリとはち巻きをしめた初代岡田の写真が飾ってある。実に良い笑顔である。
今、料理を造る三代目は僕と同年代くらいだろうか。初代岡田の無骨さは無く、とても優しい顔をした方である。
水上滝太郎、川口松太郎、久保田万太郎等がひいきにし、山口瞳が愛した「はち巻岡田」は今、イラストレーターで随筆家の原田治さんがごひいきにされている。
原田さんのブログでも書いてましたね、と話をしたら「二日前にもお見えになりあしたよ。」との事だった。流石、築地生まれの原田先生は粋な大人の師匠だなぁ。
今、江戸料理を味わえるのは「はち巻岡田」と神楽坂「山さき」くらいだろうか。もちろん手頃な値段で、と言う意味だが。

キーキー鳴く声に空を見上げるとヒヨドリが来ている。

のんびりと散歩をしてしまったので、家で珈琲を落とす時間が無くなってしまった。それにしても歩いていて気持ち良いなぁ。


下目黒小学校の垣根には桃色をした椿の花が咲いている。椿には数千種類と云う品種があるのだが、どれも素敵な名前が付けられているのだ。
「細雪」「初化粧」「日月星」「朱雀門」、どれもいいねぇ。中には「待ち人」なんてのもある。



そして昼過ぎを見計らって、目黒の寿司店に電話を入れてみた。
今日の今日で席が空いているか不安だったが、暫くして「大丈夫です。」との返事を貰った。嬉しい、前回から1ヶ月だから何を出してくれるのか楽しみだ。
午後になり、小石川後楽園から神楽坂界隈を散策した。

「ペコちゃん焼き」が評判の不二家神楽坂店も大行列が出来ており、あんな賞味期限改ざん事件があった事など露と消えた感じだ。まぁ、あれだけ後に同様の事件が続けば忘れてしまうか。
この「ペコちゃん焼き」は目の部分を二つピっと取っ払い穴を開けておく。そしてホッペの部分を思いっきり押すと、目からニュル〜ッと餡が飛び出るのだ。若い頃、これがやりたくて随分と買った事があったなぁ。我ながら実に悪趣味でアル。
行列の不二家は素通りし、お隣「紀の善」で粟ぜんざいで一服。寒い季節の「粟ぜんざい」は、神田なら「竹むら」、浅草ならば「梅園」か「梅むら」が好みである。で、神楽坂に寄ったならば、ここ「紀の善」だね。
日が暮れ出したので、目黒に移動しのんびりと「寿司いずみ」へと向かうことにした。

先ずはビールを戴いて、座付けに伊豆のサザエと鳴門のわかめ寄せ固めが出る。
このサザエは、海老漁の網にかかっただそうだ。今の時期、サザエ漁は出来ないそうだ。
ハゼの頭の素揚げ。完璧に血抜きしたハゼを天日干ししてある。
能登の富来で揚がった10キロもある鰤(ぶり)を和芥子で戴く。
能登鰤も今年最後か。まずは、鰤の背から。
続いて、背びれの真下の部位、最後は脇腹だ。おろし玉葱と和芥子を乗せて頂く。全て、脂の乗り方から、味の違いを楽しめる。
今度は同じ薬味で能登鯖を戴く。
いい感じに〆てあって一気に三枚ぺろりといってしまう。
「鰤の腸のづめ焼き」が出て来た。これも美味い。
まるでもつ焼と云う味と食感だ。
金ちゃんから「寿司屋の命、干瓢です。」と大将と同じ口ぶりでかんぴょうが出る。近江の干瓢はガリ代わりである。

「鰤の肝臓のお茶炊き」だ。番茶と玉露でじっくりと炊いたものだ。
お茶の甘味が美味しい汁となり、皿まで指ですくって舐めてしまう程の旨さだ。
ここで冷酒を戴く。最初は越後の銘酒「越の松露」だ。
ここで親方の新作料理が出る。
本まぐろのコロッケだ。中に角切りにした信州林檎と巨峰が隠れている。こうやって食べると鮪の身はまるで肉のようだ。
赤貝の肝。うぅ、美味い。
今度は親方の自信作登場だ。天然牡蠣の蒸し物である。
小粒の天然生牡蛎を一椀になんと15、6個使っていると云う。牡蠣をすり鉢で摺り、それを裏ごしする。その上に白味噌を溶いてかけ、蒸した天然牡蠣の味噌プリンだな、こりゃ。上に一つ牡蠣のにんにく味噌焼が乗っているが、親方曰く「牡蠣が載っていないと牡蠣料理だって判んないから、こうしてるけど下の蒸し物が主役だからね。」、もう文句なしに最高の味である。
酒が旨くなって来たので「痛風まっしぐら」と行くとしよう。
秋田の「奥清水」で、三年物の鰹の酒盗と二年物の鮪の酒盗の登場。
二年物の子うるか、五年物の苦うるか、うるかはこの他、かわりうるか、みそを入れたみうるかが有ると云う。
静岡の酒「杉錦」。上品な吟醸酒だ。うるかがススむ。
たくあんで箸休め
ここから握りが始まる。
淡路産細魚(さより)の酢橘洗い。
握りにはさっぱりとした吟醸酒が良いと、群馬の「水芭蕉」に。
この時、隣のお客さんに凄い一品が出た。
親方もどうだ美味そうだろう、と云う満面の笑みを浮かべ「何日も前に一番最初に予約をくれたからねぇ。それにもう一匹しか残ってないからさぁ」と「落ち子持ち鮎の茶炊きびたし」を用意したのだ。
もう見るからに美味そうな鮎である。ところが、二人だけで食べちゃもったいないと、何とこちらにもお裾分けして戴いたのだ。
四万十川の鮎をたっぷりのお茶に浸して鮎にふくませる。鮎の上に鮮やかな新緑色の海苔がかかっていたのだが、これは四万十の糸海苔だと云う。鮎はこれを食べて育つそうだ。

ここで親方が、鮎にかかっていた糸海苔を出してくれた。

福井、南部酒造の「花垣」も糸海苔ですぐに呑めてしまう。たまらんね。
先程の細魚の皮を炙ってくれた。こう云う一品が酒に合うのだ。
平目の昆布じめ。平目の歯ごたえにねっとりとした昆布の粘りが口の中で絡むのだ。昆布の香りも鼻から抜けて行く。
さて、ここから寿司いずみ劇場だ。
コハダ三番勝負。
親方は、今の時期のコハダが一番旨いと云う。
まずは酒粕から造る12年熟成の赤酢から。
続いて米の酒酢をつかった白酢。

次に江戸の頃の魚の保存を再現した白魚の握りだ。

ここで大将の江戸ウンチク。浅草三社祭とは、もともと隅田川の白魚の祭りとの事。二人の白魚漁師と一人の和尚を称えた祭りだそうだ。
千葉は富津で獲れた江戸前青柳。食感もいいし、味が良い。
僕はこんなに美味しい青柳を他で食べたことがない。
握りがどんどんと続くのだ。

そして、赤貝。

焼き白子。

酒は新潟越後の吟醸「越の魂」、この酒は随分とスッキリした口あたりだ。
此処でまた箸休め。お馴染み「さくらんぼのしば漬け」だ。
穴子の三年魚の釜揚げ。

利尻の蝦夷アワビの肝載せ。

平貝の塩かぼすを「磯部焼き」で。酒がクィクィと進んでしまうなぁ。
「本鮪の和芥子漬け」。

さぁ、煮蛤(はまぐり)の登場。親方の寿司は蛤、穴子、アワビ、煮イカと全てツメを変えている。また、ツメも砂糖を一切使っていないのに、仄かな甘味が素材の持つ旨さを引き出してくれるのだ。酒と味醂と三十年継ぎ足してきたツメはどうやったって真似の出来ない旨味を秘めていた。
酒は「新政 吟」。


北寄貝を塩で戴く。香り良し、味良し。
時知らず(鮭)の筋子。

津軽本鮪の中落ち。

ここの処、必ず最後はこれを食べないと帰れない、「車海老の酢おぼろ漬け」だ。

卵が高価だった時代には粟やひえを代用して漬けていたそうだが、この漬け床の卵をシャリにした握りはシビレる程の旨さである。
しかし、ここ「寿司いずみ」は親方の魚に対する愛情と情熱が全ての料理から伝わってくる。そして、当然ながらその総てが美味しい。食べているこちらの方が、表現に困るほどである。
この日は最後の客になってしまったが、酒も進むし親方の江戸前寿司ウンチクも立て板に水の如くさらさらと言葉が出てきて止まらない。
「なんなら、奥に泊まる所用意してあるから、もっと呑むかい?」と最後まで親方の冗談が絶えない晩秋の夜であった。
帰り道、つくづく「いずみ」に☆などつかなくて良かったと思った。
きっと、ここを訪れたお客さん全員がそう思っていることだろうナ。
おぉ、夜はさすがに冷える。

ボラーチョは、いつもの通り夜遅い時間から混み出して来る。カウンター席では古い酒友の池谷兄が数人でワインを空けていた。彼とは昔富ヶ谷の酒場「イグレック」で良く呑んだっけ。久しぶりに会ったが全く変わっていなかったナ。そう云えば、ボラーチョのすぐ前に住んでいるのだものなぁ。
この季節、ここへ来たら「生牡蛎」だろう。白ワインでペロリといってしまう。

続いてマッシュルームガーリック。これはマッシュルームはもとよりガーリックのたっぷり滲みたオリーブオイルにパンをヒタヒタに浸して食べるのが美味い。あぁ、酒が進む。



たまには何時もと違うオーダーも良かった。ボラーチョは何を頼んでも裏切らないから素晴らしい。つい頼み過ぎるのが玉に傷だがナ。
皆、腹が減っていたせいも有り、一気に食べてしまった。
帰りは道玄坂をゆっくりと下りのんべい横丁の「Non」で軽く引っ掛けることにした。


カウンターの奥では、相変わらず小山君が脈も無いのに美人を一生懸命口説いていた。


さっきNonで逢った素敵なコを思い出してしまった。ぐふふ。