

「生きてるよ」そのことだけを知らせんと
出口をわずか雪踏みにけり
こちらは、二年前の1月の朝日歌壇に入選した山形の大沼武久さんの詠んだ歌。厳しい冬が来ると思い出す。

シベリア高気圧の影響で七日周期の三寒四温になるらしいが、今年はちょいと違うみたいだネ。北海道や秋田、新潟、富山などの日本海側の地域では、寒々寒々が続いている。厳しい冬は、まだまだ続きそうだネ。
先日、法語の話を取り上げたが、4年程前に出版された「人生に、寅さんを。 ~『男はつらいよ』名言集~


山田洋次監督は、寅さんと言うキャラクターを通して、実に多くの人々の心を温かく、明るくしてくれる言葉を残してくれたのだ。
さて、今「寅カジ」なるブームがにわかに起こっているらしい。
自分より相手の立場で物を考え、人情味に溢れる自由人。昭和から平成の日本人を元気づけて来た映画「男はつらいよ」の「寅さん」が、30代の女性たちに注目を浴びているのだそうだ。
先月から今月にかけて、WOWOWでシリーズ全作品を一挙に放映しているが、それに先駆けて、一般女性48名を招待し、「男はつらいよ」の魅力を語るトークセッションまで催された。
人気モデルの富永愛が司会を務め、精神科医の名越康文さんと「恋愛」「ファッション」「一人旅」の3つの視点で催された。

仕事もファッションも『頑張らなきゃ』と前のめりになっているこの世代に向け、「ゆるくて楽で、でも優しくて生き方もかっこいい」と言うアイコンとして、寅さんを提案することが雑誌の狙いだったのだとか。
女性たちよ、「寅カジ」でキメようじゃないか。
旧知の森肇氏がいつも配信してくれる「TRENDS EYE」からご紹介。
◇ ◇ ◇
閑話休題。
日曜日、武蔵小杉から湘南新宿ラインに乗って逗子まで出掛けた。
『神奈川県立近代美術館 葉山館』にて開催中の「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展の最終日に何とか行く事が出来た。

流石に最終日、バスも満杯でアル。20分程、ギュウギュウのバスに揺られ美術館に着いた。



また、今回はシャーンの写真家としての一面を深く探る事が出来たのが面白かった。一画家としてではなく、イラストレーター、グラフィックデザイナー、写真家、版画家、レタリング作家等々の側面に焦点を当てた本展覧会は実に興味深く拝見した。
シャーンの「ラッキードラゴン」シリーズの絵に詩人のアーサー・ビナード氏が言葉を付けた絵本「ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸



坂倉準三の設計は実に見事だネ。






駅前で買ったコロッケとメンチが、思いのほか美味しくて感動した。







さて、二軒目は毎度の『きさぶろう』へ。




この後、武蔵小山の『じらい屋』にて味噌らーめんを食べたのだが、正に地雷を踏んでしまったのだネ。


先週の土曜日は、朝からまた京成立石朝酒から始まった。




中トロ握って貰う。

続いて向かうは、いつもの『ゑびすや食堂』だ。

先程の握り寿司で胃袋が目覚めてしまい、オムライスを頼んだ。

午後からは、立石組と別れ一人小平へと向かった。



2012年も沢山の選手が移籍して来た。
残念ながら、今野選手が大阪に行ってしまったが、その分ジュビロから来た加賀健一選手に期待したい。





土曜日の『秋元屋』は、滅多に行かない。





立石、小平、野方と移動して最後は武蔵小山へ。『豚星』の新作、ベーコンとチーズサンドで腹を満たしたのでアール。


さて、金曜日の横浜野毛ハシゴ酒の模様は、酒朋ビリー隊長の「疲れない日記」でネ。

2010年の4月に購入したリコーのデジタルカメラCX2がとうとう駄目になったのだ。保証期間内に3回程修理に出し、レンズも二度交換してもらった愛機でアル。
壊れた原因は使い方の荒さにあったみたい。毎日欠かさず使用していたし、ケースなどにも入れていなかったのが災いとなった。設定用のADJボタンがまるで機能せず、修理しても無駄と苦笑いされた。
この5年で何度カメラを買い替えただろうか。

ゴツゴツの石が長い年月で川の水に摩耗されて丸くなっている状態と一緒なのだナ。




◇ ◇ ◇
閑話休題。
今回は、ちょいとお下品なオハナシかもしれないナ。
大酒呑みは大抵お尻がユルいのだナ。そして僕の廻りの連中は、ウンチ漏らしが多い。そう、僕も時々漏らすのだ。酒を呑みながら、何故かいつもウンチ話に花が咲く。おバカな酒仲間連中は、皆ウンチの話になると俄然盛り上がるのでアル。
で、如何に他人より自分のウンチ漏らしが凄かったかを自慢するのだ。いや、ウンチ漏らしのみならず、外での野糞自慢も酒の勢いと共に加速するって訳だ。

二人とも急に便意をもよおし、公衆トイレに入ったのだが、大便用が一つしかなくて僕が先に使った。彼奴も可成り我慢していたのだが、こっちの方が先に入ったので運良くウンが出た。
心置きなく出すもの出してスッキリしてトイレから出ると、向こうもスッキリした顔をしているのだ。大便用は一つしかないのに、ハテ?不思議だナと思っていたら、なんと彼奴は街路樹の陰に隠れて持っていたショッピングバッグの中にウンチをしたのだった。
夜中とは云え、渋谷の街でアル。人通りだって多かった筈だ。ウンチを全部紙袋の中に出した後、何喰わぬ顔でその袋をゴミ箱に捨てたのだ。
もう30年程前の話だが、今思い出しても強烈なのだナ。

もう一人酒場に集う仲間のオハナシ。
昼飯を食べに外へ出たのは良いが、帰り道突然モヨオしたのだネ。
家に戻るまでは我慢出来るだろうとケツの穴をギュっと〆て刺激を与えない様にソーッと歩いて帰ったのだ。もう数十メートルで自宅だと思った途端に気が緩んだのだナ。曲がり角から勢い良く飛び出して来た主婦の自転車とぶつかりそうになったのだ。そして、その勢いでドヮッとウンチが炸裂したのだヨ。彼は迷彩柄の軍パンを履いており足元はハイカットのワークブーツでギュッと編み上げていた。
ボクサーパンツを履いていたので、ケツから漏れたウンチはそのままドーッと足元まで雪崩の様に落ちて行った。
外からは何が起きたかまるで判らないのだが、軍パンの中ではケツから足首までウンチまみれなのでアル。言うまでもないが、買ったばかりのレッドウィングのブーツはウンチの滲みで台無しとなった。合掌。
◇ ◇ ◇
もう一発、古い仕事仲間のYらとパリに出張に出掛けた時のオハナシ。
我々はクライアントと一緒だったので、『ル・ブリストル』と云う可成り高級なホテルに泊まったのだナ。


もうお分かりだと思うが、くしゃみの勢いでケツが緩み、ありゃりゃっと下痢ウンチがバスタオルの下から漏れた。足元には毛足の長い純白のバスマットが敷いてあったのだが、その上にユルいウンチがズドンと落ちたのでアル。朝から僕の部屋の電話が鳴り、「一大事が起きた。どうしよう!」と叫ぶYが居るのだ。
まぁ、ホテルなのだから、それぐらいの事はなんでもなく勘弁してくれる事な訳だが、本人はとてもじゃないが恥ずかしくってクソの付いたバスマットを見せられんと云うことらしい。で、バスタブの中に汚れたバスマットを突っ込んでお湯でジャブジャブと洗い出したのだナ。
その間、僕らは下で朝食をのんびりと食べたのだった。だが、しかしでアル。どうもおバカな僕らはウンチと格闘している同朋の様子を見たくなるのだナ。
で部屋を見に行ったら、うっすらと黄色い汚れの色が残ったバスタオルが干されていた。幾ら感の良いホテルマンでも、洗面所のバスマットにウンチが漏れたとは気がつかないだろうなぁ。

かく言う僕も五反田で吞んだ帰り道のこと。千鳥足で歩いている途中、お腹がギュルルゥと鳴り出した。その途端もう、どうにもこうにも歩けない程の便意をモヨオしたのでアル。
こりゃもう駄目だ、と何処かのビルの生け垣に逃げ込んだ。すかさず其処でジーンズを下ろしパンツも下げてしゃがんだ途端にドッとウンチが出てしまった。
夜中の三時過ぎだったが、前から人が歩いて来るのに気がついた。もっと奥に隠れなくちゃと思い下半身丸出しでしゃがんだまんま横へエッチラホッチラと飛びながら移動したのだ。そしたら、その生け垣通りから見れば低いのに、奥側は1メートル程の段差があったのだった。
ウンチしたままのその姿でしゃがみながら横跳びしていたので、そのまま1メートル下に落下した。しゃがんだ状態で真っ逆さまに下に落下すると言うのは体験した者じゃないと判らんだろうナ。
ウンチまみれのまま、足のスネを思い切りぶつけて血が噴き出した。
もう最悪な状態だ。自分のパンツでケツを拭き、血を流したまま家に戻った。足は痛いし、もう臭いのなんの、南野陽子なんちて。
ゴールデンウィーク中だったので、マキロンで消毒して絆創膏で手当したのだが、まるで血が止まらない。こりゃ病院に行かなくちゃと救急医療センターに出向いたら、スネが切れて骨が見えていたらしい。その骨に雑菌が入り膿んでしまったようだ。スネの肉は薄いから縫う事も出来ず、結局治るのに三ヶ月もかかったっけ。なんともトホホな話でアル。
それ以来、友人たちから「ウンチくん」と呼ばれる様になった。そして「ウンチくん事件」の噂が燎原の火の如く行きつけの酒場に広がったのだナ。
◇ ◇ ◇
外ウンチ事件、実は他にも多々有るのだ。
まだ休肝日など設けておらず、毎晩吞んだくれていた頃のこと。
土曜日は今と同様に朝から京成立石で朝酒となる。

午後の陽射しが強くなっている中、更にまだハシゴ酒が続くのだが、前日も可成りの酒を呑み食べていたのだから、お腹だってそろそろ限界だったのだろう。
いつもならヨーカドーのトイレで小休止して行くのだが、この時は「まぁ、大丈夫だろうナ」とタカを括って、そのまま踏切を越え『倉井ストアー』へと向かって歩いたのだった。


あとは、もう爽やかな開放感に浸るだけ。

何故、突然こんなハナシをと思うであろう。何故ならまたもや先日やってしまったからでアール。花粉症のせいで毎日くしゃみが止まらない。
くしゃみは一度出ると十数回は止まらないのだネ。そして、花粉症が多糞症にバケてしまったのだナ。トホホ。くしゃみと共にチロっと出てしまった訳だ。
で、何事も無かったかの様にそっと駅のトイレに入ってパンツを確認。被害少なくトイレットペーパーで拭い難を凌いだ。
そのままユニクロへ直行し、新しいパンツを買ったのだナ。

さて、この日記だが、実は昨年3月10日に書いたものだ。翌11日にアップしようと思っていたのだが、まさかの大地震が起きたではないか。
大震災と津波による未曾有の被害に福島原発の大事故も重なったものだから、こんなバカバカしい話などアップしようにも出来なかった訳だ。
今日も午後1時頃に関東で地震が発生した。まぁ、頼むからウンチ我慢している時だけは揺れないで欲しいものだネ。
週末は日記の更新をしないので、暫しこれで笑ってくだされ。

かじかんだ手をポケットに入れて、今朝も仕事場まで歩いた。この30分程歩くことが、日々吞んだくれの躯を辛うじて支えてくれているのかもしれないネ。
◇ ◇ ◇
さて、昨日は新川崎で仕事を終えた酒朋ビリーから酒の誘いがあった。武蔵小杉経由で武蔵小山まで出ると云う。午後6時、仕事場から武蔵小山まで歩くことにした。
夕べの月は、伊達政宗の兜の様な上弦の月だったナ。


働く人の酒場『牛太郎』は、昨日も賑わっていたナ。
ガラリと戸を開けると待ち合いには一人だけ。じきに空くナ、と隣りで待つ。
5分程で煮込みの前が空いたので滑り込む。
先ずは大瓶を戴き、ガツ酢をアテに飲む。
ビールとワインを戴く時は「飲む」、日本酒や焼酎の時は「吞む」と表現する。これ、すなわち「自由人文体」と云うのだナ。まぁ勝手に、だけれどネ。
池波正太郎先生は、粋な表現で時代小説を愉しませてくれた。酒場に入ってくるなり「親爺、熱い酒(の)をくれっ」「これは俺の金(ぶん)だから貰っていくぜ」なんてネ。
タイミング良く左隣りが空いたところでビリーが到着。


女性ファッション誌「SPUR」に此処『牛太郎』が登場していた。

女子たちも下町居酒屋ブームなのだネ。牛太郎に若いコがワンサカ来るとイイネ!
ヒロ君自慢のつくね串プレーンのチーズ乗せが実に美味い。

暫くするとライターの森一起さんが現れた。珍しく息子は一緒じゃなかったネ。次から次と待ち合いに人が溢れ出して来たので我々は終了。
パルム商店街を素通りし、路地裏の立ち飲み『晩杯屋』へ。

出世魚イナダの刺身は脂が乗っていて大変美味。

ツイッターをチェックしていると、何やら赤羽が盛り上がっている。
丸健水産でマルカップを酌っている女子組と米山へ向かっている立石のアキちゃんや自転車ホッシーたちも呟いている。
ならば、我々も行っちまおうか、と酔いに任せて目黒経由で赤羽に。
地下鉄でそのまま赤羽岩淵まで直通なのだが、少しだけ埼京線の方が早いのだネ。
丸健水産を覗いたがもう誰も居ず、僕らは『まるます家』へ。





今宵も『まるます家』さん、美味しい酒と肴をご馳走様でした。


カウンターの左端では、ホッシーとアキちゃん達がゴキゲンに酔っていた。そして、別室では元秋元屋冷蔵庫前のユリちゃん達が女子会を開いていましたナ。

当然ながら、満杯だったので僕らはいつもの『喜多屋』へ。




ビリー隊長とはこれにて終了し、僕はまた武蔵小山へ。カミサンが待つ居酒屋『なな福』へと急いだのだナ。
それにしても一昨日の都心を襲った大雪には驚いたが、雪を見ると故郷札幌を思い出す。よく積もったばかりの雪に立ち小便をしてオヤジに怒られたっけ。
大寒に入ったので、川瀬巴水の版画「富士の雪」に架け替えた。

昭和七年に摺られた物だが、保存状態が良く色が美しく保たれている。
オレゴンに住むコレクターと物々交換で手に入れた版画でアル。
今朝は朝から太陽が街を照らしていた。


目黒不動尊の近くに駄菓子屋を見つけた。

路肩に掻き集められた雪を眩しく照らし、通りが生き生きと映る。
保母さんに手を引かれた保育園児たちは、山になった雪が面白いのか、その上に登ろうとして尻餅をついていた。その姿は、まるで生まれたてのバンビの様で可愛かった。


学校から帰ってくると鍋でコトコトと煮ている金柑の甘い香りが階段の下まで伝わって来た。まだ途中段階の時のつまみ食いは、少し苦くて大人の味がしたっけ。
数年前、仕事で九州は高千穂地方に出掛けてことがあった。


不思議と焼酎のアテにも最適な一品だったナ。
◇ ◇ ◇
さて、今月9日、日本画家・小泉淳作さんがお亡くなりになった。
2010年に完成した東大寺本坊のふすま絵は実に素晴らしい桜と蓮の花だったが、鎌倉の建長寺の天井画「雲龍図」も見事だったナ。天空を舞う龍の姿は、古来から修行僧に法の雨(仏法の教え)を降らせると言い伝えられているそうだ。
辰年の年初月(としはつき)に天に召されるとは、きっと昇り龍の如く荼毘に付したであろう。87歳であったが、大往生だと願うばかり。
今年の四月にもまた「雲龍図」の特別公開はあるのだろうか。合掌。
◇ ◇ ◇
今朝の新聞からの話題。
グループサウンズのザ・タイガースが実に41年ぶりに武道館にて演奏した。1971年の解散公演と同じ日、同じ会場で往年のヒット曲を披露したそうだ。

途中で脱退したトッポこと加橋かつみさんは参加しなかったが、病気療養中の岸辺シローさんも駆けつけ、解散時のメンバーが全員揃ったと言う訳だ。
慶応義塾高校で教鞭を取っていたドラム担当のピーこと瞳みのるさんが了承したことで実現したタイガースの復活は僕らの世代にとっても嬉しいニュースだった。
沢田研二さんは、一度渋谷の『富士屋本店』でお見かけした事が有る。トッポさんは武蔵小山の『牛太郎』のご常連でもあるので、以前はよく故ひとみ姐さんなどとご一緒した。
久しぶりに「花の首飾り」などを聴きたくなってきたナ。
◇ ◇ ◇
閑話休題。
夕べは野毛の三杯屋『武蔵屋』で燗酒でもと思ったのだが、前日の大雪でもしかしたら臨時休業の紙が貼られてるかもしれない、と立石方面の電車に乗った。
午後6時半頃に着くと既に『栄寿司』は店仕舞い。『宇ち多゛』は、表も裏も並んでいた。中を見渡すと奥席には地元のウーさん、中席には木場『河本』のご常連の姿が見えた。
暫く赤い暖簾の下で待ち、いつもの奥席へ滑り込む。ギリギリ最後のナンコツを素焼きお酢掛けで戴いた。歯ごたえ抜群なり。

ウーさんと他愛ない与太話で盛り上がっているとビリー隊長が到着だ。8人掛けの卓に無理矢理入ってくる。
気心しれた仲間たちと酌み交す酒のなんと美味いこと。宗さんが新しい寶焼酎を口開けしてくれた。

滅多に食べないレバー良く焼きのタレもたまに食べると美味しいネ。

立石を離れ、我々は神保町へ。さぼうるから三省堂に続く路地裏は、まだ雪が溶けずに路面が凍っていたネ。
『兵六』の暖簾を潜るとコの字は満席。入口側の卓に腰を降ろす。



酒朋トクちゃんは年明け皆勤賞だったが、ストップしたご様子だ。

酒のアテは「兵六あげ」だ。油揚げの中にねぎ納豆、ねぎ味噌、そしてチーズが入り、こんがりと焼かれている。


夕べも心地良く吞めた。さて、今週は野毛詣でに行けるかなぁ。
小泉淳作さんを綴った過去の日記

先週のニュースで、北海道岩見沢市の積雪が観測史上最高の194cmを記録したらしい。

祖父の家が在ったので、子どもの頃は毎年正月などに泊まっていたが、冬は墓参りが出来なかった。雪の量が凄過ぎて、墓前まで行けないのだネ。墓地まではクルマで行けるのだが、墓には辿り着けず、遠くからお参りして帰ったことを覚えている。


◇ ◇ ◇
昨日は打ち合わせが早く終わり、小雨降る渋谷の街に出た。午後5時の空は銀鼠色から濃い灰色に変わろうとしており、玉川通りの濡れた路面は無数のヘッドライトに反射され眩しかった。
大きな歩道橋を登るとどうしても目が上に向いてしまう。今時の若いコ達は、見せるための下着を付けているのだろうか。ビニール傘を広げた彼女達は揃ってミニのスカートから生足を出して階段を登っている。
一段一段彼女たちが上下する度にヒラヒラのミニがまくれ上がり、胴体と生足を繋ぐ辺りにピンクやパープルの下着が顔を覗かせるのだ。
思わず、階段を踏み外しそうになったが、平常心の均衡を保ち玉川通りを無事に渡った。

先ずは、看板娘の原川さんの前に千円札を置き、大瓶と湯豆腐を戴く。

此処は130年以上も続く老舗の居酒屋でアル。僕が通い出して、既に30年以上になるのだからネ。
1人で吞んで居ても大抵誰か知っている顔が入って来るから、居心地が良い。この日は、パルコ劇場で毎年恒例となっている「志の輔らくご in PARCO」を観に行く事にしていた。

あぁ、2012年はチケット取れなかったナ、と嘆いていたら酒朋キクさんから朗報が入ったのだネ。ナント、複数枚当選したから譲って下さるとのこと。
これまで幾度キクさんに譲って貰ったことか。感謝多謝!でアル。
仕事を早上がりしたカミサンが富士屋の階段を降りて来た。

落語会は10時近くになる筈だからと、ハムキャ別を戴いた。

店内のテレビで6時のニュースを見ていたら、ミス日本の最終選考の模様が行われた。実は、この中に僕とキクさんの呑み仲間みっちゃんのご令嬢が入っていたのだネ。

三本目の熱燗が空になった辺りで、開演時間が近づいた。
雑踏を抜け、パルコ劇場のエレベーターに乗り込んだ。


やっぱり皆さん「志の輔らくご」は、外せないよネ。
さて、今回の落語会は、談志師匠が他界してから最初に聴く志の輔師匠の噺なのだナ。前半は得意の創作落語で、大いに笑わせてくれた。映画にもなった名作「歓喜の歌」に登場するみたま町が舞台となった噺は、下町の笑いと人情に溢れていた。

最後に志の輔師匠が、イエモトの想い出を語った時は、ついホロリときたネ。
今年もまた素晴らしい独演会だった。席を立ち、後ろ側を見ると渡辺祐さんがいらしてた。ヨカッタ!チケット、ゲット出来たのですネ。
窓の外を見ると大粒の牡丹雪が渋谷の街を舞っていた。

と、目黒方面へと急いだ。
武蔵小山も駅前は真っ白な世界が広がっていた。


ひと息ついて、芋焼酎のお湯割りを吞む。
ママにポテトサラダと煮込みうどんをお願いした。

コカ爺ぃもアヒルストアに行ったそうだが、あいにくの満席だったご様子。残念!



今日は旧暦の正月だ。横浜中華街では、恒例行事となっている爆竹のカウントダウンが行われたネ。今朝のニュースでも爆竹の大きな音と共に盛大に祝う人々の姿が映し出されていた。

中華街と言えば、西方の延平門『天龍菜館』。鄭さんの作る「鎮江炸肉排」を求めて、久しぶりに旧正月の横浜を歩こうか。
◇ ◇ ◇
土曜日は、朝からいつもの立石朝酒だ。前日、酒を抜いたのですこぶる体調は良いのだが、空腹の胃袋に寶焼酎の梅割りはキツいので、早起きをして飯を炊いた。
丁度、ずわい蟹の缶詰を戴いたので、蟹の炊き込みご飯にした。
カニ缶は、汁もしっかりとカニのエキスが出ているのでそのまま良い味に仕上がるのだナ。

浅蜊の味噌汁と共に朝酒前の胃を万全に整えたのサ。むふふ。
さて、午前9時40分、京成立石駅に到着。
大寒の朝は、やはり寒い。もつ焼き『宇ち多゛』の裏側に廻るといつもの面々が集っていたが、奥席古参ご常連たちの姿が見えない。

そんな訳で、いつもの奥席は【宇ち多゛出禁】の筈のホッシー、ダンディ岩崎サン、そして地元のアキちゃん、ボクの4人だけだった。







たまには『寿し正』で吞もうと言うことになり、また逆戻り。
奥戸街道に出ると地元のウシさん親子に遭遇。お嬢さんが正月の凧に描いた絵の表彰式があったご様子でしたナ。


そして、マサ君の居る『寿し正』の暖簾を潜る。




『ちょい吉』に戻ると賑わっている。





ホッシー達の居る『さくら』に立ち寄ると女性陣たちは既に帰っておりましたナ。人ごとながら、十二指腸の具合は大丈夫?

ダンディさんと電車に乗り、僕は地元に戻ることにした。浅草で電車を降りたダンディさんは、いつもの様に雷門の酒場『簑笠庵(さりゅうあん)』に向かった。間違いなく、小上がりで爆睡するだろうナ。
僕はと云えば、三田で無事に電車を乗り換えたのだが、ムサコで降り忘れ新丸子で目が覚めた。
またやっちまったのだが、まだ午後8時前だ。こんどはちゃんと降りるのだ、と立つことにした。
電車の爆睡ですっかり酒も抜けた。
仕事を終えたカミさんと合流し、ムサコの老舗『とりひろ』へ。







土曜日のハシゴ酒は、7軒にて終了。酩酊なり。
今日から大寒だネ。一段と寒さ厳しくなる季節がやって来た訳だが、東京は今朝雨から霙(みぞれ)に変わり、初雪が舞った。


冬の夜空は、空気が澄み東京でも綺麗に輝く星を眺めることが出来る。帰り道、ちょいと空を見上げれば、小さな幸せに出逢えるのだナ。
大寒や北斗七星まさかさま
僕の大好きな俳人・村上鬼城(きじょう)の詠んだ句だ。
大寒の夜、何気なく空を眺めた時に目に飛び込んだ北斗七星の姿は、澄んだ空気の中で一層輝いて見えたことだろう。
柄杓のカタチの星座が真っ逆さまに目に映った時の気分がダイレクトに伝わってくる。「まさかさま」が素晴らしいのだナ。耳が不自由だった鬼城ならではの、心で感じたままに詠み上げた名句だネ。
鬼城は、正岡子規に句を習い、子規亡き後は、高浜虚子に師した。
もう随分昔になるが、9月17日の鬼城忌に高崎の龍広寺にある墓前をお詣りしたことがあった。
毎年、大寒を迎えるとこの句を思い出すのだナ。
◇ ◇ ◇
昨日は、酒朋ビリー隊長が早めに仕事が終わるとの連絡があり、午後5時過ぎに仕事場を出た。もちろん、京成立石へと向かう訳だが、この時間のダイヤはどうも遠距離の帰宅組に合わせているためか、快速や快特が矢鱈と多い。
当然、立石は普通電車しか止まらないので、途中駅で通過待ちとなる。
ワタクシ卑しい吞んべいなので、この数分間がじれったいのでアル。
『宇ち多゛』に何人の列が出来ているだろうか、うんぬんかんぬんと頭の中がモヤモヤし出すのだナ。
やっと京成立石駅に到着すると、もう足は勝手に早歩きになる。木曜日は『栄寿司』も休みなので静かだが、『宇ち多゛』からは活気溢れる声が外まで響いていた。

宗さんと目が合うと口の両端を少しだけ上に持ち上げ、笑いながら「其処で良いかい?」と無言の合図。いつもは奥の卓が定席なのだが、ビリー隊長が中席に座っていたので、この日はそちらへ。

この日の話題は、もっぱら自転車ホッシーだったネ。ここ数週間、十二指腸の調子が良くないとのことで酒を控えた方が良い筈なのだが、相変わらず酒場で出逢う。ビリーも赤羽で出逢ったと云っていた。
そんな訳で、宗さんから「体調が良くなるまで、当分の間此処に来ちゃ駄目だ」との愛に溢れた「出禁」宣告をされたのだナ。
まぁ、冗談だが、それだけ皆がホッシーの躯の事を心配してるってこったナ。さぁ、明日の朝はホッシーが、どんな顔して宇ち入りするのか愉しみだ。
『二毛作』も定休日なので、我々は早々に立石を引き上げた。
青砥で乗り換えて、向かう先は鶯谷だ。と云っても、立ちガールを買いに行こうって訳じゃぁナイ。


先日、吉田類さんと訪れた小金井公園内の『江戸東京たてもの園』には江戸期に建てられた昔の『鍵屋』が移築保存されている。


丁度、先客がお勘定を済ませた所だったので、燗付け器の前に座る事が出来た。








賢太郎さん、女将さん、ご馳走様でした。程良く酒に酔い、店を後にした。
さて、三軒目は東十条へ。JR東十条駅北口2番出口を出て、そのまま真っ直ぐ進む。


此処も素敵なコの字ワールドな酒場でアル。


酒のアテは、みとめ自慢の「スタミナ」だ。


この日の東京縦横無尽ハシゴ酒は、立石・根岸・東十条と三軒で終了。雨が降り始めたし、家路に向かうことにした。

春を迎えぬ冬はない
今朝、海福寺の前に出ていた法語でアル。


時々、目にする法語が心に響き、一日の始まりをとても爽やかにしてくれる。もう随分前だが、仕事関係のトラブルで憂鬱な気分になっていた時に何処かの寺に貼られていた言葉に救われたこともあった。
心が渇いている時は挨拶をしよう。
自身のみならず相手の心も潤う。
このコトバに随分と気持ちが穏やかになったものだ。
他にもずっと心に残っているコトバを記しておきたい。
たとえ明日、世界が滅びるとしても、
今日、君はリンゴの木を植える。
東欧の詩人ゲオルグの詩の一節だが、作家の開高健さんは生前このコトバを色紙に良く書いており、酒場などに残している。これも、何処かの寺で見てノートに残したっけ。

◇ ◇ ◇
昨日は、初観音の日。浅草観音浅草寺では、「亡者送り」が行われた。
24人の住職が交代で七日間、昼夜不断の祈祷を続ける。最後の日の夕刻、最後に貫主が修法を行い、読経が終わると真っ暗になり闇の中から真っ赤に燃える松明(たいまつ)を手にした鬼が二人現れる。
鬼達は境内を駆け下りて松明を地面に叩き付けるのだ。これで魑魅魍魎(ちみもうりょう)の悪霊を払い天下太平を祈るのだナ。
今から355年前の江戸の昔、江戸城天守閣と市街の大半を焼失し、10万人以上もの死者を出した「明暦の大火」が起こった。これも1月18日の出来事でアル。
恋の病に臥せった16歳の娘お菊が亡くなった。寺での法事の後、しきたりに沿って娘の振り袖を古着屋に売り払った。その振り袖は別の娘お花の元に渡ったが、その娘も病死した。
振り袖は、また別の古着屋を経て、別の娘おたつの手に渡った。だが、彼女もまた病死した。明暦元年、1年、2年の1月16日、三人が次々と同じ日に亡くなり、三家の家族が相談し、彼女らが袖を通した振り袖を本郷円山町の本妙寺にて供養してもらうことになった。
和尚が読経し、奇怪な因縁の振り袖を火の中に投げ込むと、突如吹いたつむじ風により火のついた振り袖が舞い上がり寺の本堂に燃え移った。その火が江戸中に広がり大火となり、「振り袖火事」の名がついた。
以来、1月18日は「振り袖火事」の日と言われている。
列島の太平洋側では、この冬記録的な乾燥日が続いているネ。34日連続とのことで、昨日東京に乾燥注意予報が出た。
空気が乾燥すると静電気も起きるし、火災も起こり易くなる。
このところ、また地震も続いているし、振り袖火事じゃないが、十分に気を付けなくてはならないネ。
◇ ◇ ◇
さて、夕べは「亡者送り」の後、木場『河本』の暖簾を潜った。
ガラリと戸を開ければ、いつもの面々がホっピーに酔っている。

午後8時、営業終了と共に奥から猫のモコが現れた。この後は猫ちゃんたちの夜宴の時間でアル。我々は早々に引き上げないとネ。
ちょいと肉が食べたくなったので、武蔵小山の名店『ホルモン道場みやこや』に向かった。駅前でカミサンと合流だ。
此処は、大坂鶴橋の焼肉屋に見られる様にカウンターに幾つものガスロースターが乗っている。カウンター焼肉なので「お一人様」でも大丈夫なのだナ。
串の焼きとん類も有るし、酒のアテも豊富だ。ホルモン類も充実しており、何でも美味しいのだが、特に評判なのがハラミでアル。
此処を教えてくれたバーのマスターは、「みやこやのハラミが食べたい時は、店を臨時休業にする」と云ってたっけ。でも、その言葉に嘘はない。本当にスバラシイのだヨ。
そして、飲み物はホイスに限る。下町のボールと双璧を成すのが、山手のホイスなのだから。なにより、此処のご主人後藤さんはホイスを造る後藤商店の家系なのだから本家ホイスを飲むことが出来るって訳だ。





続いて、カシラとミノを相盛りでお願いした。

ホイスもクイクイと喉を通る。むふふ、な幸せ。
歯ごたえ系好きなカミサンは、ミノが大好物。二人して暫し焼くことに夢中でアル。
此処は一階はカウンターのみだが、二階が座敷になっている。イメージとしては赤羽『まるます家』の二階を小さくした感じかナ。あぁ、押上『まるい』の二階にも雰囲気が似ている。15人程入れるが時には20人以上で宴会を開いている方々も見受けられる。
夕べも二階は賑やかだったなぁ。会社の新年会だろうか、一階のトイレの前でずっと若者に説教垂れている御仁が居たものナ。

此処はご主人が肉を捌き、息子さんがつまみ類を受け持ち、ホイスを作る。実に仲睦まじい親子の姿に僕らも和むのだ。
満足満腹!武蔵小山は、こんな名店が点在しているから日々徘徊が愉しいのだナ。
『みやこや』は、働く人の酒場『牛太郎』のすぐ先でアル。是非!
ハラミでしっかり腹を満たしたので、隠れ家『Bar 酒音(Shu-On)』へ。細い階段を上がり、戸を開けると結構入ってる。だが、なんとかカウンターに座れたのだネ。

馴染みの酒場で、馴染みの顔に出会い、他愛無い会話に心が和んだ。
寒空の下、冷たい風が酔いを覚ましてくれた。こんな晩は、星と対話が出来そうだ。
寒くて湯船から出たくないこの頃でアル。
顔に当たる風が冷たく痛い。毎朝通る公園の人工池も氷が張っていた。

暦では明日までが「小寒」、20日からはいよいよ冬の寒さが一層厳しくなる「大寒」の到来だ。
一年の季節を細かく分けて表した七十二候では、「款冬華」(ふきのはな、さく)季節。これ、読めないよネ。款冬とは蕗(フキ)のこと。
寒さ厳しい中、蕗の薹(とう)が蕾みを出し始める時季が来る訳だ。
蕗の薹の舌を逃げゆくにがさかな 高浜虚子
◇ ◇ ◇
今朝の朝日新聞の朝刊をめくっていて、時々掲載される時代小説の特集広告ページに目が止まった。


僕の仲間のカメラマンの友人であり、今は毎日顔を合わせているので、一緒の仕事も始まっている。
今、僕のところには、カメラマン、コピーライター、デザイナー、プロデユーサーが一堂に揃ったのでとても仕事がし易くなった。
高橋さんは新宿区百人町の「江戸幕府鉄砲組百人隊」保存会のメンバーでも有り、NHKの『ブラタモリ』にも鉄砲担いで登場していたのだナ。

また、「リレーおぴにおん」の記事では、僕の俳句の師でもあり、酒場でもお世話になっている酒場詩人・吉田類さんが登場していた。

〈週末の下町、夕食時などに若いお父さんやお母さんが小さな子どもの手を引いて、なじみの居酒屋に来る。親は旬のモノなどを肴に酒を酌み交し、傍らで子どもは食事。そういう光景は東京といわず地方といわず、特に珍しいわけではないですね。むかしから。〉
〈地域に根付いた下町の大衆酒場や居酒屋は食堂を兼ねている店が多い...子どもが騒ぎ回ったり、ぐずったりすれば親が注意する。店のおかみがしかる。周囲の大人たちがしつける。そんな雰囲気の中で、子どもたちも知らず知らずのうちに周りへの気遣いや思いやりの気持ちを学んでいきます。〉
サスガ、類さんだネ。僕の通う立石のもつ焼き『宇ち多゛』でも土曜日など子連れで煮込みを食べにくる親子連れを見かける。お父さんが梅割りを吞む傍らで、小さな子が一生懸命に煮込みを頬張っている光景は実に微笑ましい。
親しい方々が朝から朝刊に登場していて、何だかとっても元気を貰った気がするのだナ。そんな訳で、昨日と打って変わって今日は気分上々なのでアル。
◇ ◇ ◇
閑話休題。
先週、浅草寺にお詣りの後、雷門の居酒屋『簑笠庵』の暖簾を潜った。


ハッカクを味噌で焼いた軍艦焼きも美味かったナ。



ふきのとうは天ぷらも美味いが、何と言ってもコレが酒呑みには堪らない。独特の苦味に味噌の風味が相まって素晴らしいアテとなる。
残ったら翌朝の熱いご飯に乗せて喰う。あぁ、書いているだけでヨダレがでそうだ。

蕗味噌に酒がすすむや路地酒場 八十八
いつもいつも美味しい料理に感謝でアル。

