
今年ももう年の瀬が近づいている。商売をしていると毎年『酉の市』に出掛け、迎え来る年の商売繁盛と家族の開運招福を願い熊手を求めに神社へと足を運ぶ。

以前は、浅草『鷲神社』や、一番多く訪れたのは新宿『花園神社』だった。新宿大鳥神社は、この花園神社の境内に鎮座されており、酉の市には、沢山の熊手を売る露天商が集まっていた。

最後は値切った分以上にご祝儀を弾み、気分良く大きな熊手を持って吞みに繰り出したものだ。
新宿歌舞伎町の喧噪を抜け、花園神社の境内へと進むと参道脇にひっそりと「田舎料理 川太郎」の明かりが灯る。

一軒目に訪れたならば、先ずはビールで一日の疲れを癒そう。
ビールを呑み干したら、焼酎が良い。

熊本から出て来て四十余年、女将の大塚美子さんの変わらぬ笑顔に逢いたくて通う客が多い。

日々、手作りのお通しも酒が進むものばかり。


以前、近所の古道具屋を覗いていてら、可愛いお猪口を見つけた。
細長いお猪口に河童の絵が描かれている。二個有ったので、買って帰ったのだが、その河童の絵にどこか見覚えが有った。
そんな事をすっかり忘れていた頃、『川太郎』にお邪魔した。

女将さんが此処を開いて20周年か何かの時に記念に作ったオリジナルだそうだ。巡り巡って我が家へと辿り着いた『川太郎』のお猪口は、今では宝物だ。

商売繁盛の熊手を持って、女将さんの笑顔に逢いに行こう。
人口の急増は、サハラ以南のアフリカで特に顕著とのこと。人口の増加と貧困の悪循環が大きな問題だネ。
60年前、世界の人口は25億人だった。「世界人口白書」によれば、2050年には93億人に達すると予測している。それにしても、この限られた資源の地球は、どれだけの許容量が有るのだろうか。
国連人口基金では、10月31日生まれの赤ん坊に「70億人目の赤ちゃんの一人」と記した認定証を発行するらしい。

◇ ◇ ◇
先週の土曜日は、いつもの土よ宇朝酒をお休みした。特に用事が有った訳でもなく、前日の深酒が祟って目覚めが辛かったからだ。
こんな日に限って、朝早くから近所で工事が始まっている。先日古い一軒家を取り壊ししたかと思ったら、もうマンションを建て始めている。
頭がガンガン鳴っているのかと思いきや、本当にガンガン地中に杭を打っていた。
それにしても、土曜の午前中を家で過ごすのは久しぶりだ。一汗かけば酒も抜けるだろうと、風呂掃除、トイレ掃除、そして掃除機をかけた。
掃除って案外重労働だネ。約二時間程かけて家中の掃除が終わった。
もう汗ダク君でアル。植木の水やりも終了。

昼飯は、商店街の肉屋で揚げてもらったロースとんかつを持ち帰り、カツ丼を作ってみた。
引越した時に親子丼用の立柄アルミ鍋を処分していたから、卵焼き用の角形フライパンで作った故、見栄えは悪くなったが我ながら美味く出来たと思う。
北海道から届いた玉ねぎはとても甘かった。火が通りやすいよう、薄くスライスするのだネ。
麺つゆを使えば簡単に出来るのだが、今回は出しツユも作ってみた。
醤油、酒、みりんを大さじ1、きび砂糖小さじ1.5、それに顆粒のだしを少々溶いた。
油はひかず、玉ねぎをツユで煮る。そこにカツを入れ、ざっくりと溶いた卵を回しかける。卵は少し残しておき、半分ほど固まってきたら、残りも入れてちょっとだけ蓋をして半熟を残す様に蒸らすのだナ。

◇ ◇ ◇
午後は武蔵小山の酒場『牛太郎』の暖簾を潜った。



ガツ酢をアテにビールがススむ。
焼き場のヒロくんが気を使って、ヒゲオヤジ君達の隣りに席を移動させてくれた。『宇ち多゛』もそうだが、ちゃんと一緒の席にしてくれる心配りが嬉しいのだナ。こう云う酒場を贔屓にしたいのでアル。
地元愛が強いので、ハイサワーを戴く。

午後三時を廻り、仕事場に向かう筈だった二人を拉致し、そのまま木場へと移動した。


真寿美さんと他愛無い話で笑い、ホッピーの瓶が並ぶ。


酔いも大分廻ってきて、良い気分。このまま更に二人を誘って浅草へと向かう。


芋焼酎「さつま富士」を兵六呑みで戴いた。



あぁ、結構ヘベのレケになって来た。
この夜は、まだ数軒行ったのだが、記憶が残っていない。まぁ、メガネも無くさず、怪我もしていなかったので、大丈夫だろう。
そう云えば、お気に入りのギリシャ製マリンキャップを何処かに置き忘れてしまった。忘れて来た事さえ、数日後に気がつくのだから、もう完璧に駄目駄目爺ぃと化しているのだナ。
「70億人の世界×70億人のアクション」
先ずは、仁王門を潜り、男坂を昇る。

本堂の真後ろに廻ると、今度は大日如来像が鎮座している。

此処は江戸の五色不動のひとつとして江戸城守護、江戸城五方の方難除け、五街道の守護に当てられた。五色不動とは、目黒、目白、目赤、目青、目黄だ。地名となっている目黒と目白は馴染み深いが、他のお不動様もちゃんと残っている。
お詣りの後は、縁日を愉しもう。たこ焼き、やきそば等々、沢山の屋台も出ている。

境内では屋台の他に植木市も出るので、花好きには堪らない。
そして、今日10月28日は、年に一度の「甘藷まつり」が開催される。

さつま芋は「甘藷」(かんしょ)と呼ばれ、どんな土地でも根を付け育つので、青木昆陽は甘藷栽培を広めて歩き、「甘藷先生」と称されるようになった。



今夜は甘藷先生を偲んで、薩摩の芋焼酎でも吞むとしようか。
◇ ◇ ◇
さて、先日もいつもの様に木場の『河本』から吞み始めた。
来月酉の市を迎えれば湯豆腐になるので、名残惜しいやっこさんをアテにホッピーを戴いた。

左側は、次から次と新しいお客さんが入って来たネ。何故か、三人組が多かったので、入れずに諦めた方々も数組あったナ。
小体の酒場は、一人で来ると良い。一人だと何とか詰めてくれたり、席をこしらえてくれるからサ。
午後8時、ドラえもん時計からお馴染みのメロディが流れて来た。
さぁ、店仕舞いだ。閉店と同時に出てくるキジオにご挨拶。

真寿美さんにお勘定を済ませ、木場を後にした。
二軒目は、神保町『兵六』だ。
木場から神保町、コレもいつものコースでアル。

先日、東日本橋の鰻屋から立石ツアーをご一緒した佐藤君とG原さんも来ていた。酒朋キクさん、お馴染み荒木マタエモンさんも和んでる。



芋焼酎を二合戴いて、ご馳走様だ。
『兵六』から路地を駅の方に抜ける途中にジャズの店が在る。昼間は喫茶で、夜はバーとなる。その『BIGBOY』の脇の螺旋階段を昇ると英国様式のバーが在るのだナ。
最近、G原さんが贔屓にしており『兵六』『ラドリオ』『ミロンガ』などの後に行きつけているバーだ。
店の名は、『HIGHLANDS BAR IXI』(ハイランズバーワンイレヴン)と云う。


地元育ちのマスターは、かつてすずらん通りに在った英国版画の専門店『北沢ギャラリー』を営んでいたらしい。きっと、英国への心酔が高じて、此処を開いたのだろうネ。
アメフット、少林寺拳法で鍛えた分厚い胸板にブラックジャケットとボウタイが似合う。まるで英国紳士そのものでアル。
そんなマスターに出して頂いた酒に心地良く酔い、話も弾んだ。

敬愛する坂崎重盛先生の著書に『神保町「二階世界」巡り及び其の他』が有る。神保町路地裏の二階は異界の入口か、はたまた別天地か。
今回もまたすっかりG原さんにご馳走になってしまった。
このバーは初めて訪れたのだが、居心地が良く酒もススンだナ。
近々、裏を返しに来なくちゃイカンね。
そうそう、この前若いデザイナーと吞んでいると、「『裏を返す』って何ですか?」と聞かれたのだナ。僕がいつも口にしているからだ。
以前、紹介したWEBマガジン「カーソル」の記事が有るので、それを教えてあげた。さて、今宵も粋に吞もうかネ。
若い頃、「どくとるマンボウ航海記」や「怪盗ジバコ」を読んで、好きになったっけ。後に読んだ「楡家の人々」や「夜と霧の隅で」などの作風の違いに大いに戸惑ったが、その後、遠藤周作氏や山口瞳氏もシリアスとユーモア溢れる作品を書き分けベストセラー作家になったね。
狐狸庵先生や江分利満氏も今も繰り返し読むが、どくとるマンボウのシリーズも今読んでも面白い。
今朝の朝日新聞『天声人語』でも取り上げていたが、大歌人であった斎藤茂吉の息子が下手な小説なぞを書くのは恥ずかしい、との思いでペンネームを使い出したそうだ。
松本から仙台と寒い地で学んだから北。トーマス・マンの小説「トニオ・クレーゲル」に心酔していたので、トニオをもじって杜二夫。それが杜夫になったとの事だが、初めて知ったなぁ。


久しぶりに「マンボウ交友録」でも読み返そうかナ。
◇ ◇ ◇
閑話休題。
四谷三丁目での打ち合わせが終わり、地下鉄で目黒駅まで戻って来た。
アトレの有隣堂書店を覗き、駅周辺を散策してみた。

店の名は『Inglewood』(イングルウッド)でアル。

美しいカウンターと奥に白いソファ席。まるでオーセンティックなバーの造作だと思ったら、夜7時からは別の方が入ってラム中心のバーに変わるらしい。
午前10時半から午後6時までが珈琲屋さんとなっている。
いろんな豆を焙煎しているので、行く度に違う珈琲を飲んでみたい。


此処は今年の夏に出来たそうだが、マスターはそれまで亀戸天神の近くで珈琲屋を営んでいたそうだ。ブレンドのひとつに天神と云う名が有るのも、それが由来らしい。
最近「サードウェイブ」と呼ばれるスペシャルティコーヒーの時代が来ているが、『イングルウッド』も正にそんな珈琲専門店だナ。
目黒に美味しい珈琲が飲める店が出来て、ちょいと嬉しい。
「自家焙煎珈琲Inglewood」のサイト

『Amazing Fantasy』の1962年8月の第15号に初めてスパイダーマンが登場した。











先日、東京スカパラダイスオーケストラの大森さんにスパイダーマンの初版本を進呈した。自他共に認める大のスパイダーマン・ファンである大森さんの元に届いて、スパイダーマンもきっと大満足だろう。
そう云えば、最近スパイダーマンが変わったと云うニュースを聞いた。
新しいスパイダーマンは、黒人とヒスパニック(中南米系)のハーフの青年になった。


これからもマーベルコミックスから目が離せないのだナ。
◇ ◇ ◇
さて、昨日は火曜日。酒朋ビリー隊長と『宇ち多゛』で合流した。


女将さんらにイジられるビリーを肴に酒もススんだネ。
もう一軒行こうと云うことになり、大人の遠足は鐘ケ淵の『はりや』を目指した。八広から歩くのも遠いので、押上から乗り換えることに。
そして、押上から乗った電車が急行だったのだナ。鐘ケ淵どころか4駅も通過して一気に北千住に到着だ。戻る電車も暫く来ない。
で、北千住で吞むことになった。相変わらずおバカなワタクシたち!
駅前のロータリーを抜けて向かった先は『千住の永見』だ。







秋風の吹く駅前の路地を抜け、階段を昇る。馴染みのバー『Syu-On』は、マスターの穏やかな笑顔で僕を迎えてくれた。

何故か、茹で卵が有る。



目を閉じれば、スコットランドの海風が吹く海峡が浮かぶ。

あぁ、だから今朝は目覚めが爽やかだったのだネ。
ありがとう、マスター。


並びの『ばるぼら』も古からの名店だが、居酒屋『三日月』の暖簾は、この路地にしっくりと馴染んでいる。


此処の二階で生まれ育った二代目のご主人と奥さん、そして時々下に降りて来るお母さんの三人で切り盛りしている小体の居酒屋だ。ご主人は此処、歌舞伎町生まれの歌舞伎町育ちだ。幼い頃からずっと先代の仕事ぶりを見て育ったのだね。


夏には外に七輪を出し、くさやを焼いている。秋には店の中に入れ、秋刀魚などを焼く。
月見、もずく、莫久来、くさや等々、此処の品書はもう何十年と変わっていない。

昔からの名物のオムレツは、今は亡き作家の田中小実昌氏が「世界一のオムレツ」とエッセイに残している。卵を6、7個とこれでもかと言わんばかりに入れて作る迫力の一品である。
此処の料理はどれもが物凄いボリュームだ。一人だと当然何皿も頼めない程だ。ステーキも度迫力である。お客の年格好で200gとか300gとかを判断して焼いてくれるのだが、その差配が見事なのだ。
また、オールグリンなる一品が有る。その名の通り、総て緑色の野菜の炒めものだ。

先代が早稲田大学の相撲部出身らしく、どの料理も量が凄い。

小体の店だが、二、三人で訪れると店自慢の肴を色々とつまみながら酒を酌み交せる。
秋も深まり、日暮れも早くなった。
今日も変わらず『三日月』の暖簾は、午後五時に下がる。さて、此処で腹を満たして、夜のゴールデン街に消えるとしようか。

まずは、ハンドドリップのアメリカーノを戴いた。

朝の陽射しが店内にまで伸びて、木の床を照らしている。

二杯目は、エスプレッソを戴いた。ベリーの果実風味の豆とチョコレートとナッツの香りの豆の二種類有るとのことで、チョコとナッツの方にしてみた。
一口目はそのままで飲み、それから砂糖を加えて飲み干した。

このまま仕事場に向かわずにフケてしまおうかと思ったが、結局仕事場に辿り着いたのだ。
◇ ◇ ◇
7月の終わりに高崎まで小旅行に出た。『食亭つかさ』を営む後閑さんと酒を酌み交すのと、もうひとつ目的があった。
それは、セレクトショップ『ベルーリア』にてバングルをオーダーしに行くためだった。
この夏、髪を切りに馴染みの美容室に行った時のこと。其処に有った雑誌で見た『市松』のバングルに釘付けになってしまったのだ。

オーナーの山越さんが丁寧に説明をしてくれて、自分にピッタリのバングルをオーダーする事が出来た。
市松のバングルは、型を使わずにひとつひとつ地金に火を入れ、曲げ、叩く。この工程を繰り返し作り上げる為、ひとつとして同じ物が無い。故に、時間もかかるのだネ。

こうして待つ事三ヶ月、今月やっと僕の手元に届いたのでアル。

少しづつ増えていくお気に入りの小物にオジサンは、心が弾むのだナ。
◇ ◇ ◇
閑話休題。
さて、夕べは神保町の酒場『兵六』にてテレビ番組の収録が行われた。
と云ってもドラマの撮影などではなく、神保町の街を映画監督の山本晋也さんが訪ね歩くと云う内容だ。



番組はBS11にて、来月11日の午後5時から放映だそうだ。数十秒か1,2分程度の映像だと思うが、楽しみにしよう。
酒朋ハッシーやビリー隊長、荒木マタエモンさん&吞んだフル君等々、いつもの呑み仲間がコの字のカウンターを埋めたネ。

仕事を終えたカミサンと7丁目のバー『TOSTI』で待ち合わせをした。
此処の店主三枝さんは、かつて新橋に在った名バー『Tony's Bar』で腕を磨いた名バーテンダーでアル。入口の丸い小窓を眺めると、トニーさんの店を思い出すのだナ。もう随分と昔、吉田健一に憧れて、少し背伸びをして『Tony's Bar』に酒を吞みに行っていた時期が有ったなぁ。

夕べは『兵六』からの移動だったので、もう外は暗かったナ。
戸を開けると既にカミサンはカウンターの奥に座ってた。
マンハッタンのオン・ザ・ロックを戴いて、一日を振り返る。僕の何倍も忙しく働いている妻を時には労(ねぎら)わねばネ。

波乗りと自転車が好きな三枝さんは、毎日千葉県からロードレーサーでバーに通っている。バーの入口の上には、日々の足である自転車が架けてある。
いつもは一人で三枝さんとおしゃべりしながら吞むのだが、夕べはカミさんの話に耳を傾けた。

トスティの一軒置いた隣り、丁度一年前に出来た『数寄屋橋サンボア』を未だ訪れていなかったので、その足で店の戸を開けた。随分と賑わっているバーだったナ。

うーん、サンボアのハイボールは、相変わらず美味い。そう云えば、この春には浅草にも出来たし、サンボアの東京進出の勢いは凄いね。
『サンボア』を出て、そのまま同じ通りに在る『煉』に入った。
此処は名古屋名物カレーうどんの店でアル。名古屋の名店『錦』の味をそのままに出してくれるのだネ。

最近、飲み過ぎて電車を乗り過ごす事が頓に増えている。記憶も同時に消えるのだナ。そして、夕べはこれまたトンでもない事をやらかしてしまったのだ。
夫婦二人して溜池山王駅で南北線に乗り換えた。二人別々に座ったのだが、互いに寝てしまったのだナ。
すっかり熟睡した僕は駅に着いた途端目を覚まし、慌てて降りた。
「あぁ、今日は乗り過ごさなかった!」と心の中で小さなガッツポーズを決めた。そして、改札を出てエスカレーターを昇って、ハタと気がついた。カミサンと一緒だった事をすっかり忘れていたのだヨ。大岡山で目が覚めたカミサンから電話が架かって来た。
寝過ごしも呆れるが、忘れて帰る方も呆れるってもんだ。トホホのホ。
そんな、うっかりトーサン、おっとりカーサンな二人は深酒を反省し、無事合流して帰ったのであった。

昨日は新しくPコートを新調したが、はて年内に着る機会が来るのかナ。
それでも、林檎や柿、栗といった秋果は熟し、食べ頃となってきた。
椎茸、松茸、舞茸など森の恵みも旬を迎えた。

我が家の植木プランターの土を掘り返そうとしたら、虫の幼虫が数匹動いているのが見つかった。カミさんがギャーッと叫ぶ声にこっちの方が驚き、観てみたが幼虫の方が驚いて土の中に潜ってしまうのだナ。

◇ ◇ ◇
さて、先週末もよく吞み、よく笑った。気心知れた酒朋たちと酌み交す酒ほど、心が潤う時はない。


日高さんと入れ違いにいつもの面々と吞んでいると、鰻の話になった。鰻で吞みたいと云うハナシになり、早速翌日に東日本橋『登乃村』へお邪魔することとなった。
そして、金曜日。
日本橋三越のライオン像前で待ち合わせをした筈だが、誰も来ない。
ハテ、皆二日酔いで忘れたのかナ、と思いきや僕は場所をしっているから、と先にタクシーに乗ってしまったのだとサ。トホホ、と嘆いていも仕方無い。追っかけタクシーで問屋街へと急いで貰った。


75,6歳と云っていたから、もう60年以上通っているのだネ。
毎週、此処の鰻を食べているから、病気にならないと云っていたナ。





ビールの本数が増すうちに鰻が焼き上がる。此処に来るといつも関西風に蒸さずに焼いて貰うのだナ。
近くで「べったら市」が催されたらしく、べったら漬けを戴いた。

さぁ、鰻が焼き上がった。


蓋を開ければパラダイス。

大海原を渡って旅を続けて来た神秘の魚、うなぎ。串を打ち、炭火の前に立つご主人の70余年の人生と鰻のロマンを一気に戴く。あぁ、至福の時だネ。
此処を知ったのは酒朋の大野夫妻が教えてくれたからだ。それから、まもなく出挙さんのブログで、更に興味を抱き、来てみたらすっかりハマってしまったのだヨ。
そんな話で盛り上がっていたら、ナントその出挙さんがママチャリでやって来た。

カウンターに、70代、60代、50代、40代、30代と並んだのは見事だったなぁ。

美味い鰻に勢い付いた我々はそのまま京成立石へ。
『二毛作』にて、前日お会い出来なかった日高さんとご挨拶。













こんな素敵な時を過ごせたのだから、酒の神バッカスに感謝しなくちゃいけないネ。そうそう、古いイタリアの諺を思い出した。
Buon vino fa buon sangue. 良い酒は良い血となるのだナ。
出挙さんのブログ


京成立石のもつ焼き屋『宇ち多゛』の暖簾の色も美しい茜色だネ。

秋茜 宇ち多゛の暖簾に羽合わせ 八十八
秋の味覚、松茸を戴いたので松茸御飯を炊いた。
味付けはカミサン、土鍋で炊くのはボクの役割だ。

サッと蓋を開け、残りの松茸を散らしたら、後は10分待つだけだ。


毎年、友人たちに配っている酒がアル。
信州は白馬ハイランドホテルで見つけた薄井商店の酒『白馬錦』だ。
小さくて可愛い「雪ん子」に酒が入っており、帽子がお猪口になっているのだナ。

戸越銀座の鮮魚店『魚慶』さんで、仕入れたブリは脂が乗っていて大変美味だった。



秋は本当に美味しい食材が揃う。
なるべく外食を控えて家呑みを増やしたいものだ。
キリギリスが戸の傍で秋を奏でる時季が来た。
先日、旅先で「カマドウマ」を見掛けた。
子どもの頃は、「便所コオロギ」などと呼んで、捕まえては誰かに投げつけて「エンガチョ切った!」なんて遊んでたっけ。

そう云えば最近「畑の馬追」(ウマオイ)の鳴き声をトンと聴かなくなった。この虫は、ずっと「スイッチョン」と呼んでいたが、大人になるまでそれが正式名だと思い込んでいた。
前に奥多摩に行った時に、珍しい青紫色のバッタを見つけたなぁ。

◇ ◇ ◇


この日の東京は30度近い夏日となったが、軽井沢も随分温かかった。

軽井沢本通りを歩き、東雲の交差点を左に折れる。









さて、一休み。ポツンと佇む喫茶店『ミハエル』だ。

雑誌『軽井沢ヴィネット』によれば、今から35年前にロシア人の父上が友人とお茶を飲む場所が有ればいいナと半分趣味で始めたそうだ。
気候の良い日は、外のテラス席が心地良い。野鳥のさえずりに耳を傾けながら、飲む自慢のロシアンティーは格別だろう。
僕は珈琲党なので、珈琲にチーズケーキを戴いた。


午後7時を廻り、バー『アマノ』へお邪魔した。

こちらの看板娘の小雪も一緒に戻るのだナ。







そんな訳で、再度『アマノ』へと向かった。

鬼才シー・ユー・チェンさんがプロデュースを手掛け、西麻布『アムリタ』のオーナー安部讃平さんがインテリアを担当した伝説の酒場だ。
梅リキュール「星子」の生みの親、デニーさんも其処でバーテンダーをしていた。
天野さんは、クロード芹沢さんと共にフロアを担当していたそうだ。
『東風』の後、天野さんは中華料理の『栄林』(えいりん)で支配人として軽井沢に来たと伺った。そして、独立し此処を開いたのだネ。
クロードさんは、銀座のバー『ビザール』の頃、良く吞みに行った。
僕は過去に何度か讃平さんにレストランのインテリアをお願いしたり、チェンさんとは佐賀のインテリアショップの仕事を一緒にした。
天野さんとは、そんな共通の話題で懐かしく盛り上がったっけ。
それ依頼、軽井沢に来る度にバー『アマノ』を訪れる。


軽井沢は、何もしないに限る。散歩をし、疲れたら珈琲で一休み。
樹々の間で鳥の声を聞きながら本を読む。日が暮れだしたら、酒場の戸を開く。
酔えば、部屋に戻り深い眠りにつけば良いのだ。
今回は定宿にしている『音羽の森ホテル』が取れなかったので、違うホテルにしたが矢張り肌に馴染む方が良いネ。




東雲の交差点角に在る台湾料理の『萬里』へ。



次回、此処を訪れるのは来年の春が過ぎてからになるだろう。小雪相手に吞む酒を愉しみにしよう。